博物館からの帰り道、あの公園の中を通り抜ける。まひろと二人で。ずっと博物館に通ってるのに、初めてだ、まひろと帰るの。隣りを歩くまひろの空気がくすぐったくてドキドキする。
「あ、そうだ。お礼言うの遅くなっちゃって・・・。プレゼントありがとう。すごい奇麗な器だね。」
「すっかり遅くなっちゃって、すみませんでした。」
「いいんだよ。まひろからもらったって事が嬉しいんだから。」
まひろの長〜い足の歩幅と、ちっちゃいあたしの歩幅が合うのは何故? まひろが合わせてくれてるの?
「使ってもらってますか。」
「うん。今、博物館においてあるよ。ここんとこお茶はそれで頂いてるんだ。」
あ、頂いてるだなんて、すっかりお茶用語身についちゃってるじゃん、あたし。
「私がガラスの器を選ぶなんて・・・。」
まひろが軽く微笑む。
「・・・私も少しは成長したのでしょうか。」
「ん? どういう事?」
「失う事を恐れるのを止めてみようと思って。いつかは割れて壊れてしまうかもしれない器を、満にその時が来るまで大事に使ってもらおうと思って。・・・こんな風に考えられるようになったなんて・・・。満のおかげかもしれませんね。私の中に風を吹き込んでくれたから。」
まひろが照れたように笑った。その目尻のしわにキュンとなる。
あたしのおかげなの? あたしのおかげでいいの? 風って・・・なぁに?
はてなマークで一杯になったけど、今日は聞かない事にした。また変なふうに聞いちゃうかもしれないし、今日はちゃんと自分の言葉を言いたい気分だったから。
「なんかね、最近思ったんだけど、まひろからもらった器もそうなんだけど、お抹茶の器ってすごい手にフィットするのね。なじむって言うのかなぁ。誰かにむぎゅーされてる気分になるの。」
「ムギューう?」
まひろが不思議そうな顔をした。
「えへへへ、てへっ。」
照れを笑いでごまかした。
まひろの手がスッと伸びてきて、まひろがあたしをむぎゅーってしてくれる。
鼓動が早くなる。
「ムギューってこうですか?」
うんってうなずいたら、顔がまひろの胸に吸い込まれた。まひろの匂いがあたしに入ってくる。ドキドキしてるのに、眠たくなる。
「私のムギューでも気持ちいいですか?」
まひろはあたしの気持ち本当に分かってないのかなぁ。まひろのだからいいんじゃない。・・・でもいいや、すごく気持ちいいから。すごく慰められるから。
「ごめんね。いつも甘えちゃって。」
「こうして救われるのは満だけじゃないですよ。私もなんだか慰められます。」
「えーん。」
まひろの言葉に声を出して泣いちゃった。恥ずかしい。
「おっかしいな・・・まだ残ってたんだ・・・涙・・・あんなに・・・泣いたのに。」
まひろはきっと優しく微笑んでくれてる。あたしの涙がまひろの服に吸い込む。いっぱい。いっぱい。
「ごめんね・・・服濡れちゃうね。」
「構いませんよ。」
「だって・・・あたしの涙、まひろに移っちゃったら、あたしの悲しいとこや・・・寂しいとこや・・・弱い・・・とこまで・・・まひろに入っていっちゃうよ。」
言葉を出せば出す程、涙が出てきちゃう。顔がきっと見せられない位ぐしゃぐしゃになってるから、まひろの胸から離れられない。ごめんね。
「満、雨が降るとマイナスイオンが増えるって知ってますか。水しぶきが上がるとマイナスイオンが作られるんだそうです。マイナスイオンって体にいいんですよ。満の涙もマイナスイオンを作ってくれてるかもしれません。」
まひろらしい慰め方。笑っちゃうじゃん。涙出なくなっちゃうよ。
