12月16日

安倍首相が推し進め、与党議員が“右にならえ”し、多数にまかせて「愛国心を教え込む教育法案」を強行採決している国会議事堂の前に行ってきました。

私にできることは何もありませんが、ネットとメディアから受け取る映像と言葉だけの情報に、自分の肌で感じたリアリティを与える必要を感じたのです。

 

議事堂裏側にある通用門と議員会館の間では、安倍政権に危機感を抱いている多くの人たちが集まっていて、

強引に国家主義へ政治の舵をとる国会への批判の声を挙げていました。それに対する警備の為かすごい数の警察官が警備にあたっていました。

(選挙では近所の公民館に行って名前を書くだけで、“権力を持つことを許す政治家を選んでいる”というリアリティをあまり感じることはできませんが)

いざ権力の座について法を整えれば、これらの警察や軍隊を用いて、われわれ国民に圧力をかけることも不可能ではないことの恐怖を実感しました。

 

日本の組織の多くは、優秀な人が集まっているにもかかわらず、すぐに組織体質に飲み込まれ、「自分の担当の仕事をこなしていればいい」となり、

上からの命令の良し悪しを判断せずに“何でも無難にこなす”ことに始終してしまいます。結果として、上官の判断を補正する機能がありません。

しかも、何か問題がおこれば命令末端の実行者だけが罪をかぶらされて事がもみ消され、上官はなんら傷を負うこともなく、反省もしません。

「組織(システム)」に依存しすぎているために、与党党首が自動的にに内閣総理大臣になってしまえば、その人物の資質が問われることもなく、

国の行政がその人物の意向で動き出す、という危険性に対するブレーキ・システムがありません。

この構造ゆえに、権力がいとも簡単にうぬぼれてつけあがり、暴走してゆくということをあいかわらず繰り返し、“大東亜戦争の教訓”を生かせないのです。

この愚かな政治・行政構造こそ改善すべきであり、そのためには、国民がもっと賢くなるしかないのですが・・・。

 

教育基本法を変えることに成功した安倍政権は、これに味をしめ、治安維持法のような共謀罪の成立にも触手をのばすでしょう。

そのとき、国会前をうろうろする私も捕まって、尋問されることになることだって絵空事ではありません。

 

議事堂を設計した建築家に罪はないのですが、とてもじゃないけど明るい色味で議事堂を彩色する気になれず、議事堂を黒く描きましたが、

それがために平成の「不敬罪」とかで捕まってしまう日がこないように、私にできることがあるならば、しなければならないと思います。