天国インスタントコーヒー@
日曜の朝は遅起き。オジャマ虫のオカケンは、いつも長ぁい夜遊びしてて、帰って来るのはお昼頃。アンニュイでスゥイートな時間をまひろと二人っきりで過ごせる。
あたしは隣で静かに寝ているまひろの顔を、薄目を開けて覗き見る。
黒い毛並みが整ってて、鼻が濡れた感じで、横にぴんと伸びたヒゲがピアノ線みたいで・・・・・・って違ぁう。
何だよ、ちび猫じゃんよ。何であたしの顔の真ん前で寝てるの。もうっ、あんたのせいでまひろの顔が見えないじゃんよ。
顔をひょいと上げる。
ん? まひろ、いない。どこに行ったんだ。お〜い、まひろやぁい。
シーツをまくってみる。・・・・・・いない。
ヘ? どこどこ、どこに行ったの。
その時、リビングの方で物音がした。
なぁんだ、もう起きてたのか。今日は早いな。
時計を見る。
まだ8時だよ。休みの日位ゆっくりしてればいいのに。
驚かそうと思って、寝室の扉を静かに開けた。が、驚いたのはあたしの方だった。顔をそっと出しても、リビングにまひろはいなかった。
ありっ?
そのままリビングに出ると、仕切りの扉越しに玄関で靴を履いているまひろの姿が見えた。
おい、ちょっと、どこ行くのよ。
いやな考えがよぎる。
まさか、どこかあたしの知らないところへ・・・・・・知らない女の家に行くんじゃないでしょうねえ。
あたしは急いで寝室に戻り、洋服に着替えて、外に飛び出した。
飛び出してから、ちょっと後悔。
慌ててたせいで、いつも部屋で着ている小汚いグレーのパーカーと、スウェットパンツを着て来てしまったぁっ。ぐわぁあん。こんな格好で外に出たくないよぉ。でも、今追いかけないと大変な事になっちゃうかもしれないし、どーしよー。
下を見ると、どこかへ歩いて行くまひろが目に入る。
ま、まずい。もうこうなったら服なんて関係無い。裸で出て来た訳じゃないし、パジャマでもないんだから。
あたしは急いでエレベーターに乗り込んだ。そして閉のボタンを押してから気付く。
もし、電車とかに乗っちゃったらどうしよう。こんな格好で電車に乗りたくないよぉ。近所だったら「マラソンしてるんですよぉ、あたしぃ」ってフリすればいいけど、まさか電車に乗ってマラソンする訳にはいかないしなぁ。顔も洗ってないし、髪の毛も梳かしてないよぉ。怪しい人だと思われるかも。おいおい、それより財布を持って来て無かったよ。電車に乗りたくても乗れないよ。どーしよ。・・・ま、いいや。行けるとこまで行こう。
寝起きなのに珍しく頭が働く。頭だけじゃなくって手足もちゃんと動いてる。どうやらまひろを見失わなくて済みそう。
・・・あ、いたっ。
けやきの並木道をサッキサッキ歩くまひろが見えた。急いで後を付いていく。
それにしても、後ろ姿もカッコイイなー。コバルトブルーの涼しげなサッカー素材のシャツに、細めの黒いパンツ、素足に白いデッキシューズ。普段着姿も超ぉ〜ぅカッチョイイ。
初夏の木洩れ日がまひろに降り注ぐ。髪に、肩に、背中に、腰に。
本当にもう、なんて絵になる人なの。まるで宗教画を見てるみたい。洋服を着てる神サマ、人間の世界に降りてきて、日本の女の子と・・・あと、変なオカマと暮らしてるの。あなたは何しに来たの? 社会勉強?
