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世界のどこかの街角の片隅で

 作戦決行は午前四時。まだ夜は明けぬ。主人公達の時間。暗闇の街。聞こえるのは主人公達の足音とビルの空調の音だけ。生まれつき黒い肌の彼らには夜の闇は保護色。
「段々怖くなってきた」
 黒いささくれ立った手を震わせながら食いしん坊が言った。
「ここで行かなきゃ男じゃないぞ。食っちゃうぞ」
 ハカセの言葉に食いしん坊がぶるぶると首を振った。でも足がすくんで動けない。
「タワーの上には食べ物があるんだ。食いしん坊、行こう」
 この話の主人公がそう言って食いしん坊を元気づけた。
「食べ物?! 僕、行く」
 食いしん坊の瞳がギラギラ輝いた。あっという間に勇敢な戦士の顔になる。
「よし、行こう!」
 主人公の掛け声で全員が走り出した。もう周りは目に入らない。目に入るのは目前のタワーだけ。斜面になってる外壁をいっきに駆け上る――。


 数時間前、主人公達はタワーの目の前に立っていた。タワーと呼ばれるその建造物は四本の長い円筒に支えられている。あまりにも高いので、円筒の上はどうなっているか見えない。
「あの上に、あるのか?」
「そういわれれば、なんか美味しそうな匂いがするような、しないような」
「今すぐに行こうメス〜。もしかしたら可愛い子ちゃんもいるかもしれないメス〜」
 ジゴロの目がきらきらきららんと輝く。
「明るいな」
「そりゃ、明るくもなるメス。目の前に食べ物があるメス」
「違う」
「へ?」
「明るすぎる。あそこだったらすぐ奴らに見つかっちまう。奴らの陣地だしな」
 ハカセの言葉は主人公達を一瞬で現実に引き戻した。無力な主人公達は目前にそびえるタワーをただ見つめるだけ。
「構わんやん? 行ってまおう」
 頽廃をこよなく愛するポエムが投げやりに言った。
「死ぬよ? すぐに奴らに見つかっちゃうよ」
 主人公の言葉に全員が言葉をつぐむ。まだ見た事ない、噂だけでしか知らない奴ら。不安はどんどん膨らんでいく。希望はどんどん萎んでいく。
「……作戦を立てよう。ノープランで突撃するなんて犬死にするようなものだ」
 ハカセが提案した。
「僕たち犬じゃないよ?」
「分かってるよ、食いしん坊」
「暗くなったら行こう」「当たり前」「人気が無くなったら行くって言うのは?」「どうやったら分かるんだ?」「メス〜」「お腹空いた〜」「真面目に考えろよ」「どっちにしろ死ぬんや」「縁起でも無い事言うなっ」
 考えても考えても名案は浮かばない。考える事を避けてきた主人公達の脳みそはどうやら退化してしまったらしい。
「いざとなりゃぁ……飛べばいいんじゃない?」
 主人公が最後の妙案を出した。
「飛ぶぅ?!」
 主人公の迷案に皆が目を丸くして口を尖らせた。
「そうだよ。飛ぼうよ」
「飛ぼうよってお前簡単に言うけど、飛んだ事あんのかよ」
「……ない、けど……」
 重苦しい空気が街を包み込んだ。大丈夫。こんな事慣れっこじゃない? いつもの事さ。いつだって、どんな世の中だって、今まで運良く渡って来た。今度もきっと大丈夫。
「ポエム! 最後の詩を!」
 ハカセが叫ぶ。
 ――ハエのようにいつか飛べたら 僕たちの未来も変わってくるかも
とりあえず行こう! 黒く痩せ細った足をバタつかそう!
