ペロの旅立ち

 

それは4月の始めのことでした。

居間でいつものように母と妹と私とペロ。

ペロはお座布団の上で身づくろいを熱心に続けていました。

『 ん??? 』

何か白いものが見えます。

『これ何やろ?』

陰部から白いとろりとしたものがひっきりなしに出てきます。

ペロはそれを気にしてせっせと舐めているのです。

『おかしいね。』

その日だったのか、その翌日だったのか、ペロは我が家にやってきて初めて

免許取り立てほやほやの私の運転で獣医さんに行くことになりました。

母がペロを抱いて助手席に。

ペロは18歳になっていました。

その獣医さんはロンがお世話になっていた駅向こうの獣医さん。

院長先生を始め若いインターンかな、と思われる先生まで数人の先生と看護婦さんがいらっしゃいます。

診てくださったのは若いインターンかなという先生の中では一番上かな、と思われる先生でした。

本当は院長先生に診ていただきたかったけれど、

わんこのフィラリアくらいでしかお世話になったことがないのですから、

そんなことも言えませんでした。

簡単に診断がつきました。

『子宮蓄膿症ですね。』

わんこの病気もにゃんこの病気も、私も母もほとんど知識がありませんでした。

『何ですか?』

『子宮が何かの菌でやられて化膿しているのです。手術しますか。』

『手術って?』

『子宮を取ります。』

『でもペロはもう18歳です。おなかを切るなんて大丈夫ですか。』

『子宮を取らないと1週間で死にますよ。それ以外に治す方法はありません。』

『普通の元気な猫ちゃんなら手術した翌日には退院していきます。』

『18歳の猫の手術は経験がないので、どうなるのかわかりません。』

1週間で死んでしまう。その瞬間までペロが死ぬなんて考えてもみませんでした。

膿はでていましたが、ペロはいつもの変わらず元気でしたから。

どうしよう・・・でもこのまま連れて帰ったら死んでしまうねんよね。

普通は手術したあくる日には退院できるくらい簡単な手術やねんよね。

連れて帰ったら死んでしまいますよ、と言われたら、預けて帰るほかありませんでした。

帰りの車にペロはいません。初めて体験する病院で、置き去りにされてしまって

ほとんど家の中でしか過ごしたことのないペロが大丈夫でしょうか。

確か翌日が手術だったと思います。祈るような気持ちで電話がなるのを待っていました。

そこに無事に終わったからと電話がありました。

良かった・・・大丈夫やったんやね。ペロ頑張ったんやね。

その日の夕方ペロに会いに行きました。

入院病棟というのを初めてみました。

大小さまざまな大きさのケージが積み上げられてあるだけの場所で、

わんこもにゃんこも同じ部屋でした。

ペロはわんこにも慣れていません。どれほど心細い思いをしていたでしょう。

その翌日もお見舞いに行きました。ペロは診察台の上に磔にされたような形で

手足を縛られ点滴を受けていました。

退院できるかなと思いましたが、『もう1日泊まってもらいます。』 と言われてしまいました。

点滴が終わったペロは 『 にゃお。にゃお。』 『連れて帰って!ここは怖いよ。おうちに帰りたいよ。』

必死の表情でしがみついてきます。

引き離しても引き離しても、またしがみついてくるのです。

連れて帰ってあげたかった・・・けれど翌日の夕方には退院できると先生はおっしゃいます。

もう1日病院で点滴を続ける、と。

翌日の朝、夕方には退院できるのですが、前日の様子からしてペロが寂しがっているだろうからと、

またお見舞いに行きました。

裏口から入ってそのまま入院病棟に行こうとすると、

手術室の扉が開いて 『 ちょっとこちらにきてください 』と呼び止められました。 

ここは何かな? 手術室だということも知りませんでした。

中に入ると手術台の上にいっぱい管をつけられた形でペロが横たわっていました。

おめめはまんまるに開いていました。

『点滴の最中に心臓が止まりました。20分心臓マッサージを続けていますが、自発呼吸が戻りません。』

『もうはずしていいですか?』

考えたこともない、予想もしない状態に、何もいえず、目の前の光景を信じられない思いで

ただ見つめているだけでした。

『これ以上やっても意味がないと思います。はずしますけれど、いいですね。』

黙ってうなずくしかありませんでした。

『連れて帰られますよね。今きれいにしますから。』

気がついたら私は手術室の壁にもたれかかったままずるずると床に滑り落ちてペタンと座っていました。

目の前でまだ柔らかないつもの変わらないペロが脱脂綿できれいに拭いてもらっていました。

頭の中がまっしろで何も考えられなくなっていました。

どうやってペロを連れて帰ったのか。助手席にダンボール箱に入ったペロがいたのは

覚えています。 涙も突然のことでうまく流れないような空白の時間でした。

ペロが帰ってきたら、傷口が痛いだろうから段差はないほうがいいよね。

ペロのトイレはおうちの中に置いてあげたほうがいいよね。(それまでは土間においてありました)

寝床はその近くがいいよね。

前日の夜、辛い手術から戻るペロを気遣って準備した新しいペロの部屋。。。

そこに帰ってきたのは、もの言わぬ、動かぬ姿となったペロでした。

母に連絡し、お線香をたててたったひとり 『 ごめんね、ごめんね。 』

ひとりぽっちで怖かったんやろうね。

おうちに帰りたいってあれほど訴えてたのにね。

助からないのならば、手術なんてするんじゃなかった・・・

同じ死ぬのならば、長年住み慣れた我が家で逝かせてやりたかった。

初めて行った病院で痛い思いをし、恐怖を味わい、そのまま旅立たせてしまうなんて

なんて残酷なことをしてしまったんだろう。

『ごめん・・・ごめん・・・』

春、桜の花が散る頃、ペロは18年の生涯を閉じました。

小学生だった私が社会人になっていました。

ずっと私の成長を見守ってくれていたペロ。

ペロ、長い間本当にありがとう。