残されたアイスティー@

 「・・・つまり、ゲノムは生命の設計図なの。この設計図を解読すれば、病気に関係する遺伝子も見つける事が出来るの。今分かってるだけでも、がん、糖尿病、ダウン症、急性骨髄性白血病・・・・・・。きっとこれからもどんどん発見されるわ。という事は、病気になる以前に、その人がかかるであろう病気が発見出来るって事なのよ。・・・・・・・・・どう?」
 京乃さんがあたしの顔を覗き込む。
 どうって言われても・・・・・・。素直に答えるっきゃないか。
 「全然、頭に入って来ないんですけど。」
 「全然?」
 「ぜんぜん。」
 京乃さんため息。あたしもため息。
 「勉強じゃないんだから覚えようとしなくってもいいのよ。ただ、ちょっとでも興味を持ってもらえれば・・・。」
 キョーミなんて持てましぇーん。
 返事の代わりにさっきより大きなため息をついた。京乃さんは、持っていたシャープペンを机の上に放り投げた。
 あり? あたし、見捨てられた? だってしょうがないじゃーん。全然面白くないんだもーん。
 「京乃さんはどーゆーとこが面白いと思うんですか。」
 「・・・思った事ない。」
 「ふわぁああ?」
 思わず立ち上がってしまった。
 「教える人が面白くないと思ってるのに、あたしが面白いと思う訳ないじゃないですかぁ!」
 「そう?」
 京乃さんが甘えたように見る。
 「そうですよっ!」
 「そうだよねぇ。」
 今度は京乃さんがため息。
 なんだよぉ? ・・・とりあえず、座ろ。
 流れる沈黙。
 うっ、気まずい。何か喋んなきゃ。
 「京乃さんはなんで・・・ヒト、ヒトゲ、ヒト・・・。」
 「ヒトゲノム?」
 「そうです。それ、を、何で・・・えっとぉ。」
 「何で解析してるのか?」
 「そうです、それです。何でやってるんですか、面白くないのに。」
 京乃さん、考え込む。
 「・・・出来たからじゃない?」
 「出来たって何が・・・。」
 「・・・理科のお勉強が。」
 なんだか、いい加減な言い方してるぅー!。ごまかしてなーい?
 顔を京乃さんに近づけて睨んでみた。あたしの顔に気付いて、京乃さん、またため息。白状する気になったらしい。
 「うちね、茶道の宗家なのよ。私もお茶やってて、名取りとかだったりはするんだけど、父親が、『おまえは茶道家にはなれない』って言うの。」
 それとこれとどういう関係があるんだっ。
 「私は人の心が分からないからだって。」
 しょんぼり顔の京乃さんが、段々ぷんぷん顔になってくる。
 「人の心って何よ。そんなのどうやって分かればいいのよ。頭の中割って見る訳にはいかないでしょ?」
 「も、もしかして・・・。」
 京乃さんまたしょんぼり顔。
 「ゲノムを解析すれば人間の事がもっと分かるかなぁと思って。」
 「きょ、京乃さん? それって、ちょっと間違えてるような気がするんですけど・・・。」
 京乃さんがあたしを見る。
 「・・・いろんな人に言われた。」
 そりゃ、そうだろ。
 「私も確実な方法ではないとは思ったけど・・・。だってしょうがないじゃない。他に方法が見つからないんだもんっ。」
 あ、逆ギレだ。
 「・・・親に反発する気持ちもあったのかも、一八〇度違った道で答えを探す事で。・・・でも、だんだんこっちの方が向いてるかなぁって。ちゃんと明確な答えが出るし、人の心なんて関係ない仕事だし。今はこのまま研究所暮らしも悪くないなぁって。」
 なんか京乃さんが少し可哀相に思えてきた。京乃さんの顔がだんだん曇ってくる。
 「あたしはあたしなりに幸せに暮らしてきたのよ。・・・ところがよっ!」
 な、何っ?
