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鈴姉に捧ぐ

親孝行

 息子と買い物行くのにウキウキするなんて変かしら。
 鈴は弾む心を抑えられないでいた。鏡に向かってニコッと微笑む。
 「オシャレして来てくれ」なんて、一体どこに連れて行ってもらえるんだろう。バイト代も入った頃だろうし、何か美味しいモノでも食べさせてくれるのかもしれない。
 鏡の前で今日着ていく候補の服を次々と合わせていく。
 息子から誘ってくれるなんて初めての事かもしれない。「親孝行するから」なんて嬉しい事言っちゃって。何してくれるんだろう。  鈴は清楚な小花模様のロングスカートを合わせてみた。
「やっぱりこれにしようかしら」
 このスカート、「若く見える」って褒めてくれたっけ。……決めた。やっぱりたまにはスカートにしよう。息子と恋人同士に見える位の格好しなきゃね。自慢の息子だもの、恥ずかしい思いはさせたくない。街でもし息子の友達に会ったら「えー、お前の母さんかよー。彼女かと思ったぜー」なんて言われてみたい。
「こら、ちょっと図々しいんじゃない?」
 鈴は鏡の前の自分をたしなめた。壁の時計を見る。
「あらやだ、こんな時間」
 早く行かないと待ち合わせの時間に遅れちゃう。

 今日はずっと笑顔でいようと思ったのに。楽しい気分でいられると思ったのに。
 鈴はイライラして時計を見た。待ち合わせの時間は大分過ぎている。待ち人はまだ来ない。駅前。少女の銅像の前。待ち合わせしている他の人々が次々に相手を見つけ去っていく。心細かった。
 このままじゃ私、野菜室の隅に忘れられてるピーマンみたい。水気が無くなってひからびて、そのうち待ちくたびれてミイラになるんだ。
「ったくぅ〜〜何してるんだぁ、あいつはゎ〜」
 小さな声で恨み節。周りに聞こえないようにこっそりと恨み節。拳をぎゅっと握る。
「こんにちぃはぁっ」
 背後から声を掛けられる。振り向くとそこには圭が立っていた。
「……こんにち、は」
 釣られて挨拶。挨拶した後、顔が赤くなったのが自分でも分かった。心臓もドキドキしてる。息子の友人相手に何動揺してんだ、私。
「今日はどうしたの? 買い物?」
 そんな事聞いてどうするんだ。プライベートな事聞いちゃ悪いじゃない。これからデートなのかもしれないし。
「私はね、息子と待ち合わせしてるんだけど、全然来ないのよー。参っちゃう。どこかで見かけなかった?」
 聞かれてもいない事を早口で捲くし立てた。静まれ心臓。
 圭は何故かきょとんとした顔をしている。
「聞いてません?」
「何が?」
 鈴もきょとん顔になる。
「僕も一緒って」
「へっ?」
「僕も一緒に、って誘われたんですよ」
「えええぇ〜っ? そうなのぉっ?……な、何にも言ってなかったけど」
 え? え? 圭君も一緒に買い物に行くの? 何であいつはこんな大事な事言わないのよ。しかも待ち合わせに来ないし。やっぱり一緒に家出てくるべきだったんだわ。圭君まで待たせちゃって。……と、自慢の息子に矢継ぎ早に総攻撃。
「ちょっと連絡してみますね」
 圭が携帯を取り出した。黒い携帯。ストラップは……シンプル。
 意外に男っぽい携帯だな。もっと可愛いストラップが付いてるのかと思ったけど。ちょっと安心。…………ああ嫌だ。そんな細かいチェック入れちゃう自分が嫌だ。女の子の影を感じなかった事に安心しちゃう自分が嫌だ。
「……出ないですねぇ」
 圭が困った顔をした。
 困った顔も可愛いな。心臓を鷲掴みにされちゃう。……本当に何考えてるんだ、私。
「ごめんね。息子が誘ったのに。……今日は中止にしましょう」
 仕方ない。物凄いチャンスだったけど。
「あーあ、今日はついでにあの子のスーツ買おうと思ってたんだけどな」
 仕方ない。物凄いチャンスだったんだけど。
「そうそう。だから僕誘われたんですよ。僕も成人式のスーツ買わないといけなかったんで」
 圭が頭を掻いた。
「あ、今年成人式よねぇ、おめでとう。……本当にごめんねぇ、だらしない息子で」
 大分この状況に慣れてきたみたい。少しずつ普通に喋れるようになってきた。でももうお別れしなきゃいけないけど。仕方ないよね。物凄いチャンスだったけど。私、きっと物凄く残念そうな顔してるだろうなぁ。圭君には申し訳ない顔に見えてる事を祈るしかないな。
 一方の圭は何か企み顔をしている。そしてうんうんと一人で勝手に頷き出した。
「やっぱ、買い物行きましょう」
「え? だって息子いないのよ?」
「二人で行きましょう。僕、やっぱ一人でスーツ選ぶ自信ないし。ほら、あいつの分は、僕と体型似てるから、僕が合わせてみれば大丈夫だと思うんですよねぇ」
 明るい顔。悪戯っ子が作戦成功したような明るい顔。眩しいな。
「う、うん。……まあそれはそうなんだけど……」
 嬉しい提案に心が躍る。でも自分の心臓が持つか自信が無い。
「そうと決まれば行きましょうっ! ねっ!」
 そんな「ねっ」なんて可愛く言われても。
「ほら、早くぅ」
 圭が鈴の手を掴んだ。
 息が止まる。あの子が何気なく掴んだ私の手がぎこちない。神経が一点に集まってるはずなのに、あの子の手の感触が分からない。自然に振舞えない。息ってどう吸うんだっけ?
 今すぐこの手を離して。汗が出てくる。目眩を起こしそう。倒れないように私の手をずっと握ってて。離さないで。ウラハラ過ぎる。訳分かんない。誰か私をいつもの私に戻して。
 圭がニコニコ笑いながら見慣れた街を足早に歩いていく。鈴の手はいつまで経っても離してもらえない。
 いつもの街が違って見える。私達どんなふうに見えるかしら。周りの視線が気になる。気になるくせに周りの人が目に入らない。もしかして知り合いが歩いているかも。でも、きっと、私は気付かない。こんなに沢山の人達が風景の一部でしかない。流れていく。流れていく。風景が駆け足で流れていく。回る。回る。メリーゴーランドみたいに。隣にいる君の横顔だけはっきり見える。
 最初のデートってこんな感じだったかも。やだ、デートだって。私ったら何考えてるんだろう。
「デートみたいですね」
「はぁっ!?」
 鈴は圭の何気ないセリフに驚いて、思わず必要以上の大声を出した。
「何もそんな言い方しなくても……」
「あ、いや……。そんな……大人をからかうような事言っちゃダメよ」
 大人な微笑みをしてみた。ウラハラすぎる心臓が痛い。

