京乃さんがニャニヤしてる。
「な、何ですか?」
「小原さん、この前誕生日だったんだってぇ? はい、これ、プレゼント。」 と言って、京乃さんがお抹茶を指差した。
コバルトブルーのガラス製の器。底の方が段々薄い色になってて奇麗。どうしたんだろ、この器。いつもの器じゃないけど・・・。
「ああ、お抹茶のプレゼントですか? ありがとうございまっス。」
誕生日だから特別な器を用意してくれたのかな。嬉しっ、京乃さんらしくないけど。・・・なんて言ったら悪いか。
「もぉうっ。小原さんてばっ。お茶とお菓子は確かに私だけど・・・うふふふふうぅ〜っ。」
・・・き、気持ち悪い。顔崩れてる。美人台無し。一体どうしたの?
「ねぇ、この器、どう思う?」
「どうって? 奇麗ですよ。泡が一杯ガラスに閉じ込められてて・・・、かき氷みたい、ブルーハワイの。あ、冷たい。冷たいお抹茶ですねっ!」
「そうそう、今日は氷水で点てたから・・・・・・って違ーうっ!」
どうしたの京乃さん、ノリツッコミなんかしちゃって。いつもの京乃さんじゃなーい。息切らしてるしぃ。
「もうっ! 全然分かってくれないんだもん。もお言っちゃお。あのね、この茶器、橘さんから小原さんへの誕生日プレゼントだって。」
ええっ!
「本当は橘さんからの手渡しが小原さんは喜ぶと思ったんだけど、・・・ごめんねぇ、私からで。橘さん、調べ物をしに図書館に行っちゃってるから。」
「まひろ、から・・・。」
信じられない。嘘みたい。もう1週間も過ぎてるから諦めてたのに・・・。やだ、また「好き」が膨らんじゃうじゃない。
唇ぎゅっっと噛み締めた。だって、口から嬉しさが飛び出しそうなんだもん。
ん? もー、京乃さん、まだニヤけてんじゃん。
「京乃さん! 顔ユルユルですよっ。」
京乃さんが慌ててホッペを押さえる。
「ごめんなさーい。小原さんの喜ぶ顔見てたら、何だかこっちまで嬉しくなってきちゃって。」
もー、京乃さんも結構お子様だなぁ。では、お茶菓子を先にいただきま・・・・・・
「このお菓子っ、奇麗ですねっ!」
寒天のお菓子。ひょうたんの形で可愛い。ほとんど透明に近いブルー。海の色だ。底に行くほど色が濃くなってる。表面がさざなみのようにでこぼこしてて、光に反射すると本物の水面みたいにきらきら光る。
「光ってる。きれ〜い。」
私が拍手すると、京乃さんが満足そうに笑いながら言う。
「んで、食べると・・・・・・。」
言われた通りに口に運ぶ。
「ん、んまーいっ。」
ぷりぷりっ。もちもちっ。はむはむっ。そして、一番底の白いスポンジみたいな生地が泡のように、すすすーっと口の中で溶けていくぅぅう。
ああ、あたしは今、水の中。深い深い海水へと落ちていくの。あたしの周りを小さな泡達が踊って天空へと上っていくぅぅ。
「美味しいでしょ?」
京乃さんの声で博物館へと戻る。危ない危ない、どっかへトリップしちゃうとこだった。
「すごく美味しいですぅ。」
ほっぺが落ちてブルドックみたいになっちまいやした。
「小原さんって本当に美味しそうに食べるよねぇ。見てて気持ちがいい。私、小原さん好きっ。」
「えっ!」
そんな突然告白されても・・・。確かに京乃さんは美人だけど、あたしも女の子だし・・・。それにほとんど片思いだけど、まひろの事がやっぱり好きだし・・・。
「こ、困りますぅ。」
「・・・小原さんにお茶点ててあげるのが好きって事よ。」
びびったぁ。そんな勘違いしちゃうような言い方しなくってもいいのにぃ。
京乃さんが絶品和菓子を口に入れる。小さく削られたマリンブルーが、形の良い桃色の唇の中で溶かされていく--。絵になるなぁ。
「私、誰かの為ににお茶を点てるのが楽しいって思ったの、小原さんが初めてよ。」