 「なーんで今更、よく知らない人と話さないといけないのよっ。人間相手じゃない仕事が私に合ってるんだって気付いたのにさっ。しかも、説明しても、説明しても、分かってくれないしさっ。」
 げっ。あたしが悪いのぉ?
 「き、京乃さ〜ん? ちょっと一息つきませーん? あたし、京乃さんの煎れたお抹茶飲みたいなぁ。」
 とりあえず話そらさなきゃ。抹茶あんまり好きじゃないけど、しょうがない。
 京乃さん、無言ですっくと立って、お茶の道具を取りに行く。なーんも言わないのが恐い。また爆発しそうで。
 「なんだ、君は橘君がいなくても来るのか。」
 ぎゃっ。だ、誰? 後ろから急に声かけるのはっ。って、あの人しかいないか。振り向くと、やっぱり掃除のおじいさん、あ、違った、喜多川教授。
 「別に、まひ、・・・橘さんは関係ありませんから。京乃さんのお手伝いで来てるんですから。」
 ひきつりながら愛想笑い。
 「あ、そっ。」と喜多川教授がつまらなそうに言った。
 うううっ。あたし、この人苦手だぁ。
 喜多川教授は京乃さんに用があったみたいで、何やら話し込んでる。
 でも、喜多川教授の言うとおりかも。なんであたし、まひろがいないのに、ここにいるんだろう。小難しい話聞かされてさぁ、頭パニクってるのに怒られてさぁ。
 でも、家で一人でいてもつまんないしなぁ。マスターに「当分遅番でいい」って言っちゃったしなぁ。それに、今講習受けるの止めちゃったら、まひろ目当てで博物館に来てるのがバレバレだしなぁ。せめて講習終わるまでは通った方がいいよなぁ。まひろもそのうち帰って来るかもしれないし。そしたら、もうちょっと楽しくなるかもしれない。うん、そう考えよっ。その日が来るまでガマンしよっ。
 あ、喜多川教授が帰ってく。ほっ。しっしっ、あっち行っちゃえ。もう来るなっ。
 教授が帰って京乃さんの手が空いたって事は・・・・・・、恐〜怖のお茶の時間ですよぉ。ひぃーっ。あのボロボロしたお菓子食べなきゃぁ〜。苦手なんだよねぇ、あれ。講習も苦手で、お茶菓子も苦手じゃ、ツライ事ばっかじゃん。お茶菓子とまひろ目当てで来てるのにぃ。ああーっ、まひろーっ、早く帰って来てぇ〜っ。
 「あっ、水ようかん〜っ!」
 京乃さんが箱から取り出した物を見て、思わず声に出してしまった。
 やった、今日はあのポリポリしたお菓子じゃないっ!
 「水羊羹好きなの?」
 京乃さんが和風泡立て器でお抹茶をかき混ぜながら言った。
 「好きって言うか・・・、あのいつも出てくるポリポリしたお菓子があんまり得意じゃなくって・・・。」
 恐る恐る。
 「なーんだ、言ってくれればいいのにぃ。」
 「・・・言っても良かったんですか?」
 「だって苦手な物は仕方がないじゃない。小原さん、いつも美味しそうに食べてるから好きなのかと思っちゃった。」
 好きじゃないよぉっ。美味しそうにしてないよぉっ。
 「じゃ、明日も水羊羹がいい?」
 でっ!