「これがいいんじゃない?」
 鈴は細い縦縞が入ったミッドナイトブルーのスーツを手に取った。圭が受け取り、鏡の前で合わせる。
「あ、カッコいいっ。さっすがぁ」
 圭君だからカッコ良いのよ。鈴は心の中で呟いた。
「これだったらボタン位置が高いから、ちょっとドレッシーにも見えると思うのよねぇ。うーん。やっぱ店の人に聞いた方がいいかも」
 キョロキョロし出した鈴を圭が止めた。
「お店の人呼ばなくていいです」
「何で? 私の趣味になっちゃうよ」
「それでいいです。僕、言う事何でも聞いちゃいますから」
 ニコっと微笑みながら圭が言った。
 ……こら。君は私を心臓麻痺で殺そうとしてるだろっ。
 息子のスーツ選びなんてどうでも良くなって来た。親孝行も。圭君が待ち合わせ場所に現れた時からどうでも良くなってたのかもしれないけど。ごめん、息子よ。
「ネクタイは……これがいいかな。光沢があるから華やかな場所にも似合うと思う。……合わせてみる?」
 圭に白とブルーのストライプのネクタイを渡す。
「はい」
 と言ったものの、圭は何だかモジモジしている。
「どうしたの? ……他のが良い?」
「いや……あの……実は……ネクタイってどうやって結んだら良いか分かんないんですよね……教えてもらえますか?」
「あ……うん、いいよ」
 圭は突然着ていたパーカーをガバッと脱いだ。鈴は思わず目を逸らす。
 何ドキドキしてんのよ。息子と同じよ。息子だと思えばいいのよ。恥ずかしがる事ないじゃない。息子の裸なんて何百回、何千回と見て来てるじゃないの。一緒よ、一緒。しかもちゃんとTシャツ着てるじゃない。
 自分に言い聞かせてもドキドキが治まらない。
「ここまでは出来るんだけど……」
 ネクタイを首に掛けただけの格好で圭が言った。鈴は思わず吹き出す。
「当たり前でしょう? そこまでだったら誰でも出来るよ。……私のやり方でいいのかな?」
 鈴はネクタイを手に取った。圭の白いTシャツが眩しい。薄いコットンの向こう側の圭の肌を感じる。温度や匂いまで伝わってきそうだ。鈴は思わず目を細めた。
 圭は結び方を覚えようと懸命に鈴の手元を見ている。
 それ以上見ないで。手が震えてるのがバレちゃう。指がかじかむのは何故? 寒くも無いのに。
「ここをこうやって回して……」
 うっかり顔を上げてしまう。すぐ近くに圭の顔。心臓が止まる。
「えっとー。それからどうやるんだっけかな?」
 あーん。とうとう頭ん中が真っ白になっちゃったよぉ。
 圭がきゃらきゃらと明るく笑う。
「もう一回、見せてくださいっ」
 せっかく途中まで結んでいたネクタイを圭が解いてしまった。
「あー」
 嗚呼、神様、わざとじゃありません。ずっとネクタイを結んでいたいから間違えたフリをした訳じゃありません。圭君が解いちゃったんです。本当です。
「さ、もう一回お願いしますよ、センセ」
 圭がネクタイを握り締めていた鈴の手をぽんぽんと叩いた。
 もう結び方完璧に忘れちゃいましたぁ。神様助けてください〜。
 鈴は圭に分からないように深呼吸した。本当は肩回したり、指伸ばしたり、屈伸したり、ほっぺ叩いたりもしたかったけど。
「おっ、良く見ときぃ」
 精一杯強がって見せた。よっしゃ。自分自身に気合を入れて、と。
 最初はこうやって、ここをこうして回して、と。よし、ここまでくれば大丈夫。後は締めてと、……あ、圭君の喉仏。あのー、私ぃー、ノドボトケ、スゴク、シキンキョリデ、ミチャッテルンデスケドォ。
 ただの丸みを帯びた突起物なだけなのに、こんなに赤面しちゃうのは何故でしょう。誰か教えてください。笑顔とか、しぐさとか、喋り方とか、まだまだ子供ね、なーんて思っているのに、喉仏だけ「男」を感じてしまうのは何故でしょう。誰か学会で発表して下さい。う、うぅー。もう私、ノックアウト寸前ですぅ。
「う、ちょ、ちょっと苦しいです」
 見ないで締めたらやり過ぎてしまったらしい。もう少しで圭君もノックアウトさせちゃうとこだった。冷や汗。