決意の詩が死にならないように――
「なんかツッコミどころ満載なんだけどさー」
「落ち着いて、落ち着いて。慌てないで。一つ一つ整理していこう」
 青筋をぴくつかせてイラついているハカセを主人公がなだめた。
「まず何で蝿チョイスなんだよ。もっとあんだろ、他に。蝶とか、鳥とかさ」
「いやー、クソ溜め野郎って点が俺たちも一緒やなーと思ってん」
 いつも通りに飄々とポエムが答えた。
「それに『とりあえず』ってなんだーっ。もっとヤル気の出るような詩を書けー! 詩と死をかけたんかー! ダジャレかー! 『ダジャレ言ってるのは誰じゃー』かー!」
「うるさいメス〜。ハカセじゃなくってツッコミにするメス〜」
「おまえだって、ジゴロじゃなくってエロにするぞ。それともエロエロがいいかー。それともエロエロエロかー。それとも」
 主人公がジゴロとハカセの間に割ってはいる。
「まあいいじゃん、ハエでも何でも。僕たち飛ぶんだよ。飛べるんだよ」
「何やそれ? 自己催眠かけてるん?」
 呆れ顔のデカダン・ポエム。
「俺やっぱハエやだ」
 ハカセは泣き顔。
「ねーねー、クソダメって?」
 キョトン顔の食いしん坊。
「食いモンじゃねーぞ」
 そしてハカセは怒り顔にチェンジ。
「なーんだ。食べ物じゃないんだ」
 がっかり顔の食いしん坊。
 ――突然、目の前がパーっと開けた。
「つ、着いた?」
「何だ、思っ、た、より、簡単、だった、メス〜」
「息切れしながら、言うな。それに、息切れ、してる位、なのに、メス〜、なんて、言うな」
「ふふふ。ハカセだって息切れしてるよ」
 わくわくを抑え切れない主人公が笑いながら言った。
「それより食い物や。食い物はどこや?」
「くんくん。こっち! こっちにあるよ」
 食いしん坊の嗅覚を頼りに主人公達は暗がりを進んだ。四本の円筒に支えられていたのは、だだっ広い屋上だった。
「何で奴ら、こんな建物造ったんだろ?」
「さあな、奴らの考えてる事は分かんねぇよ」
「奴らの神様に関係するんやないの?」
「食べ物の匂いは微かにするけど、可愛い子ちゃんの香りはしないメス〜」
 ジゴロががっくりと肩を落とした。
 主人公の鼻にも段々といい匂いが入り込んできた。皆の足が自然と早歩きになる。
「うぉー、たまらんっ。食いモンはすぐそこだっ」
 目の前がパァと明るくなった。目の前に希望が転がってる。主人公は少し先の未来の自分を想像した。口の中一杯に食べ物を頬張ってる自分。楽しそうな仲間たち――
「奴だっ」
 ハカセの声で我に返った。明るくなったのは、照明が点灯されたせいだった。ゆっくりと空を見上げる。そこには巨大な奴の姿があった。初めて見る奴の姿。心臓が凍る。身動きできない。奴に見つめられて息する事すら出来ない。思考回路も止まってしまったようだ。次の行動に移れない。奴の大きな目がギョロリと動いた。殺される。
「逃げろーっ」
 力の限り叫んだ。枷が外れる。足が動き出す。仲間も同じようだった。皆がちりぢりばらばら逃げ出した。後はもう無我夢中だった。誰かにぶつかった気がした。後ろは振り向けなかった。奴の姿も確認出来なかった。仲間の無事も確かめられなかった。気付いたらタワーから駆け下りていた。タワーの陰に身を潜めて、奴から姿を隠すと、最初に襲ってきたのは自己嫌悪だった。仲間を置いて自分だけ逃げてきてしまった。主人公はドキドキしている自分の心臓さえも疎ましく思った。
「皆は……皆はどこ?」
 声に出して言う。少しは良心が癒されたような気がした。
「おーい、先に逃げるなんて卑怯だぞ」
 円筒からするすると下りながら誰かが言った。ハカセだった。
「ハカセ!」
「俺にぶつかりよったな」
 ハカセの後ろからポエムも姿を現した。
「ポエム!」
 主人公はハカセとポエムに抱きついた。
「やみろっ」