 「あ、あのぉ、水羊羹が好きって事じゃなくってぇ、なんていうか・・・生菓子が好きなんです。」
 京乃さんが緑色のドロドロが入った器をあたしに差し出す。
 「そうなんだ。・・・本当はお薄の時は干菓子なんだけどねぇ。ま、しょうがないか。」
 あ、なんだか不満そうだ。
 「おうす・・・って?」
 首かしげてみた。
 「薄茶の事をそう言うの。抹茶を薄めに点てて、一人ずつ飲む事を言うのよ。」
 「一人ずつって、当たり前じゃないですか。」
 「茶道の世界では当たり前じゃないのよ。濃茶って言うのもあって、こっちは抹茶を濃いめに点てて、みんなで回し飲むの。」
 「ええっ! 回し飲むんですかぁ〜っ!」
 「そんなに驚かなくても・・・。」
 「薄茶と濃茶って、どういう風に分けるんですか? 季節とかで?」
 「違うわよ。同じ日に飲むのよ。」
 「2回もっ? お腹ゴボゴボになっちゃうじゃないですかぁっ。」
 お口ニガニガになっちゃうじゃないですかぁっ。
 「だから、そんなに驚かなくっても・・・。部屋を移動したりもするし、茶事って、正式には4時間位かかるのよ。」
 「よ、4時間〜っ!」
 4時間もこの緑色のドロドロに付き合うなんてぇっ! 信じられないっ!
 「4時間お菓子とお茶だけじゃ、何かしょっぱい物が欲しくなるでしょうねぇ。」
 「大丈夫よ。懐石って言って、ちゃんと食事も出るんだから。」
 「食事も出るんですかぁ? お茶がメインだか、食事がメインだか、訳分からないじゃないですかっ。」
 くすすすっと笑う京乃さん。
 「小原さんって本当に面白いわねぇ。」
 な、何ぃ〜っ。
 「・・・だって全然想像つかないから・・・。」
 「日本風ホームパーティって思ってみてよ。」
 ふむふむ、その言い方は分かりやすい。京乃さんのくせにぃ、やるじゃん!
 「お茶の方が興味あるみたいねぇ。」
 京乃さんの口にようかんが入る。あたしも京乃さんの真似をしながら、お上品に御ようかんをお頂きになる。・・・あぁ、とろけるぅ。
 「やっぱ、食べれる方が・・・興味出ますよね。」
 えへへへへ。
 「ゲノムも食べれれば良かったのにね。」
 「へ?」
 「冗談よ、冗談。」
 京乃さんが言うと冗談に聞こえないよ。
 さてと、お抹茶苦いから早いとこ飲んじゃお。
 「あ、ちょっと待って。」
 何でぇっ?
 「羊羹を先に頂いてから。」
 えーっ。
 「・・・決まってるんですか?」
 あたしの好きなようにやらせてくれぇいっ。
 「正式にはお菓子を食べてからじゃないとお茶は出てこないのよ。今は正式じゃないけど、お菓子を食べてからの方がお茶が美味しく感じるわよ。」
 うっそでぇーい。まずかったら責任取ってくれるんだろーなー。
 ようかんパクパク。お茶をずずーっ。・・・ん? んまーいっ。
 「はれ? こんなに抹茶って美味しかったっけ?」
 「羊羹の甘さが口に残ってるから、お抹茶が苦く感じないでしょ?」
 うんうん。しかも、ようかんの甘さがお抹茶によって、さっぱりとした甘さに変わるぅっ。抹茶も気のせいか、いつもよりクリーミー。このずずずっ感がたまらなーい。ああ! もっと飲みたいわっ。さっきはドロドロなんて言ってごめんなさいねっ。言い直すわっ。まるでヒスイの宝石をじっくり時間をかけて溶かしたみたい。ふわふわのモスグリーンのモヘアのセーターを飲み物にしたみたいぃ。それにこの器。
 「この器、前のとおんなじですか?」
 「そうよ。」
 京乃さんが不思議そうな顔をして答えた。
 この器、こんなに手にフイットしたっけ? このずっしり感、安心する。このシルバーグレイについ甘えたくなる。京乃さんがいなかったら頬擦りしちゃいたい位。なんか切なくなってきた。この器、なんだかまひろに似てるよぉ。え〜ん、またまひろに会いたくなってきちゃったよぉ〜。

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