おでこ。
おでこ出てるやん。あ〜ん。美容院で寝ちゃったからや〜。もぉ〜どーしよー。めっちゃ恥ずかしいわぁ。
「さくら、何してるんっ。ピシッとしぃやぁ。ピシッと。だらしない。今のうちに葵ちゃんに挨拶してきぃや」
「え? 今?」
「今じゃないとすぐ式始まるで」
そっか。そうやんな。
さくらは別室に向かいながら、辺りをキョロキョロと見回した。
まだ、来てないみたいやな。って、私は誰を探してんねん。
「葵ちゃん、綺麗〜。ピン札みたぁい」
白無垢姿の葵ちゃんは、めっちゃ綺麗やった。この世の者とは思えん位。見とれてまう。白い肌に赤い口紅、綺麗やなぁ。
さくらは後ろから頭を思いっきりはたかれ、振り向いた。そこには恐い顔でさくらを睨む母親の姿があった。
「変な褒め方しないっ。ちゃんと挨拶しぃ。葵ちゃん、ほんま綺麗やわぁ。なんやうちらまで呼んでもらって嬉しいわぁ」
「おばさん達には小さい頃から本当にお世話になってるから」
葵が花のように笑った。
「まぁまぁ嬉しい事言っちゃって。お世話になったのはこっちの方。小さい頃からさくらの面倒見てくれて。ありがとね」
何も頭はたかなくてもええやん。髪ボサボサになってないやろか。もーっ、ただでさえ、おでこ丸出しで髪型気になってるちゅうのにぃー。
「さくらちゃんも今日は一段と可愛いわよ」
葵がさくらに向かって微笑んだ。
「あ、ありがとう」
そんな。べっぴんさんにそんな事言われたらめっちゃ照れるわ。
「それ、アンティーク着物?」
うん。そうやねん。さっすが葵ちゃん、よう分かったなー。この日の為に昔きもの屋さんでコーディネートしてもろうたんや。可愛いやろう? 手描友禅の振袖やで。この薄桃色が上品で可愛らしいやろう? 大正時代のモノやねんて。あーるぬーぼぉー調ってお店の人が言うとったで。この豪華な刺繍半襟がごっつう気に入ってるねん。このな、胸元に入れてある箱な。筥迫って言うんやて。ちょいセクシーやろ? 珊瑚の桜の帯止めはな、ここだけの話、実は母さんのブローチやねん。意外に合うやろ? このな、テディベアの形のバック、めっちゃええやろ? 古布のパッチワークやねん。塗り下駄も好っきやねん。黒い色が締まるやろ?
と、本当は言いたかった。でもこの世の者ではない葵が綺麗過ぎて、さくらは何も言い出せないでいた。
「どうしたの? さくらちゃん、モジモジしちゃって」
「あのぉ、葵ちゃん? 今日、しんちゃん来るってホンマなん?」
ぐわっ。しもうた。これじゃあ、しんちゃんの事聞きたいからモジモジしてたみたいやんか。ちゃうねん。葵ちゃんと話すのが照れくさくてモジモジしてんねん。
「慎ちゃん? 一応招待状は出しておいたんだけど。ほら、慎ちゃんも立派になっちゃったじゃない? 来られればいいんだけど」
頭をトンカチでガーンと叩かれたみたいや。そっか。「確実」やないんや。って、私は何を期待してるんや。
「さくらちゃんも見た? 慎ちゃんが出てたドラマ」
「うん」
わーっ! 思わず言ってもうたー。いや、見てへん見てへん。見てへん事にしようと思っとったのにぃ。あーん。
「随分大きくなったわよねー。こっちにいる頃はまだこーんなに小ちゃかったのにねぇ」
うん。そうなんや。私よりチビ助のはずやった。だってあだ名が「チビ慎」やったもん。いつの間に大きくなったんやろ。いや、きっとちゃう。まだ「チビ慎」のままや。一緒にTVに出とった人がきっと極小やったんや。
「あ。慎ちゃん」
葵の声にさくらはコンマ2秒で反応した。さくらの目は葵の視線の先へ。
は。ほんまや。しんちゃんや。
「あら、慎ちゃんも着物じゃない。お揃いね」
葵がさくらの肩を軽く叩いた。
「お、おそろい?」
ドギマギドギマギ。何や知らんけどドギマギドギマギ。しんちゃん、マジで着物姿や。グレーの羽織や。なんか…なんか…なんか知らんけど、どうしてええか分からんようになってきてる。どないしよう。
「一緒に写真でも撮れば? きっとお似合いよ」
葵ちゃんの軽〜い気持ちの一言が。ずしんと。ずしんとのっかって。お、重い。
「さくらー。写真撮るでー」
さくらは声の元へ向かった。
「さくらー、何してんのー。写真撮るんやから、もっとええ顔しぃなぁ。何むすっとしてるん?」
だって。だって葵ちゃんが写真撮ればって言ったのは、あんたらじゃないんやで。
さくらは腐れ縁の幼馴染・女5人衆を睨んだ。
「そや、そや、せっかく可愛い着物着てるんやもん。もっと笑いーな」
笑えへん。どうやったら笑えるか、誰か教えて。
さくらの視線はついチラチラと慎太郎の元へ。
「さくらー、もう一枚写真撮るでー」
「おでこ押さえない〜」
あ。しんちゃん、葵ちゃんの所へ行った。もうちょい早よ来いっちゅうねん。わっ、葵ちゃん、こっち指差しとる。あわっ、しんちゃん振り返るっ。
さくらは急いで顔を背けた。
「さくらー、ちゃんとカメラの方見いや」
え、え〜い!
