意地悪なハニージンジャー

 どよーん。どよどよどよーん。あたしの頭の上、分厚い雲が乗っかってる。あたしのとこだけ、どしゃぶりの雨。ザーザーザーザー。
 今日マスターに言われた。
 「ただでさえ梅雨でジメジメしてるのに、そんなにどんよりするなよぉ、うちは客商売なんだからぁ。満ちゃんは、『お客さんなんて、ちょっとしかいないじゃん』って思うかもしれないけど。」って。
 思わなかった。思えなかった。思う気力も無かった。昔のあたしだったら思ってただろうなぁ。そんなに昔の事でもないか。でも、すっごい昔の事に思える。あの楽しかった日々。遠い、物凄く遠い日の出来事。
 元気になんかなれない。だって、まひろとしばらく逢えない。辛い。淋しい。悲しい。空しい。苦しい。まひろ、出張行っちゃった。恐竜の化石堀りに、どっかへ。どこだったか忘れちゃった。だってどこへ行ったって同じ事。会えないのは変わらない。
 まひろ、恐竜の化石が見つかったって嬉しそうに出掛けて行った。まさか本当に見つかっちゃうなんてな。日本にも恐竜っていたんだ。知らなかった。
 まひろのもう一個の夢こんなに早く叶うとは思わなかったな。叶うって事は、しばらくの間離れ離れになるって事も気が付かなかった。こんなんだったら見つからない方が良かった。
 なんて、まひろの夢だもん、応援してあげたい。あたし一人のわがままで行かせないなんて事出来ない。そんな事出来る立場でもないし。
 もし、あたしが行かないでって言ったら止めてくれたかな。・・・まひろ優しいからな。
 でも、「行かないで」なんて言わなかった。ちゃんと笑顔でいってらっしゃいした。頑張った。
 まひろ、いつ帰って来るか分かんない。まひろが帰って来るまで一人ぼっち・・・・・・・・・あ。ぬわぁああーっ。あたし、一人ぼっちなんかじゃないじゃん。忘れてたよ、あたしの他に同居人がいた事を。ぎゃー、なんてこった。こりゃ、一人ぼっちの方が良かったよ。何、何、じゃ、あたしはまひろが帰って来るまで、オカケンと二人っきりで(ティーレもいるけど)過ごさなきゃいけないのっ? やだよぉ〜、まひろ以外の男の人と二人っきりになるなんてぇ。嫁入り前の娘が好きでもない男の人と一つ屋根の下暮らすだなんて、キケン、危険過ぎるわっ。・・・・・・あ、そうだった。なぁんだ、そうだった。心配する事無かった。オカケン、オカマだった。オカケンが興味あるのはまひろだけだった。ほっ。
 安心したとこで、あたしのケイタイが鳴る。
 もしかして、ま・ひ・ろっ?
 飛び付く。
 「もしもしぃ?」
 1オクターブ高い声を出した。
 「何、随分と元気ね。」
 「なぁんだ。お母さんか。」
 がっくし。2オクターブ下がった。
 「なんだはないでしょ。たまにはあんたの方から、電話よこしなさいよ。」
 「・・・だって別に話す事もないし・・・。」
 「話す事作りなさいよ。まだ就職してないの? 早くちゃんとしたとこに就職しなさいよ、バイトじゃなくって。」
 ほら、また小言が始まった。だから電話したくないの。
 「ちょっと、聞いてるの。」
 「聞いてるよ。」
 「あのねぇ、就職する気がないんなら、こっち帰って来なさい。」
 「ええーっ。」
 「ええーじゃないわよ。こっちでさっさと結婚しちゃえばいいのよ。お見合いの話も来てるのよ。」
 「ええーっ。いいよ、お見合いなんて。」
 「会うだけ会ってみればいいじゃない。気に入るかもよ? あんただっていつまでも若くないんだからね。ボヤボヤしてるとすぐに嫁の貰い手が無くなるわよ。そうでなくったって器量が良い訳じゃないし、働き者でもないんだから。今なら若いっていう取り柄があるけど、あんた、25過ぎたらそれも通用しなくなるわよ。」
 もうっ。本当にうるさいなぁ。結婚なんて、まだまだする気はありませんっ。まひろだったら話は別だけど。
 「聞いてるのっ? 一度帰って来なさい。」
 「やだ。帰らない。」
 「何言ってるの。そっちにいたって、ただバイトしてフラフラしてるだけでしょ。大体お母さんは反対だったのよ。東京へ行くのだって、お父さんが社会勉強になるって言うから出してあげたのに、卒業しても帰って来ないで。きちんとしたとこに就職もしないで。何のために短大に行かせてやったのか分からないじゃない。そっちいたって何もしてないんでしょ? どうせ付き合ってる人とかもいないでしょ?」
 「いるもん」心の中で呟いた。
 でも心の中でだけ。だってそんな事言ったら、会わせなさいとか言うに決まってる。会わせられないよ。だってまひろは、きっとあたしを妹位にしか思ってない。それに「好きな人と暮らしてるけど、その人の彼氏とも暮らしてます」なぁんて言ったら、お母さん、ぶっ倒れちゃうでしょ。
 「ちょっと、聞いてるの?」
 「はいはい。話はそれだけ? 切るよ。」
 「ちょ、ちょっと待ち・・・」
 ぶちっ。
 切った。また。
 いつもこんな。じゃあねとか、ばいばいとか、おやすみとか言ってから切った事ない。なんかやだな、こんなの。・・・お母さんのせいだ。・・・そりゃ、あたしだって悪いなって思う事もあるけど。寂しい想いさせちゃってるかなって思うけど。
 だって、まだこっちにいたいんだもん。まひろと一緒に暮らしてたいんだもん。それだけの理由じゃ駄目かな。やりたい事とか見付けないのは駄目かな。
 「帰ればいいじゃない。」
 いや、そういう訳には・・・・・・・・・!
