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11月26日

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2つのコンサートに行ってきました。ヴィクター・ローゼンバウム氏と田崎悦子さんのピアノコンサートです。

どちらも例によってベートーヴェンのピアノソナタ32番が含まれたプログラムでした。

10日ばかりの間を空け開催された2つのコンサートは、奇遇にも全く同じ曲目でした。ブラームス・ベートーヴェン・シューベルトの最晩年のピアノ曲

ベートーヴェン最期の3つのソナタというプログラムなら同じでも珍しくはありませんが、3人の作曲家、そしてブラームスの小品まで同じとは。

コンサート会場も同じで、上野の東京文化会館小ホール。これで“比べないで済ます”というのはちょっと無理な話です

 

ローゼンバウム氏のコンサートの感想を先に書きましょう。非常に素晴らしい演奏で感動しましたので。

ローゼンバウム氏のことは、32番のCDを集めていて知りました。

彼のCD録音は2004年で当時52歳。彼の録音のアリエッタの演奏時間は20分強のかなりゆったりめ、

退屈してしまいかねないテンポでありながら、飽きさせない何かがあると感じていました。

その録音から11年後の今回、63歳の円熟期の彼の実演を聴く機会を得て、その“何か”がいったい何だったのかを確かめたいと思っていました。

 

今現在、彼のCDで32番のアリエッタを聴きながらこの文章を書いていますが、今回の実演は、CDよりも素晴らしかったと感じます。

テンポの取り方などはCD録音時の演奏と基本的に変わっていません。ただ、11年前はまだ曲の解釈が曖昧と思われるところが点在しているように

感じますが、今回の実演では曲の隅々まで、各パートにより豊かに性格が与えられ、音楽がとても多層的に聴こえ、

どれ一つとして無駄な音符などなく音楽が構成されている魅力が感じられ(それだけ1音1音の役割が大切にされ)、素晴らしかったです。

 

〜演奏会後のメモより〜

「非常に素晴らしい演奏だった。安定感のある打鍵と堅牢な曲の組み立てが屋台骨をしっかりと支えつつ、

そこから柔軟に構成を崩し表現に幅を与え、また、多彩なタッチを繰り出して音楽が多層的に聴こえる。

曲がどこも意志的・知的にコントロールされつつも、観念的に硬い表現に陥ることがなく、情感も豊かに込められている。

観客のノイズに集中力を失いそうな時は、少し口ずさみつつ、自分の世界を取り戻して集中力を高めて自己の美意識の追及へ戻っていった。

アリエッタは20分くらいのゆっくりとしたテンポだが、どんな弱音パート、低音が主体の中盤パートでも音楽が弱く感じられるようなことがなかった。

それぞれのパートの存在意義を確実に形にしながら音楽を進めていくのだから、(派手な速弾きなどのパフォーマンスがなくとも)

退屈するはずがない。聴けて良かった。」 ※ピアノはスタインウェイを選択

 

ただ、観客はホールの定員649人に対し、200人弱。3分の1も入っていませんでした。それでも手を抜かなかったローゼンバウム氏に感謝。

日本では音楽大学などで彼から学んでいた人を除くと知名度はかなり低いようですが、この素晴らしい演奏を聴き逃すなんてもったいないです。

 

ー*ー*ー*ー

 

その10日前に同ホールで聴いたのが、田崎悦子さんの(ローゼンバウム氏と)同じ曲構成の演奏会。

気持ちで演奏を高めていくタイプの魅力が感じられましたが、残念なところもありました。

 

田崎悦子さんは2008年の大晦日のお祭り「15人のピアニストによるベートヴェンのピアノソナタ全曲演奏会」で初めて知りました。

ピアノソナタの数曲を聴いた後、聴く側の心に残る、何かこだわりの感じられる演奏で記憶に残り、彼女の32番のCDが欲しいと思って

ホール外のラウンジにあったCD販売コーナーを眺めたところ、自主制作盤のCD−Rがありました。しかし後で買おう、と思って

次のピアニストの演奏を聴きにいったんホールへ戻ったのですが、その後彼女の帰宅とともにCDの在庫も持ち帰られたそうで

結局自主制作盤のCD−Rは入手できませんでした。

 