「きしょ悪い」
「良かった。……あれ? 食いしん坊とジゴロは?」
 ポエムが黙ってタワーを見上げた。主人公も見つめる。静寂なタワーの屋上――。
「食いしん坊……ジゴロ……。ぼく、ぼく、何にもしてあげられなかった!」
 パッコーンと激しいハカセの突っ込み。
「まだ死んでないっ! 上に取り残されただけだ」
 主人公は安堵の溜息を吐きながらも、不安な眼差しをタワーの上に向けた。
「あっ。あれっ! あれ見て!」
 主人公が指差した先、タワーの屋上の端っこに体半分はみ出したジゴロと食いしん坊が微かに見える。
「食いしん坊! ジゴロ!」
 皆の声は届くようだ。ジゴロと食いしん坊が戸惑いの表情をこちらに向けた。
「飛べ! 飛ぶんだ!」
 主人公が思わず叫ぶ。
「ったくお前は! また無責任な事言って!」
 ハカセが声を荒げる。ポエムが口を挟む。
「さっきこいつが『逃げろ』って言わへんかったら、俺達皆死んどったわ」
 言葉を失うハカセ。視線が辺りをさまよう。
「だからって……。飛べなんて……」
「かまわへん。それしか手立ては無いんや。飛べーっ」
 ポエムも叫んだ。奴の黒い大きな影が食いしん坊とジゴロに覆い被さる。
「飛べーっ」
 三つの声はひとつのユニゾンになった。
「飛べーっ」
 ジゴロが食いしん坊の体を勢いよく引っ張った。ジゴロと食いしん坊の足がタワーの屋上から離れる。宙に浮くジゴロと食いしん坊の体。落ちる。その時、背中から羽が現れた。
 ――ハエのようにいつか飛べたら 僕たちの未来も変わってくるかも――
「と、飛んだ!」
「見て! 飛んでるよ!」
「本当に飛べるんや、俺達」
 主人公達の口から感嘆の声が漏れた。
 初めて飛んだジゴロと食いしん坊の飛び方は無様だった。ジタバタした足。引き攣った顔。バランスの崩れた体。それでも主人公達には神々しく見えた。
 ――とりあえず行こう! 黒く痩せ細った足をバタつかそう!――
 ぐしゃり。
 鈍い音を立てて食いしん坊とジゴロが地面に激突した。主人公は思わず目を伏せた。
 ――決意の詩が死にならないように――
 主人公は目をつぶったまま祈った。初めて祈った。恨んでばかりいた神に、存在を否定していた神に、心の底から祈った。
「……痛っえ〜っ」
 食いしん坊の大きな声が聞こえた。
「生きてるっ」
 食いしん坊の元に走り出そうとする主人公をハカセが慌てて止める。
「待て。奴がすぐ側にいるぞ」
 主人公は恐る恐る上を見上げた。奴の手に大きな打撃用の武器が持たれている。主人公は恐ろしさで身動きできなくなった。動けないくせに目は奴に釘付けになった。巨大で強靭で残虐なはずの奴の目が何故か怯えているように感じた。奴の武器を持った手が大きく振りかぶる。
「危なーいっ!」
 一斉に叫んだ。食いしん坊に狙いが定まる。ジゴロは落ちたまま、動かない。食いしん坊は恐怖で固まっている。
「食いしん坊ーっ」
 武器が猛スピードで振り落とされる。
「チョウェ〜イ〜」
 奇声と共に食いしん坊の体が吹き飛ばされた。武器は食いしん坊の体のすぐ横を強打する。再び奴の手がゆっくりと上がる。主人公の隣から黒い影が二つ飛び出す。ハカセとポエムだ。食いしん坊とジゴロを救出に向かう。主人公はあたふたしているだけの自分を忌々しく思った。超急猛スピードでハカセとポエムが帰ってくる。痛んだジゴロと食いしん坊を引きずって。五つの影は陰に潜んだ。
「こいつ、食いしん坊を助けやがった」
 ハカセがジゴロを見下ろしながら言った。ジゴロの体が半分潰れていた。
「そっか。食いしん坊が飛ばされたように見えたのはジゴロが……」
「ジゴロ、何でだよー」
 足を引きずりながら食いしん坊が叫ぶ。ジゴロはニヤリと笑った。
「ジゴロ……」
 皆がジゴロを取り囲んだ。ジゴロの体から色んなモノが出ている。
