インドの民族打楽器、タブラの名手、オニンド・チャタルジーの演奏会に行ってきました。
画家の先輩の影響を受けてインド旅行に2度行った25年前、日本とは大きく異なる文化・生活の在り方に文字通りカルチャーショックを受け、
日本では当たり前のことが当たり前ではない人間の生活があり、日本では非常識なことが当たり前の社会が存在することを
(つまり、日本で我々をガンジガラメにしている“常識”というモノの正体を) 身をもって実感できたことは良かったです。
旅行中にインド音楽の演奏会に行く機会はありませんでしたが、ベナレスで出会って数日宿を共にした日本人が
シタール(インドの弦楽器)の勉強のためにインドに来ていて、いつも部屋で練習していたのを聴いていました。
帰国後、シタールのラヴィ・シャンカールやサロードのアリアクバル・カーンなどのCDを聴き、ラーガなどをよく聴いていました。
ラーガは一曲30〜50分近く、ゆったりと曲が始まり、途中から打楽器のタブラが入り、どんどんテンポをあげていってクライマックスを迎える
というような曲の展開なのですが、打楽器タブラの独特のリズムが気分を高ぶらせていく、その魅力も印象深く感じていました。
とはいうものの、好きだったのはシタールやサロードの弦楽器のほうで、タブラの魅力も感じつつも、伴奏という役割だと思っていました。
今回の演奏会はタブラが主役(ほぼソロ)なので、太鼓2つだけで1時間半近くの演奏は退屈しないか少し心配でした。
(実際は通奏低音的に一定のメロディを繰りかえすサーランギーという弦楽器(ナカガワ・ユウジ)の二人での演奏)
インド音楽ではシタールだけの演奏でも、メロディを演奏する弦の他に、常にリズムを刻む開放弦をほぼ曲の最初から最後まで鳴らし続けます。
今回のタブラの演奏会では、タブラの多彩な演奏を生かすために、サーランギーがそのリズム弦のような役割を果たしていたように思います。
前置きが長くなりましたが、65歳になるチャタルジーの指先の眼にも止まらぬ動きから生み出されるリズムの多彩さは素晴らしく、
修練の賜物とはいえ、人間の手がこんな動きが出来るようになるのか、と感心しきりでした。
また、様々なリズムパターンを演奏しながら時々英語で解説してくれ、3つの数字のパターンがベースになっているようでしたが
どんどん細かくリズムを刻むようになると、ベースのパターンが何だったのか私にはわからなくなりました。
今、日本でもインド数学が注目を浴び、日本の数学の教え方とは異なるユニークな勉強法(視覚的だったりする)をテレビでも
目にしますが、ドンドンという日本の太鼓のリズムとは明らかに異なる複数レイヤーを重ねたようなリズムの刻み方には
インド数学との関係もありそうな気がしました。
例によってYoutubeで検索してみるとあるじゃないですか、チャタルジーの演奏。この動画は私の観た演奏会とほぼ同じスタイルです。
この動画の右の弦楽器がサーランギー。 しかしタブラ奏者は腱鞘炎になったりしないのでしょうか・・・。
東京でレベルの高いインド音楽が聴けて満足でしたが、率直に言えば、シタールとの組み合わせでラーガを聴きたかった、というのが
正直なところかもしれません。
Raga Kafi ( Sitar : Pandit Krishna Bhatt. Tabla ; Anindo Chatterjee) (タブラが加わるのは曲が始まってから12分後)