番犬

 

ロンの死を経験するまで私は 『わんこは番犬』 ということに何の疑問も持っていませんでした。

ロンの死の原因がわからず、『もしかしたらドロボウの犠牲になったのかもしれない』 と

知った時に初めてその恐ろしさを感じました。

今は、秋田犬には胃捻転や腸捻転など1日2日で死に至る病気が遺伝的に多いと知り、

もしかしたらそうだったのかもしれないな、などと病死の思いもありますが、

当時は 『ドロボウに毒を飲まされたん?』 という思いが消えず、番犬だったからか、

と思うと居たたまれない気がしていました。

家族でたった1匹ドロボウのために命を落とした・・・

番犬って家族のために1番に命を落とす、家族のために命を張って見張りをする、

そのために飼っているの? そのために存在するの?

けれど当時は周りを見ても、そのことに疑問を持っているような人はいなくて、

ごく少数の小型犬が座敷犬とか呼ばれて愛玩用にいる程度でたいていは庭につながれ

見知らぬ訪問者に吠えるわんこ、『番犬』がほとんどでした。

なんかすっきりしない。なんか違うような気がする。

私はロンをそんなつもりで見ていたわけではなかったような、でも番犬だったよね。

そのことに何も疑問を持っていなかったよね。

そしてロンは死んでしまった・・・

まだ若い死ぬような年齢でなかったロンの死、何もしてやれないまま迎えてしまったロンの死は

いつまでたっても消化不良のままでした。

けれど、例のドロボウ事件ではあやうく妹が巻き込まれるところでした。

父は即座に行動を起こしました。

家族を守るため。

当時我が家の周囲はブロック塀の囲いがありました。

父はその上に1Mほどフェンスを積み上げました。

外から簡単に入って来れないように、と同時に庭でわんこを放し飼いにするためです。

わんこの庭付き一戸建て住宅も完成しました。

そしてロンの死からわずか2ヵ月後チコとニーナの2匹を

新たに家族に、番犬に、と迎えたのです。

 

吠えないわんこは 『バカ犬』。 かしこくないわんこ。

『こいつはいっこも吠えよれへん。全然番をしよれへん。あほや。』

『お宅の犬はよう番をするなぁ。ええ犬やな。』

そんな会話が当たり前のような中で、私がへんなんかな、番犬が普通で、人を守るために

みんなはわんこを飼っているのかな、なんかちょっと違うような、とか疑問を持ちながらも、

異論を言えるほど気持ちもしっかりしていませんでした。

わんこを大事な家族だと思っていながらも、一方でやはり番犬、人を守るためのわんこだったのです。

番犬が悪いわけではないと思います。番犬であってもいいのです。

来客があったら知らせてくれる、不信な来訪者には警戒信号を送ってくれる。

りっぱなお仕事です。

ただ・・・今なら、今の私ならば、わんこは番犬であっても、

自分達を守ってくれる存在ではなくて

何かあれば、守ってやりたい家族だと断言できます。

番犬してくれたらうれしいけど、命をかけてすることはないよ。

人に嫌われない程度にね。何か怖いことがあったら私のところに逃げてくるのよ。

私が守ってあげるからね。 絶対に守ってあげるからね。

番犬である前に家族の一員。

 

時代の流れと共にわんことの暮らし方にも変化がありました。

使役犬も増えました。盲導犬や介助犬、セラピードッグもいるし、番犬、猟犬だっています。

けれどわんこは今も昔も基本的には何も変わらない。

飼い主に忠実で素直で純粋で、精一杯家族の思いに答えようとし、

愛してね、なるだけ一緒にいてね、ずっと一緒だよね、そう訴えているように思えます。

人それぞれわんこに対する考え方が違い、接し方も違います。

わんこの務めもそれぞれ違います。

ただどんな環境であっても信頼関係を崩すようなことがないように、

人もわんこも誠実に見詰め合って最後の日まで共に過ごしてほしいとそう願っています。

私たちと同じひとつの命です。途中で見捨てるようなことはしないでほしい。

尊い命、どんな目的であれ、迎えいれた限りは最後まで見守ってあげてほしいとそう思っています。