天国インスタントコーヒーB
次の日、あたしは早速「バナナを冷蔵庫に入れてはいけないそうです。」と、マスターに教えてあげた。
「満ちゃん、どうしたんだよ、急に。そんな事まで詳しくなっちゃって。昔は料理の事は知らなかった・・・というより興味も無かった、というより知りたくも無かったって感じだったのに。」
何もそこまで言わなくても。
「あたしだって成長します。」
小声で反論。
「そうだよねぇ。昔は酷かったもんねぇ。スパゲティを水から茹でちゃったりさぁ、かき回さないでみんなくっついちゃったりとか。」
ぎょえ。昔の事は言わないでくりぃ。
「そ、そんな・・・いつの話してるんですかぁ。」
「え? 二年も経ってないよ。一昨年の12月から来てもらってるから・・・一年半位か。」
むむ、ボケ中年かと思ってたけど案外記憶力いい。
「そうでしたっけ? はは、ははははは。」
ひきつりながらも笑ってごまかした。
ウィーンという音がして、自動ドアが開く。
ほっ、助かった。これでマスターにツッコまれなくて済む。
「いらっしゃいま・・・・・・ああぁ〜っ!!」
「何よ、客に対してその態度は。」
その偉そうな客はそう言った。
「客ぅ!。客なのぉ?」
「そうだよ、あんたが店に来て下さいって言ったんじゃないのよ。」
「そりはそうだけど・・・。」
まさか本当に来るなんてぇ〜。
「満ちゃんの知り合い?」
ぎくぅ。
「え? ええ。・・・オカケンです。」
オカケンって紹介しちゃった。ま、いっか。どーゆー関係か言えないし。・・・あたしとオカケンってどーゆー関係なんだ?
「よろしく。いつもミチルがお世話になっていて・・・。」
ふざけてるのか、オカケンがお母さんみたいな言い方をした。
「いやぁ、こちらこそ。」
何がこちらこそなのか、マスターもつられて言った。すっかりオカケンペース。
今日も派手な格好だなぁ。黒いノースリーブTシャツ、光る素材のグレーのパンツ、シルバーのフレームのサングラスだなんて。ただでさえ金髪なのに、シルバージュエリーじゃらじゃら付けて眩しいよ。ほんと呆れる。ほら、マスターもポカンとした顔してる。いつもは新しいお客さんが来ると、すぐに注文取るくせに。
「注文、何にすんの? カフェ・オ・レ?」
マスターがぽーっとしてるから代わりに聞いてやるよ。ただし、こんな奴、客じゃないから、丁寧に言ってやんないっ。
「何がお薦め?」
あたしが渡したメニューをオカケンが気取って開いた。
「え? 一応、当店自慢マスターオリジナルブレンドコーヒーだけど。・・・カフェ・オ・レじゃないの?」
「それは夜だけ。」
「ふ〜ん。」
はっ、しまった、マスターがこっち見てる。今の会話じゃ、あたしとオカケンが凄い仲いいみたいじゃんっ、夜いつも一緒にいるみたいじゃんっ。ぎゃーっ。マスターこーゆー勘はいいから、一緒に住んでる事バレちゃったかもぉ。
「じゃ、そのブレンドで。」
「あいよっ。」
ところがマスター、当店自慢マスターオリジナルブレンドコーヒーの注文受けたからゴキゲン、ニッコニコ。この調子じゃ大丈夫。オカケンとあたしの関係なんて気にしてない。
マスターが鼻歌を歌いながら焙煎しに奥に入っていった。
「本当に来るなんて思ってなかったよ。」
「あんたが言ったんでしょう? 『そんなに店の料理が食べたいなら店に来て食べて下さい』って。」
オカケンが長〜い煙草に火を付けた。
「あの時は何だかイライラしちゃって、・・・話の流れで、こう・・・何か言っちゃったんだよねぇ。本当に来るって思ったら言わないよ。」
