パーコレーターと花火A
家に帰ったのは10時を過ぎていた。
ふーっ。疲れた。マスターの言う通りになっちった。あんなに大勢のお客さんが来たの初めて。あっちこっちパタパタ走り回って、足がパンパン。もう動けませ〜ん。
あ、電話だ。だるぅ。誰だよ、こんな時間に・・・・・・。
「ま、まひろぉっ。」
「・・・元気そうですね。」
ああ、本当にまひろだ。嬉しいっ。そりゃ元気にもなりますって。
「今日、ずっと電話してたんですけど、いなかったみたいなんで。」
「あ、そだ。あたし、ケイタイ家に忘れてっちゃったんだ。へへ、ごめんね。」
「ちょっと心配してしまいました。」
ええ〜っ、本当〜っ? まひろに心配してもらったなんて嬉しい。「ちょっと」でも。
「・・・ごめんね。」と言いつつニヤけてしまう、悪いあたし。
「今ちょうど帰ってきたの。今日こっち花火大会でね、お客さん来るかもしれないって営業時間延ばしてたの。」
花火大会に力を込めて言ってみた。
まひろは? 花火大会行った? 空見上げてた?
「お客さんは一杯入りましたか。」
「うん、もう大変。」
「マスター喜んでますね。」
「それがね、そうでもないの。コーヒー注文するお客がいないって言ってキレてた。ひどい人はさぁ、冗談かもしれないけど、『かき氷とかラーメンとか無いのぉ』とか、言ったりしてさぁ。マスター『もう来年はやらんっ』だって。・・・あたしもやだ。すんごい疲れたもん。」
「大変でしたね。」
優しい声。体中の疲れが一気に抜けてく。
で、花火大会は? そっちは無かったの?
「今日電話したのはですね、もうすぐで帰れそうなんです、あと二、三日位で。」
ええーっ、嬉じーっ、本当ぉー、まじぇー。ああ、あたしって世界一の幸せモン。空を見上げてまひろの事思ってたから、神様が逢えるようにしてくれたのかも。
「また、すぐ、そっちに行っちゃったり、する、の?」
恐る恐る聞いた。
「いいえ、もうこっちでの仕事は終わりました。」
ほわわわぁん。良かった。
「健次郎と仲良くやってますか。」
この幸せな時間にまたオカケンの話題ぃ〜?
「・・・仲良くやってないけど、夜遊びに連れてってもらった。ムーラン・ルージュって店。」
「ムーラン・ルージュに行ったんですか。」
びっくりしたようなまひろの声。
「うん、行ったよ。まひろも知ってるんだ。」
「ええ、何度か行った事があります。」
「あたしね、毎週土曜日の夜に行ってるの。常連なの。」
常連っていうのはいつなれるんだろ。誰かの許可がいるのかな。ま、いいや、この瞬間から小原満、ムーラン・ルージュの常連になりましたっ。
「そうですか。じゃ、もう健次郎のショーは見ましたか。」
何それ。あ、そういえばこの前のオカケンの取り巻きもそんな事言ってたな。
「・・・見てない。」
なんかあたしだけノケ者にされた気分。
「まだですか。見たらきっと好きになりますよ。」
好きになるって何をよっ。オカケンの事なんて一生好きにならないんだからねっ。まひろが土下座してお願いしてもヤダ。土下座するまひろなんて見たくないし。
まひろ、コホコホと咳。
「どーしたのー。もしかして風邪?」
「ええ、そうみたいです。」
あ、鼻声。あたしとした事が今気が付いた。
「大丈夫ぅ?」
心配。
「大丈夫ですよ。」
きっと今、まひろは受話器の向こうで優しく微笑んでる。あたしを心配させないように。あたし分かるよ。まひろの顔が目に浮かんだよ。
ずずず。
あ、鼻水すすった。鼻水をすする音もセクシーぃ。まひろでも鼻水出るんだ。・・・なんて、当たり前か。人間だもんな。あ、息遣いがちょっと苦しそ。
受話器からあたしの耳に響く。直接耳に息を吹きかけられてるみたい。
や、ドキドキしちゃう。あたし、やっぱりまひろの事好きなんだ。良かった。安心した、確認出来て。
あ、風邪を引いてるんじゃ、花火は見てないな。
「・・・花火ぃ・・・見た?」
かすかな望みを捨てられずに聞いてみる。
「いいえ。残念ながら今年はまだ・・・。」
そうか。がっかり。
「じゃ、もうすぐ帰りますから。」
「うん。」
思いを込めてうなずいた。電話を切るのがツライ。でも、ばいばい。まひろとまだ繋がってそうなケイタイを、そっとテーブルの上に置いた。
ああっ。そーいえば、まひろと変な別れ方してたんだった。忘れてたよ、急に電話がかかってきたから。・・・まいっか、普通に話せたんだから。もう元に戻れたよね。
よかった。まひろが帰って来る、もうすぐ。もうすぐ、もうすぐまひろに逢える。クッションを抱きしめた。ぎゅって。
