"ニュルンベルク・バルセロナ・アルトドルフ"

ゲヴァントハウス合唱団Y欧州演奏旅行記

1995.8.18〜8.29

1993 | 1995 | 1997 | 2001

8/18(金) はるか7号で関空へ。今回はSさんが都合で不参。演奏旅行6回目にしてはじめて不参加とのこと。添乗さんの説明の後搭乗。11:40定刻エールフランス(実はJAL機)でシベリア経由ノンストップパリ便。昼間の長いこと。眼下に延々と展開する、町も道路さえもない風景に半ばあきれ半ばうんざり。この風景にフィルム1本強を費やした人が数名いたことは知る人ぞ知る。殆ど12時間。パリでフランクフルト行きエールフランス便に乗り換え、フランクフルト着。

空港からバスで深夜のアウトバーンを突っ走ってニュルンベルクに入ったが、市内に入ってから2号車の運転手が道を失いうろうろ。遅れて23:40カールトンホテル(写真は翌朝風景)着。さすがにしんどい。しかしこれでゆっくり寝られる。Iさんと同室。一つの寝台に二つのマットレスを敷いた形に仰天し、早速両側へマットレスを引きずり下ろす。二人ともいびきを気にしてのことである。ベットの下から何やら怪しげな雑誌が出てくる。トイレの水勢におそれをなす。レバーを押した瞬間「ゴーッ」、離したとたんストンと止まる。今1:30


8/19(土) 6:00めざめ、8:30朝食。なかなか充実しており、中でもリンゴ味のヨーグルトは絶品。朝食はここが一番良かったのではないかとは後での感想。ロビーでパートリーダー打ち合わせ。現地参加3名到着。手ぶらで聖ロレンツ教会(写真左)、フラウエン教会(右)、カイザーブルクなど見て回るが暑い。画家デューラーの家を見に入るが時間不足。練習前(衣装取りに帰る)と本番前(黒靴と白タイ忘れ)の2回聖セバルドス教会とホテルの間(15分)を往復し、暑いのとでくたくた。2回目は戻り道で駅に寄ってパンを囓り、水を買ってホテルに戻る。ニュルンベルクは城塞都市であったことが色濃く残る街。物見櫓、堀跡(遊歩道)に囲まれ、ペグニッツ川を挟んで南北へ石畳の坂になっている。川をまたいで中州にかかるハイリヒガイストシュピタールという建物があり、名所になっている。第二次大戦時連合軍の爆撃で市の8割が烏有に帰したとは思えない落ち着いた街。この教会や先のロレンツ、フラウエンの各教会も殆ど連合軍の爆撃で破壊され再建されたことが堂内の写真によって知られる。戦後50年の記念だろうか。

 聖セバルドス教会は柱列が大きく響きはまあまあ。時差ボケが残っておりさすがに声出ず。集中力なし。先生いらいら。パート練習含め厳しくなる。教会の方の手作りコンサートで、本番前に照明がようやく整う。20:00開演。聴衆の反応はドイツの常で控えめ。二三ミス。終了後解散、まっすぐ帰りピルズナーを1本飲んで寝る。結局ホテル=教会間を3往復したのだ。


8/20(日) チェックアウト準備をして食事。8:20 セバルドス教会のHof集合、発声及び練習。男声はI氏担当。10:00より聖セバルドス教会(福音ルーテル派)の朝ミサ奉仕。“キヨト・オザカ・カマコア”と紹介あり。牧師などすべて女性。BuxtehudeとBrucknerの4曲。祭壇の向かって左斜め前。しばし静かな時をもった。
 あと中央広場の美しの泉(金色のワッカを回すおマジナイが大人気)の前のヴルスト店2階で30マルクの食事。フィレとポテト食いきれず(ビール付き)残してしまう。12:00フラウエン教会正面の「カール4世と7人の選定侯の仕掛け時計」をしばし楽しむ。