えへへ。嬉しいな、そう言ってもらえると。食いしん坊が役に立つ事もあるのね。
楽しい気分をずっと続けたくって言った。
「京乃さん、今日、夜御飯一緒に食べません?」
京乃さんと一緒に食べたカルボナーラは美味しかった。分厚いメガネを外した私服の京乃さんはクラクラする程キレイだった。一緒にいたあたしも鼻高々になる位。
ぱくぱく食べるあたしを見て、京乃さんはまたまた誉めてくれた。誉められてすっかり良い気分になったせいか、今夜の食事会はとっても楽しく感じた。・・・ゲノムの話が出なかったせいかもしれない。
そんなこんなですっかり仲良くなったあたしと京乃さんは次の店に移った。もちろん、このお店。
「最近来なくてホッとしてたのにぃ。」
入るなりオカケンがそう言った。アキラ君も以下同文って顔してる。
「あーら、寂しかったの間違いじゃな〜い?」
気分がいいせいか、一人じゃないせいか、今日のあたし、いつも以上に強気です。
「あんたがいなくて静かだったのは認めるけど、誰も寂しそうになんかしてなかったよ。・・・ま、今日はお客さん連れて来てくれたみたいだから歓迎してあげるけど。」と京乃さんを見てオカケンが言った。
「こんばんは。」
京乃さん、爽やかに挨拶。オカケンが京乃さんを失礼な位ジロジロ見る。
あたしと会った時もそうだった。オカケンのクセなのかなぁ。ヤなクセだ。
「こちら、京乃さん。今、恐竜博物館に来てるの。本当はヒトゲノムの解析をしてるんだよ。」
おーっ、満ちゃん、すごい進歩じゃん。こんな難しい言葉並べて紹介出来るなんて。昔のあたしじゃ考えられないっ。
「へぇ、ヒトゲノムの解析してんだ。」
オカケンが興味を示した。
オカケンめ、知ったかぶりしてるな。あたしが講習受け続けてやっと分かってきたところなのに、なーんもしてないオカケンが知ってる訳ないじゃん。
「僕さぁ、ジャンクDNAに興味あんだよねぇ。」
「ああ・・・なるほど。」
京乃さんがあやふやな返事をした。
何それ? ジャ・・・DNA? 何?
「何ですか、それ。そんなの聞いた事ないですよ。」
何で講習受けてるあたしが知らない事を、へっぽこオカケンが知ってるんだよぉっ!
「・・・小原さんはまだそこまで行ってないから。」
ガーン。
「それに行ってても教えるつもりはないから。」
何故に? どういう事?
「どうして? 面白いじゃん。バカミチルも興味沸くような話だと思うけど?」
バカ満だとぉっ! オカケンめっ! ・・・・・・何であたしがゲノムに興味ないって分かったんだぁ?
「教えて下さいよぉ。」
京乃さんの服を引っ張った。オカケンが知ってて、あたしが分かんないなんて許せない。
京乃さんがしぶしぶ話し出す。
「人間のDNAの5〜10%は遺伝子として使われているっていう事が分かってるの。でも残りの90%はまだ何をするところか分かってないの。それをジャンク遺伝子って言うのよ。・・・ゲノム暗号って言う人もいるけど。」
オカケンの目がキラリンと輝いた。
「ゲノム暗号っ! そっちの方がロマンチックな言い方じゃない。へぇ、暗号ねぇ。何が隠されてるんだろ、そのDNAの中に。」
「・・・教授と同じ事言ってる。」
京乃さんの顔が暗くなった。
「教授って、喜多川教授?」
しまったぁ、名前呼んでしまったぁ。あの、ヨボヨボ意地悪じじぃっ。
「違う、違う。喜多川教授はDNAには興味ないのよ。興味があるのは昔の生物や化石だけ。私がついてる田所教授の事を言ったの。」
「ふぅ〜ん。」と一応返事をしてみた。
ちぇっ、田所教授会った事ないから分かんないや。せっかく話に入れると思ったのに・・・。
「ねぇ、その田所教授はジャンク・・・ゲノム暗号の事、どう考えてるの?」
オカケンはゲノムに興味津々。
