無言でお茶を飲む。目の前に愛想笑いしてる京乃さんがいる。
「ごめんなさいねぇ、紛らわしい言い方して。」
「本当ですよ。おかげで四角関係なんて変な事考えちゃったじゃないですか。」
「ん? ヨンカク・・・?」
はっ。
「いや、なんでもないです。」
お茶をすする。
「んで、何ですか? もう一度よく説明して下さい。」
何であたしがこの人とお茶してるんだろう。この食堂にはまひろに連れられて来る予定だったのに。 まひろはまだお昼じゃないからって来なかった。おかげであたしは不機嫌。あーあ、まひろと最初に来たかったなぁ。
食堂を見渡す。
まひろはいつもここでお昼を食べているのね。どの席に座るんだろう。
「・・・聞いてます?」
あちゃ。自分から「説明してください」って言っておいて、京乃さんの話聞いてなかったよ。
「・・・聞いてませんでした。す、すみません。もう一度、お願いします。」
京乃さんが肩を落とす。
ほんどにずびまぜんっ。
「私、今文大で人間のゲノム解析をしているんだけど・・・。」
はい? もうすでに分からない言葉だらけなんですけど。・・・分かった! あたしが話聞かなかったのは、まひろの事考えてたからじゃなくて、難しい話で耳がイヤイヤしちゃったからだ。
「今度、私がついてる教授が公開講座を開く事になって、私が資料作りを頼まれたんだけど、私が作成すると一般の人に解りづらくなるから専門外の人の意見も聞きなさいって言われたの。でも私、専門外の人の知り合いがいないのよねぇ。それで小原さんに資料作りの手伝いをしてもらおうと思って。」
京乃さんの目! 輝いてる! 目キラリンの理由はこれだったのか。
「あの、ほとんど話が難しくって分からなかったんですけど、資料作りなんて、あたし、出来ないと思います。全然興味ないし、今の話にもう付いていけない位ですから。」
キラリン!
はっ、まただ。
「そうよ、それがいいのよ。そういう人を探してたのよっ、拒否するような人をっ!」
「へ? で、でもぉ、本当にぃ・・・。」
「大丈夫よ、小原さんは私の話を聞いててくれればいいの。」
え〜っ、こんな短い時間でも訳分からなかったのにぃ?
あたしの嫌そうな顔に気付いたのか、京乃さんが言った。
「理解しづらい事が出てきたら、正直に『分からない』って言ってくれればいいんだから。」
「えー・・・。でもぉ・・・。」
京乃さん、何かひらめいた様子。
「もちろん、ただでとは言わないわ。」
「えっ。そんな、駄目ですぅ。」
いくら位もらえるのかな。やろうかな。新しい服買えるかな。
「毎回、お茶菓子を出します。」
お茶菓子だとぉ〜っ?
「やらせていただきますっ。」
「健次郎は元気ですか。」
せっかくの二人っきりの食事なのに、そんな事を聞くぅ。忘れてたよ、オカケンの事なんて。それよりお弁当の感想とか、逢えなくて淋しかった? とか、もっともっと言う事があるでしょっ。
口を尖らす。
人目なんか気にしないもんねぇ。食堂にいる他のお客さんの視線なんか気にしないもんねぇ。思いっきり尖らせちゃうんだから。おでこにシワだって寄せちゃうんだから。
そんなあたしを見て、まひろがふんわり笑う。
もぉーっ、そんな優しい笑顔見せられたら怒れないじゃん。
「ちゃんと仲良くやってますか。喧嘩はしてませんか。」
はっ。
「・・・・・・した。大きいの。」
まひろ、一瞬驚いてから呆れ顔。
「ま、喧嘩する程仲が良いって言いますしね。」
またそーゆー事を言うーっ。またとんがり口になっちゃうじゃん。話変えよ。
「まひろ、帰って来たんなら家で寝ればいいのに。」
まひろが箸を置いた。
えっ、もう終わり? もう食べてくれないのぉ。
「夜遅くまで仕事をしているので、ここに泊まってたんですよ。」
一人ででしょうねぇ?