 13:30ホテル再集合。バスで14:00発。途中アウクスブルクでバスを降り、市のザール(市庁舎)4階の黄金の間(写真)など見物。工事中のところと静かな街が同居している。何でもロマンチック街道中随一の商業都市だそうである。モーツアルトハウスが案内地図にあったが行く時間なし(行った人によると閉まっていたとか)。

 あと同じバスでミュンヘン直行。高台に立つペンタホテルに入る。いわゆるアメリカンスタイルで設備は良い。チェックインしてすぐ20人ほどについてイザール川を渡り、町の中心にあるホフブロイハウス(大きなビアホール=写真)にゆく。日本人の多いこと。2階のテーブル四つを占拠して豚ロースト、ヴルスト、ザワークラウト、鳥冷製サラダなどでビールがうまかった。宿に帰り、シャワーの後すぐぐっすり。明日は4時起きだ!錫マグカップ2つホテル売店で求める。

8/21(月) なぜミュンヘンに寄ったんだろう。という疑問はついて回る。ホント、ビールを飲んで寝るだけに来たようなもの。しかも4時起き、5時過ぎスタートとは何というスケジュール。ホテル出発時「KさんとYさん、ビデオ視聴代金の精算がまだですので至急お済ませ下さい」のアナウンスにバス内爆笑。でもそれはいっときのことでみんな半眠りでバスでミュンヘン空港へ。朝食はサンド2個と果物(桃、リンゴ)とオレンジジュースの袋詰めを持たされて空港ででも食べろと。とても入る訳がない。結局少し囓っただけで、乗り継ぎのパリのド・ゴール空港で捨てる。ここでは5時間という乗り継ぎ時間を持て余す。空港から出る訳にゆかずベンチで眠ってみたり、ジュースを飲んだりエビアンを買ったりして過ごす。結局くたくたの状態で飛行機に乗る。(考えたらド・ゴール空港で5時間待つためにミュンヘン4時起き5時出発したようなものだ)

 1時間半でバルセロナに着く。バルセロナはムシムシ。日陰は若干マシか・・・・と。ちょうどサッカーの有名選手でも帰ってきたのか空港ロビーは大群衆で異様な熱気。ひっきりなしに歌声とどよめきがあがる。パリで合流した2人をあわせバスでホテルコロンへ。カテドラルの北側で広場に面している。いわゆるゴシック地区の中心。ここでは最後までホテルが北向き、カテドラルが南向きという観念を拭いきれなかった。おかげで地図をしょっちゅう読みまちがえた。この広場では土・日曜にサルダーナが見られるとのことだが、今回はあいにく休日の谷間である。当地は治安があまりよくないとの情報。気をつけよう。部屋は今回で最も広く、トイレにはビデまでついている。もうコテコテでシャワーを浴びてベットに転がり込んだらぐっすり寝てしまう。20:30のホテル地下食堂での会食には遅れて最終になり、座る席がない。ミサ作曲者のモラレーダ氏、彫刻家の外尾悦郎・ピアニストの比石妃佐子夫妻も出席され、はじまったのが21:30と遅れた。席も足らず、座れず気分悪い。サラダとパエリヤとアイスクリームだけ。珍しいが、そんなにいうほど旨いものではない。終了後すぐ寝る。見物に出てゆく元気なし。

8/22(火) 9:30は楽勝と思っていたらぐっすり寝てしまい、メシを食うのが精一杯。9:30〜12:00ホテルロビーで練習。サグラダファミリアミサのみ。よく響くのでスタジオではどうかと心配。近くの地下食堂で昼食(魚介の焼き・揚げばかりでノツノツ)。

 15時過ぎにバスで60qの行程をモンセラートへ。聞きしにまさる1,200m余の岩山の豪壮さは何にもたとえようがない。途中は赤い地肌の丘陵、赤いアパート。ハゲ山に近い山。モンセラート付近は放火による黒い立木、岩累々。いったん空中ケーブルの駅近くで休憩し、三々五々写真を撮ったりする。

