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鈴姉に捧ぐ

夢から覚めたその後に 〜リフレイン〜

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 幸せな夢から目が覚めた。少しぽわわーんとしている。まだ余韻に浸っていたい。ぬくぬくぬるりんと。
 鈴は時計を見た。一気に現実に引き戻される。
「うわ。結構寝ちゃったなー。そろそろ晩御飯作んないと」
 ゆっくり起き上がって伸びをする。猫みたいに。身長が伸びる。2.2mm.。
 欠伸をしながら冷蔵庫を開ける。まだ半分寝てる頭で献立を考える。
「……あるものでいっか」
 夕飯を作る前に洗濯物を取り込まなければ。玄関でツッカケを履く。息子の靴が乱暴に脱ぎ捨てられている。
「もう。だらしないんだから」
 靴をそろえながらも少しだけ幸せな気分になる。あの子も――圭君もこんな風に靴を脱ぎ散らかしたりするのかしら。
 圭君を想う事はもう既に日常茶飯事になっていた。息をする合間に圭君の事を考える。目の前の景色が変わる度に圭君の顔が浮かぶ。音が、風が、匂いが、色が、全ての物が圭君を連想させた。
 おぼろげな幸せを抱えながら洗濯物を畳む。洗濯物を畳むのは好きな作業だ。綺麗になって気持ちがいい。出来る限りピシッと畳む。白いTシャツ、紺色の靴下、チェック柄のトランクス。
 圭君はどんな下着履いてるのかな。
 思った後、激しく後悔した。心臓が波打った。
 私、病気かも。息子と同い年の男の子の事、こんなに想っちゃうなんて。TVの中の人で良かった。現実の人だったら、こんな想い抱いたまま普通の生活なんて送れない。たまに夢の中に出てくるだけでいいんだ。それだけで十分幸せなんだから。
 鈴は溜息を吐いた。この想いは恋だ。まだ誰にも内緒だけど、認めるしかなかった。
「よいしょっと」
 勢いをつけて立ち上がった。よいしょなんて言葉好きじゃないけど、こうでもしないと現実に戻れない。鈴は息子の部屋に洗濯物を届けに行った。
「今日は帰ってくるの早いね」
 息子の背中に声を掛けた。
「うん。友達から誘われたんだけど、母さんのご飯が食べたくって早く帰ってきちゃった」
 そう言いながら息子がゆっくりと振り返る。鈴は自分の目を疑った。
「圭君?!」
 目の前にいるのは、TVでしか見た事がないあの『圭君』だった。
「あの……うちの息子はどこ?」
 馬鹿な質問だと思った。どうして『圭君』がここにいるのか聞く事が先だろう。鈴はかなりうろたえていた。ところが次の『圭君』の言葉は鈴をもっと慌てさせた。
「うちの息子ぉ? 何言ってんの。母さん」
 背骨に電気が走る。
「母さん?」
 『圭君』が不自然な程に優しい口調で自分の事を「母さん」と呼んでいる。これは……夢? 夢かもしれない。そうだ。きっと夢だ。まだ夢の途中だったんだ。鈴は自分の意見に納得した。夢なら夢で……楽しまなくっちゃ。
「今日何が食べたい? 何でも好きなモノ作るよ。えっと……圭?」
「やだなぁ、母さん。いつもみたいに『圭君』ってもっと愛情込めて言ってよ」
「あは、うん。そ、そうだね。圭…君……」
 目の前にいる『圭君』を名前で呼ぶのは物凄く照れる。例え夢でも。顔がぶわぁーっと赤くなったのが自分でも分かった。熱くなった耳たぶを押さえる。
「どうしたの? 母さん。疲れてんじゃない?」
 『圭君』の顔が急にアップになる。息がかかる程。近くで見てもキメの整った白い肌。すっと通った鼻筋。小さなほくろ。ぽてっとした唇。夢とは思えない程リアル。
「ん……。そ、そうだね。疲れてんだね、多分」
 至近距離に耐えられなくて、つい顔を背ける。夢なんだからもっと大胆な事しちゃえばいいのに。夢の中でも理性的な自分をちょっと恨んだ。
「肩揉んであげるよ。ほら」
「え?」
 まだ良いと言ってないのに『圭君』の手が肩に伸びてきた。