空気は澄み切っていて、風が気持ちいい。いつもと同じ朝のはずなのに。風が気持ちいいなんて、忙しく出掛ける平日の朝には感じた事がない。歩きながら深呼吸。スーハースーハー
まひろが脇に何か抱えてる---柳製のバスケット。
むむ、そんな物持ってどこに行くんじゃ。
あたしは木の陰に隠れながら進んだ。気分はくノ一、スタタタタ。
まひろが公園に入って行く。
おおっ、この公園っ。大きくって綺麗そうだから、いつか来ようとは思っていたんだけど、まさかこんな風に来る事になるとは。
大きな木々があたしを迎え入れてくれた。ごつごつした木肌、きりりと伸びる細い枝々、濃い緑の葉っぱ達。木洩れ日があたしにも降り注いでくれる。天を仰ぐと葉っぱに隠れてる太陽発見。
♪どんなに じょうずに かくれても まぶしい ひかり が みえてるよ み み みちるちゃんが みっけったぁ
太陽に届くように大きく背伸びする。
「はぁ、キィモチいいぃ。」
「気持ちいいでしょう。」
急に声を掛けられて尻餅つきそうになる。
な、何、誰っ。
「あ、何だ。まひろかぁ。」
まひろかぁって、まひろの後を付いて来たくせに何を言っているんだ、あたしは。すっかり一人の世界に入っちゃってたよ。見つけられたのは太陽じゃなくって、あたしの方。・・・って、付いて来た事、バレちゃったじゃないかよぉ。
「どうしたんですか、こんなに早く。日曜日なのに。」
見つかったのなら仕方が無い。
「それはこっちのセリフだよ。どうしたの、どこへ行くの。」
まひろが微笑む。
「ここへ来たんです。」
あたし、辺りを見回す。
「ここって、ここ?」
「そうですよ。」
「公園?」
「はい。」
ええ〜、本当にぃ?
「何で公園なんかに、突然。」
まひろ大笑い。
何? あたしまた何か変な事言った?
「突然なんかじゃありませんよ。毎週来てます。あ、天気のいい日に限ってですけど。」
がぁあん。嘘っ、ぜぇんぜん気が付かなかった。
「え、そうなの? そうなんだ。たまに『いないなぁ』と思ってたんだよねぇ。ここに来てたんだ。」
また嘘つき満、登場。
「なんだ、バレてたんですね。心配しました?」
「そうだよ。何にも言わないで行っちゃうんだもん。誘拐でもされちゃったかと思ってたんだよ。」
ごめんなさい。あたしは嘘つきな娘です。本当は気付かないで、いつもグースカ寝てました。
そんなあたしに、まひろは優しく笑ってくれる。
「すみません、心配かけましたね。」
良心が痛む。話変えちゃおっと。
「それにしてもさぁ、何で公園に来てるの。」
まひろは何も言わず、あたしを池のほとりまで連れて行った。
大きな木の下に来ると、バスケットの中からシートを取り出し、地面に敷く。
「日曜日の朝はいつもここに来るんです。満が来る前からずっとね。ここは私の特等席なんですよ。」
まひろが靴を脱いでシートの上に座り、あたしにも勧めてくれた。あたしも真似をしてサンダルを脱いで座る。
いっけねぇ、急いで出て来たからサンダル履きだよ。かっちょ悪ぅ。まひろに見えないとこに隠しとこ。
あたしは木の幹の陰にサンダルを置いた。
まだ5月だけど、歩いて来たせいか、ちと暑い。だから木陰が日差しを遮ってくれるのは、とても気持ち良い。風も。サンキュ。
「気持ちいいでしょう。人もあまりいなくて。」
あたしは大きくうなずいた。
けど、ちょっと淋しいな。
「あたしも誘ってくれれば良かったのに。」
まひろの目が一瞬テンになる。
「私も一人では淋しいし、自分一人だけの物にするのはもったいないので、皆を誘おうとは思っていたのですが・・・、健次郎はいつも帰って来ないし、満は気持ち良さそうに眠っているし・・・。ティーレを連れて来ようかとも思ったのですが、あいつも満と仲良く寝ているのでねぇ。」