「ぶつぶつ言わな〜い。もう来ちゃったんだから。」
ちぇっ。バイト先まで来てあたしのダメなとこ探そうとしてるな。
「いつもだったらまだ寝てる時間じゃんよぉ。」
奥にいるマスターに聞こえないように小声でオカケンに言った。
「失礼ね、そんなに遅くまでは寝てないよ。そんなに僕が来たのが不満? 買い物のついでに寄っただけだから安心して。そんなに長居はしないよ。」
ほっ。
「マヒロは?」
ガラガラの店内を見回しながらオカケンが言った。
何を言ってるんだ。
「今日はもうとっくに帰ったよ。」
「あ、そう。一緒にランチでもと思ったんだけど。」
「あのねぇ、今何時だと思ってるの。まひろの昼休みもとっくに終わってるし、ランチの時間だって終わってるの。」
「あら、そう、残念。今度はもう少し早く起きて来ようかな、マヒロに合わせて。」
「止めてよぉ。まひろと二人だけの時間を邪魔しないで。」
「何言ってるの、二人だけの時間だなんて。仕事をしなさいっ。それに僕が仕事に出掛けてから朝までずーっとマヒロと一緒なんでしょ。僕なんて、たまにしかマヒロと逢わないんだよ?」
「自分が夜遊びしてるせいじゃない。」
「仕事だよ。シ・ゴ・ト。」
「朝まで?」
「そりゃ、帰りに飲む事だってあるけど・・・・・・あれ?」
オカケンが奥から出てきたマスターを見て、何かに気付いた様子。
「あ、すごい。ちゃんとネルドリップなんですねー。」
マスターの顔がぱぁっと明るくなる。
「そうなんだよ、分かってるねー。」
おーおー、声まで高くなっちゃって。
「満ちゃんなんて、ネルのありがたみが全然分かってなくて、凄い乱暴に扱って困ってるんだよぉ。だからこの当店自慢マスターオリジナルブレンドコーヒーは僕じゃないと煎れられないんだ。」
むっ。
「ああ、ミチルがさつだからなー。」
むむっ。
「ああ、いつもそうなんだ? ここでだけかと思った。」
むむむっ。
「違いますよ。家でもそう。」
むむむむっ。
「家?」
むうぅーっっ!! やばぁいっ。
「あぁ〜っあっ、あっ、あぁあ〜っ。」
とりあえず、ありったけの大声で叫んでみる。
「どうしたんだよ、満ちゃん。」
「ミチル、耳が痛いよ。」
えっと、どうしよう。大声を出したのはいいけど、何を言えば・・・・・・
「忘れてたっ。」
「何を?」
2人が同時に聞いてくる。
「あ、あの、その、ま、豆・・・豆注文するの忘れてましたぁ〜っ。」
てへっ、本当に忘れてた。今思い出した。良かった、上手くごまかせる事が見つかって。物忘れも役に立つな。
マスターの顔がみるみる青くなる。
「な、何の豆?」
「えっとぉ、コロン、ビア、かな。」
「かな、じゃないよぉ。来るまでに時間がかかるんだから早めに言ってもらわないと。」
「・・・すいません。」
ぺこり。
マスター慌てて奥に入っていく。
豆を確認して、電話して・・・・・・当分帰って来ないな。
「マスターには何にも言ってないんだから話合わせてよ。」
小声でオカケンに言った。
「何が?」
すっとぼけちゃってぇ。わざと言ってるんじゃないのぉっ?
「全部だよ! 三人で暮らしてる事も、あたしがまひろの事を好きなのも、まひろとオカケンがそーゆー関係だっていう事もっ。」
はぁ、はぁ、はぁ。早口すぎて、息切れ。
オカケン、ノーリアクション
こら、ちゃんと聞いてるのっ?
「マスター来るよ。」と、オカケンが冷たく言う。
振り向くと、歩いてくるマスター。
「何だよぉ、満ちゃん、驚かせないでよぉ。ちゃんとあるじゃん。」
「あれ? そうでしたっけ?」
????