 再び車上の人となり、その山を巻いて上ってゆく。道がも一つ良くなく、ヒヤヒヤのし通しである。だんだん眺めが雄大になってきて、車内は立ち上がったり右に左に忙しいこと。とするうちにいつしか修道院に着く。17:30よりフリーで見物。まず景色、そしてスーベニール。聖堂では長い行列に加わって黒いマリアにご対面。現地の人は殆どガラスケースの外に出ているボール状のものにキスするが、われわれはガイドのアドバイスにより“なでなで”で敬意を表する。出てくると山沿いに赤い太いロウソクが何百本もゆらめいている。日本でも同じような光景をよく見た。

 18:45よりミサ(夕拝)に列席。正面上部に黒いマリアが小さく見える。殆ど歌による儀式。小声の感想「年寄りは音が下がるな」。終わりにEscolaniaの少年合唱隊が出てきて歌い、Salve Reginaを聴かしてくれる。途中で倍音が聞こえゾクッとする。ホールによく共鳴し、すばらしい。観光客のザワザワ、子供のキャッキャッで若干興をそがれた。途中でスペインのきんさんぎんさんといえそうな双子の老婦人も入ってくる。売店でEscolaniaのCD1枚買う。他にもほしい物がいろいろありすぎて結局何も買わずじまい。下りは山を途中から逆に巻いて下り、別の道を帰る。もう一度来たい、そしてケーブルの上まで上ってみたい。
 ホテルに帰ってから添乗さんに案内願い日本料理「山鳥」へ。天ぷらと冷や奴でビール。往復TAXI。明日は録音!

8/23(水) なかなか早く起きられない。7:15起きで朝食。ドイツから応援のNさん気の毒にも食堂で僅かの間に置き引きに遭う。かの話は十分ホントなのである。食事後9:00〜11:30ロビーで練習。主にミサ以外の曲をやる。ミサは抜粋のみ。昼は広場の前の店でチキンカツ。後にも先にも現物写真を見て注文したのはここだけ。料理の現物見本どころか写真入りメニューですらまずないのが普通である。そういえばバルセロナ以外でもそうだった。

 15:00バスでミサの作曲者モラレーダ氏の自宅へ。さんざん探し回って見つかった家は新築でバルセロナ市街を見下ろす高台にあり、4階前庭と屋上は展望台。1階がスタジオで諸設備完備。16:30〜20:30かかって全曲を逆から録音。数回ダメ出しがあったが、終わって氏の喜ぶまいことか。後で鳥の歌とEl Cavarellaの発音指導を受ける。スタジオ内はさすがに暑く疲れた。しかし外気は涼しく助かる。(写真はモラレーダ邸前)
 夕方はホテル近くの通り向こうの自然食(ベジタリアン)の店でスパゲティ、ピザ、リゾットなど取り合わせですます。洗濯物まだ乾かず往生。バスルームに干した物を部屋に入れる。かえってその方が乾きやすい。


8/24(木) Main Event! 9〜10時すぎ体操、声出し。Tさんの体操指導が「大好評」で笑ってしまって体操にならない。本人は大まじめなのだが。あとカテドラル、コロンブスが帰国後イザベラ女王に謁見を賜ったという王の広場、海のマリア教会、海岸通り、コロンブスの像を経てランブラス通りへ。危険と吹き込まれていた割にはさほど感じなかった。とある革製品店でおみやげ購入。暫くして雷雨になり、目の前の時計屋に飛び込む。最初はすぐ止むだろう、止んだら目の前の中央市場に、と考えていたのが、13時頃から1時間半たっても止まない。雨宿りしていたギャルが目の前でTシャツを脱いで胸の膨らみもあらわに雨の中に飛び出していったのにはびっくりした。目の前の通りは瞬く間に川と化し次第に車も少なくなる(写真)。稲光と雷は遠慮会釈なし。店員と陳列品の模造真珠やマジョルカ島の話を片言英語でしているうちに帰宿予定の15時が迫ってきてあわてて電話でホテルを呼んでもらう。暫くして小止みになったときタクシー到着。中からこうもり傘3本を抱えたホテルのボーイが出てきたときは感謝であった。しかしタクシーがホテルについたときは雨も完全にあがっていたというお粗末。でも感謝のしるしにTAXIでなくボーイにチップをはずむ。おかげで昼は食いそびれ、エコロジーパンを貰って水で流し込むが半分でダメ。