「よっしゃー、ばんばん撮るでーっ。おでこのUP見せたろかー」
「おっ、いつものさくらに戻ったー」
「それでこそ、さくらやー」
よよよよよ。めっちゃ泣ける……。
「さくらちゃん、おまじない教えてあげよっか」
花嫁の控え室を出る直前、さくらは葵に呼び止められた。
「おまじない? それって効くん?」
「うん。すごーく良く効くよ」
葵がさくらの耳に口を近付けた。
「桜湯を一気に飲むの。そしてまた新しい桜湯を注ぐの。その桜湯を好きな人に飲んでもらうのよ」
「そしたらどうなるん?」
「恋が叶うのよ」
「えー。嘘や〜ん」
「本当よ」
葵が小さな声で言う。
「私もそれで結婚したんだから」
ドキドキドキ。私は何をドキドキしとるんや。葵ちゃんが変なおまじない教えるからや。あんなおまじない教えてもろうたって、試す相手がいないんやもん。しゃーないやん。
と思いながらも、さくらの手には桜湯が入った湯呑みが握られていた。しかも全部一気に飲み干されていた。そして何故か新しい桜湯も注がれていた。
「よっ」
まずはそんな感じで声を掛けてみた。声を掛けるのが精一杯で顔が上げられない。
「おおっ、久しぶり、さくら。
元気だったか?」
自分の気持ちとは裏腹に軽く挨拶する慎太郎がちょっとムカついた。睨んでやろうと顔を上げる。
「はれ? しんちゃん、背ぇ伸びた?」
うわっ。なんや、めっちゃ高うなってる。
「伸びたよ。っていうか、さくらが縮んだんじゃない?」
「ぐっ」
し、失礼な奴ぅ〜。ごっつ、むかつくぅ。桜湯やらん。
「これ、桜湯、飲む?」
ぎゃ、私、何言うてんのー。
「桜湯かぁ。なぁ、さくら、何で結婚式にはお茶じゃなくって、桜湯飲むか知ってるか?」
「……知らん」
つーか、年下の癖に超〜生意気っ。なんやこいつ。
「お茶は法事や葬式の引き出物によく使われるからなんだってさ。こっちの方では昆布茶が多いよな。昆布と「よろこぶ」をかけたみたいだよ。桜湯が出たのは葵ちゃんが元々関東の人だからかな。あとダンナさんになる人も東京の人みたいだし」
「へ、へぇ〜」
な、なんや、急にそんなウンチク言い出して。それにしんちゃんの口から東京って言葉聞きとうない。なんや悲しくなる。
さくらは慎太郎に桜湯を押し付けて部屋を出た。
さくらの気持ちにはお構いなしに、会場内は幸せを祝福する音楽が溢れていた。
「当たり前やん。披露宴やもん」
「さくら、急に何言ってるん?」
腐れ縁その1が心配そうにさくらの顔を覗き込んだ。
「何でもない……さあ! 今日は飲むでー。皆も飲みや〜。今日はめでたい席やー」
えーい。何や知らんけど、めっちゃめちゃに盛り上げてやるぅ。
「なーなーさくらー。さくらが酔っ払う前に頼みたいことがあるんやけど」
もじもじしながら腐れ縁その2の椿が言った。
「何?……ちょ、ちょっと何なん? ……どこに行くん〜?」
さくらはぐいぐいと椿に連れて行かれて会場の外まで出た。
「何なん? 一体」
「あのさ、さくら。実は……しんちゃんにサイン貰って〜ぇっ!」
「ええ〜っ?!」
ちょ、ちょい待ちぃな。何で私が……。
「あのドラマ、しんちゃん、かっこ良かったよねー。最初は幼馴染が出てるから見よーって感じやったんやけど、見てたらさー、わー、しんちゃん、かっこよいなーなんて思ってさー」
椿は興奮気味で喋っている。
何よ、私やって。私の方がもっと前から、もっと昔から…………いや、しんちゃんの事なんて何とも思っとらんけど。
「自分で言った方がいいんちゃうの?」
「いやー。恥ずかしいっ。それにさくらの方が仲良かったやん? な? 頼むわ」
さくらは重い足取りでしんたろうの席へ行った。
「何だよ、さくら。俺にサインなんかねだんなよ。しかもこんな席で」
しんたろうは差し出された色紙を見て露骨に嫌な顔をした。
「ちゃ、ちゃうよ。椿に頼まれたんよ」
「……そか」
あ。今しんちゃん、軽蔑な目つきで私見た。心ぞーがギュッってなるぅ。
「しんちゃん……ごめんな」
「ああ。……ほらよ」
「ん。ありがと」
私、ロボットみたい。ガチガチや。かっこ悪ぅ。
「さくら、あのさ、こういう時はさ……」
「何?」
「……いーや、何でもない」
「そっか」
「ああ」
気まずい空気が流れて、さくらは急いで側を離れた。
今日、ずっとこんな感じや。いやや。早よ帰りたい。もう何でもええわ。飲も。
大体、年下の癖に生意気やねん。背ぇもいつの間にかデカくなってるし。なんや急に大人振ってムカつくねん。
「それはお前が子供過ぎるからだろ」
東京、東京ってうっとぉしぃわ。東京が偉いんかっ! ゆーてな。
「元々東京出身だからしょうがないだろ。こっちにいたのはほんの二、三年」
サインやって、本当は貰いたくなかったんや。
「……それは分かってるよ」
なんか久々に会ったのに、ろくな話も出来ひんと……え?
