13年前、第1次安倍政権の時に、私は「愛国心を教え込む教育法案」を強行採決している国会議事堂前に行きました。
デモに参加しようとか、具体的な何かを考えて行ったわけではありませんでしたが、少数のデモの人達に対峙するようにずらりと並んでいた警官たちが
威圧的に感じられ、権力者が警察組織などを国民に圧力をかける方向に使ったら怖いな、と漠然と感じました。
しかし、「同調圧力」という本を読み、「新聞記者」という映画を観ると、この時の漠然とした不安が
(時の権力が国家組織を使って政権の都合がいいように世論操作・時に圧力をかける)具体的に動いている怖さをヒシヒシと感じさせられました。
未来の選択を間違えないためにも、「日本を救ってくれるのは安倍総理しかいない」とか信じきっている人以外は、
(映画の途中で観るに耐えずに帰る人もいましたから)絶対に観て、読んでから選挙に臨んだ方がいいと思います。
「新聞記者」は東京新聞の記者、望月衣塑子さんが書いた本が元の映画です。
望月さんは、菅官房長官の会見で政権に都合の悪い質問をする記者としてマークされ、「事実誤認による質問は避けるように」と御達しがきたそうです。
「事実誤認」を決めるのが政府の側だけだとすれば、国民は「何が正しくて、何が間違っているのか」について政府見解を鵜呑みにしろ、
ということになり、民主主義の根幹を揺るがす「国民の知る権利を阻害する」ような政府の振る舞いです。
こうした経験から「新聞記者」という本が出て、元文科省事務次官の前川喜平さんや元ニューヨークタイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏との
共著「同調圧力」が出版されるきっかけになったようです。
この本では、実際に官僚や記者の立場から直接安倍政権に接触していて、直接的に圧力を実感している人たちの話でリアリティが違います。
ニューヨークタイムズの東京支局長だったファクラー氏は記者の取材の仕方に2つあるといい、
「アクセス・ジャーナリズム(権力者や有力者の懐に入る能力≒権力者から情報をもらう報道方法)」と、
「アカウンタビリティ・ジャーナリズム=調査報道」は文字通り、権力に依存せずに自分で調べて裏をとる報道と。
日本のほとんどの記者はアクセス・ジャーナリズムに偏りすぎていて、権力から情報をもらうことに慣れ過ぎている。
時に官邸に利用される存在(≒官邸に都合のいい情報しか伝わらない)でしかなくなっているように思えるという。
そのため現在はどの有力紙も同じような記事しか書いていない状態で異常だという。
アメリカは1960年代のベトナム戦争時代にアクセス・ジャーナリズムに偏りすぎて戦争へ突き進んだ経験から
アカウンタビリティ・ジャーナリズムの大切さを記者も読者もよくわかっているという。
アクセス・ジャーナリズムの温床となっている日本の記者クラブ制度は廃止したほうがいい。
参議院議員の山本太郎氏の「戦いの原点」「安倍総理への質問」も読んでいます。
原発事故をきっかけに、政治的な発言を開始した山本氏は、そのために芸能人としての仕事を次々と失ったという。
大企業寄りの安倍政権を批判すれば、テレビのスポンサーから嫌がられるからだそう。
映画「新聞記者」の主役が韓国の女優、シム・ウンギョンさんに決まったのも、日本の女優が自分の職を失う危険を回避する人ばかりだったから
(あるいは事務所がそういう方針だったから)ではなかったか、と邪推してしまいます。
その意味では松坂桃季さんはこの役をよく引き受けたなぁと感心します。
朝ドラ「わろてんか」で初めて知り、記憶に残っていましたが、信念のある立派な俳優さんだと思います。
安倍官邸の嫌な感じに話を戻しますが、閣僚や官僚の人事権を私的に使って自分の周りを“忖度し、ゴマをするような”人間ばかりで堅めて
いるのにも人間性を疑わざるを得ません。
萩生田光一幹事長代行の国会での首相擁護演説はゴマスリ100%で聞くに耐えないものでした。
もし自分の周りがゴマスリばっかりだったら?私は、絶対に天狗になって道を間違えると思います。
