モカチーノのせい@

 そして次の日から京乃さんの地獄の講習が始まった。
 「まず、ゲノムの説明からしましょうか。ゲノムって言うのは、一つの生命体が形成・維持していくうえで必要最低限なDNAの情報の総体の事を言うんだけど・・・」
 ひ、ひぃえ〜。
 「あ、あのぉ、すいません、全然分からないんですけど・・・。」
 京乃さん、ちゃんと日本語喋ってますか?
 「あ、ごめんなさい。そうよね、分かりやすい言葉にしないといけないわよね。えっと、ゲノムっていうのは、一つの生物が生きていくのに、絶対に必要なDNA情報の事で・・・」
 京乃さんの言葉が右から左へと流れていく。全然耳に入らん。言い直してくれたって難し過ぎるよぉ。
 今まひろ何してんのかなぁ。クリーニングかなぁ。ああ! まひろと同じ屋根の下にいるって思うだけでドキドキするぅ。一緒に住んでるくせに。でもちょっとブルー。こんなに近くにいるのに会えないなんて・・・・・・。お昼一緒に食べようって約束したけど、本当かなぁ? 忙しそうだからなぁ。まひろの事だから、食べるの忘れてクリーニングしそうだしなぁ。
 「小原さん、聞いてます?」
 はっ。
 「・・・聞いてませんでした。ごめんなさい。」
 京乃さん、特大ため息。
 笑ってごまかすしかない。あはははは。
 「・・・ごめんなさい。・・・話がちょっと難しくって。」
 京乃さんが顔を上げる。
 「え? まだ難しい?」
 あ、悪気のない馬鹿にした言い方。
 「うーん。どの位のとこまで説明したら分かるのかなぁ。DNAは分かるよねぇ?」
 「その位知ってますよ。魚の目玉に入ってるんですよねー。」
 あり? 京野さん、どうしたの? そんな顔しちゃって。
 「小原さん・・・それはDNAじゃなくって、DHAよ。」
 げっ。マジ? ずっと魚の目玉に入ってる奴だと思ってたよ。
 「はぁ・・・。学校でも習うのに・・・。」
 へ? 学校でならったっけ? 忘れちゃったよぉ。知らないと恥ずかしいのかなぁ。・・・どうしよ。「そぉーの位知ってますよ! 今のは冗談ですよ、冗談」って言っちゃおうかな。・・・・・・でもそれじゃあ、話が分かんないまま進んじゃうしなぁ。京乃さん、分かんない事があったら、どんどん聞いてって言ったしなぁ。
 「あ、あのっ、分かりませんっ。教えて下さいっ。」
 特大勇気。京乃さんの顔が暗くなる。
 「細胞・・・は、分かる、かな?」
 「なんとなく、なら。」
 京乃さん、あたしから目をそらす。
 「なんとなく、か。・・・ふーっ。」
 京乃さんの特大ため息パート2。
 「じゃ、もっと最初から説明する必要があるわね。・・・・・・・・・・・・。」
 い、今、小声で「小学校の教科書持ってくれば良かった」って聞こえたのは気のせいっ?
 「・・・ちょっと休憩しましょうか。」
 待ってましたっ。
 「小原さん、急に顔が明るくなってる・・・。」
 「え? そぉうですか?」
 バレたか。
 「お茶しながら、小原さんがどれ位の事知ってるか聞きましょう。」
 お茶の意味な〜い〜!
