エピローグ

 始発電車はガランとしていた。家に帰るのか、これから出掛けていくのか、どこか疲れて見える人達を乗せて電車は走る。いつもと同じように。
 少し酔っ払ってるオカケンは、あたしの隣で静かな寝息を立てている。あたしの決心を話したら、この人、どんな顔をするだろう。
 こうやって、この妙ちくりんな同居人と肩を並べて、ムーラン・ルージュからの帰り、始発電車に揺られる事ももう無いかもしれないと思うと、少しだけ淋しくなる。
 冷たい音を立てて開く電車の扉。薄暗いホーム。おもちゃの兵隊さんみたいな制服を着た駅員さん。吹く風。湿った階段。地上の風。ざわめく木々。群青色の空。消えゆく星達。朝の匂い。公園。けやきの並木道。濡れたアスファルト。もうすぐ朝がやってくる。全部、全部、目に焼き付けておこう。きっとそれがあたしのステップになるから。
 あたしはマンション下の広場でオカケンにあたしの決心を話した。
 「えっ、本当に出て行くの。」
 まんまる目玉のオカケン。あたしは唇の端をキュッと結んで強くうなずいた。
 「いいじゃん、ここにいれば。やりたい事見つけるって言ったって何処にいても出来るでしょ?」
 オカケンの言葉にちょっと驚く。
 「うん。でもここにいたら、まひろとオカケンに甘えちゃうと思うから。自分一人になって、ちゃんと考えてみようと思って。」
 オカケン腕組み。
 「マヒロには? 言ってあるの?」
 「ううん、言わないで行く。」
 うつむいて答えた。
 「何でっ。」
 顔を上げると真剣なオカケンの顔。
 オカケン、いつもあたしのために真剣に怒ってくれたね。
 「何で、かな? ただ、何となく。本当はみんなに黙って出て行こうと思ったんだけど、オカケンには言ってった方がいいかなと思って。」
 オカケン納得してくれたみたい。ちょっと淋しそうな顔してくれてる。
 「・・・あんたがいなくなったらマヒロは淋しい思いするよ。」
 「うん。」
 ちょっと泣けてくる。
 オカケンがあたしに背を向けて大きく伸びをする。
 「そっか。ミチルが出て行くんなら僕も出て行こっかな。」
 「えっ、何でぇ。」
 オカケンの服を引っ張った。振り向きながらオカケンが答える。
 「つまんないじゃん、からかう相手がいないと。」
 あたしは軽くオカケンを睨んで、植え込みの柵に腰を掛けた。オカケンも隣に腰掛ける。
 「出ていってどうすんの。仕事は?」
 オカケンの言葉に首を振る。
 「まだ、分かんない。・・・けど、自慢出来る自分になる。」
 恥ずかしいけど本当の気持ち。言っとくよ、証人になってね。
 オカケンが心配そうにあたしの顔を覗き見る。
 「もし良かったらムーラン・ルージュで働けば? オーナーに言ってみるよ。『メニューにコーヒーを入れてくれ』って客も結構いるし。あんたの煎れるコーヒー美味しいじゃん。」
 優しいね、オカケン。
 「ありがと。でも、やっぱり自分一人で頑張ってみる。」
 顔を見られたくなくって、立ち上がってオカケンに背を向けた。心の中を見てもらうために。
 「・・・あたしね、すごい人になりたいんだ。頭が良いとか、お金持ちとか、仕事が出来るとか、そんなんじゃなくて。誰かに『いてくれないと困る』って思われるような人。・・・今のあたし、空っぽだから。」
 「そこがあんたの良いところだと思うけど。」
 驚いて振り向くと、オカケンはそっぽ向いて煙草を吸っていた。
 「空っぽって事は何でも吸収出来るって事でしょ?」
 「それは・・・誉めてくれてんの?」
 オカケンの顔を覗き込んだ。
 「さあね。」
 オカケンの煙草の煙が答えと一緒に青い空に吸い込まれてった。
 「ミチル・・・あんたの名前っていい名前だね。」
 「そう?」
 まひろと同じ事言ってる。
 「あんたに合ってるよ。」
 そかな? 「満たされてる」って名前だよ? あたし、空っぽなのに。
 緑の風がびゅうぅっと吹いた。空っぽのあたしの中に一杯入り込む。一杯、一杯。
 ・・・そっか。「満ちていく」の満なんだ。これから満ちていけばいいんだ。
 「あーあ。あんたといて、ほんっとに退屈しなかった。面白かったよ。サンキュ。」
 オカケンがあくびをしながら言った。
 「何よ、また馬鹿にしてぇ。」
 いつもみたいに怒ってみせた。ほっぺふくらまして。お礼を言いたいのはさ、本当はあたしの方なんだ。
