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かおりんに捧ぐ

コースロープ
 故障した右太ももは少しずつ言う事を聞くようになっていた。一度は諦めかけていた推薦入学の道も夢じゃないかもしれない。でもそんな事は今の大地にとってはどうでも良かった。
 大地は大きく水を掻いた。沢山の気泡が小さな魚のように大地の周りを群れ巻く。
 タイムを気にしなくなった途端、泳ぐ事が楽しくなってきた。水さえあれば何にもいらない。金も名誉も女さえも……。
 大地は両腕を体の脇にぴたりと付けた。体をくねらせ水の中を突き進む。抵抗が心地よい。
 俺はイルカだ。鼻先で水を切り裂いて進むイルカだ。どんな魚にだって負けない。トビウオより優雅に華麗に泳げる。
 大地の視界に何かが入り込む。水の生物以外の何か。誰かがコースロープ際に立っている。白い足。紺色のスイムウェア。
 大地はスピードを落とした。誰の足か見極めたい。
 頭の中の大地コンピューターが水泳部女子の推定データから該当者を割り出す。そう、きっとこれはあいつ。イッコ下のあいつ。まだあんまり喋った事ないあいつ。
 白い太もも、薄い紺色が水の中でゆらゆら揺れながら近付いてくる。
 次で息継ぎをしよう。そしてさり気なく誰なのか確認するんだ。俺の読みが正しい事を証明してやる。
 顔を上げる。大きく息を吸う。
 目が合う。そいつと。
 水を、呑み込みそうになる。
 心臓がショートする。
 無心だ。邪念を捨てろ。俺はイルカだ。イルカなんだ。
 息を整える。今起こった「たまたま」に蓋をする。
 大地はゆっくりとターンをした。
 再び訪れた静寂な水の中、幸福な一人の時間。
 大地コンピューターがさっき取り入れた映像を再び映し出した。
 水の中で確かに見えたあいつの唇。白い肌に赤い唇がやけに生々しく感じた。吸い込まれそうだった。
 何度も何度も再生した。
 柔らかそうな唇……漂う髪の毛……白い顎……胸元……膝……水……泡……。
「あ痛ぁ〜っ!!」
 鈍く激しい音を立てて大地の頭が第三コースにぶつかった。目の前を星が舞う。
「大丈夫?」
 プールサイドから手が差し出された。大地は鈍痛の続く頭を押さえながらその手を掴んだ。
 うわっ、やわらけー、この手、誰んだ?
 陸に上がりながら手の隙間から覗き見る。
「か、かおりっ!?」
「何か凄く驚いてる……。それより、頭、大丈夫?」
「……お、おう」
「またどーせボーッとスケベな事でも考えてたに違いない」
 どうして分かるんだ?
「んな訳ないだろ。俺は水泳が命だからな。はっはっはー」
 腰に手を当て、胸を張って強がりを言ってみた。
「大地」
「ん? 何だ? ……って、俺先輩だぞ?! 呼び捨てにすんなよ〜」
「すまん」
「すまんじゃねーだろ、すまんじゃ……」
「謝りたい」
「え? もういいよ。呼び捨てでも何でも好きなようにすりゃいいだろ」
「違う。そうじゃなくって」
「え? 他にも何かあんのかよ」
「うん」
「なんだよ。言ってみろよ」
 かおりの唇をこっそり盗み見た。
「大地が泳いでる時、近くでじっと見てた」
「ん? ああ……そん位謝る事ないよ。別に邪魔じゃなかったし」
 ドキドキした。見てたのは俺の方。
「何だ? 俺の泳ぎがあんまり綺麗なんで見とれてたか?」
 得意げに言ってみた。
「何てったって俺はプールを自由自在に泳ぐイルカだからな」
 聞こえないように小さな声で呟いてみた。
「泳ぎ……あんま見てない」
「見てないのかよ! 何してたんだよ」
「じっと見ながら大地の近くの水飲んでみた」
「へぇー、そうなんだ。どんな味がした? って、お〜いっ!」
「味…………塩素系?」
「塩素系? じゃねーよっ。何考えてんだよ、おめーは」
「大地の事」
「はぁ?」
「いつも大地の事考えてる。朝も夜も」
「あ、そっか。そうなんだ」
 これって告られてんのか? ……ま、嬉しいけど。
「昼は考えてないけど」
「考えてねぇーのかよ!」
「昼は寝てる。夜更かしばっかしてるから眠いんだ」
「早く寝ろよー。授業ちゃんと聞けよー」
「おまえに言われたくない」
「はははは。確かに。って、何俺認めてんだ〜っ!」
「こんな私でもいいのか?」
「はぁ? 何が?」
「こんな私なのにおまえは付き合ってくれるって言うのか?」
 …………あれ? 確か告られてんのは俺じゃなかったっけ?
「なぁ、どっちなんだ? 聞いてんだけど。煮え切らない奴だなー」
 俺、もしかして怒られてる? 俺のせいか? 俺が悪いのか?
「どっちなんだよ。YESかハイかはっきりしろ」
「イ、イエス。……って、どっちもOKって事じゃねーかよーっ!」
「分かった。OKなんだな」
「お、おーい……」
 大地はスキップしながら遠ざかって行くかおりの後姿をぼーっと眺めた。
 ちぇっ、なんだよ。一方的かよ。俺の気持ちちゃんと言わせろっつーの。……俺の気持ち……俺の気持ち? ん? 俺の気持ちぃ〜?
 大地はトボトボと歩き出した。
 ま、いっか。結果オーライっつー事で。