 あろう事か私達、食事まで一緒に行く事になっちゃいました。あのー、いつものファミレスが豪華なレストランに見えるんですけどぉ。
 圭君はジャンバラヤ。私は若鶏の唐揚げ御膳。……って、もっと少ない料理頼めば良かっただにぃー。胸が一杯で全然入らないだにぃー。
 圭君はペロリとジャンバラヤを平らげた。凄く美味しそうに。圭君、きっとこの次はファミレスのCMが来ると思うよ、いやマジで。
「……何だか進んでませんねぇ」
 圭が4口目から全然進んでない鈴の唐揚げ御膳を見た。
 誰のせいだと思ってるんだよぉ〜っ。本当はお腹ペコペコなんだよぉ〜っ。……っと、いけない、いけない。
「何だかお腹一杯で。……圭君食べる?」
 まるっきりの冗談で言ったつもりだったのに。だったのに。圭君、何であなたは、
「うんっ」
 なんて可愛く言うのぉ〜。
 嗚呼、私の唐揚げ御膳が圭君に食べられていくぅー。パクパクパクパク食べられていくぅー。これって遠〜い間接キス? おい、鈴よ、あまりにも遠すぎるぞ。きっとカムチャツカ半島より遠すぎる。カムチャツカ半島がどこにあるのか分からないけど。
「あ。圭君、ほっぺに付いてる、ご飯粒」
「え? どこどこ? や、恥ずかしいなー」
 圭が慌てて顔中を指で探る。わざとかっていう位、ご飯粒から外れる圭の指。
 わざとだろー。わざとだろー。ご飯粒が付いてる自分が可愛いからって、ずっと付けておく魂胆だろう。その手には乗らないぞ。
「もー。ここだよ」
 と、我慢出来ずにご飯粒を取る鈴。
 取ったのはいいけれど、こ、このご飯粒を一体どうすれば良いのでしょう。
1.自分で食べてしまう。
2.この指を圭君の口に持っていって食べてもらう。
3.そっと食べ終わった皿の上に置く。
 鈴は欲望を抑え、泣く泣く三番を選んだ。
 い、いいんだ。偉いぞ、鈴。ちゃんと常識をわきまえた大人の判断をした。よくやった、よくやった。
 鈴は唇を噛み締め、天井を見上げた。

