お抹茶好きな女@

 焼き立てパンのいい匂いが、電車の中に広がる。あたしは扉近くの手すりにもたれ掛かりながら、流れる景色を目で追っている。梅雨明けはまだみたいだけど、すごいいいお天気。本当に梅雨なのかな。もう夏みたい。
 それにしてもすんげーいい匂い。
 手に持ってる紙袋に目をやった。白地に赤のチェック、端っこに「パータ・ババ」と、可愛い手書き文字。パンにはチトうるさい小原満の今一番のフェイバリットパン屋さん。中を見ると、美味しそうな焼き立てのパン・ド・ミー。
 待っててね、あたしが君達をより美味しく料理するから。
 誰にも分からないように二本のパン君に目で合図。
 ああ、こんなにいい匂いを見ず知らずの人に嗅がれるなんてもったいなぁい。
 手にぶら提げてた紙袋を抱きかかえて防御。
 うぉほっ、いい匂ぉい、トリップしちゃいそうな位。皆、こーゆーのでハイになればいいのに。合法だし、健康的。ビニール袋に入れて、スハスハ吸うのぉ。あはぁ〜、気持ち良さそぉ。・・・はっ。いかんいかん、変な世界にイっちゃうとこだった。
 あたしは慌てて抱きかかえてた袋を離した。
 はっ。よだれも滴れてるしぃ、って、これはあたしが食いしん坊なだけか。
 でも本当に、お客さんに出さないで自分で全部食っちゃいたい位、パータ・ババのパンは美味しい。サンクチュアリはそんなに自慢出来る料理ないけど、このパンは自信アリ。だって、うちで作ってないから。
 あまりにも美味しいから、店終わった後、わざわざ電車に乗って買いに行ったりもする。それもこれもまひろのため。・・・と、自分のため。
 ああ、早くパータ・ババのパンをまひろに食べさせてあげたぁい。・・・でも、それは今は叶わぬ夢。まひろはまだ出張中。
 しょんぼりとサンクチュアリに帰ると、マスターが少し驚いたようにあたしを見た。
 何? あたし、どっか変? おかしいなぁ、もうトリップからは抜け出たよ。
 「満ちゃん、真広君に会った?」
 ありっ? 今度はマスターが変になっちゃったみたい。
 「何言ってんですか。まひろさんは出張中ですよ。」
 マスター肩を落とす。
 「はぁ、すれ違っちゃったか。」
 ん?
 マスターは言いにくそうに、「今さっき、真広君来てたんだよ。」と言った。
 「何言ってるんですか。そんな事ある訳無いじゃないですか。」
 まひろは今福井にいるのよ。
 「真広君、帰って来たんだって。」
 ええっ、本当ぉう? うれじい〜っ。天にも昇る気持ちぃっ。
 「でもしばらくは、博物館に泊り込むって言ってたよ。」
 地獄に落ちたぁ。
 「へ、へぇ、・・・そうなんですか。」
 あたふたがバレないようにしなきゃ。
 「忙しそうだったよ。コーヒーも飲まずに行っちゃった位だから。コーヒー位飲んでもらいたかったんだけどなぁ。ゆっくり話も聞きたかったしさ。」
 「そ、そうですね。しばらく会ってないですもんね。」
 まひろ、帰って来てたんだ。逢えなくっても、ここから歩いて15分の距離にいると思うと、ちょっとポカポカしてきた。・・・うーっ、でもやっぱりツライ。たった15分の距離なのに、逢えないなんてぇ〜。・・・会いに行っちゃおうかな。・・・会いに行く口実が見つからな〜い〜。
 「ごめんなぁ、満ちゃん。真広君が来るって知ってたら、買い出しになんか行ってもらわなかったんだけど。」
 本当よっ。
 「な、何言ってるんですか、ずっと会ってないみたいな言い方してぇ。まだ何日かですよね、まひろさんがどっかに・・・出張に行ってるんでしたっけ。」
 28日間と15時間、まひろが恐竜の化石掘りに行ってから。
 「まぁたぁ、無理してるんじゃないのぉ? 本当は逢いたかったんじゃないのぉ? だってさ、満ちゃん、真広君が来そうな時間になるといつもソワソワしてるよ。」
 え? 本当?
 「ま、まっさかぁ。マスターはこの間から勘違いしてるみたいですけど、あたし、まひろさんの事、お客さんとしか見てないですよ。」
 うっ、胸が痛む。
 「ふぅうん。そうなんだ。僕にはそんなふうに見えないけどなぁ。」
 マスターが顎鬚を触りながら言った。
 ったく、このオヤジはぁっ、変なとこばっかり気付いてぇっ。
 「あ、そうだ。真広君にお弁当でも作って持って行けば? きっとろくな物食べてないだろうから。ちょうど明日、満ちゃん休みだろ?」
 キラリンッ。
 マスター偉いっ。そうか、その手があったか。全然気が付かなかった。マスター意外と頭いーねー。
 「な、何であたしが、まひろさんにお弁当を作んなきゃいけないんですか。・・・出前に来てくれって言うんだったら行きますけど。」
 マスター、ニマリっ。
 「思ってるかもよぉ、満ちゃんに来て欲しいって。」
 そ、そうかなぁ、むふふ。あ、ほっぺがゆるゆるになるぅ〜。隠すのツライ〜。
 「・・・思ってませんよ。」
 ニヤけないように口の中を噛んでから言った。