 「何っ。聞いてたのっ。」
 「聞こえて来たんだよ。」
 振り向くと、寝室から出てきたオカケンがつっ立っていた。
 「ふわぁああ。マヒロがいないと御飯作る気無くなるね。今日の夕飯は簡単でいい? ったく、マヒロがいなくなった途端、僕に御飯作らせるんだから。マヒロに言い付けるよ。」
 「・・・盗み聞きしてた。」
 「違うよ、聞こえて来たんだよ。というより、あんたの声で起こされたのっ。もう少し寝れたのにさっ。」
 ずるい。オカケン、逆ギレ。
 「『帰ればいい』だなんて言ってさ、まひろ一人占めしたいからって。」
 くやし。オカケンはきっと親の事なんて考えなくていいんだ。ムカツク。
 「確かにそれもあるけど、あんたみたいにペット体質な人は、さっさと結婚でもしちゃった方が周りもあんた自身も幸せだって事。」
 「何よ、その・・・『ペット体質』って。」
 「自分一人じゃ生きられない、誰かに頼ったり、すがったり、甘えたりしないと生きられない体質だって事。」
 ひどい。
 「何言ってんのよ、そんな事無いよ。」
 ムカツク。ムカツク。
 「そんな事あるよ。マヒロの一挙一動に浮かれたり、落ち込んだりしちゃってさ。みっともない。自分ってもんが無いんだよ。」
 言い返せない。言い返せないけど、何で赤の他人にこんな事言われなきゃいけないの。
 「オカケンにそんな事言われる筋合い無いよ。何よ、あたしの事ばっか言って、自分はどうなのよっ。」
 あたしの声はどんどん大きくなるのに、オカケンはすごく冷静。
 「僕はいつでも自分一人に帰れる。マヒロがあんたに振り回されないように見てるだけ。」
 なんか悔しい。涙が出そうになる。
 「何よ、自分ばっか、まひろの事よく知ってるみたいな言い方してさ。」
 「だって本当に知ってるんだもの。ミチルみたいに思い込みだけで突っ走るような事はしないの。」
 もぉやだ。
 「あんたがね、ティーレを可愛がれないのもそのせいだよ。自分がペットだから。ペットがペット育てられる訳無いでしょ。」
 何でそんなひどい事ばっか言うの。
 「何よ、オカマのくせにぃっ。」
 ただ一つ言える悪口をブン投げて家を飛び出した。
 外は雨。細かい水の粒々が少しずつあたしを濡らしていく。
 この際だ、思いっきり泣いちゃおう。誰も見てないし、見たって雨と区別が付かない。
 シャラシャラ降る雨の中を走った。重い雲が夕陽を隠してる。あたし自身も隠してくれればいいのに。
 オカケンに言われた事が頭の中をぐるぐる回ってる。悔しい。けど、当たってるのかもしれない。だって何も言い返せなかった。
 そうか、そうだったんだ。あたしってペットだったんだ。だからきっとまひろも拾ってくれたんだね。まひろ、優しいから。まひろにいて欲しかったな。まひろだったら何て言うかな。かばってくれたかな。
 気が付くと公園に来ていた。まひろと一緒に朝食を食べた公園。まひろにしろつめ草の冠作ってあげた公園。色んな事話した。まひろの夢の話とか。
 まひろの夢--。まひろは夢を持ってる。そして叶えようとしてる。あたしの夢って何だろう。ずっとまひろと暮らす事? ずっとまひろの笑顔を見てる事? ・・・・・・まひろがいないと出来ないじゃない。・・・・・・そっか、やっぱりオカケンの言う通りだ。

 へっぶしょい。
 風邪を引いてしまった。当たり前なのだ、雨の降る中、何時間も公園でボーッとしていれば。
 はっぶしょん。
 くしゃみと鼻水が止まらーん。
 「マスターには僕から電話しといてあげるよ。」
 やけに嬉しそうなオカケンが寝室の扉を開けて言った。
 オカケンと顔合わせないように、昨日の夜、寒いのガマンしてゆっくり帰って来たのにぃ。風邪引いて寝込んじゃったら、しょうがないじゃん。朝、オカケン帰って来る前にバイト行っちゃえば、オカケンの顔見なくて済むと思ってたのにぃなぁ。
 ぐじゅぐじゅ。
 これじゃあ、一日中ずっと一緒にいないといけないじゃない。あんな事言われた後なのに。