でも、もうちょっと泣かせておいて。まひろの胸が気持ちいいから。
「駄目だね。いつもまひろに頼ってばっかりで。」
涙が止まった後も、まひろの胸に顔をうずめたままおしゃべりした。
「頼ってくれていいですよ」
「駄目駄目。まひろがいつでも側にいてくれる訳じゃないんだから。」
「いつでも側にいてくれる人を探しておきますか? 誰か、他に。」
ええっ、そんなの嫌っ。まひろの代わりなんている訳ないじゃない。まひろ以外の男の人なんて考えられないよ。
「友達とかでもむぎゅー出来ればいいんだけどね。あ、もちろん女の友達よ。」
「そうですね、それはいい考えですね!」
冗談のつもりだったのに、本気にされちゃってまた複雑な気分。「俺がいつでも側にいてやるよ」なーんてセリフは、絶対まひろの口からは聞けない。あたしじゃない人には言えるのかなぁ。寂しいなぁ。
「前、ここで首飾り作ったりしたよね。」
そう言ってまひろの手をすり抜けた。
「なんか、すごく昔のような気がするなぁ。まだ半年も経ってないのに。」
いろいろあったからかなぁ。
「いろんな話したよね、楽しかった。」
あたしが笑うと、まひろも微笑んでくれる。
「どこが好きかって聞かれました。」
そうだ、あたし、まひろに「あたしのどこが好き」って聞いちゃったんだ。
「うん・・・聞いた。」
恥ずかし。あん時のあたしって必死だったな。今もあんまし変わってないけど。
「満の好きなとこ、また思い出しました。」
またどーせ、「ボケなとこ」とか思ってるんでしょ。
「首飾りの作り方を知ってるとこ。」
んん?
「いろんな人から大切に育てられたんだなーって事が分かります。」
「えー、全然そんな事ないよ。放ったらかしだよ。妹と二人姉妹なんだけどさぁ、妹の方が頭が良くて美人だから、あたしなんか全然かまってもらえなかったんだからぁ。」
でも、お母さん、あたしの事何でも知ってたな。
「満はどう思ってるか知りませんけど、満が家族の話をすればする程、愛されてるって事が分かりますよ。」
まひろはあたしの心の中が読めるのかなぁ。いつもは鈍感なくせにぃ。・・・愛されてる、か。
日が暮れて来た。
「あ、月の電気ついた。」
「え?」
「あたしね、小さい頃、日が落ちて月が明るくなると、『月の電気ついた』って言ってたんだって。」
まひろが優しく笑う。
「よく馬鹿にされた。」
「馬鹿に? 素敵な言い方じゃないですか。満のそんなとこも好きですよ。」
あたしは好きって言葉に弱いらしい。つい、顔がユルんでしまう。なんか、ダマされてるっぽい。
「満・・・実は・・・相談があるんです。」
「えっ、何? 突然。そんなに真剣な顔して。」
もしかして・・・・・・あたしもナギみたいに、とうとう・・・プロ、ポーズ?
「京乃さんに話したい事があるんです。」
え? 京乃さん? あたしじゃなくて京乃さん? まさか・・・京乃さんと付き合いたいの? そりゃ、京乃さんは美人だし、頭もいいし、ちょっと変なとこもあるけど、性格もいいし、オカケンと違って女の人だし・・・。・・・あたしじゃぁ、かなわない。
「話・・・す、すればいいじゃん。話してみれば?」
「でも急にそんな事言ったら驚かれるかもしれません。軽蔑されるかも・・・。」
いつかはこんな日が来るとは思ったけど・・・。早かったな、あたしの失恋。
「大丈夫。まひろに告白されて、やな思いする人なんていないよ。」
今度はあたしがまひろを励ました。
まひろに初めて自分から好きと思える人が出来たんだもん。応援しなきゃ。泣いちゃ駄目、泣いたら駄目よ。満っ! しっかりしなさいっ!