まひろを見た。まひろもあたしを見る。目と、目が、合う。
ドキン。
はっ、いかん、いかん。また固まってしまうとこだった。
「今日は? 帰れるんでしょ?」
まひろが首をかしげた。
「さあ・・・、今日も、明日も・・・しばらく泊る事になりそうです。」
でーっ、何でーっ。
あ、まひろ笑顔。
「じゃ、今日はここでゆっくりしていって下さい。どうです? 化石のクリーニングしてる所を見て行きますか?」
うんうんうんうんうん。見たい見たい見たい見たいっ。まひろの仕事してるとこ見れるなんてぇっ。きゃーっ、来て良かったぁ!
何だ? ここは。ホコリっぽーい、中学の技術室みたい。んーにゃ、それよりホコリっぽいぞ。こんなところでまひろは仕事してるのー?
まひろを見上げた。
あ、仕事の顔。いつもの横顔と同じかもしれないけど、そう思った。仕事をする男の横顔って。
まひろが黄土色の作業服に手を通す。
いやぁん。まひろっ、そんなダサイ服着て仕事すんのー? イヤ、イヤ。まひろの知的なイメージがぁ!
「それではクリーニングを始めますから見てて下さいね。」
はら? かっこいいっ。作業服なのにかっこいい。っていうか、作業服が似合ってるぅ。何か、ますます働く男って感じぃ!
まひろが白い大きなプラスチックのマスクを着ける。
いやぁーん。まひろのかっちょええ顔が見れなーいっ。
まひろが振り向いて微笑む。
はにゃー、見ちゃった、見ちゃった、まひろの笑顔・目だけ版。イイ男っつーのは目だけでも良いね。しびれるね。
「これが発掘してきたドロマエオサウルス科の恐竜の子供の化石です。」
まひろが説明してくれた。
「どうです? 凄いでしょう?」
すごいでしょうと言われても・・・・・・。
あたしは大きな長いテーブルの上に乗った白い固まりを見つめた。
これが化石なの? 公園によくあるボロボロになっちゃった動物の置物みたい。もっと大きいと思ってたよ。ちっちゃいじゃん、机の上に乗るなんて。それに、もっと骨骨してるのかと思った。これじゃ、どう見ても石の固まり。展示場にあったデッカイ恐竜みたいのが置いてあるのかと思ってたのに。ちょっとがっかり。
あら、まひろの目、すんごいキラキラしてるぅ。炭酸のあわあわみたい。すごーいっ、キレーイっ。
「・・・スゴイね〜。」
まひろの目がね。
「運ぶ時に壊れないように石膏で固めてあるんです。これをこの機械で削って・・・。ほら、こっち側は少し見えてるでしょう?」
なんだ、化石は中に入ってるのか。・・・どれどれ、見てみましょう。・・・・・・砂の固まりにしか見えない。
「・・・これが、カ、セ、キ?」
不安になって聞いてみる。
「砂が大分乗っていますけどね。この砂が固いんですよ。この薬をかけて、千枚通しで少しずつ削っていくんです。おととい帰って来てから、ずっとやってるんですけど、まだここまでしか進んでないんです。ほら、骨が見えてきてるでしょう?」
そう言われてみると、まひろの指差してるところは他のところより少し色が黄色っぽいような・・・・・・でもよく分かんないよ。
ふわっと肩に何かが乗る。
ん? 作業服? まひろが掛けてくれたのか。
「やってみますか? クリーニング。」
へっ?
「や、やっていいの? やっていいモノなの? あたし、ぶきっちょだよ?」
まひろの目が細くなる。
「慎重にやれば大丈夫ですよ。ほら、京乃さんもご一緒に。」
振り向くと、モジモジしてる京乃さんがつっ立っていた。
「え、いや、私は・・・・・・。」
作業室の扉をそっと開けて出る。2人とも無言。何であの時、京乃さんが遠慮したのか分かった。
「・・・小原さん、クリーニングって凄い難しいでしょ?」
あ、助けを求めてる声。仲間に引きずり込もうとしてるな。
「む、難しいですけど、あたし、京乃さんよりは上手かったですよ。」
「化石砕いちゃったのに?」
「京乃さんだって、思いっきり穴空けてたじゃないですか。」
醜い争い、しかも低レベルの。どちらが上手いなんて答えはもう出てる。どちらも下手。役に立たない。と、いうよりお荷物。
「・・・京乃さん、何でここに来たんですか?」
京乃さんの手がスッと伸び、あたしのほっぺをつまんだ。してはいけない質問だったらしい。
京乃さんがあたしのほっぺをつまんだままで言った。
「明日から講習、頑張りましょう。」
「あ、・・・い。」
「明日から遅番に変えて下さい。」
あたしの声にマスターが振り向く。
ドキドキドキドキドキドキ・・・・・・
「そう、分かった。」
ほっ。
「・・・何で?」
ひぃえー、すんごいフェイントっ。大丈夫だ、落ち着け満。こういうのは案外さらっと言っちゃった方がいいんだ。
「講習を受ける事になったんで。」
「何の?」
「・・・ヒト、ジェノム? ・・・DN、A? が、どーのこーのとか言う・・・。」
まだ講習受けてないから説明できな〜い。
「何それ?」
何それって言われても、あたしもよく分かんないんだもん。分かんないから講習受けるんだもん。
「ジェノムじゃなくって、ゲノムって言うんじゃないの?」
え? そうなの?
