郵趣(郵便史)でみるチェコスロヴァキアの歴史

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チェコ軍団のシベリア軍事郵便


切手:ロシア極東共和国:1921年発行

消印:チェコスロヴァキア軍事郵便印(ウラジオストック)


ロシア極東共和国
1917年のロシア革命後、広大なシベリアの領土を保有したロシア帝国は崩壊しました。
ロシアの地方各地では、以前から民族独立を希望する民族主義者による国家設立の動きがみられました。
ロシア極東共和国は、1920年4月シベリア東部に成立した革命勢力による暫定的な国家です。
この画像の切手は、1921年反ボルシェビキ政権のもとでウラジオ・ストックで発行されています。
1922年11月にはボルシェビキ支配に移行し、1923年極東ソヴィエト共和国はソ連に併合されました。

なぜチェコ軍がシベリアにいたのか?
チェコスロヴァキアは1918年に独立しますが、独立前はオーストリア・ハンガリー帝国の一部でした。
第一次世界大戦においては、チェコ人はオーストリア軍による徴兵を受け、ロシアやセルビアなど、自らの属するスラブ人と戦う運命にありました。
こうした中、ロシア軍との戦闘において、計画的に降伏し、降伏後にロシア軍に加わってオーストリア帝国と戦うことを希望するチェコ人およびスロヴァキア人のグループが現れました。
ロシア帝国の援助を受けて、組織されたのが「チェコ軍団」です。
ところが、ロシア帝国は革命により崩壊し、オーストリアとは休戦条約を結んでしまいます。
「チェコ軍団」は当初の目的を果たすことなくロシア国内に取り残されてしまいました。
祖国独立のために、オーストリアと戦いたいチェコ軍団は、戦闘の継続する西部戦線に移動しなければなりません。
このために、シベリア鉄道によって、極東及びアメリカを経由し西部戦線に移動するプランが持ち上がりました。
米大統領ウィルソンは、このチェコ軍団の救援のために、連合諸国に共同でのシベリア出兵を呼びかけ、日本も長らくシベリア出兵を行うこととなります。
結局、「チェコ軍団」は1918年末、終戦後に祖国の地に戻りました。

なぜ1921年に?
チェコ軍団は、シベリアを移動する途中、革命軍と衝突し、数ケ月にわたり革命ロシアの赤軍と
戦闘を行うことになります。ただし、前述のとおり、1918年末には主力は本国に戻っています。
チェコのカタログによれば、軍事郵便切手が1918年から1920年までだされています。
この画像のカットは1921年に発行された切手に消印されたものです。
と、いうことは、1921年にシベリアにまだチェコ軍はいたのでしょうか。
どうやら、軍事郵便印はウラジオストックのチェコスロヴァキア領事館に預けられ、そこで 残った後処理事務が続けられたようです。



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