「理想郷に…可愛い子ちゃんがいたら…ジゴロっていうグッドルッキングメ〜ンがいたって……伝えてくれメス」
 それがジゴロの最後の言葉になった。
「ジゴロの癖に男助けてんじゃねー」
 暗い街にハカセのツッコミが空しく反響した。湿った街。汚れた街。音の無い街。ブルースの街。ひもじさは日常。生と死は隣り合わせ。生きていく為には無理やり笑顔を作らなきゃやってられない。主人公の頭の中に前日の出来事が流れ出した。
「メス〜メス〜。どこかに可愛いメスはいないか〜。ええい、この際可愛くなくたっていいっ。メス〜っ」
「ジゴロうるさいよー」
 主人公がジゴロを小突いた。
「まあ、しょうがない。食欲が満たされないと性欲で満たそうとするらしいから
な。腹が減ってるから、女を求めるんだろう」
「さっすがー、ハカセ」
 主人公がおどけてパチパチと拍手する。
「誰がハカセだっ。変なあだ名つけるなっ」
「何? 食べ物の話?」
「食いしん坊、本当にお前は食べ物の事ばっかり。でも食いしん坊の言うとおり
。お腹空いたなー」
「そんな事言うな。余計に腹減るだろっ」
 ハカセが主人公を小突く。タイミング良く食いしん坊の腹の音が闇の街に響いた。
「もう何日食べてないかなー。水だけだよー。昨日、一昨日……おとといの前は何て言うの? ハカセ」
 指折り数えながら主人公が聞いた。
「一昨昨日」
「さきおととい……あ〜っ、分かんないっ。もう曜日の感覚も分かんなくなってきた〜っ。お腹空いて考えられない〜」
「だから、食いモンの話はするなって言ってるだろ」
 ハカセが主人公をチョップ。主人公が負けじとハカセに四の字固めをかける。でも足が短くて決まらず。
「働けど働けど我が暮らし楽にならず。じっと足を見る」
「おっ。ポエム、いい詩じゃん! よく分かんないけど」
 コブラツイストもかけそこなった主人公がハカセを離しながら言った。
「盗作じゃんか! それに足を見るって何だよ。手だろ。それにポエム働いてないし」
 自由になったハカセが今度はポエムにチョークスリーパー。
「足でいーやん? だって……むがが」
 ポエムはハカセに押さえつけられて、体ばかりか口の自由もきかなくなる。
「ハカセだって働いてないじゃん。嗚呼! メス〜欲しいっ。メス〜」
 と言いながらジゴロがハカセにくすぐり攻撃。
「だから…ひゃはは……ハカセって呼ぶなっつーの…ふひゃひゃ。それに、メスメスうるさいっ…ぎゃっはー、やめろっ……メス〜が口癖になっちまうぞ……って、くすぐるなーっ!」
 ハカセがポエムを離し、逃げるジゴロにボディアタック。ジゴロ、ご臨終。大爆笑の後、再び訪れる静寂。ふとした気の緩みでやってくる寂しい時間。
「あ〜あ。どうやったらお腹一杯食べられるんだろう」
 主人公が石を蹴る。食いしん坊でなくたって、これだけ食べなきゃ腹は減る。
「さぁな、奴らと同じ人種に生まれてこなかった事を悔やむんだな」
 ハカセが首をすくめた。食いしん坊が建物の陰から明るい外を覗き込む。
「おい、危ないぞ。見つかったらどうする」
 ハカセが食いしん坊を引き寄せた。主人公達は暗がりから漏れ明かりを見た。苦々しく見た。力無く見た。主人公がハカセに無垢な質問。
「ねぇ、何であの人達は僕たちをやっつけようとするの?」
「さあな、肌の色が違うからじゃないか?」
「たったそれだけの事で?」
「俺にだって分かんねーよ。分かってたら今頃腹いっぱい食ってるさ」
「ハカセにも分かんない事があるのか。嗚呼、メス〜」
「ねぇ、もしかして奴らは僕たちが食べ物を奪うから攻撃してくるんじゃないの?」
「じゃあどうしろっていうんだよ。奴らは捨てる程一杯食べてんだよ。俺らがちょっくら頂いたって大した違いじゃないさ」
「じゃあ何であの人達は僕たちを攻撃するの? どうして食べ物を分けてくれないの?」