逢ったら何て言おう。最初にまひろの姿を見つけたら何て言おう。元気だった? 楽しかった? あたし、淋しかったんだよ・・・・・・これは言わないにしとこ。逢いたかった。これ位ならいいか。
あーっ、何だかドキドキしてきたっ。今日寝られるかな。寝られない、きっと。 あーっ、じっとしてられないーっ。チャリンコにでも乗って、夜の行進しよっか。・・・・・・チャリンコ無かった。走ろっかな。・・・・・・疲れそうだな。踊りにでも行くか。・・・・・・うーん。
しょうがない。今日は行かないつもりだったけど、ムーラン・ルージュにでも行くか。常連のこのあたしがいないと、皆寂しがるだろうしな。
「だからって、わざわざ来なくてもいいのに。」
「今日はミチルさん、来ないと思ってたのに。」
あたしがせっかく来てやったのに、オカケンとアキラ君は揃って嫌そうな顔をした。
「なぁんで嫌そうな顔すんのよっ。」
「だって嫌だから。」
うおーっ、声を揃えて言うなーっ。
「何よ。まひろが帰って来るって教えてあげようと思ってせっかく来たのに、その態度は何よっ。」
オカケンに向かって言った。
「それはどーも。」
ちっともありがたそうでないオカケン。
「まひろが帰って来るのが嬉しくないのっ。」
オカケンが手に持っていたカクテルを置く。
「嬉しくないって事はないけど・・・。あんたが大袈裟過ぎるんだよ。」
な、なぬぅ。
「まひろが久し振りに帰って来るんだよ? 何でそんなに冷めてんのっ。あたしは誰かに言いたくてしょうがなくって、こーやって終電に乗って来たっていうのにぃ。」
「なぁんだ、教える為じゃなくって、誰でもいいから言いたくて来ただけじゃないっスか。」
アキラ君が呟いた。
うっ。あーそうだよ、その通りだよ。
心の中で認めつつ、「オカケンはまひろの事が好きじゃないんじゃないのっ?」と、噛み付いてみた。
オカケンが煙草に火を付ける。
うぉっ、やべっ、またオカケンの説教心に火を付けてしまった。
「あんたの言ってる『好き』が何なのかよく分からないけど、僕は僕なりにマヒロの事が好きだよ。でもミチルみたいにいつでもマヒロの事を考えてる訳じゃないし、マヒロ以外にも大切な事が一杯ある。あんたねぇ、何度も言ってるけど、自分に何も無いからそーやってマヒロに走るしかないんだよ。僕みたいにねぇ・・・・・・」
うへぇ、本当に何度も聞いて、耳タコです。耳塞いじゃおっ。
「・・・・・・だから、仕事もいい加減にやって・・・・・・って、ちょっと聞いてるのっ。」
オカケンが耳に突っ込んでたあたしの指を引き抜く。
「聞いてますよ。確かにあたしは、自分にはこれがあるっ、ってモノはなぁんにもないよ。けど、もしあったとしても、まひろの事はうんと好きになる。あたしは恋はキチンとしたいの。」
アキラ君が目に入る。コップを拭きながら微かにうなずいてる・・・ように見える。
アキラ君もそう思ってくれてるのかな。
「何よ、キチンと恋をするって。」
オカケンがちょこっとだけ吸った煙草を灰皿に押し付けながら言った。
「しっかりと恋をするって事よ。」
あたしは張り切って答えた。
「好きになったら、うんと想って考えて。逢えない時は落ち込んで、逢えた時は思いっきり喜んで。今までに知らなかったその人の事が何か分かったら、急いであたしの頭の中の情報タンクに詰め込んで。その人を見てる時は、目一杯脳みそ働かせてその映像を焼き付けて、逢えない時はストックしてあるその映像を出して来て見るの。」
目をお星様一杯にして語る。オカケンは冷めているのか、呆れているのか、無表情で頬杖つきながらあたしを見てる。
「あんた、幸せだねぇ。」
何それ、イヤミか。
「幸せですよぉ〜。恋は精一杯しないと。」
開き直りっ。
「ねー、アキラくーん。」
アキラ君もそう思うよねぇ。
しかしアキラ君、慌てて首を振る。
「オレ、そこまで徹底してないっス。」
な、なぬぅ、裏切り者ぉ。く、くそぉ。
あたしはオカケンの方を向いた。
「オ、オカマにはあたしの気持ちなんて分からないのよっ。」
こうなったら一人でオカケンに挑戦だっ。
「あんたねぇ、僕はオカマじゃないって、いつも言ってるでしょっ。」
「へっ。ゲイって言いなさいってか。ホモもゲイもオカマも一緒じゃぁいっ。カッコつけるのはおよしっ。オカマはオカマなんじゃいっ。」
気分は極妻。
「あのねぇ、僕はホモでもないし、ゲイでもないのっ。」
むむっ。
「アキラ君、こんな事言ってるよぉ。」
アキラ君に助けを求めた。
「OKAKENさんはオカマじゃないっスよ。もちろん、ホモでもゲイでもないっス。」
むむっ、アキラ君まで。ぶーっ。・・・ん? オカケン、後ろをチラチラ気にしちゃって、どこを見てんだ?