といって批判にさらされ続けても自分の道を歩けるほど私は強くありません。(だからこのHPも一方通行なのです)
しかし、変なおべっか使いをそばに置きたいとも思いません。出来る限り真っ直ぐ前を見て、受け入れられる範囲の批判を
自己改善の肥やしにしつつ、ゆっくり進んでいきたいだけです。
だから、ゴマスリに囲まれて悦に入っている人間を見るのは正視に耐えません。
安倍首相の周りにはなぜこんなにゴマスリが沸くのでしょうか?まぁ本人がそれを望んでいるからでしょうけれど。
首相自身がゴマをすってくれる人を快く思い、首相という権力でゴマする人に好待遇を与えるからこそ、
どんどんゴマスリが、国家の中枢に集まる。権力を持っている人の周りが、そのおこぼれにあずかりたい(私利私欲にしか目のない)人ばかりになった
国家の行く末は地獄でしかないように思えますが・・・。
山本太郎氏の本を読んで、「よくやってくれている」と感じます。政治家になってストレスからハゲができたそうです。
「1度の国会で100本ほどの法案が審議され、その内容について採決するわけです。
大きな政党に属していれば、法案に対する賛否は党に言われる通り(党議拘束)なので、
各法案について深く掘り下げる議員は多くないでしょう。
うちは、そんな右にならえ、ってわけにはいかないので、問題のある法案のあぶり出しに力を入れています。」
彼は何で他の議員はハゲにならないのか、と冗談めかして言いつつ、
大きな政党に属してゴマを擦って上の言うことに従っていればいいのであれば、こんなに楽で報酬の高い仕事はない、
という安易な考えの議員が増大していることの危機感を語っています。
山本 「現在では、表向きこの国は民主主義の体だけど、やっている内容は全体主義とほとんど変わらない。
まぁ、明るい北朝鮮みたいな感じですかね(笑)」
うむむ、笑えないぞ・・・・。
元文科省事務次官の前川喜平さんからの言葉もお借りしましょう。
「僕自身の経験を思い起こすと、大宇宙を貫く真理とは何か、自分は何のために生きているのか、この社会はいかにあるべきか
などという疑問を、10代の多感な時期に徹底して自問自答する時間は絶対に必要だと思う。(略)
人間の最低限の条件とは、自分で考え、自分で判断し、行動できることだと思っている。
しかし、それを満たしていない状態で、学歴だけは立派なものをもって世の中にでてしまっている人間があまりにも多いのではないだろうか。(略)
自分自身の座標軸を自分の中に確立できなければ、どのような生き方することになるか。
長いものに巻かれること善と受け止め、強い権力に同化させることで自分のアイデンティティーを持とうとする。
無意識のうちに同調圧力に屈し、忖度や委縮を絶えず繰り返す。
そうした人間が増えているのが今の日本だと思う。」
安倍政権でなくなれば、内閣情報調査室も国民を監視しつつ世論誘導するような仕事から解放されるでしょう。
テレビや新聞ももっと自由で多角的な番組・記事作りができるようになるでしょう。
断ったほうがカッコ良くなってしまった国民栄誉賞も権威を復活できるかもしれません。
「明るい北朝鮮のような日本」から脱却し、市民がこの国の在り方を動かしていけるようになるには、
安倍政権の退陣とより難しい市民の成熟が必要であり、その道のりは簡単ではないかもしれません。
しかし今の緩やかなれど言論統制が進みつつある息苦しさをつくり出している安倍政権にはNO!と言い続けなければなりません。
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追記:「国会議事堂を黒く描いたのいつだっだっけなぁ」と自分の昔の絵日記を探しました。
2006年ですよ。すでに第1次安倍内閣で問題が噴出し、私は今より13歳も若く、元気に安倍内閣に文句を言っていますね。
2006年11月4日・11日・16日・18日・25日・12月2日・16日
指摘している内容も今と変わらないのにも愕然としますね。安倍政権の本質は何一つ変わっていないのに、
メディアを使った印象操作や内調の世論操作に磨きがかかって、内閣支持率が下げ止まっていて北朝鮮化が進んでいる、というのが
現状ではないでしょうか。