「あんたにしては上手く誤魔化したじゃん。」と、オカケンが小声で言った。
「ほら、この前、俺が気付いてさ・・・」
あ。
「そうでしたっ。注文したんでした。昨日来たばっかりでした。」
「・・・だろう?」
オカケン、あたしの納得の顔を見て、「何だ。本当に忘れてたんだ。」とボソっと言う。
むっ。
キッっと睨んでやったけど、全然効かない。涼しい顔。
ふーんだっ。・・・あれ? マスターの持ってるカップ、初めて見る。おニューかな。
「そのカップいいですねぇ。モザイク模様が素敵。クリムトの絵みたい。」
オカケンも食いついた。
「さすがオカケン君、いいとこに目をつけたねぇ。まだこのカップ誰にも出してないんだよぉ。似合う人がいなくってさぁ。オカケン君だったら、こういうの気に入ってくれるんじゃないかなぁと思ってさ。」
マスター、にまにまっ。
「うん。そーゆーの好きですよ。・・・人によってカップ変えるんですか。」
「うん、その人に合ったカップをね。特に常連さんには、その人専用のカップを出してるんだよ。」
「へぇ。じゃ、常連になれば、これから毎回そのカップで飲める訳だ。」
マスターの目がキンキラリンと光る。あたしのほっぺふくらむ。
オカケンが常連になるって? とんでもないっ。顔を合わせるのは家だけで十分。
「・・・ミチル、マヒロのは? どんなカップ?」
「ん? ああ。・・・これだよ。素敵でしょ。まひろ・・・さんに似合ってると思わない?」
あたしは棚からまひろ専用のカップを出して見せた。
黒地にゴールド。ゴージャスだけど、金が主張してないから、すんごいシック。まひろが持つともっと絵になるんだぁ。思い出しただけでうっとりしちゃう。
「マヒロには宝の持ち腐れだね。マヒロって味覚は発達してるけど、食器とかのこだわりないからね。」
し、失礼なっ。それはまひろがワレ物が苦手だ・か・ら。さてはオカケン知らないな。なーんだ、あたしの方がまひろの事知ってるじゃん。
「真広君とオカケン君も知り合いなのかい。」
マスターがユルんでた気持ちをいっぺんでシャッキリさせる質問をする。あたしの心臓がブルブルし始める。
な、何て言えばいいんだぁ。
「知り合いっていうか・・・、僕たち一緒に住んでるんだよね、ミチル。」
んぐっ。もうおしまいだぁ。オカケンのばかぁっ。
「ああ、そうなんだ。真広君に同居人がいるなんて知らなかったなぁ。」
マスターは「僕たち」がまひろ&オカケンの事だと思ってるみたい。ほっ。
「えっ。知らなかったんですか?」
んぐぐぐっ。こらっ。バカオカケンっ! 余計な事言うなっ。さっき注意したばっかじゃん。
一生懸命合図を出す。
こらーっ。こっちを見ろー。
オカケンがやっとあたしを見た。マスターに見えないように顔の左半分だけ使って、オカケンに「言うな」オーラを送る。
「何やってんの? 余計おブスになるよ。」
ぬ、ぬわぁにぃっ! あんたはもぉーっ、次から次へとあたしを怒らせるような事ばかり言ってぇっ。
「オカケン君には是非うちの常連になってもらいたいねぇ。」
あたしとオカケンの争いに気付かないマスター、超にまにま顔。オカケンを常連にする事で頭が一杯で、オタオタしてるあたしが目に入らないみたい。ほっ。
オカケンがスカして言う。
「常連になるかならないかは・・・味を見てから決めます。」
「ひぃえーっ。厳しいね、こりゃ。・・・いやぁ、緊張するなぁ。」とか言いつつ、嬉しそうなマスターが当店自慢マスターオリジナルブレンドコーヒーをオカケンの前に置く。
「それでは、いただきます。」
オカケンがカップを口に運ぶ。緊張してるマスター、オカケンより先に生唾ごくり。
一口飲んだオカケンが口を開く。
「メインはブラジルですね。」
何?
「おっ、オカケン君、通だねぇ。」
「あとは、・・・この強い香りと苦みはグアテマラ、かな。」
え?
「それと・・・」
「うわぁっ、オカケン君、ストップ、ストップ。君何者なんだい? ブレンド当てちゃうなんてぇ。勘弁してくれよぉ。満ちゃんも知らないんだぜぇ?」
そうだよ、そうだよ。マスター、全然教えてくれないんだから。
オカケンが、ぷっ、と吹き出した。
「ミチル、相当信用されてないね。」
な、なんですとぉ〜っ