「・・・それで・・・話をする時に・・・満に側にいてもらいたいんですけど・・・。」
「ええっ? な、何であたしが?」
まひろが捨て犬みたいにウルんだ目であたしを見る。
「・・・いてあげるよ。」
はぁ。いくらまひろの頼みだからって、それはないだろうよぉ、小原満よぉ。
次の日、あたしと京乃さんがお茶してると、まひろが部屋に入って来た。あたしと京乃さんに引きつった笑顔でおじぎをすると、ウロウロ、ウロウロそこら辺を歩き始めた。あたしはまひろからもらったガラスの茶器をぎゅっと握り締めた。
京乃さんはホコリが立ちそうな程ウロウロしてるまひろに全然気付かないでお抹茶をすすってる。
あたしがもう一度まひろを見ると目が合った。「どうしましょう」というまひろの心の声が聞こえてくる。泣きそうな顔をしてウロウロしてるまひろは、おつかいの途中でお金を落としてしまった子供みたいだ。なんだかその姿がいつもは大人なまひろと全然違ってて、ちょっとおかしくなる。あたしが何とかしてあげなきゃな、そう思った。
「まひろっ、なんか京乃さんに話す事があるんじゃなかったっけ?」
まひろが驚いて足を止める。京乃さんが振り向いてまひろを見た。
「あ、あのぉ・・・。」
まひろのドキドキが伝わってくるみたいで、こっちまで心臓がおかしくなる。頑張れ、まひろ。
「あの・・・恐竜が何故絶滅したか、DNAを調べれば分かるって事はありますか。」
「ないと思います。」
京乃さん即答。
な、なんだ。まひろが京乃さんに話したかった事ってこれかぁ。ほっ。あぁ、肩の力が抜けていくぅ〜。
「・・・実は私、恐竜が絶滅したのは元々DNAに組み込まれていたんじゃないのか、と考えてまして・・・。」
ああ、まひろが考えてる絶滅の理由ってこれだったのかぁ。前聞いた時は教えてくれなかったんだよなぁ。
「で?」
京乃さん、すごい嫌そうな顔してる。
「あの、出来れば・・・でいいんですけど、恐竜のDNAを調べて頂ければなぁ、なんて・・・。」
「えーっ、面倒くさーい。」
わっ。
「何で恐竜なんて大昔のDNAを調べなきゃいけないんですかー。世界各国の研究者達が必死になってヒトゲノムを解析してるこの御時世にぃ。」
あ、まひろ固まってるぅ。まひろには可哀相だけど調べてもらうのはムリだ。だって京乃さん、人の心が分かるようにゲノム知らべてんだもん。恐竜のDNA調べても人間の心は分からない。
と、思っていたら、
「恐竜のDNA調べさせて下さい。」
三日後、京乃さんの方からまひろに言ってきた。
どうしたの? あんなに嫌そうにしてたのに。文大に一度帰ってた間に何があったの? まひろも目をまんまるくしてるよ。
京乃さんがモジモジしながらその理由を説明した。
「田所教授に話したら、そんなありがたい申し出を断るなんて! ってすごく怒られて・・・・・・。人間より太古の生物である恐竜のDNAを調べれば、生命の始まりに近づけるかもしれない。人間も恐竜も祖先は同じ一つの生命体だからって、教授が・・・。恐竜と人間はどこが違うのか、どこが同じなのか、それを調べれば、おのずと人間の事も分かるって、教授が・・・。」
ゲノムの事でこんなにションボリしてる京乃さん見るの初めて。いつも自信まんぷくだもんなぁ。
「恐竜のゲノムを探るのは、人間を知るのにそう遠くないって事に気がついたの。・・・ごめんなさい。」
ああ! 京乃さんが謝ってるぅっ。
「・・・DNAの件、やらせて下さい。どーせ私クリーニングも出来ないし・・・今のまま小原さんと話してても・・・。」
「あっ。何言ってんですか! 京乃さんがどうしてもっていうから講習受けたのにぃ。」
京乃さんが笑って肩をすくめてみせる。
「ちゃんと切りの良いとこまで講習するわよ。」
嬉しいような・・・哀しいような・・・。
それからまひろと京乃さんは具体的な話に入った。
またまたあたし、はずれもん。妬かないけど、羨まし。あたしもこんな風にまひろと話がしたいなぁ。でも、今から勉強し直すって訳にもいかないし・・・・・・諦めるか。
みんな自分のやりたい事やってるんだなぁ、まひろもオカケンも、京乃さんも、アキラ君も、お母さんも。みんなカッコイイ、敵わないや。あ、やべ、落ち込みそ。