 15:30TAXI分乗でサグラダファミリアへ。聞くと見るとで大違い。というよりこれ程モノゴッツイとは思わなかった。細部がまた大変なものである。衣装を持ってゾロゾロ歩くのはしんどかったが、やはり物凄いものだ。内陣はコンクリミキサーなどで工事現場そのもの。生誕の門と受難の門に挟まれた中央部分は青天井である。悠久の歴史のうちに造り続けてゆくヨーロッパの人の宗教=人の営みに改めて言い知れぬ衝撃と感動を覚える。外尾氏夫妻の尽力に改めて感謝。教会内外の説明を受けた後、司祭館2階を控室にし、教会の地下聖堂へ。3階とは言わぬが2階半はある半球型の穹窿。オルガンはパイプでなくがっかり。やはり響きがもう一つである。中にガウディの墓もある。天井付近に明かり取りがあり、雨や雷の音がもろに入ってくる。そこそこの残響。リハーサルの後控室でおにぎりのサービス。これはたまたま世界巡業中の“劇団らせん館”の協力の下に日本人会が差し入れてくれたらしい。あと共演のコラル・カンティセラと合同練習(Locus isteとEl Cavaller)。指揮者ギュエル氏は若く、なかなか感じがいい。ファンが出た模様。

 ゆうミサの後21:00から演奏会。ほぼ満員。一曲ごとに拍手があり、合同の後西垣ギタリストの赤トンボ、こちらは鳥の歌でアンコール。スタンディングオベーション鳴り止まず。Main Eventということで無意識の緊張があったのか、Agnus Deiの出Mise--をものの見事にBene--とやってひんしゅくを買うが、最高に盛り上がった一夜。あと24時まで控室で両コーラス、モラレーダ氏、総領事夫妻などでシャンパン、ワインでミーティング。コラル・カンティセラによる歌、サルダーナの披露など、とにかくすごい一日であった。


8/25(金) 7:30起床。朝食後昨日と同じでランブラス通りの時計屋へ寄り、中央市場(サンホセ市場)を見る。魚介類が多い。マグロなどぶつ切り。果物、野菜、塩干物など種類も多く色どりも鮮やか。あとリセウ劇場、グエル邸をパスし、フニクラ駅(地下)へ。ケーブルというので眺めを期待していたら、殆ど地下のままであっと言う間にモンジュイックの丘に着いてしまう。ミロの美術館(写真)に時間をかける。中国の特別展示があり、最初要領を得ないまま時間をくう。作品や博物館の建物にカタルーニャの白く明るい光を感じる。そのあと歩いてカタルーニャ美術館のそばを通り、汗をかきかきイスパニア広場へ。更にミロ公園の広場まで行ってからTAXIで帰宿。

 洗濯の後14:30集合してカタルーニャ広場の公営鉄道地下駅(三線集まっている乗換駅)から一路カネット・ダ・マールへ向かう。約1時間の行程は砂浜の打ち続く地中海沿いの行程でもあった。途中迷カメラマンたちが血眼になって望遠レンズで浜辺のトップレス嬢を狙う。カネットはこじんまりした坂の街。彫刻家でガウディより3年先輩というモンタネルの旧居とその業績を外尾氏に説明して貰う(写真)。ほんとに話がお上手である。あと教会のHof2階の児童室へ。小憩後パロキアル教会にて練習及びオルフェオ・ミゼリコルディア(合唱団オルフェウス)との合同練習。素人コーラスだがスペイン気質丸出しの指揮者、メンバーとで楽しく練習。ところがKtさん、KwさんとNさんの三人がいない。どうやら乗り遅れたらしい。次の列車を待つが来ない。その次も・・・・。やむなくサグラダファミリアのミサのリハーサルで小生がソロを仰せつかる。練習の最後頃にKtさんの姿が見えたときは本当にホッとした。結局違う線に乗ってしまたためだそうな。カネット日本センターや劇団らせん館などの昨日に続く助力でおにぎり夕食をいただく。

