お約束の2人だけで過ごす時間は一緒に甘〜い飲み物を飲みながら。今日のメニューはモカチーノ。チョコレートシロップを入れたマグカップに深煎りコーヒー注いで、その上には甘さを抑えたホイップクリーム。シナモンスティックでかき混ぜて、さあどうぞ召し上がれ。
初めて自分で豆を煎ってみたの。まひろの帰りを待つ間、まひろの事を考えながら煎ったんだ。深煎りだけど、きっと甘いよ。
「京乃さんとの講習はどうですか? 進んでますか?」
まひろがシナモンスティックの香りを確かめながら言った。
ロマンチックな時間に講習の話はどうかと思うけど。ま、いいや、まひろの声と姿だけでも、とろけちゃいそうになるから。
「進んでない。・・・多分あたしが悪いと思うんだけどぉ。」
あ、まひろの笑顔。とろけポイント追加。
「専門家の人に詳しい話を聞くのは楽しいでしょう?」
あたしは首をすくめて、顔をくしゃっとしてみせた。
「どーだろ? あたしぃ、昔っから理数系苦手だから。京乃さんの話が始まると、すぐ眠くなっちゃうんだよねー。」
まひろもあたしにつられて顔くしゃ。あひゃーっ、そんな顔見せられたら本当に溶けちゃうよぉ。
「あ、そうそう、京乃さん、今日、変な事言ってたよ。自分一人で子供作れたらいいのにって。それにぃ、なんか変なモン飼ってるっぽかったなぁ。・・・ねぇ、京乃さんって何か変な研究してるんじゃない? 人造人間作ってるとか? 」
「・・・マッドサイエンティストですか? まさか。」
まひろがモカチーノを口に運ぶ。まひろ専用の銅製のカップ。
「あ〜あぁ、何だか講習行きたくなくなってきちゃったなぁ。」
だって、明日からは博物館行ってもまひろに会えないし、楽しみにしてたお茶菓子も、抹茶と、何かポリポリした砂糖の固まりみたいなお菓子だしぃ。
まひろがあたしの頭をくしゃくしゃって撫ぜた。まひろのカップはもう空っぽ、2人の時間が終わりのサイン。あとは、寝て起きたら朝が来る。
寝るのは、イヤだ。
まひろにまた逢えなくなる。ボストンバックに着替えを詰め込んでいるまひろの背中、その後ろ姿を見ながら思った。左胸が痛んだ。
昔はまひろと一言でもおしゃべり出来れば幸せだった。今は一秒でも長く一緒にいたい。1ミリでも近くにいたい。あたしって欲張りだ。まひろを自分の物にしたい。あたし一人だけの物に。
まひろとずっと一緒にいられるなら、この部屋からずっと出られなくなってもいい。ずっとまひろを見ていたい。眼球にまひろの姿が貼り付いてしまう位。
まひろが振り向く。
「もうすぐ終わりますから待ってて下さいね。」
まひろは何も変わってないはずのに、前より遠くに感じる。まひろによく似た別人と話してるような、大きなブラウン管に映ってる等身大のまひろと話してるような、そんな感じ。逢えなかった時間がそうさせたのかな。それともあたしの思いだけが強くなっちゃたから、そう感じるのかな。
「今日は何の話をしましょうか。発掘の話は退屈ですか。それとも、いつかみたいに子守り歌でも歌いましょうか。」
荷造りしているまひろの後ろ姿がそう言った。
あたしはまひろに何をしてもらいたいんだろう。逢えなかった時間を取り戻せて、これから逢えない分も貯金出来る位の事。
あたしはゆっくりベッドから立ち上がり、まひろに近づいた。座り込んでいるまひろの後ろにしゃがみ込む。耳をまひろの背中に当てる。伝わってくるまひろの体温、あたしの冷たい耳たぶから。 目に映るのはまひろの白いカッターシャツだけ、ただそれだけ。
まひろがゆっくり振り向いて、あたしの肩を抱き寄せる。まひろに吸い込まれていくあたし。手を伸ばしてまひろの背中を包み込む。 意外と広いまひろの背中。指でなぞる。あたし、意外と冷静だ。
まひろがあたしの頭を撫ぜる--いつものいいこいいこ。あたしはまひろの手を掴んで、それを拒否。代わりにその手をあたしの頬に当てる。まひろの体温を感じ取る。唇が指に触れる--あたしのが、まひろのに。指紋の一つ一つを確かめたい。まひろの全てを感じたい。爪の形、関節の太さ、皮膚の柔らかさ--そっと歯を立てる。憎いの。嫌いなの。好き過ぎて、もうよく分からない。
上目遣いでまひろを見る。
今日のあたしはイジワルだ。もっと困らせてやりたい。唇を近づけた。挑戦的なくちづけ。あたしは今日、あなたをあたしの物にするの。
「いいでしょ?」
鈍感な唇に向かって言った。
「満・・・・・・。」
鈍感な唇があたしの名前を呼ぶ。顔を上げるとそこには哀しげな瞳。
「満がそうしたいと言うのなら。」
・・・・・・ソウシタイトイウノ・ナ・ラ?
何だろ、それ。どういう意味だろ。仕方なくって事? どうなってもいいって事? どうでもいいって事? 嫌なら嫌って言ってよ。嫌なら嫌って・・・。
「も、いい。」
背中を向けた。
「冗談だよ、冗談。・・・本気にしないで。」
そう言って、寝室を出た。
その日は朝まで、見たくもないTVを見た。まひろは朝早く出掛けた。日曜日なのに。あたしはまひろが起きだしてから、ベッドに潜った。「いってらっしゃい」も言えなかった。