あ、そうだ。あのチビブス猫、ティーレって名前に決まったんだった。もちろん、Tレックスのティーレ。オカケンがそのままじゃカッコ悪いってアレンジしたんだった。
そうか、連れてきてもらえなかったのは自分のせいだったのか。ごめんね、まひろ。
ガハハハハと笑ってごまかし、またまた違う事に話を移した。
「そのバスケット、他に何が入ってるの。シートだけ?」
まひろがバスケットに目をやる。
「ああ、これですか。本と・・・。」
難しそうな分厚い本を取り出す。
「あとは・・・。」
あたしを見て照れたように微笑む。
「え、何、何?」
あたしが覗き込むと、まひろはステンレスの小さなポットを出した。
「コーヒーです。飲みますか。実はインスタントなんですが・・・。」
「飲むっ。飲むよっ。」
お腹が空いててガッツイてる訳じゃない。まひろが煎れてくれたコーヒーを飲めるなんて。インスタントなんて関係ない。ああ、人間やってて良かった。
まひろはコーヒーを注いであたしに渡してくれた。
「ありがとっ。」
えーんっ。小原満、大感激。飲むのがもったいないよぉ。
「持って来たのはそれだけじゃないんです。」
まひろが得意げに微笑む。
「え、何、何?」
「じゃーん。」
まひろが悪戯っ子のように包みを出した。
「満が作ってくれるのより味は落ちますが・・・サンドウィッチです。自分一人で食べると思ったんで、雑に作ってきてしまったんですが、どうぞ。」
嘘ぉ〜ん。
包みを開けてみると、クロワッサンにチーズや生ハムが挟まっているサンドウィッチが、お行儀良く収まっていた。
「いやぁん、美味しそう。」
感動のあまり涙がちょちょ切れそ。
「いっただきま〜す。」
はむっ。
「美味しい〜っ。今までで食べた料理の中で一番美味しいよぉ。」
涙ぐみ。
「満は大袈裟ですねぇ。料理って言えませんよ、こんなの。こんなので良ければいつでも作りますよ。明日から朝は私が作りましょうか。」
ひゃ〜っ、嬉しいっ。いや、でも、待てよ。
「もったいないから、たまに作って。それから・・・。」
あたしは小声で聞いてみる。
「こういうまひろの手料理、オカケンは食べた事ある?」
まひろが考え込みながら言う。
「う〜ん、そういえば無いかもしれませんねぇ。いつも私が健次郎の料理を食べるばかりでしたから。」
やたっ。
「じゃあさ、今度作る時もオカケンのいない時に作って。あたしと二人きりの時に。」
まひろ苦笑い。
「健次郎に内緒でですか。」
「オカケンには黙ってて。これはまひろとあたしの二人だけのヒ・ミ・ツ。」
や〜、秘密だってぇ。なんかオカケンを大〜きく引き離した感じがするぅ。嬉しすぎてオカケンに自慢しちゃいそぉー。・・・気を付けなきゃ。
「今日は特に、気持ちいいですねぇ。」
まひろが伸びをしながら言った。その言葉にあたしは、首を痛める程大きくうなずいた。
「こういうのを万緑って言うんですかねぇ。」
まひろが眩しそうに辺りを見渡しながら言った。
「バンリョ・ク?」
「ええ。万の緑って書くんですよ。こうした一面の緑の事を言うんです。」
万緑か、いい言葉。あたしの少ないボキャブラリーに加えておこう。
それにしても本当に気持ちいい。青い空、沢山の緑、爽やかな風、暖かい日差し、輝く水面、小鳥のさえずり、美味しい空気。みんなありがと。誰にお礼を言っていいか分からないから、とりあえず神サマにお礼を言っとくか。
神サマ、ありがとう。あたしにこんなに優しい時間を与えてくれて。
早起きは三文の得、って本当なんだな。昔の人は良い事をいうもんだ。・・・こんな時間を早起きって言っちゃ駄目かな。
「あ、あそこ、しろつめ草が一杯咲いてるよ。」
あたしは緑と白を指差した。振り向くと、まひろの優しい笑顔。
「小さい頃さぁ、しろつめ草で首飾り作んなかった?」
まひろが目を丸くした。
「いいえ、作りませんでした。どうやって作るんですか。」