 「小原さん、お抹茶飲む?」
 京乃さんが立ち上がりながら言う。
 「え〜っ、お抹茶ですかぁ? 苦いですよねぇ?」
 「苦くないわよ。その時点てた人が下手だったんじゃないの?」
 何やら後ろを向いて、箱から色々出してる。お茶を煎れる用意・・・をしているらしい。
 「飲んだ事ないんですけど、よくTVとかでやってるじゃないですか。」
 「大丈夫、美味しいわよ。私、点てるの上手いから。」
 「クリーニングは下手なのに・・・。」
 つい、ボソッと言っちゃった。
 キッと睨んだ後、京乃さん落ち込み。
 「京乃さん、何でここに来たんですか?」
 京乃さんが捨てられた子犬みたいにあたしを見る。
 「小原さん、あたしを泣かせようとしてる?」
 「いえ、そんな・・・。だってぇ、ヒトなんとかを調べてるんでしょ? 恐竜に関係ないじゃないですか。それに・・・・・・。」
 「クリーニングも下手だし?」
 ありゃ、自分で言っちゃってるよ。
 あたしはうなずいてあげた。
 「田所君に言われたからじゃろ?」
 急に後ろから声がして、あたしも京乃さんもビクっとした。
 あたしはそうっと声の方に振り向いた。一人のおじいさんがつっ立ってる。どっかで見た顔・・・・・・。
 ああ、なんだ。思い出したぞ。・・・それにしてもなんでこんな所に・・・・・・。
 「京乃君があまりにも堅物なんで、『少しは外の空気を吸って来い』って田所君に言われたんじゃ。そう言われても行き所なく、さ迷ってた京乃君を見兼ねて、わしがここに連れてきたんじゃよ。」
 何、このおじいさん、偉そうに。
 京乃さんがその人をあたしに紹介してくれた。
 「小原さん、こちら、喜多川教授。田所というのは私が付いてる田所教授の事よ。」
 教授? 喜多川教授?
 「ええ〜っ。掃除のおじいさんじゃなかったんですかぁ。」
 つい大声で叫ぶと、京乃さんが小声で教えてくれた。
 「掃除が趣味なのよ。・・・というより清掃員になりきるのが趣味なの。小原さんもやられちゃったんだ。大学でもね、有名なのよ。よく新入生とか騙すの。・・・怒られなかった?」
 「怒られましたぁっ。」
 小声で泣きつく。
 「でしょう?」
 京乃さんがささやく。
 「格好だけで人を判断しようとするからいけないんじゃ。」
 「・・・・・・聞こえてた。」
 2人で顔を見合わせる。
 「おじいちゃんなのにぃ・・・・・・。」
 自分でも聞こえない位の声でつぶやいたのに・・・
 「何て言ってるか、全て分かるぞ。」って、怖い笑顔で言うーっ。
 「ま、参りましたぁ〜。」

 まひろと2人っきり、ちと遅めのお昼御飯。お弁当はもう作って来れないから、今日は食堂のラーメンで我慢してね。でもまひろと一緒だと、なんだって美味しいよ。まひろもそう思ってくれてるといいんだけど。
 「満、今日は帰りますよ。」
 えー、本当ぉう? きゃー、やったー、うれじーっ。
 「また、発掘先に行かないといけないので、準備をしないと。」
 でぇーっ。
 「じゃ、また行っちゃうの?」
 やだやだやだやだぁ。せっかく久しぶりに会えたのにぃ。
 まひろがあたしの頭をくしゃくしゃと撫ぜる。
 あ、これやってもらうのも久しぶり。おおっと、またこれにダマされるとこだった。
 顔を上げる。不満そうな顔しちゃ駄目。でも、淋しそうな顔はしてもいいよね。
 ちょっと困ったようなまひろの顔。困らせちゃった。ゴメン。
 でも、まひろは笑ってくれる。
 「よしっ、今夜は満にトコトン付き合いましょう。」
 やったー。
 「でも、帰るのが少し遅くなるかもしれません。」
 ええ〜っ。あ、いや、その方がいい。だってオカケンが出掛ける前にまひろが帰って来たら、「今日は行かな〜い」とか言い出すもん、絶対。

 はぁ。
 幸せなんだけど、なんか寂しい。まひろが行っちゃうから? うーん、それもあるけど、何だろ?