京乃さんもこーゆー奴に講習した方がいいんじゃないのぉ? ・・・はっ、でもそしたらあたしの代わりにオカケンが毎日博物館へ行く事になっちゃうぅっ。
「・・・教授は『人間は太古の歴史をDNAに保存してる』って説を支持してるわ。その90%のゲノム暗号が何かの鍵になるんじゃないかって。」
「へぇ、面白そうっ。」
「・・・私はジャンクだと思うわ。人間だって、脳のほとんどは使われてないじゃない?」
「使われてない物が何であるの? 使われてないと思われてるだけで、実は何か重要な働きをしてるのかも。」
「・・・ただあるだけなのよ。ジャンクなのよ。」
「必要のないモノが体の中に一杯あるんだ?」
「・・・そうよ。」
「本当は自信ないんじゃないのぉ?」
「あるわよ。」
なんか、二人で勝手に盛り上がってる。ぶーっ。あたしの入る隙間ないじゃん。・・・淋し。
「会話に入れず、一人寂しい思いをしているあなたに、・・・バーテンダーからプレゼント・・・。」
優しいその声に顔をあげる。
何その言い方ぁ。いつもの「〜っス」言葉じゃなぁい。かっこつけてんの? 本物のバーテンさんみたい。あ、本物か。あはは。
「何クスクス笑ってるんスかぁ。ちぇっ、人がせっかく話しかけてあげてるのに・・・。」
アキラ君が口とんがらせる。
「ごめんごめん。だって・・・あはは・・・アキラ君はやっぱりいつも通りがいいっス。」
「真似しないで下さいよー。ほらほら、ちゃんと見てください。」
ぶうたれたアキラ君に言われて、やっとそのプレゼントを見る。あたしの目の前に置かれたカクテル---。
「わぁ〜。」
まるで宝石みたいなピンクのカクテル。ライトに当たってきらきらしてる。二つの層に分かれてるのがステキ。グラスの上はピンクトルマリン、下はムーンストーン。・・・何か、入ってる・・・。
「星? ・・・ああっ、こんぺいとうだぁ。」
「ミチルさんに合わせったっス。」
えっ。それって、あたしが星みたいに輝いてるって事?
「子供っぽいところを表現してみたっス。」
むむむむーっ。
「怒らないで下さいよ。ミチルさんのために作ったんスから。オリジナルカクテルっスよ。」
「ええ〜っ、本当ぉ?」
んじゃ、仕方ない。許してやろう。
「名前付けてください。」
「え? あたしが名前付けていいの?」
「もちろん。」
何にしよう。えっとぉ、満スペシャル? 満フィズ? 満コリンズ?・・・
「・・・サンクチュアリ。サンクチュアリにしてもいい?」
アキラ君が静かにうなずいた。いろんな思いを込めてカクテルを飲む。
甘〜い。ん、でも後味スッキリ。
「ありがと。すごく美味しいよ。」
アキラ君が照れたように笑った。
これから「いつもの」はこれにしてもらおっと。・・・・・・そういえば・・・お隣りが静かだけど・・・。
「・・・でね、ごくまれに別の染色体の一部を複製する事があるのよ。複製に失敗するのね。偽遺伝子って呼ばれてるんだけど。」
「それが進化?」
「・・・進化なのか、退化なのか・・・。」
ああっ! なんか仲良く話してるぅっ!
「それでね、そのDNAの複製ミスで起こる塩基置換は、世代ごとにほぼ一定の割合で起こるの。分子時計って言うんだけどね。」
「へぇっ。凄い! 面白い!」
「でしょう?」
な、何よ。二人で仲良く喋っちゃってさ。京乃さんを連れてきたのはこのあたしよ? あたしがいなかったら、あなた達はそうやって楽しそうにおしゃべり出来なかったんだからぁっ。
なんか・・・ずきずきする、胸のこの辺。アキラ君が作ってくれたカクテル強すぎたんじゃなぁい? なんか・・・変な気分。まさか、まさか・・・ヤキモチ? へっ? まっさかぁ〜っ。・・・やだ、どっちに? ・・・・・・・・・。あ、そっか、京乃さん取られちゃったのが悔しいんだ。もぉっ、女同士なのにぃ。・・・・・・変な、あたし。