「えーっ、作んなかったのぉー。あ、そっか、男の子だもんね。よしっ。この小原満様がまひろのために作りましょう。あたしね、首飾り名人って言われてたんだよ。ちょっと待っててね。」
あたしはサンダル(やばっ。・・・ま、いっか)をつっかけて、しろつめ草を取りに行った。
「四つ葉のクローバーは? 探したりしたでしょー?」
シートに座ってるまひろに向かって言った。まひろが静かに微笑む。
「いいえ、しませんでした。」
「そう? あ、じゃあこれは? ほら、ペンペン草。」
あたしは、近くに生えてたペンペン草を取ってまひろに見せた。まひろが靴を履いて近づいてくる。
「・・・なずな、ですね。」
「なずな? 違うよ、ペンペン草って言うんだよ。」
「ペンペン草とも言うんですか。なずなとも言うんですよ。ほら、春の七草の・・・。」
「春のナナクサぁ? 難しい事言わないで。脳が動かなくなるから。」
まひろが吹き出した。
「ほら、こうやってぇ、ちょっとずつ葉っぱを下に引っ張って、ブラブラにするとぉ、音が鳴るんだよ。こうやって回して・・・。」
まひろに近づいて、まひろの耳元でペンペン草を鳴らした。
「あ、本当ですね。」
「ぺんぺんぺんって聞こえるでしょ? だからペンペン草。」
って言うんだと思う、多分・・・。
「成る程。」
感心するまひろ、こんな事で。
「ねぇ、本当に知らないの?」
まひろの微笑み、なんだか悲しそう。
「あ、じゃあ、これは? タンポポの綿毛飛ばし。」
「ああ、風に乗って冠毛のついた果実が飛んで行くんですよね。」
「ふぅーって吹いて飛ばしたでしょ?」
まひろが首を横に振った。
そっか。・・・まひろって子供の頃、何してたんだろ? 何か可哀相になってきた。 あっ、そうだ。
「あたしがいろいろ教えてあげるよ。お金のかからない遊び。」
「ははは。お金のかからない遊び、ですか?」
そうそう、まひろの笑顔はそうじゃなくっちゃ。
タンポポのメガネ、笹舟、花占い、れんげ草の指輪---。あたしがまひろの先生になるなんて嘘みたい。
あたしの生徒はとっても良い生徒で、あたしの話を凄く楽しそうに聞いてくれた。
「ほら、出来たよ、首飾り。」
「あ、本当だ。凄いですね。」
「かけてみて・・・・・・あ、足りなかった。冠になっちゃった。」
「どうです? 似合いますか?」
「うふふふっ。・・・・・・似合いませ〜ん。」
まひろの顔が真っ赤になる。
「満、酷いですねぇ。そんなハッキリ言わなくても・・・。」
それでも王冠はつけたまんま。気に入ってくれたのかな。くふっ、可愛い。
それにしても。
「こーゆーのを幸せっていうのかねぇ。」
あたしはババ臭くまひろに言った。
「幸せ、ですか。そうですね。」
まひろが微笑む。
ああ、このまひろの微笑んだ顔が好き。その柔らかくなった眼が好き。緩くなった唇が好き。
「まひろの幸せってな〜に。」
あたしが言うと、まひろは「そうですね。」と言って遠くを見た。
風が吹く。あたし今、まひろと同じ風に吹かれてる。
「こうしたのんびりとした時間を過ごすのも幸せですね。後は、夢が現実になった時とか・・・でしょうか? 一般的ですが。」
夢が現実にか。
「まひろの夢ってな〜に。」
まひろの横顔に近づく。まひろがあたしを見る。
どきっ。ち、近い。一緒に住んでるくせに、こーゆーシチュエーションは、まだまだ緊張してしまう。
「夢ですか。大体叶ってますね。学芸員になる事とか、家族を作る事とか。・・・後は恐竜の化石を自分で発掘する事が、今一番の夢ですね。」
へぇ、恐竜か。まひろって本当に恐竜好き・・・って何か今、どさくさに紛れて凄い事言わなかったか。
「ま、まひろ、家族を作るって何っ。」
あたしは慌てて聞いた。
ま、まさか、男の彼氏がいるだけじゃなく、妻子持ちだったなんて言わないでよぉ?