 20:30開演。そこそこのドーム(Iさんによればカーテンのある分少し音が湿っぽい・・と)は満員となる。祭壇を使い3−4段、非常に歌いやすい。細かいミスはあったが気持ちよく歌えた。昨日同様スペインという熱狂的な土地柄がよくわかる。アンコールは鳥の歌とLocus iste、Cantar del Alma。カネット市長から先生に記念の盾が贈られた。Hof中庭でのパーティは最高に盛り上がり、折り紙指南あり、オペラアリアあり。オペラアリアを歌ったHさんは即席ファンから熱烈なキスを浴びる。バスで24:30帰宿、シャワー後1:30就寝。


8/26(土) 7:00起床。終盤だというのに今ごろになって体調がペースにのってきたのは皮肉。早めのメシ。あと添乗さんにメシ代や交通費など払う。しかし旅行スケジュールにある所定の演奏会のためカネット往復する電車代、バス代をなぜオプションで払わないといかんのか、どうにも解せない。凱旋門、カタルーニャ音楽堂(Musica Catalana:シーズンオフで中には入れず。これもモンタネルの作品。妙にけばけばしいが一度中に入ってみたかった=写真)、歴史博物館を一人で回る。歴史博物館は地下のローマ時代遺跡が凄いもので(BC1〜AD2C etc.)時間不足。加湿してあることもあって蒸し暑い。フレデリック・マレー美術館の中庭を通り抜け帰宿。
 12:00バスで空港へ。警告通り怪しいヤカラが空港内をうろうろ。急遽警備団を編成して見張りにあたる。本日で現地参加の皆さんに別れを告げる。14:55スイス航空でチューリッヒへ。バルセロナからマルセイユ辺への海岸線はよかったが、A席だったのにモンブランなどアルプスはF席側でしか見えずがっかり。

 チューリッヒ空港からバスですぐルツェルンへ。明日からルツェルン国際音楽祭だそうな。あちこちにポスターが貼ってある。アストリアホテル(訳の分からないタイ趣味の装飾いっぱいのホテル。レストランもタイ料理)チェックインののち、有名な屋根付きのカペル橋など見に出る。道ばたにホオズキが植わっていて??。この橋は一昨年、係留中のボートの火事が燃え移って殆ど焼けてしまい、最近ようやく復元したとのこと。ロイス河畔で漂ってきた匂いについつられてフォンデュを注文。ところが具がパンばかりのため不評で急遽サラダ、ポークチャップ、リゾットなどをとってつつくはめになる。しかしゆっくりとした食事。そのため22:00門限に遅れそうになり橋の売店で買い物の後急ぎ帰る。早寝。


8/27(日) 8:30朝食早めにゆき済ます。ちょっと四つ星ホテルにしては品数が少なくお粗末。果物なし(ポンチのみ)。最上階のレストランから中世の城壁の塔がいくつか見える。一つひとつ形が異なるのが面白く、時間があったらゆっくり歩きたいところ。ロビーでザンクトペテルスブルク(旧レニングラード)フィルの出発を見送る。同宿だったのだ。11:00まで朝の河畔を歩く。寒いので長袖シャツにジャケット着用。イエズス教会(写真)でしばし祈りの時。買い物追加。街には外壁にきれいな壁画のある家が多く、心を和ませてくれる。もう一つの屋根付き橋シュプロイヤー橋も見る。川は急流になって橋の下を流れ下ってゆく。
 11:00ホテル出発。バスでルツェルン湖(全体はフィアバルトシュテッター湖という)反対側のアルトドルフまでゆっくり一般道をゆく。途中で湖の対岸にスイス独立当時勝ち取った場所やシラーの記念碑などが見え、記念写真を撮り休憩する。