「今日はありがとうございました。助かりました」
 お礼を言いたいのはこっちの方だよ。
「ううん。……あ、息子が帰って来たら、こっぴどぉーく叱っておくからね」
 そうだった。最初は息子とショッピングに行く予定だったんだ。すっかり息子の存在を忘れていたよ。
「うふふふ」
 圭が愉快そうに笑ってる。
「ん?」
「いやぁ、怒っても怖くなさそうだなぁって思って」
「え? ……いや、怖いのよぉ〜、怒ると」
「え? そうなんですか? 想像出来ないなぁ。だって何か可愛いんだもん」
 か、可愛い?
「あ、すいません、年上の人に可愛いなんて言っちゃって」
 いいです。許します。ただいまの音声データは記憶されました。
「じゃ、また」
 笑顔の圭がそう言った。
 また? またって言ったからにはまた会ってくれるんでしょうねぇー。本気にするわよー。なんつて。
「うん、またね」
 出来るだけ可愛く手を振ってみた。
 本当は去っていく後ろ姿にずっとずっと手を振っていたかった。でも出来なかった。だって圭君てば、なかなか去っていってくれないんだものー。
 鈴は引き攣った笑顔で手を振ると、くるっと方向転換をした。
 嗚呼、本当は私が見送りたかったのにぃー。
 チラッと振り向いてみた。笑顔の圭はまだ手を振っている。
 鈴は涙を堪えてズンズン歩き出した。
 何でずっと手ぇ振ってんのよー。私に後姿見させろー。圭君のアホー。鈍感ー。カッコ良すぎぃー。笑顔が可愛いぃー。……嗚呼、悪態が上手くつけません。
 鈴はズンズン行きながら目を閉じた。手を振ってる圭の笑顔が焼き付いている。
 ときめきをありがとう。
 鈴は心の中でそっと呟いた。

「ただいまぁ〜」
 夢心地のまま家に帰ると、玄関にいつもの靴。鈴は急いでヒールを脱ぎ捨てリビングに向かった。そこには何故か寝転んで笑点を見ながらゲラゲラ笑ってる息子の姿が。
「こんなとこで何やってんのかなぁ〜」
 鈴は出来る限りの怖い顔をしながら言った。でも「怖くなさそうだなぁ」と言った圭の顔が浮かんで上手く怒れない。
「今日の約束、忘れたとは言わせないぞぉ〜」
 思いっきり凄みをきかせてるはずなのに息子は何も言わない。
「もーっ! あんたが来ないから圭君に今日の買い物付き合ってもらったんだからねっ!」
 あ、息子のスーツ買うの忘れてた。すっかり忘れてた。
「言ったろ?」
 息子がやっと振り向く。
「何が?」
「今日は親孝行するって。俺と二人で買い物するより、よっぽどいい親孝行になっただろ」
 血の気がサーッと引いた。夢心地がいっぺんに覚めた。
 さあ、私、鈴はこれから息子に何て言葉を返したら良いでしょう。
1.とりあえず怒る。
2.とりあえず笑う。
3.とりあえず感謝する。
4.とりあえず誤魔化す(誤魔化しきれるものなら)。
5.とりあえず逃げる。
6.とりあえず寝る。
7.とりあえず歌丸さんのネタに笑ってみる。
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