「私は好きな人と一緒に暮らす事が夢だったんです。それって血は繋がってないけど、『家族』だと思いませんか。」
それって、もしかして・・・。
「それって、今一緒に住んでる・・・・・・。」
恐る恐る聞いてみる。
「そうですよ、満の事です。」
きゃぁー、うれじい。うっ、涙が出て来そう。まひろと一緒に暮らすようになってから本当っに色んな事があったけど、やっと報われたって感じがするよぉ。え〜ん。
「あと、健次郎と、ティーレと。」
続くまひろの言葉に絶句。報われなかった・・・。
「そっか。」
諦める。
あたしって諦めいいなぁ。
「でも、変な家族。」
あたしが言うとまひろが吹き出した。
「そうですね。」
「それってどーゆー家族よ。お母さんが誰とか、お父さんが誰とかあるの?」
まひろの顔を覗き見た。
「その時によって立場が変わりますよね。例えばある時は、健次郎がお母さんで、私がお父さん、満とティーレが子供とか。」
ガ〜ン。
「私がお父さんで、満が奥さん。健次郎とティーレが子供とか。」
うきゃ、むふふ。奥さんだってぇ。
「健次郎がお母さんで、私と満とティーレが子供とか。」
う〜む。
「私がお父さんで、健次郎がお兄ちゃん、満とティーレが・・・・・・。」
「あー、もういいよ。きり無いよ。」
まひろがあたし達の事どう思ってるか、ちょっと分かったような気がする。そっか、まひろにとってあたしは家族なんだ。だから一緒に暮らしてるんだ。好きな人に入れてもらったのは嬉しいけど、何だかちょっぴり淋しい。女として見てもらえてないのかな? それともオカケンの方が好きなのかな、男の人の方が・・・。じゃ、何であの時キスしたんだろう。
「まひろ。」
「何ですか。」
優しい微笑み。その優しさがツライよ。きっと誰にでも優しいんだね。本当の事、聞くの止めよっかな。そしたらずっとまひろと一緒にいられるし・・・。
「どうかしましたか?」
でも駄目だ。やっぱりちゃんと聞かないと。
「あのさ。」
「はい。」
うー。ドキドキするのは質問のせい? それともまひろと目が合ってるせい?
「この前さ。」
「はい。」
ぎゃー。何て言えばいいのぉ。
「あたしにさ。」
「はい。」
そんな真剣に聞かないで。言いづらいよぉ。
「まだオカケン来る前にさ。」
「はい。」
「したじゃん?」
「何を、ですか?」
あ〜ん。分かってよぉ。
「・・・・・・キ・・・ぅ。」
「はい?」
やぁん。聞き返さないでぇ。
「あたしにっ、そのっ、・・・何て言うか、ほらっ。」
あーん。ムシャクシャしてきた。
「ああ。」
まひろの顔が明るくなる。
分かった? 分かってくれた?
「しましたよ。」
まひろの親指があたしの唇に触れる。
いっ。大変だ。し、心臓が、止まりそう。
まひろの手があたしの頬を優しく包む。
どうしよう。泣いちゃいそう。口が、への字になっちゃうよぉ。
への字をまひろの親指が優しく撫でる。
「何で・・・したの?」
あたし、脅かされてるみたい。びくびくしてる。
「好きだからですよ。」
まひろの低い声が体中に響く。ずんずん。重低音。
「・・・あたしの、どこが好きなの。」
まひろがあたしの頬から手を離す。
ふぅ。
あたし、息止めてたみたい。呼吸が乱れてる。
まひろ、考えてるね。難しい事聞いちゃったのかな。
まひろが口を開いた。
「名前、ですかねぇ。」
「な、名前っ?」
予想してなかった答えに、思わず大きな声。
「満月の満。満面の笑みとか、満開の桜とか・・・。満たされてるの満。」
あたしと全然関係ないじゃん。親がつけたんだよ、その名前っ! ・・・それにあたし、全然満たされてない。あたしの満は満たされてるじゃなくて、・・・不満の満。
「名前、だけ?」
あ、口がどんどん尖っていくぅ。
「面白い考えをするとこ、とか。」
とかじゃないよ。何よっ! 面白い考えって。それじゃ、女としてじゃなくてもいいじゃん。え〜い、怒ってやるっ!
すんごい怒り顔をしてまひろを睨んだ。
・・・・・・怒れない。そんな花の冠乗っけて微笑まれちゃ・・・。