 重い空気が漂う。曇天の空。朝でも夜でも雨でも晴れでも。年中無休の黒天井。そりゃ、気持ちまで暗くなるって。
 だのに。突然、主人公の顔がぱぁっと明るくなる。
「そうだ。僕たち働けばいいんじゃないの?」
「どうやって? どうやって働くっていうんだよ」
 ツッコミながらもちょっと希望顔のハカセ。
「自分で食べ物を作るとかさ」
 ハカセの希望が一変に曇る。
「よく言うよ。どこに畑を作る土地があんだよ。どこに種があるっていうんだよ。どこに水があるっていうんだよ。今日食べるエサも無いんだぜ?」
「そうそう、俺たちは狩猟民族やねん。あがいたってムリや。食い物がある時は食う。無い時は腹を鳴らして音楽を奏でる、それだけや」
 ハカセとポエムの言葉は主人公達の心に重く厚くのしかかる。分かっているだけにツライ。
「そうだ。タワーに行こうよ。あそこには食べ物あるんでしょ?」
 ――もう昨日には戻れない。悔やんでも悔やみきれない。主人公は黒い壁に思いっきり自分の手を打ち付けた。
「僕が、僕があんな事言い出さなかったら……」
 ハカセの拳が主人公の頬を激しく打った。
「ハカセ、何するんや」
 ポエムがハカセを押さえる。
「お前が何も言わなくたって……、タワーに登らなくったって、俺たちゃ、どっちにしろ飢え死にしてたさ」


 悲しみの街。諦めの街。開き直りの街。食いしん坊が明るい表情で大きな何かを持ってやってきた。
「ねーねー、大きなお饅頭があったよー」
「おまえ、そんなもん、どっから持ってきたんだよ」
「んーとねー、あっちの角曲がって、そこを左に行って、上に上がる所があるから登って、そこをまた左に行って……」
「意外と行動範囲広いのな、食いしん坊な」
 主人公がやんわりと食いしん坊の案内をストップ。
「しっかしー、これ、大丈夫やろか?」
 ポエムが巨大饅頭をキョロキョロと視観。
「僕たちの陣地にあったから大丈夫だよ」
 どデカイ饅頭からは美味しそうなオニオンの匂い。主人公はごくりと生唾を飲み込んだ。
「やっぱりさ、奴らの中にも良い人間はいるんだよ。僕たちがお腹空かせてると思って、誰かが置いてくれたんだ」
 主人公のいつもの希望的観測。食べ物を目の前にしていつも以上に希望的観測。
「そんな旨い話あるか。忘れて行ったか、落として行ったか、捨てて行ったんだろ」
 ハカセが口悪く言った。顔は背けているくせに、目は饅頭に釘付けだった。
「それにしても、よう食いしん坊が独り占めせんと、俺らに分ける気になったなー」
 ポエムが食いしん坊の肩をポンポンと叩いた。
「僕さ、分かったんだ。本当に大事なのは食べ物より仲間だって」
「食いしん坊……」
 うるうる。皆が温かい眼差しで食いしん坊を見る。
「……それに自分だけで食べるには大きかったし」
 食いしん坊が小さく呟いた言葉をハカセは聞き逃さなかった。
「おーい! 聞いたかー! 大きかったからだってよー! 小さかったらやっぱり自分だけで食べるつもりだったんだろう! おい!」
 ハカセは食いしん坊を羽交い絞めしながら、ゲンコで頭ぐりぐり攻撃。
「止めてよ〜。痛いよ〜」
 久々に訪れたいつもの風景。メンバーは足りないけど、いつも通りに過ごすことが大切。そして、幸せに温かく過ごす為には、やはりある程度の食料は必要。
「いっただっきまーす」
 我慢出来ずに主人公が馬鹿デカイ饅頭に手を伸ばした。
「ちょっと待て」
 ハカセが主人公を制止する。
「何?」
「罠だ」
「罠?」
「そう。きっと毒入り饅頭だ」
 主人公の手がそろそろと引いていく。血の気も引いていく。
「えっ? 僕もう食べちゃったよ?」
 食いしん坊が口の周りをぺろりと舐める。見ると饅頭には食いしん坊の歯形が残っている。
「何もないのか? 平気か?」