 あたしは、まひろがいなくなるとツライなぁってスゴク思ってるのに、まひろは、あたしと会えなくても寂しいなんて思わないんだろうなー、って思う、から、かも。
 何だか、あたしの想いの方が大き過ぎる。まひろがあたしと同じ位、あたしの事を好きになって欲しいとは思わない。でも、もうちょっと近づいて欲しい。だって、何か、私の気持ちばっかり損してるような気がして・・・。 「男の人って、恋のパワーが少ないのかなぁ。」って、気が付いたら口に出して言っちゃってた。
 やばっ。
 「は?」
 目の前の京乃さんが不思議そうな顔をしてる。
 そ、そうよね、講習中にする話じゃないよね。
 「あ、あの、いや、その・・・。」
 あたしがあたふたしてると、京乃さんが、「人によるんじゃない?」とクールに言った。
 なるほど。
 「そう、ですね。」
 京乃さんの冷めた答えに寂しさ倍増させながら、小テストの続きをした。白い紙は全然埋まらない。頭の中ばっかり、いろんな事で一杯になる。
 人による、のか。まひろはきっと恋のパワーが少ないんだな。・・・相手があたしじゃなかったら、もっと恋のパワー爆発するのかな。オカケンにはシュウチャクするのかな。あたしとオカケン、逢えなくて寂しいのはどっちかな。
 「恋のパワーって、他者と接触したいって気持ちの事?」
 京乃さんがあたしの顔を覗き込んだ。
 どうだろ? そーゆー事なのかなぁ。
 「医学的に見て、女の人は他者との接触が必要な作りになってるのかもね。」
 あたしの答えを待たずに、京乃さんが続けた。
 「女の人は子どもを育てないといけないでしょ? 280日間もお腹の中に他者を入れて、産まれてからも数時間おきに授乳したり、オムツ替えたり・・・。子どもとずっと向き合っていられるように、他者の温もりが必要と感じるように出来ているのかもね。男の人はいいのよ、一瞬で。SEXの時だけ、射精の時だけ触れ合ってればいいんだから。小原さんの言うとおり、男の人は・・・恋のパワー?--触れ合いたいって欲が小さいのかもね。 」
 京乃さん、答え考えてくれてたんだ。
 しっかし、ロコツだなぁ。セック・・・とか、しゃせ・・・とか、あたしには言えないよぉ。満ちゃん、お子様なんだもん。
 「京乃さんでも他の人と触れ合いたいって思うんですか。」
 「京乃さんでも、って何よ。『でも』って。」
 あたしがひきつりながら笑ってごまかすと、京乃さんはちょっとほっぺをふくらました後、笑顔になった。
 「触れ合いたいって思うよ。」
 大人の女の人から出たその言葉にドキンとした。
 「もし、触れ合える人がいなかったり、・・・触れ合いたい人と触れ合えなかったらどうしますか。」
 鼻の奥がツーンとした。顔をちょっと上げてガマンした。
 「触れ合いなんて、別に人じゃなくてもいいのよ。」
 難しそうな本をパラパラとめくりながら京乃さんが言った。
 「え? 犬とか、猫とかって事ですか?」
 「私が犬猫好きに見える? 」
 あ、笑顔がなんか恐い。
 「・・・まさか、家でなんか変なモン飼ってないでしょうねぇ。」
 人造動物とか作ってないでしょうねぇ。
 「さぁ? それはどうでしょう。」
 怖くて、もう聞けない。冗談、だと思うけど・・・多分。
 白い紙に目を戻した。
 まひろは男の人だから、ずっと一緒じゃなくても平気なのかな。男の人は皆そうなのかなぁ。だったら、男の人を好きになる限り、あたしの想いはずっと損をするのかな。
 ふうっ。
 あたしじゃなくて、京乃さんのため息。
 「面倒臭いね、男と女って。単細胞生物が羨ましい。自分一人で分裂増殖すればいいんだもの。人間も生殖活動が自分一人で出来ればいいのにね。何で男と女が存在するんだろ。」
 京乃さんが伸びをしながら言った。
 「・・・でも、それじゃ、つまんないじゃないですか。自分一人でいい世界なんて。」
 まひろにも会えないし。そんな世界楽しくない。
 「そう?」
 「そうですよ。それに自分一人で勝手に増えたりしたら、人が増え過ぎて困りそうだし・・・。」
 京乃さんがポンっと手を打った。
 「なるほどっ。それで動物は、男女でペアを組まなきゃ子孫が増やせないっていうハードルがあるのか。目からウロコだわっ!」
 「へっ?」
 京乃さんの目がまたキラリンキラリン光ってて、怖い・・・。
 「小原さん、すごい。橘さんが小原さん手放せない理由が分かった。」
 手放せないってどういう事? 放され放題なんですけど・・・・・・。


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