 えっ。えっ。ちょ、ちょっと。まだ。心の準備が……。
「あ」
 思わず声が漏れる。『圭君』の大きくて柔らかで繊細な手が肩に触れる。優しく、力強くツボを刺激してくる。
「あ…きもち、いい……」
「母さん、大分コッてるよ」
 『圭君』の細長い指がめざとくコリを見つける。頑丈に凝り固まった自分のコリが揉みほぐされる。緊張の糸がだんだん解けていく。力が抜けていく。吐息が漏れる。頭の中が空っぽになっていく。周りの景色が白くなっていく。このまま夢が覚めちゃうのだろうか。でもそれでも構わない。こんな幸せな夢が見られたのだから。でも許されるなら、思う事が許されるなら、圭君が本当の息子だったらいいのに。
 鈴のこの思いが合図になったように、付けっぱなしのTVからあのCMが流れ出した。10.5秒『圭君』を見れるCM。顔に似合わないちょっとヒネたような声が聞けるCM。いつもの癖でつい反応してしまう。顔を上げて画面を見た。そこには、今、目の前にいるはずの圭……じゃなくて本当の息子の姿。
「何やってるのっ」
 鈴は思わずTVにしがみついた。画面の中、下駄箱の前でがっくりと肩を落としているのは紛れも無く自分の本当の息子だった。
 嫌な夢。圭君が息子だったら良いなんて、私が思っちゃったから。心の中で本当の息子に申し訳なく思った。
 でも。 何か。何か嫌な感じがする。胸に何かつかえているような。何か重大な間違いを犯しているような。鈴はその時確信した。これは、夢じゃない。
「圭君……これ……」
 鈴は画面の中を恐る恐る指差した。
「ああ、この子、最近TVに出てるよね。去年の夏、ドラマにも出てたよね。えーっと、何て言ったっけ?」
「それはあなたでしょう」
 思わず声を荒げる。
「ねぇ、息子はどこ? 息子を返して」
 鈴が腕を掴むと、『圭君』はニヤリと笑った。鈴はたじろぐ。そんな鈴を見ながら『圭君』は満足そうに顎を撫でた。そして、そのまま顎の皮膚を掴んで、ずるずると剥く――。
 鈴は思わず口を押さえた。言葉が出ない。今目の前にある出来事を理解しようと回路をフル回転させた。目の前にいるのは本当の息子の姿だった。
「どう? 満足?」
「な、何が? 何言ってるの。一体全体何がどうなってんだか……」
「母さんはさー、バレてないと思ってるかもしんないけど、俺知ってんだぜ。好きなんだろ? こいつの事」
 目の前の息子が脱皮後のマスクをぴらぴら見せた。
「母さんのPC使うと、こいつの名前ばっか出てくるし、こいつがTVに出てると横目でチラチラ見てるし、俺の背丈やスリーサイズ気にしたりするし。俺とこいつ、比べてんだろ?」
 言葉が出ない。何か、何か喋らなきゃって思えば思う程、喉がカラカラになる。まだ混乱している。そして秘密だった想いが全部バレている事に愕然とした。息子が呆れた様子で鈴に尋ねる。
「母さん、僕だって気付かなかったの?」
 不意の質問で金縛りに会う。
「え? も、もちろん気付いたわよ」
 必死に言葉を繕う。
「本当かなー」
 息子が鈴の目を覗き込んだ。
「実は……さっきまで昼寝してて、寝起きでぼーっとしちゃってて」
 これは本当。寝起きじゃなかったら、息子の姿だもの、気付いたはず。いくら上手い変装でも。いくら大好きな人に変装してても。
 そうか。息子のイタズラだったんだ。ホッとした。少しがっかりしたような気もするけど。そして、心の中で冷や汗を拭った。良かった。夢だと思って暴走しないで。
「なーんだ。圭君の正体があんただって知ってたら、もっと楽しんだのに。」
 冗談混じりに本心を言ってみた。大分楽になってきた。
「あーっ。やっぱ圭とかいう奴の方が息子だったらいいと思ってるなー」
「分かっちゃったー?」
 一杯笑った。照れ隠しもあった。ホッとしたから余計に笑えた。
「やっぱ圭の方がいいんだ。そっか。そうなんだ。そう言うと思ったよ、母さん」
 息子が顎に手をやった。皮膚がまた捲れていく。鈴は叫びだしそうな口を急いで押さえた。
「あ、あなたは!」