天下無敵のレモネードA

 二日後、ナギの予告通りにおかあさんから電話がかかってきた。
 「何度電話したって無駄だよ。絶対帰んないんだから。あたしの決心は固いんだから。」
 どうだ。先制パンチだ!
 「もう言わないわよ。もう止めた。馬鹿馬鹿しいから言わない。お好きにどーぞ。」
 ほえ? どーゆー事?
 「なにそれ。」
 油断するな、ワナかもしれん。
 「それより聞いてよ。母さんね、水泳始めたの。」
 「水泳・・・。・・・・・・水泳っ!」
 「何よ、そんなに驚く事ないでしょう? 声大きすぎて、耳痛くなっちゃったわよ。」
 大きな声も出したくなるよ。だって・・・
 「お母さんカナヅチじゃんっ。水恐怖症じゃんっ。」
 「そうなのよねぇ。何故か突然泳いでみたくなったの。」
 「水に顔つけるのも駄目だったじゃん。」
 「そんな昔の話しないでよー。今はちゃんと潜れるし、13メートル位は泳げるようになったのよー。」
 昔って・・・ついこの前まで水怖いって言ってたじゃん。
 「水の中って世界が違うのねぇ。40になるまで知らなかったなんて、お母さん、ちょっと損してたわ。」
 「・・・お母さん、娘にサバ読まないでくれる? もう50歳でしょ。」
 ケイタイの向こうからバカ笑いが聞こえた。
 「バレた? ま、そんな事どうでもいいじゃない。お母さん、第二、第三の人生をエンジョイしてるんだから。」
 「ママさんバレーは? 止めちゃったの?」
 「もちろんやってるわよー。この間、市の大会で準優勝まで行ったわよー。あともう少しで優勝だったんだけどねぇ〜。」
 「・・・元気だね。」
 おばさんパワーだ。
 「元気よー。だからね、忙しくってあんたの事なんか構ってられないの。」
 「なにそれ、冷たーい。」
 「ついこの間まで口出しするなって感じだったくせに・・・わがままな娘ねぇ。」
 そりゃ、そうだったけど・・・。そうだったけどさぁ、ちょっと位心配したりしてくれてもいいじゃん。
 「だからね、あんたも好きな事をやりなさい。・・・喫茶店のバイト、終わったんでしょ?」
 やっぱりナギから聞いてるぅ。・・・あ、ナギの奴、自分で言うなって言ったくせに、すっかり喋っちゃってんじゃん。
 「うん。でも、まだ・・・、まだ何していいのか、分からなくって・・・。」
 「・・・さっき、今まで泳げなくって損したって言ったけど、あれ嘘ね。」
 嘘なんかいっ。
 「50になったから、やってみたくなったのかもしれないな。満も先は長いんだから、その気になったら母さんの年でもまだ新しい事始められるのよ。」 そうは言ってもねぇ・・・。
 でも、素直にうなずいた。
 「うん。」
 お母さん、あたしの事元気付けてくれてるの、かな?
 「ねえ、ねえ、母さんの作る飲み物の中で何が一番美味しい?」
 「何ぃ? また突然・・・。」
 「いいから。」
 ったくう。せっかく感動しかけてたのにぃ。
 「うーん、・・・レモネード?」
 「レモネードじゃ、今の季節暑いじゃなーい。・・・氷入れて冷たくすれば大丈夫かしら。でもぉ・・・。」
 「何なのっ、一体。」
 「ねぇ、もっと他になーい? 紅茶とか、コーヒーとか・・・。」
 人の意見全然聞いてないな。
 「お母さんの煎れるコーヒーとか紅茶ってインスタントじゃん。」
 「んー、そうなんだけどねえ。・・・・・・レモネードは美味しい?」
 「うん、美味しいよ。」
 「そうよねぇ、あんた達も子供の頃よく飲んでたし・・・。話のネタにもなるから、それがいっか。」
 あんた達? 話のネタ?
 「何、何よ。分かるように説明してよ。誰かお客さん来るの?」
 「うーん。来るかなーと思って。」
 「何それ。来るって決まってないの?」
 「もうそろそろ来る頃じゃないかなーとは思ってるんだけどね。」
 話が全然見えない・・・。
 「何よ。誰が来るの?」
 「んー? もうそろそろ凪が彼氏連れて来るんじゃないかなーと思ってね。」
 「えっ! 何でそれをっ?」
 「ん? あんた知ってるの?」
 はっ。やばっ。
 「んー? なんとなくぅ・・・、そうゆう話が出たかなー、みたいな。」
 ああ、ごまかしきれない。ナギ、ゴメン。
 「やっぱりねぇ。」
 「やっぱりって・・・何で知ってんの? ナギは『まだ何も言ってない』って言ってたよ。」
 ケイタイの向こうでため息が聞こえる。自信アリアリのため息。
 「一体何年あんた達の母親やってると思ってんのよ。」
  ひぃ〜ぃ〜っ。それだけで分かるの〜? ・・・母恐ろし。
 「ま、参りましたぁ〜っ。」
 「・・・あ、いけない。水泳の時間に遅れるっ。じゃ、また何か決まったら、その時は電話位しなさいよ。あ、そうそう、お金の助けは出来ないから自分で何とかしなさい。それ以外なら、・・・そうねぇ、知恵位なら貸せるわよ。あんたより経験豊富なんだから。じゃあね、またね。」
 一方的に電話が切れた。ナギのマイペースはお母さんに似たんだな。
 ふうーっ。少し長めに息を吐いてみた。
 なんだ、また小言言われるのかと思った。何で電話してきたんだろ。「好きな事をやりなさい」って言うためにわざわざ電話してきたのかな。
 お母さんとこんなふうに友達みたいに話したの初めてだ。なんか変な感じ。なんか、くすぐったいよーなー、あったかいよーなー、えっへんって胸はりたいよーなー。こんなふうに話せるようになるなんて思わなかった。子供を注意するためだけにいるんだって思ってた、母親って。何で変わったんだろ。大人になった、のかな。だからかな。
 ふうっと口を尖がらせて息を吐いた。前髪が揺れる。
 ありがとうって言えば良かったかな。まだまだ素直にはなれないな。

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