「よく知ってますねぇ。」
「ニュースとかでもやってるよ。常識でしょ?」
ぐえっ。あたしがジョーシキないみたいな言い方してぇっ!
「ゲノムも知らないのに講習受けるの?」
そうよねぇ、そうなのよねぇ。
「いや、この前知り合った人がぁ、何にも知らないような純粋な人にぃ、分かりやすく教えられるようにしたいからぁ、協力、してくれと。」
いろいろバレないように苦労しながら言った。純粋な人なんて言ってなかったけど。
「純粋な人ぉ? 新聞読まない人の間違いじゃないの?」
むっきぃーっ。いちいちむかつく事言うなぁ! ほんっとにぃ。
「この前知り合った人って、どこで?」
んぎゃっ。
「き、・・・り・・・か、ん。」
「え? 何だって?」
「・・・・・・恐竜博物館ですっ。」
あーあ、言っちゃった。もーいーや、開き直っちゃうぜぇい。マスターの顔確認。ちらっ。・・・に、にやけてるぅ〜。
「なぁんだ、やっぱり行ったんじゃなぁい。」
「近くを通りかかっただけですっ。ついでに行ったんですっ。」
「ふう〜ぅうん。」
何が「ふう〜ぅうん」だっ。本当は違うだろって言いたいんでしょっ?
「ふうーん、ふうぅうん、ふ〜ん。」
連発しながらマスターが新聞を折り折り奥に入っていく。
ふう。もーぉ、やっ。本当にぃ、何でこーゆー勘は鋭いんだ? やになる。がぁ〜っ、止め止め。もっと楽しい事考えよ。そうだ、まひろの事っ。
クリーニングしてるまひろ、かっこ良かったなぁ。下向いた顔に黒い前髪がはらりとかかって。マスクもメガネもしてるから、顔なんてほとんど見えないはずなのに、・・・なんつーの? オーラ? 出てんだよねぇ。七色のオーラ。オーロラみたいなオーラ。「かっこええオーラ」が出てんだよね。
指先もすごくキレイだったなぁ。細い指先がホコリだらけになっちゃってるんだけど、なんかそれが逆に良いっんだよねぇ。妙にセクシーぃで。
マスクに隠れたあの唇や、あのスッとした鼻を想像するだけで、またドキドキしちゃってさぁ。化石見てなくて、まひろばっか見てたよ。
まひろがやり方を説明してくれたんだけど、また声もいいもんだから、音楽みたいな気分で聞いちゃってさぁ、頭の中に全然入らないの。話をずっと聞いてたら、まひろが前に歌ってくれた歌を思い出しちゃった。まひろの声は、あたしにとって最っ高ぉーのヒーリングミュージック。
あ、そっか、だからだな、クリーニングが下手だったのは。まひろに気を取られてたからだ。京乃さんとは違うって。だって京乃さん、ただのぶきっちょだもん。真剣にやってて、あれだけ下手なのって珍しいと思う。あれ? あたしも真剣だったっけ? まひろが発掘してきた骨に傷つけちゃいかんっつって。・・・傷つけ放題だったじゃん。あ〜あ。・・・明日、も一回謝ろ。
くふふふっ、明日博物館に行けば、またまひろに会えるんだわっ。し・あ・わ・せぇんぇ〜ん。にっくきオカケンもいないし。へっへーんだ。オカケンなんて、まひろが帰ってる事も知らないんだから。ザマーミぃーローぉっだ。
あたしが浮かれている間に、マスターが後ろに立っていたらしい。
「で? 真広君は、お弁当食べてくれたの?」
「ええ、一応・・・・・・!」
しっ、しまったぁ〜っ。