7年前にそうしたいきさつがあり、「逃した魚は大きい」のか、いつか彼女の32番を聴きたい、と思っていました。

今回、彼女の32番の実演が聴けることになり、楽しみにしていました。ホールに入るとNHKのカメラが入っていて、注目度があがっていることを

知りました。演奏会のプログラムでは、彼女の32番への思い入れが書かれてあり、いよいよ期待が高まります。

 

「11月に入り、晩秋を迎えたここ八ヶ岳南山麓は、1年中で最も美しい季節だ。 (略) 先日、散りしきる紅葉のの嵐の中、犬の散歩をしていると、

頭上に大きく広がるピンクとブルーがかった空に敷き詰めたように大小のうろこ雲が、柔らかい風に身をまかせ刻々と色と形を変えていった。(略)

その空を見ていると、西の駒ケ岳の後ろから強烈な光が山々を陰にして逆光となり、強いエネルギーを放ちながらゆっくりと降りていくところだった。

数秒のことだったのか、その輝きの強さに私は金縛りにあったように身動きできずにただ立ち尽くしていた。

その時確信した・・・・・あれはベートーヴェンの「最後のピアノソナタそのものだ!」と。

最後に放たれるあの威厳、優美さ、輝き、何事も何者もを恐れず受けて立った苦難の人生そして作品のゆるぎなさ。」 (演奏会プログラムより)

 

〜演奏会後のメモより〜

 

「気持ちのこもった演奏。彼女の美意識・祈りの感情を込めて演奏しているのが感じられる。

(淡々と演奏しているものよりはるかに良い)

ただ、気合が入りすぎると、手に力が入り、タッチや間合いの取り方が単調になるように感じられた。

NHKのカメラが入っていたことが、彼女をより緊張させていたかもしれない。

小さなミスは上手く処理していたが、アリエッタの最期の大切な所で主題が帰ってこない大きなミス。

余韻の美しい最後の雰囲気が損なわれ、少し残念だった。」 ※ピアノはベーゼンドルファーを選択

 

ただ、演奏会場で今年録音した最新版の32番のCD「三大作曲家の遺言vol,3」が出ていることを知り、さっそく入手して聴いてみたところ

これは良い演奏の録音になっています。(アリエッタの演奏時間17分)

 

2004年録音のローゼンバウム氏のCDと、2015年録音の田崎悦子さんのCDのアリエッタの聞き比べをすると

田崎さんの演奏の方に軍配をあげたくなります。

 

前に作ってあるものを展示する美術家と違って、演奏家は一発勝負の良し悪しもあって大変ですね。

田崎さんは不器用な方のようにおみうけします。一本気というか。マルチに何でもこなすタイプとは正反対。

アンコールで演奏し終わったブラームスの曲の再演をされるのには驚きました。

きっとこの数か月間は、演奏会の3曲だけをひたすら突き詰めて練習してきたのだろうなぁと思いました。

(アンコールに洒落た曲を披露しようなんてことは思い及ばなかったのかも)

 

NHKが収録したこのコンサートの放送はやるのかなぁ?田崎さんがOKを出さないような気がします。(そんなキャンセルがもし可能なら)

 

そうしたところには(私も同種の人間ですので)共感してしまいます。

しかし、32番の実演に関しては、素晴らしかったマリア・ジョアン・ピリスさんの演奏とヴィクター・ローゼンバウム氏の演奏に日程的に挟まれた結果、

印象が少し薄れてしまった、というのが正直なところです。

 

追記:この日の田崎悦子さんのコンサートは、2016年1月22日(金) NHKクラシック倶楽部にて放送予定のようです。