パーコレーターと花火@
最近サンクチュアリに行くのが楽しい。何でだろ? マスターと話すのがツラくなくなってきた。もしかしたら、まひろに会えない寂しさをマスターとのおしゃべりでごまかしてるのかも。今日は特にウキウキする。だって、あの日なんだもん。
「満ちゃん悪いね。」
おおっ、マスターからそんなセリフが出て来るとは。
「いえいえ。家に一人でいてもつまらないですから。」
まひろがいる時だったら断るけど。
マスターがニヤニヤしながら言う。
「本当ぉ? 今日、土曜日じゃん。ムーラン・ルージュに行く予定だったんじゃないのぉ? オカケン君に逢えなくて淋しいとか思ってたりして・・・。」
アホらし。
「まっさかぁ。オカケンに会うために行ってるんじゃないんですから。オカケンなんて一生会わなくていいです。・・・もうオカケンの話はしないで下さい。せっかくの花火大会の日なんですから。」
あたしは外へ出て群青色の空を見上げた。
「花火こっからでも見れますかねぇ。どっちに見えるのかなぁ。」
マスターが店の中から声を掛ける。
「見えるよ。あっち、西の空。ちょっと欠けちゃうけどね。」
マスターが指差した方を見てたら段々ワクワクしてきた。
「なんか、木ザワな感じですねぇ。」
店に入ってマスターに言った。
「何それ?」
「風が吹くと木がザワザワ揺れるじゃないですか、そんな気分の事です。」
マスターしばらく考え込み。
「分かるような、分からないような・・・。」
ふーんだ。分かってもらえなくていいもんっ、だ。
「何で今年は店開ける事にしたんですか。」
「去年思ったんだよ、家から花火見てて。2階から人の波を見てたら、店開けたらお客さん一杯来るんじゃないかと思ってさ。家より店の方が会場に近いじゃん?」
「じゃん?」って、あたし、マスターの家知らないよぉ。
「じゃ、お客さん来るかどうか分かんないんですね? なぁんだ、マスターの勘なんだ、忙しくなるって。大丈夫ですかぁ。やですよ、わざわざ営業時間延ばして、いつもみたいにガラガラだったら。」
ラクだから本当はそっちの方がいいけど。
「いつもみたいにって言うなぁ。」
マスターが子供みたいに口を尖らせた。
「本当にお客さん来るんですかぁ。」
あたしの言葉にマスターちょっとびびる。
「く、来るよ。来るに決まってるよ。人込みの中歩き疲れたら、ちょっと休憩って事になるだろ? 美味しいコーヒーでも飲もうかなって。」
そーかなー、そんなに上手く行くかなぁ。
「あ。そーいえば、マスター『この味を気に入ってくれる人だけに、ここに来てもらいたい』とか言ってませんでしたっけ。何稼ごうとしてるんですかぁ。嘘つきぃ。」
マスターの反論。
「年がら年中人が入らなかったら、おまんまの食い上げじゃないか。稼げる時に稼いで、後はのんびりと働くんだよ。それに今日来たお客さんがこの店を気に入ってくれて、また来てくれるかもしれないだろ? 普段は喫茶店に入らないような人がさ。・・・たまたま開けた店に、たまたま入ったお客さん、そのお客さんがうちの味を気に入ってまた来てくれたら、それは凄く縁がある事だと思わないかい?」
なーんだ。何だかんだ言って、やっぱりお客さんが欲しいんじゃない。いい加減ー、マスター。
「やっぱりお客さん来ないじゃないですか。」
ぱらぱらと落ちる火の粒達を見上げながらマスターに言った。
「まだ花火大会の最中だよ? 勝負は花火大会が終わってから。電車混むだろ? 時間ずらして帰る人が寄ってくって寸法だよ。」
「えーっ。本当かなぁ。」
ぶーたれてみた。でも本当は店に残って良かったなって思ってる。見上げる空には大輪の花火、心地よい爆音、夜の風。あたしとマスターは店の外に椅子を出してチョコンと腰掛けてる。団扇を揺らしながら。
あ、夏の匂い。ゆっくりと息を吸う。
マスターが何かを思い出したように店の中に入った。しばらくして帰って来たマスターが持ってきたのは、銀色のポットと二つのマグカップ。
「これ、パーコレーターって言うんだ。」
マスターがポットをひょいと上げて見せた。
「アメリカの西部開拓時代から使われてきた抽出器なんだよ。直に火にかけて抽出するんだ。やっぱアウトドアはこれでしょ。」
アウトドアって、ただの店先じゃん。
と思ったけど、言わなかった。代わりに笑ってみた。マスターが渡してくれたマグカップを受け取る。なんだかおかしい。
「何笑ってんだよ。」
「だって・・・、いつもはカップとかすごいこだわってるのに、これ、・・・ははは、景品でもらった奴じゃないですか。」
マスターの顔が超スピードで赤くなる。
「しょうがないだろぅ? マグカップはこれしかなかったんだからぅ。」
「別にマグカップじゃなくても・・・。」
「いーや、駄目だ。アウトドアはマグカップだ。」
くすすす。くすすす。だから・・・
「アウトドアって、山とか海とかの事を言うんじゃないですか? ここ、ただの店先・・・。」
「あーっ、良いんだよっ。気分だよ、気分っ。もぉうっ、コーヒーやんないぞっ。」
それは困るっ。
「むふっ、・・・いただきます。はははっ。」
笑いの震えでコーヒーがこぼれそうになった。気を付けて飲んだ。夏の夜に少し冷やされた体がまた夏の体温を取り戻す。そうね、マスターの言う通り、こんな時はマグカップね。
「今日、花火大会やってるとこ多いらしいよ。」
マスターが空を見上げたまま言った。
まひろがいる方でもやってるかな。もしかしたら、まひろも今頃花火を見てたりして。まひろの上の花火と、あたしが見ているこの花火は違う花火だけど、この空はまひろの空に続いてる。今あたし達、同じ空を同時に見上げてるかも。そう考えると凄くロマンチック。遠くにいるまひろを、ちょっとだけ近くに感じた。
「たぁまやぁ〜。」
ふざけ口調で呟いた。ざわざわした気持ちを押さえ切れなくて。