「平気だよ。ピンピンだよ。ほら、皆も食べなよ」
 と、食いしん坊が言い終わる前にハカセが貪り食っていた。
「ハカセったら……。ポエムは? 食べないの?」
「俺か? 俺は喜びの詩を作ってからや」
 ポエムは暗い空を見上げた。素晴らしく明るい顔で。
 主人公はポエムの詩が完成したら一緒に食べようと思った。お腹は空くけど、Big饅頭は無くならないだろう。一心不乱に食べている食いしん坊とハカセを見て、主人公はぬくぬくな気持ちになった。そうさ、世の中そんなに捨てたもんじゃないさ。
「うっ。ううっ」
 突然、食いしん坊が苦しみだした。
「急いで食べすぎだよー、食いしん坊」
 主人公が食いしん坊の背中をさすった。ポエムはまだ詩の作り途中だった。ハカセは口の中一杯に饅頭を入れて呆れ顔で食いしん坊を見ていた。そして。食いしん坊はそのまま帰らなかった。
 ハカセが口の中の異物を急いで吐き出した。顔が真っ青だ。時が止まったように感じた。誰もその場から動けずにいた。長い長い時間が過ぎたような気がした。
 突然、大きな声でハカセが笑い出した。気がふれた、と主人公もポエムも思った。だけど、ハカセの目は真っ直ぐだった。
「とうとうこの日が来たようだ。未来」
 ハカセが主人公の肩を叩く。
「未来?」
「今日からお前は未来だ。俺たちの未来を背負っていってくれ。理想郷まで」
 そう言いながらハカセが未来の肩を力強く叩いた。主人公に初めて付けられた名前だった。
「最後にとびっきりの明るい詩を書いてくれ、ポエム。俺の為に。ツッコミ所満載な奴をな」
 ――暗闇の中で生まれて、日陰の下で育って、僕らの体は真っ黒。
食べ物の事しか頭にないのさ。腹の中も真っ黒。
街にはトラップ、化学兵器がてんこ盛り。
誰かが死ぬ。この街では日常茶飯事。
悲しんでるヒマはない。
だから明日からも笑っていこうぜ。――
 不謹慎なポエムの詩だった。未来が見るとポエムは泣きながら笑っていた。
「ポエム、良い詩だったぜ」
 ハカセが親指を立てる。
「……って、俺が言うとでも思ったかー。ばーか」
 ハカセがポエムの頭をはたいた。それっきり、ハカセは口を利かなくなり、動かなくなった。途方に暮れた。街はそんな時でも街のままだった。誰も慰めてなんかくれない。
「誰がこれからツッコめばいいんだよーょーょーょー」
 未来の声が暗い街に木霊した。
 絶望だと思った。だけどこの時はまだ「マシ」の範疇で、この後にもっと厳しい現実が待ち構えている事に未来達はまだ気が付いていなかった。


「そういえば、この前理想郷の話を聞いた」
 ハカセが言う。
「理想郷?」
「そこには沢山の食べ物と豪華な部屋が用意されているらしい。噂だけどな」
「そんな所があるの! ……でも本当にそんな場所があったら皆そこへ行くよね。何で行かないの?」
 主人公がハカセに掴み掛かる。
「噂だからさ。本当にあるかどうかも分からない。場所も分からない」
「無いんやろ、そんな場所。あったら誰かが場所を知ってるやろ」
 冷めた口調でポエムが言う。がっくしの主人公達。
「そうか。見つけたら教えに来るもんね」
 ハカセはちょっともったいぶって喋りだす。
「その場所はあまりにも素晴らしいので、辿り着いた者は皆永住するらしい。誰も教えに来てくれない。俺たちの仲間がそんなに義理堅い奴らだと思うか? そんな良い場所、知ったら独り占めにするよ。そんな奴らばっかだ。行きたいんだったら自分自身で探すしか方法はないな」
 主人公の目が輝く。
「じゃ、本当に、あるかもしれないんだ」
「噂だけどな」
 首をすくめながらハカセが言う。
「理想郷――」
 皆が空を仰ぐ。
「皆が仲良しなんだ。戦争なんてないんだ。皆笑ってて、歌ってて、バカっ話してるんだ」
「自然を見ながら詩が書けたらええなぁ」