 はぁ。
 ため息も出るわな。
 じゅびじゅば。
 鼻水も出るわな。
 はっ。オカケンこれから寝るのかな。もしかしてこのベッドで寝るの? やだぁ、やだぁ。・・・・・・どうでもいいや。何かもう、どうでもいい。あれ、熱あんのかな。どうでもいいって事ないよな。・・・・・・熱、計ろうかなぁ・・・・・・めんどい。
 「マスター心配してたよ。『いつも風邪なんか引かないで元気なのに』って。だから『いいじゃないですか。馬鹿じゃないって事が証明されてミチルもきっと喜んでますよ』って言ってあげた。」
 まだ嬉しそうなオカケンが寝室に入って来てそう言った。
 何で嬉しそうなの? そんなにあたしが病気になったのが楽しいの? 昨日言い過ぎたとか思わないの?
 はれっ? 今マスターに電話したって言わなかった? 何で? マスターが、何て思う、か・・・。駄目だ、考えられない。言い返せない・・・頭、痛い。
 「何よ。元気無いじゃない。張り合いが無〜い。」
 当たり前、病人だもん・・・じゅびじゅび。
 「オカケン、これから寝るの?」
 かすれた鼻声で聞いてみる。
 「寝るよ。当たり前じゃない。もうヘトヘト。」
 「・・・ここで、寝るの?」
 オカケンがキッと睨む。
 「寝る訳無いでしょ。」
 良かった。気ぃ使ってくれるんだ。
 「風邪移されちゃ、堪らないもの。」
 ・・・・・・。あたしが女の子だからとかじゃないんだ。
 「まさか、淋しいから一緒に寝て欲しい、なんて言うつもりじゃないでしょうね。」
 そんな事、思ってない。・・・・・・声が、出ない。
 「あ〜、空気悪ぅ。こんなとこに居たら本当に風邪が移っちゃう。じゃね、淋しん坊さん。」
 オカケンが寝室から出て行った。
 気が付いたら寝ていた。目が覚めたのは、どこからか良い匂いがしてきたから。
 あたし、どれ位寝てたんだろう。
 時計を見る。
 あ、もうお昼か。お腹空いたな。
 オカケンが入ってくる。
 「何だ、起きたの。鼻が利く娘ねぇ。」
 手に小振りの土鍋を持っている。良い匂いはこれだったんだ。
 「さ、これでも食べて精力付けな。昨日の夜から何も食べてないんでしょ?」
 そうだった。帰ってきて、お風呂入って、そのままベッドに倒れ込んじゃったんだった。
 「うん。お腹空いちゃった。」
 素直に言ってみる。
 土鍋を開けると、梅干しの入ったおじや。レンゲですくって一口食べる。白くて優しいつぶつぶが体の中を通っていく。・・・あったかい。
 「美味し。」
 オカケンが腕組みしてた手をほどく。
 「あら、今日は素直じゃない。ほれっ、これも飲みな。」
 オカケンがトレイの上のマグカップを指差した。
 何だろ? ・・・黄色い。
 ずずずっ。
 あ、ハニージンジャーだ。効きそ。
 もしかしてオカケン、これ作るためにわざわざ起きてくれたのかなぁ。いつもお昼は爆睡してるはずなのに。
 「なんか、体が弱ってるせいか、オカケンが神サマみたいに思えるよ。」
 オカケン腕組み。
 「いつもそう思ってよ。」
 「思えないよ。」
 すぐに答えた。
 「憎まれ口叩ける元気が出て来たなら、もう大丈夫ね。じゃ、僕はまた寝るから、空いた食器、邪魔にならないとこに置いといて。」
 あたしはコクンとうなずいた。
 部屋を出て行こうとするオカケンに、勇気を出しておそるおそる聞いてみる。
 「ねぇ、オカケン、昨日あんなひどい事言ったのに、何で今日はこんなに優しいの。」
 少しは悪いと思ってるのかな。
 オカケンが振り向いた。
 「悪いけど、昨日言った事は撤回しないよ。ま、でも、自分がペットだって事分かってて、わざと甘えたふうに行動する奴よりは許せるって事かな。」
 少しだけ開いてた扉からティーレが入ってくる。オカケンが慌てて抱き上げる。
 「あら、駄目じゃないティーレ、おばちゃんの風邪が移るよ。あっち行ってましょ。」
 お、おばちゃんっ?
