ペスとの別れ

 

ペスは私と妹が初めて自分たちの意志で飼い始めた犬でした。

まるで兄弟のように駆け回り、転がりまわり、一緒に遊んだわんこです。

なのに、なぜ気づかなかったのでしょう。なぜ考えなかったのでしょう。

ペスも病気なるのだということに。 

わんこにも命とりになるような恐ろしい病気があるのだということを。

7歳くらいだったでしょうか。

父が 『ペスは最近ヘンな咳をする』 と言っていました。

けれど、それでも特に何も思わなかったのか、考えたくなかったのか、

何も特にしてあげませんでした。

そしてある日ペスは大量の血を吐きました。

ただ事ではない様子にお向かいのおじさんにそのお宅のわんこのかかりつけの

獣医さんに往診を頼んでもらいました。

ペスはお医者さんにかかったことがありませんでした。

獣医さんに1度も連れていったことがありませんでした。

病気になっても、どこに獣医さんがあるのか、それすらわかりませんでした。

確かに当時我が家の近くには獣医さんはありませんでした。

往診にきてくださった獣医さんは3つ離れた駅のそばにありました。

ペスは秋田犬の血が半分入っています。抱いて連れていけるような大きさではなく

父が車に乗せて連れて行ってくれることもありません。

往診の結果、フィラリアの末期だと診断されました。

『フィラリアって何?』『そんな1度かかったらもう治らないような怖い病気があったの?』

頭から血が引いて、その場にしゃがみこみそうなショックでした。

獣医さんは 『このあたりは蚊が多いから、たいていの犬は5〜6歳でフィラリアで死にます。』

とおっしゃっていました。 

できることは・・・おなかに溜まったお水を抜いて少し楽にしてやることだけ。

何度か往診にきていただいて、注射をしてもらい、その度にペスは大量のおしっこをしていました。

お薬をもらいに行ったこともありました。

ほとんど何も食べなくなり、かまぼこをひときれ食べたと言っては喜び、ソーセージを二口

食べたと言っては喜び、そんな毎日でした。 暑い暑い夏の日でした。

ある夕方、妹が学校から帰ってきたら、ペスはいつもと同じように犬小屋の淵に前足を乗せその上に

顎を乗せて眠るように亡くなっていたそうです。

その後学校から戻った私はペスの死に言葉もなく、後悔ばかり、涙があふれて止まりませんでした。

前日は日曜日、みんながペスの周りに集まっているときにペスは大量の血を吐きました。

苦しかったろうね。辛かったろうね。

その日が近いことはなんとなくわかっていたような、けれど認めたくないような、そんな毎日でした。

そして、なんで知らなかったのか、どうしてもっと気をつけてやらなかったのか、

自分をすごく責めました。

ペスを貰ってきたころは小さな子供で何も知らなかったとはいえ、その後の7年あまりの間に

なぜ1度もわんこの病気について考えなかったのか。。。

私はわんこの飼い方とかの本を読まなかったのかしら。どうしてだったんだろう。

今思うとそのあたりがよくわかりません。

ペスが来た頃はたぶんフィラリアの予防薬などなかったと思います。

ペスが病気になった時にはミクロフィラリアを殺す注射はありました。

ただその注射は血管に死骸がつまって犬が死んでしまうことが多いと

先生はおっしゃっていたように記憶しています。 なんにしても末期になってしまったら

手のほどこしようがなかったのだと思います。

後悔、後悔、後悔

ごめん、ごめん、ごめんね、ペス。

ペスの死はあまりに辛すぎて、友達に 『わんこの具合どお?』 と尋ねられても

『死んだ・・・』 としか答えられない状態でした。 口を開いたら同時に泣き出してしまうのです。

涙があふれて顔がゆがんでしまうのです。 口を一文字にしてじっと空を睨んでいるしかないのです。

何もいえない、ただペスに悪くて、ペスがかわいそうで、申し訳なくて、ただただ後悔だけ。

ペスはむしろに乗せられて家族みんなでその四隅を持ち、最後に庭を一周一緒に歩いて

庭に埋めました。 『ここならお家が見渡せるね』 と。

ペスは我が家の現在のわんこ墓地の中の一等地に今も眠っています。