「メス〜っ! 可愛い女の子はべらせるメス。水着姿の女の子に大きな扇なんかで煽いでもらっちゃうでメス」
「俺は……太陽の下で昼寝してぇ」
「何? 何? 僕はねぇ、僕はねぇ……」
「お前はどうせ食いモンだろ」
「うん!」
 心の中にそれぞれの理想郷。
「サンクチュアリだね」
「リソウキョウ? さんくちゅあれ? どっちも何か分かんないけど、うっまそぉーうっ!」
「だから、食いモンじゃねぇよ」
 ハカセが食いしん坊の頭をポカリ。
「ねぇ、いつか皆で行こう、絶対!」
 ポエムは肩をすくめる。ハカセは呆れた顔で見てる。ジゴロは首を傾げる。食いしん坊は笑ってる。でも、主人公は分かってる。皆も同じ気持ちだって事。
「……起きろ。起きろ。死んでまうぞ、未来」
 主人公はポエムに揺り動かされて起きた。
「あれ? 夢だったのか。……って、寒いよ〜!」
 寒さで体が震えた。こんな事だったら幸せな夢見たまま死ねば良かった。なんて、マイナスな事を考えてしまう程寒い。
 未来達の暗い街にとうとう冬が来た。
「このまま僕たち死んじゃうのかな」
「かもしれへん」
 未来とポエムは顔を見合わせた。
「ハカセだったらこんな時『縁起でもない事言うなーっ』って言うよ」
「『寒い寒い言ったら余計に寒くなるだろうがー』って言って、バックドロップされるやろな」
「食いしん坊だったら『なんか温かいモン食べたい』って言うだろうね」
「ジゴロはそれでも『メス〜』って言うで」
 街に風が吹いた。冷たい風だ。未来達の体の節々から容赦なく入り込み、芯から冷やした。未来とポエムは身震いを一つ、した。
「行こか」
「どこに?」
「分かってるやろ?」


 その建物の壁はレンガで出来ていた。屋根は赤。庭の花壇には色とりどりの花と緑。窓からは仲間たちが楽しそうに手を振っている。
「やった。やっと着いた! ここが僕達の理想郷だよ。本当にあったんだね」
「こんな近こうにあるんやったら、もっと早うに皆と一緒に来たら良かったなぁ」
 未来がポエムの肩を叩く。
「それは言わない、岩内は積丹半島の南側」
「未来……、キャラ変わったんちゃうか。まあええわ。それより食いモン、食いモン。そしてメス〜」
 ポエムは喜びの詩も作らずに建物の中に飛び込んでいった。
「キャラが変わったのはポエムの方だよ」
 未来は呟き、足元を見た。綺麗なマットまで用意されている。未来は丁寧に旅で汚れた足を拭く。旅の疲れを取るように。悲しい思い出を拭う様に。
 未来は自分達の為に用意された素敵な家の中を見た。ポエムの姿はもう見えない。
「っんとに、慌てん坊だなぁ、ポエムは」
 でもポエムの気持ちもよく分かった。あのタワーの上で嗅いだ時より、あの巨大饅頭より、もっと素晴らしい匂いが建物の中から漂ってくる。
「僕だって駆け出したい気持ちを抑えているんだ。よーし、僕もっ」
 未来は足を一歩踏み出した。
「アカンーっ、来たらアカンーっ。」
 遠くからポエムの声が聞こえる。
「未来〜。早う帰れーっ。これは罠やっ」
「罠? この素敵な家が罠だって!?」
 未来は入りかけの綺麗な家を急いで見回す。ハッとして、急いで身を翻した。そして、一瞬立ち止まり、ポエムの方を振り返る。
「ポエム。……ポエム〜っ」
 未来のポエムを呼ぶ声が空しく部屋の中に響き渡った。ポエムの返事はもうない。未来はがっくりと肩を落とした。
「ポエム……。遅い……もう遅いよ。僕も、もう、逃げられないんだ」
 未来の足は強力にねばついている粘着シートに捕らわれていた。その時、未来は後悔した。もっと早く気付けば良かった、そう思った。窓から手を振る仲間達、色とりどりの花、いいや、そればかりではない、屋根や窓さえも、素敵に見えていた全ての物が、大きな筒型の箱に描かれた書割だったのだ。
 未来は笑って目を伏せた。