ペスが我が家にやってきた

 

にゃんこのペロちゃんはリード付きの生活をしていました。

にゃんこと言えば自由にうろうろしているものと思っていた私には

最初ちょっと馴染めない姿でしたが、そのうちだんだんと慣れていきました。

リードをつけているってことは・・・お散歩ができるってことだ!

実は私はお散歩にとてもとても憧れていました。猫でもお散歩が出来るんや!

ペロを連れてお散歩をすることにしました。

ところがペロといえば、なかなか前へ進みません。その上ちょっと歩いたと

思ったら庭の木を一気に駆け登ってしまうのです。一瞬のことです。

あれよあれよという間にリードが枝に巻きついて動けない状態になってしまうのです。

『ペロじっとしてるんやよ。』無理に飛び降りたら首吊りになってしまう。。。

物置小屋から木製のはしご(今風の三角のはしごではないよ)をえっちらほっちらかつぎだし、

妹に『しっかり持っててね。絶対に離さないでね。』と言いつけて、そろりそろりと

はしごを登り、枝に巻きついたリードをほどいて 『ペロ、降りておいで!』

ペロは私の肩から背中にしっかりと爪をたててしがみつき、またそろりそろりと降りるのです。

背中はひっかき傷だらけ。当然お散歩は終わりです。

何度トライしても、ちょっとした隙に木に登ってしまい、家の敷地から外に出るまでもなく

お散歩は中断、終了となってしまいました。

『ペロはアカン。お散歩出来へん・・・・・』

わんこがほしい、わんこがほしい。お散歩に一緒にいけるわんこがほしい。

妹とふたりして切々と両親に訴え、やっとその念願がかないました。

自分達で世話をするという約束の下、父が承諾し『茶色で黒マスクをした雄のわんこ』を

捜すことになりました。どういうわけだけ父によると茶色で黒マスクのわんこがいいのだ

そうでした。なんでだったんだろ? 私はどんなわんこでも良かったので、とにかく

そんなわんこが一日も早く見つかることだけを祈っていました。

叔母から 『近所でお望みのわんこが生まれたよ』 と聞かされたときは大喜び!

いつ? いつもらいに行ったらいいの?

まもなく 『わんこを取りにおいで』 と連絡が入りました。

叔母の家には何度も行っていますが、ほとんどは車だったし、子供だけで出かけたことも

ありませんでしたが、このときは妹とふたりででも行く!すぐ行く!と元気一杯。

わんこを入れるための藤製のバスケットを持って、妹とふたり、

近鉄、地下鉄、京阪を乗り継いで、途中京阪では逆方向に行く電車に乗ってしまう

という失敗をしながらも無事到着。そこには小さな小さなわんこがダンボール箱の

中で眠って私たちを待っていてくれました。

帰り道、ふたりで何度もバスケットの中を覗きながら、うれしくて飛び跳ねそうな

気分、乗り換えの度に駅員さんに『犬を連れています。いくらですか?』と聞くのが

とても誇らしく思えました。 確か3つの鉄道会社のうちひとつの電車の駅員さんは

『どこにおるん?』とバスケットを覗き、『これか?これやったらお金はいらん。

このまま乗りなさい。』と言ってくださいました。 普通は小荷物扱いでした。

子犬は一度もなかず、大人しくずっと眠っていました。

夕方になり母が帰ってきて、勝手口に眠っている子犬を見て

『こんな小さいの?! まだ早すぎるやろ。これじゃ育てへんで。』と言いました。

『え?』 私も妹もわんこが生後どれくらいすれば親から離しても大丈夫なのか、

などという知識はありません。

『え? 小さすぎるの?』 『でももう取りに行ってもいいってゆうたやんか。』 

確かに今振り返ればその子犬は小さすぎました。まだ目が開いて間もないくらいの、

歩くというよりまだ這いずり回っているに近いような状態の子犬でした。

『何を食べさせたらいいんやろ? まだ歯がないよ。』

母が哺乳瓶を用意してくれて、それで牛乳を飲ませてみました。

かわいい!!! 哺乳瓶を小さな手で抑えごくごくと飲んでいます。

哺乳瓶で牛乳を上げるのはとてもうれしくていつも妹とその係を取り合っていました。

『今日は私!』 『もうええやろ、代わって!交代して!』

やがて、子犬は離乳食(おじやというかねこまんまというか)を食べはじめるようになりました。

この子がペスです。お母さんが秋田犬、お父さんは不明。

私と妹がやっとこ手に入れた愛犬ペス、兄弟のような存在でした。

最初は赤ちゃんだったペスはやがて優しい頼もしいおにいちゃんになっていきます。

そして、これからペロとペスの心温まる交流も始まるのです。