 大きなウィンドーの喫茶店で暇つぶし。コーヒーを口に含む。
 美味し。あたしが煎れるコーヒーには負けるけど。
 テーブルの上には、赤いチェックのバンダナに包まれたお弁当。
 んふふふふ。
 体中にみなぎる達成感。
 やったー。あたしはやったのよ。とうとうやったんだわ。題して「オカケンには内緒できっと美味しい物を食べてないまひろにお弁当を届けよう大作戦!」
 オカケンなんかに知られたらたぁいへん。オカケンには内緒の極秘プロジェクトでっす。まひろにお弁当作る事も、まひろが帰って来た事も、オカケンにはナ・イ・ショ。だってあたしが最初にまひろに会うんだもん。会って、お帰りなさいって言うの、一番最初に。
 いいんだもぉん。正々堂々じゃなくってもいいんだもぉん。オカケンに「まひろ帰って来たよ」なぁんて正直に言ったら、あたしの真似して「僕も何か差し入れしようかなぁ」って絶対に言うもん。せっかく久しぶりにまひろに会いに行くのに、お邪魔虫が付いて来られたら、たーいへん。それに、それに、オカケンが何か作ったら、あたしのお弁当が負けちゃうじゃん。も、もちろん、自信はある、あたしのお弁当。まひろだって美味しいって言ってくれるに違いない。オカケンが夜出かけてから、ずーっと朝まで作ってたんだもん。頑張ったんだもん。マズい訳ないじゃん。
 徹夜しちゃった。何年ぶり? 徹夜なんて。ふわぁあぁ、眠っ。お弁当作りに徹夜するなんて・・・あたしの愛って深いわぁ。
 でも、せっかく久し振りに会うのに、まひろに寝不足の顔見られたくないなぁ。クマ出来てないかな。キョロキョロ。ここの喫茶店で寝ちゃおうか。・・・・・・そうしよ。おやすみなふわぁい。
 「なぁんだ、やっぱりお弁当持って行くんじゃん。」
 眠りを妨げるダミ声。顔を上げるとマスター。
 やば。やっぱ、サンクチュアリで暇つぶしはまずかったかな。
 「ち、違いますよ。たまには、ちゃんとお客さんとして来ようと思って。」
 「本当? じゃ、その赤いバンダナには何が包まれてるのぉ?」
 いっ。
 「何で眠そうにしてんのぉ? 早起きしてお弁当作ったんじゃないのぉ?」
 ぎっ。
 「お昼になるまで待ちきれなくて家出てきたのはいいけど、時間つぶすとこなくて仕方ないからうちに来たんじゃないのぉ?」
 ちぎっ。
 「ちっ、違いますよっ。」
 うえーん、否定するだけで精いっぱいだよぉ。だってぇ、マスターの言ってる事、半分以上当たってるんだもん。
 マスターが急に笑顔になる。
 「ごめん、ごめん、冗談だよ。」
 なーんだ、冗談だったのか。ほっ。もうっ、慌てさせないでよ。
 「じゃ、真広君によろしく伝えておいてね。」
 冗談だと思ってないじゃんっ!


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