さくらは顔を見上げた。そこにはさくらを覗き込む慎太郎の顔。
「しんちゃん? 何? 何? 私、どないしたん?」
「酔っ払って、式場の廊下の赤ジュータンの上で管巻いてんだろ」
さくらはガンガン鳴ってる頭を抱えた。
「えーとー、しんちゃん? 今、私と話してなかった?」
「話してたよ。面白いからさくらの独り言に付き合ってた」
ガンガン鳴ってる頭を一所懸命働かせた。けど、上手く働かない。
「どーした? さくら」
何や言わん方がええ事を一杯言ってしもうたような……。
「何さっきから頭抱えてんだよ。痛いのか? 皆、もう二次会行ったぞ。俺らも行こう」
「待っててくれたん?」
「こんなとこに一人で置いとく訳にはいかないだろ?」
ううっ。しんちゃんめっちゃ優しい。
「なんだよ、泣き上戸かよ。ったくもう、面倒なんか見ないからな」
慎太郎は背を向け歩き出した。
「ひど、ひどいわ、しんちゃん」
化粧はきっとぐちゃぐちゃや。おでこなんて言ってる場合じゃない位髪もきっと乱れとる。でもなんかしらんけど泣けてくるねん。
「ほらよ」
涙だらけマスカラだらけの拳をどかすと慎太郎の背中がすぐ目の前に見えた。さくらはどうしていいか分からず、しゃがみこんでる慎太郎の背中をただぽかーんと眺めた。
「何モタモタしてんだよ。ずっとこんな格好させとく気か。ほら、乗っかれよ」
で、で〜ぇっ? そ、それっておんぶって奴ぅ? オロオロオロオロ、オロオロオロオロ……。
「何回も言わせんなよ、ほら」
「う、うん」
一人で歩けなかった訳ではなかった。だけどさくらは素直に甘えた。大人になってからのおんぶはかなりドキドキして、慎太郎の背中に伝わらないか心配になった。
しんちゃんの背中だから余計なんやな。
さくらの心は大分素直になってきていた。つぼみがほころぶように。
「しんちゃん……」
「ん?」
「桜湯、飲んだ?」
揺れる慎太郎の背中の上でさくらは聞いた。
「桜湯? ああ、さくらがくれた奴? 飲んだよ。俺、桜湯好きなんだ」
ああ。『湯』を抜かしてもう一度言ってくれ。
「すんげー好きだからさ」
でへへへへ。
「そこらじゅうの残ってた桜湯、皆飲んじった」
ばかぁ。しんたろうのばかぁ。
泣けた。悲しいやら悔しいやらで、もう訳が分からなくなってきた。
「さくらがどう思ってるか分かんないけど、俺、知ってるよ」
「何っなん……?」
泣き過ぎて、しゃっくり過ぎて、もう普通に喋れない。
「いつも元気に見せてるけど、それだけじゃないって事。ちゃんと俺、知ってるから。見てっから」
「う。うん」
「無理すんな。俺の前では弱いとこ、見せていいから」
溢れた。とめどもなく溢れた。
しんちゃん、このままだと私の海でぶくぶくぶくって溺れてまうよ。
「……でも大丈夫やな。しんちゃん、泳げるようになったもんな」
「え? 何? 何か言ったか?」
「ううん。何でもない。ねぇ? しんちゃん?」
「ん?」
「しんちゃんの背中で涙拭いてもいいかな?」
「ったく、しょーがねーなー」
さくらは慎太郎の広い背中に顔をうずめた。ポカポカな匂いがした。それと。タバコのヤニの匂い。
夢で見た時とおなじや。えへへ。わーい。しんちゃんの背中、独り占めやでぇ。
「鼻水も拭いていい?」
「やめろーっ。それはやめろーっっ!」
大阪弁添削:さくちゃん