 13:00アルトドルフに入る。本当にAlt=古い雰囲気をもったdorf=村である。これでも州都だという。町の入り口にウィリアム・テル(当地ではWilhelm Tell)のデカい銅像が訪問者を迎えてくれる。

 まず会場である聖マルティン教会のHofに荷物をおいて、席を予約していただいたレストランへゆき、久しぶりにおいしい「子牛の煮込み、“茶そば(実はヌードルのバター炒め)”添え」を食べる。ビール、グリンサラダとコーヒーとも。これを”事前打ち上げ会”とし、団長の挨拶やK氏の過去6回−本人は4回参加−の思い出話などあり。あと町中をひとりぶらつく。ひっそりとしてる。近々何か美術関係の催しがあり、活気づいているようだ。16:00控室で練習。下がるわ下がるわ。休憩の後緊張が高まったが、あとの会堂練習ではメチャ下がりで手のつけようなし。喉もだいぶん充血している。このあと休憩。そばのカフェでコーヒーを飲みながら西垣ギタリストとしばし雑談。

 夕ミサの後20:30開演。残響4秒以上で音が濁り今までにない混乱。オルガンが後方2階にあり、離れてしまったことも一つの原因か。BuxtehudeとBachをオルガンなしでやる。Buxtehudeはテンポダウンでドギマギ。小憩。オルガン間奏ののちCasalsで少々持ち直したもののMonpou、Brucknerでももう一つ落ち着かず。日本物でも春の海でテナーがカネットと同じ飛び出しミス。アンコールはAve verum1曲のみ。這々の体で22:00終演。よくよく考えるとあの”事前打ち上げ会”がマイナスに働いたのか。。。残念なことではあった。
 あと教会からケーキ、ホットドッグ、紅茶、ジャスミン茶などを出していただき、関係者に記念品を差し上げ(Oさんが奥さんからの折り鶴の手土産のほかに折り紙を披露して喜ばれていた)、これが実質打ち上げ。23:00バスで高速道路経由ルツェルンへ戻る。23:30着。荷物整理、就寝。終わった!!もうこれで二度と外国にゆくこともないだろう。感無量なり。

8/28(月) とうとう終わった。6:00起床、6:30朝食、7:00荷物出し、7:20ロビー集合、西垣ギタリストや、イタリアに行きのメンバーらに見送られ7:30バス出発。チューリッヒ空港でおみやげにチョコレート5箱購入。パリのド・ゴール空港経由一路日本へ。フランスで新幹線に爆弾が仕掛けられたとのことで空港はピリピリ。検査が非常に厳しくなり、発券に手間取り出発約半時間遅れる。ついでながら今回各空港での身体検査に100%ひっかかった。何だったんだろう。

8/29(火) 朝食後25分遅れで関空到着。旅行団長さんご苦労さん。通関後「はるか」で新大阪、TAXIで帰宅。3時間泥のように眠る。


今回旅行のRepertoire
    Missa de la Sagrada Familia               Moraleda
    Missa Brevis                      Buxtehude
    Motette“Lobet den Herrn, alle Heiden”         Bach
    Cantate Domino Canticum novum              Schutz
    Laudate Dominum                     Pitoni
    Ave Maria                        Vittoria
    Graduale“Locus iste”                 Bruckner
    Graduale“Os justi”                  Bruckner
    Salve Montserratina                   Casals
    Cantar del Alma                     Monpou
    El Cavaller Enamorat (Sardana)            Manen
    El Cant dels Ocells(鳥の歌)              Popular Catalana
    春の海                         宮城道雄
    浜辺の歌                        成田為三
    大島節                         民謡
    Laudate Dominum aus“Vesperae Solennes de Confessore” Mozart
    Ave verum corpus                    Mozart
Members:
    Dirigent: 林達次
    Organist: 住山玖爾子
    Guitarist: 西垣正信
    Soloist: 伊藤由佳(S)
    Quartet: 西田満知子(S)、小西和子(A)、宮本佳計(T)、片桐知之(B)
    Chor: 京都・大阪ゲヴァントハウス合唱団(Kyoto/Osaka Kammerchor)