「失礼っ。」と言って、オカケンが立ち上がる。
あっ。逃げやがった。
戦う相手がいなくなったのでアキラ君に八つ当たり。
「なぁによっ、いくらオカケンの事が好きだからってねぇ、嘘付く事ないじゃんっ。本当の事を言えっ。」
アキラ君、短くため息。
「本当の事を言ってるっス。ったく、どーやったら信じてくれるんスか。」
今度は長ーくため息を吐きながら遠くを見つめる。
「あ。」
間の抜けたアキラ君のひらめきの声。
「何? 」
アキラ君の見てる方に顔を向ける。
「ミチルさん、今ちょっとトイレ行って来て下さいよ。」
「えーっ、何でよぉ。別にあたし、トイレ行きたくないよぉ? 何で人に言われてトイレに行かなきゃいけないのぉ。あたしゃ、幼稚園児か、ってんだい。」
ぶつくさ文句。
「いいから、早く行って来て下さいよ。」
背中を押され椅子からずり落ちる。
「えーっ、面倒臭いなぁ。」
ったくぅ。・・・しょーがない、行ったるか。何で行かなきゃいけないのか分からないけど。
「行きたくないよぉ」を全身で表現するようなズッた歩き方でトイレまで行く。ずーりずーりずーり。
んで、ここに何があるって?
ノブを回して開ける。
!
「し、失礼しましたっ。」
驚きながらも謝って扉を閉めた。
トイレの中には人がいた。洗面所のところに。じゃあ、慌てて出てくる事はない。もよおし中のところを見ちゃった訳じゃないし。・・・何か、もよおし中よりもっとびっくりする物を見てしまった気がする・・・。何だったっけ? もう一度よく考えてみよう。
中には二人の人がいた。男と、女。そしてその二人はキスをしていた。あ、そうだ、それで謝って出てきたんだ。
でも、まだあたしの心臓ビョンビョンしてる。ううん、心臓より頭がおかしくなりそう。頭の中の脳みそが、こんがらがって、ひんじゃかまって、めんじゃかじゃになって、大変な事になってる。
落ち着いて。もう一度よく思い出してみよう、トイレの中に誰がいたのか。 一人は・・・女の人は見た事のある顔だった。そう、前にオカケンの事を聞いてきた取り巻きの人。そしてもう一人、男は・・・男は・・・・・・オカケンだった。
えーーーーっっっ。いーーーーっっ。のわーーーっ。ぐえーーーーっ。
うっ、いかん。やっぱり頭がおかしくなりそうだ。
ふらふら。やっとの思いで、カウンターのMY席に座る。
「OKAKENさんがオカマじゃないって事、分かったスか。」
アキラ君が得意げな顔であたしに言った。
「えっ、それって、どーゆー・・・・・・。」
ニッコリと笑うアキラ君。
「どーゆーって、そーゆー事っス。」
駄目だ。頭が混乱してる。何も言えない。
「ったく、この子はぁ、変な時に現れるんだから・・・。」
なんか、隣にオカケンが戻って来たみたい。
「・・・すいません。オレが行くように言ったっス。」
「は? 何で・・・。」
「OKAKENさんがオカマでもホモでもゲイでもないって事を証明しようと思って・・・。」
「止めてよ、この子に見られると調子狂うじゃん。せっかくいいムードだったのに興ざめしちゃった。」
「OKAKENさん。」
「何?」
「女食う癖、止めて下さい。」
「何で? いーじゃん、別に。据膳食わぬは男の恥って言うでしょ。どーぞって、差し出されてんだもん、手ぇ付けなきゃもったいないじゃん。」
「・・・男はマヒロさんしか食わないくせに・・・。」
「あんた、マヒロと張り合うの止めなって言ってるでしょ。あんただって女の子からの人気が結構あんだから、試してみないと損だよ。」
「オレは好きな人がいるのに他の奴に手を出すなんて真似出来ないっス。」
「真面目過ぎるんだよ、アキラは。」
「OKAKENさんが不真面目過ぎるんスよぉ。」
「柔軟って言ってよ。」
「言えないっス。」
あ、何か、オカケンとアキラ君が言い合いしてる。珍し。何を言い合ってるんだろう。何か頭がボーっとしてる。あたしに何か起きたっけ? ・・・とりあえず、も、帰るか。
「じゃ、あたしはこれでドロンします。」
よいしょっと。ん、何? オカケンとアキラ君、二人してあたしの方見ちゃって。
「何、ドロンなんて死語中の死語使ってんのよ。あんた幾つ? そんな言葉使う人見た事無いよ。大丈夫?」
「前世で使ってたんじゃないっスか。それよりミチルさん、まだ電車走ってないっスよ。」
あ、何か二人があたしに優しい言葉を掛けてくれてる。珍し。
「それでは、ひゅ〜ドロンドロン。」
あたしは煙の中に消えた。