 「ミチルがいないと問題が起きなくなるだろーねー。それもつまんないかも。」
 「何よ、それぇ。」
 あたしが言うとオカケンが少し笑った。
 「だってミチルがいなくなって僕とマヒロだけになったら、ケンカしたり、仲直りしたり、怒ったり泣いたり、アホみたいにバカ笑いすることもなくなるでしょ。」
  「いーじゃん、平和で。どーせ、あたしはお子様ですよ。」
 「大人になるとね、そーゆーややこしい事が懐かしくなったりするもんなの。」
 「よく分かんない。静かな方がいいに決まってんじゃん。」
 「争いがなくって穏やかな生活っつーのも寂しいんだよ。浅い付き合いみたいに思えてね。」
 あたし唇噛んだ。気づかれないように。そっか、あたし達って、はちゃめちゃだったけどいい関係だったんだ。
 「・・・あ、まひろだ。」
 マンションの入り口に、これから博物館へ行くまひろの姿が見えた。
 「まひろーっ。」
 立ち上がって大声で叫ぶ。あたし達に気付いたまひろが手を上げる。あたしもそれに応えて手を振る。大きく。
 まひろ、あなたがいてくれたから、あたしは口が聞けるようになったよ。あなたに会うまでのあたしは何も見てなかった、何も聞いてなかった、篭ってた、閉じてた、フリしてた、息してなかった。
 まひろとの生活楽しかったよ。まひろのお湯で一杯になったシンクにぷかぷか浮いてるのは、すごくね、安心できた。本当だよ。まひろ、ありがと。
 でもね、いつまでも、ぬくぬくしてちゃ駄目かなぁって思って・・・。
 「まひろーっ、ばいばーいっ。」
 思いを込めて叫んだ。まひろも手を振り返してくれる。笑顔で。まひろの口もバイバイと動く。
 でもまひろ、まひろの言ってるバイバイと、あたしの言ってるばいばいは意味が違うんだよ。哀しかったけど、頑張ってとびきりの笑顔を作る。まひろの姿が見えなくなるまで手を振ろう、力一杯。
 「本当にいいの?」
 オカケンがあたしの背中に聞いてきた。
 「いいの。」
 あたしは強く答えた。
 「ねえ、あたし達いい家族になれた・・・そう思わない?」
 小さくなるまひろを見つめたまま言った。
 「家族・・・そうだね。家族、か。」
 オカケンきっと苦笑いしてる。あたしも強く微笑んだ。
 まひろの姿が見えなくなった。でも大丈夫。まひろの背中、しっかりと目に焼き付けたから。
 「オカケンは? 本当に出て行くの?」
 柵に座りながら言った。あたしの言葉にオカケンが少し考える。
 「そーねー、最後にマヒロと寝てからにしよっかな。」
 あたしは呆れ顔でオカケンを見た。そして笑った。ちょっとわざとらしい位。
 「また逢えるんでしょ。」
 オカケンがあたしに聞いた。
 「うん。みんなに負けない位ピカピカな自分になったら逢いに来る。そしたらまた三人で暮らそ。」
 元気良く答えた。
 「その時が楽しみだね。」
 オカケンが遠くを見ながら言った。
 「その時は、どっちを好きになってるか分からないけど。」
 「えっ。」
 驚いてるオカケンのほっぺにチュ。
 「ちょ、ちょっと何すんのよ。」
 はは。オカケンびっくりしてやんの。
 「オカケン、ありがと。」
 「な、何が?」
 まだアセアセしてるオカケン。攻撃には弱いんだね。
 まひろの家に着くと、あたしは出て行くために荷物をまとめた。オカケンは黙って見ていた。言葉は無かった。でも、オカケンが何を考えているか、あたしには分かる。あたしが何を考えてるのか、オカケンはきっと分かってくれてる。それはまひろもおんなじ。思い込みじゃないよ。『分かり合える』は、きっと、たくさんのおしゃべりの後にやってくるから。
 だから自信を持って言えるんだ。
 「じゃ、また、ね。」

 ・・・・・・・・・END・・・・・・・・・





  Special Thnks

草稿を読んで感想を言ってくれたみきちゃん、きよりん。
満の言動のネタ元にもなったHくん、娘っち。 家族。
まみさん、たこのワサビマヨネーズ和え、使わせていただきました。
私にインスピレーションをくれた新旧の友人達、先人達、景色、モノ、思い出などなど全て。
そしてこれを読んで下さった皆さん、
どうもありがとうございました。

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