郵趣(郵便史)でみるチェコスロヴァキアの歴史

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展示案内
1.独立
2.ミュンヘン協定
3.保護領
4.終戦
5.クーデター
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ミュンヘン協定による領土割譲


(歴史)

1938年ナチス・ドイツはオーストリアを併合した後、当時の重要な工業地帯だったチェコ のズデーテンラントの領土割譲を要求します。この原因には、1918年の独立当時に、 第一次世界大戦の敗戦国だったドイツとチェコの国境が、チェコスロヴァキアに有利に 国境線を定められたことがあります。チェコの中でもドイツ人居住者が多い地方は ズデーテンラントと呼ばれてきました。

ミュンヘン協定によって、ズデーテンラントはドイツに割譲され、対ドイツ戦を意識して 構築されてきたチェコスロヴァキアのマジノ線はほとんどがドイツ領になってしまいました。 外堀を埋められたチェコスロヴァキアにはもはやドイツに対抗する選択肢はありません。 ベネシュ大統領は英国に亡命します。

ミュンヘン協定に便乗して、スロヴァキアではハンガリーが領土の割譲を要求。同時期に スロヴァキアの一部がハンガリー領に編入されます。

後に第二次世界大戦の犠牲となるポーランドもシレジア地方の一部をチェコスロヴァキア から奪っています。


(郵便史)

1.ズデーテン占領地における郵便(チェコスロヴァキア切手にドイツの加刷)

記念印
カバー

2.ハンガリー占領地における郵便(チェコスロヴァキア切手にハンガリー印)

カット


補.気送管郵便(プラハ市内でもチューブ中を空気圧で圧送する気送管郵便が利用されました。)

カバー


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