 「あ、それと言っとくけどね、僕はオカマじゃないからね。」
 オカケンが部屋から出て行った。
 何言ってるんだ。オカマじゃなかったら何だっていうんだ。ゲイとか、ホモセクシャルとか、もっとカッコイイ言い方をしろっていう事か? 何言ってんだ、オカマはオカマだ。むー。
 ま、いっか。おじや作ってくれたし、今日は許してあげよう。
 あたしはおじやを一粒の残さず食べた。悔しいから声に出さずに、ありがとって言いながら。

 「風邪、大丈夫?」
 次の日、店に行くとマスターが声を掛けてくれた。
 うるうるっ。マスター優しいじゃない。いつも嫌な事ばっかり言うのにぃ。やっぱりあたしが病み上がりだから? 病気すると周りの人が優しくなるよなぁ、オカケンもそうだったけど。あたし、あんまり病気しないから病気のありがたさがよく分かるんだ。
 「無理して店に来なくてもいいよ・・・。」
 ああ、マスターが天使に見えてくるぅ。でも、家にいる訳にはいかないの。オカケンと過ごすのなんて一日で十分。風邪もすっかり治っちゃったしぃ。
 「・・・お客さんに風邪移したら大変だしさ。もちろん俺にも。」
 なしっ。マスターが天使に見えたって言った事なしっ! 取り消しっ!
 あ〜あ、あたしの周りって、何でこんな奴ばっかりなんだろ。まひろは優しいけど。ふぅ、まひろに会いたい。
 「おっ、なんだよ。やり返して来ないの?」
 マスター、フットワークも軽くファイティングポーズ。
 「はぁ。」
 大きくため息。
 「あたし大人ですから。」
 マスターみたいに子供じゃないの。
 「大人だったら自分で電話位して来いよぉ。保護者のオカケン君が掛けて来たぞ。」
 がっ。そうだった、忘れてた、オカケンが電話したんだった。
 「・・・オカケン、何て言ってました?」
 恐る恐る聞いてみる。
 「ん? 満ちゃんが風邪みたいだから、って。」
 そうじゃなくってぇ。
 「満ちゃんも酷いな。オカケン君の家には電話掛けられて、店には掛けられないなんてぇ。・・・あ、そうか、分かったぞ。」
 ぎくぅっ。
 「オカケン君って真広君と一緒に住んでるんだよね? 本当は真広君に心配してもらおうと思って電話したんだろ? そーだろー。忘れてたのかい? 真広君は出張中じゃないか。」
 マスター、あたし以上に勘違いしる・・・。ま、いっか、あたしに都合いいような勘違いだから。それにしてもマスター、完璧にあたしがまひろの事好きだと思ってる。・・・好きなんだけど。
 「たまたまオカケンが電話してきたんですっ。そんで、勝手にここに電話を・・・。本当だったら自分で出来ますよ、電話する位。」
 おっ、こっちの方が良い言い訳じゃないか。
 マスターが意外そうな顔をして言う。
 「へぇ、そうなんだ。俺はてっきり満ちゃんがオカケン君に命令して掛けさせたのかと思ってた。オカケン君、優しいじゃないか、代わりに電話してくれるなんて。」
 え〜っ。
 「優しくないですよ。いつもあたしにひどい事ばっか言うし。」
 風邪ひいたのだって、元はといえばオカケンのせいなんだから。
 「ふうん。じゃ、看病もされず一人で寝てたんだ。」
 そ、それは・・・・・・
 「・・・はい。」
 オカケンを裏切ってるみたいで、良心が、ちと、痛む。
 「オカケン君てさぁ・・・」
 ん?
 「満ちゃんの事が好きなんじゃない?」
 はあ?
 「・・・んな訳ないですよーっ。」
 もうっ、話をすぐ面白い方へ持っていこうとすんだからぁ。嫌になっちゃう。
 「マスター?」
 「え? 何?」
 「オカケン、オカマなんですよ。」
 マスター、サーッっと後ずさり。5m位。


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