今、思う事

 

『手術中にも1度心臓が止まったんです。』

後日母と手術費等の精算をするために獣医さんに行ったときに

主治医の若い先生が窓口に出てこられてそうおっしゃいました。

私はどうしても 『お世話になってありがとうございました』 という気分になれず

ずっと押し黙ったまま先生を睨みつけるように見つめていました。

母は話をしていましたが、母とて話す気持ちにはなれないようで、

『そうですか』 などと言う程度。

『1度はまた動きだしたんですけどね。2度目はダメでした。』

先生は決して私のほうを見ようとはせず、母に向かって話をしていました。

・・・ やっぱり無理やったんや。手術なんて耐えられるはずがなかったんや。・・・ 

一度は止まってしまった心臓が再び動き出し、生を取り戻したペロが

あの日、『連れて帰って。おうちに帰りたい。』 と必死で訴えていました。

たぶん持っていた全ての力を振り絞ってしがみついてきていたのでしょう。

なのに、最愛の、1番信じていた、私に引き離されて、置き去りにされてしまった。

あの時のペロの気持ちを思うと、今でも胸がつまってきます。

あの日、あの時、ペロは生きる気力を無くしてしまったのかもしれません。

知らなかったよ。 もう1度おうちに帰ろうと精一杯頑張ったんだね。

結局ペロの最後がどんなものであったのか、その時そばにだれかがついてくれて

いたのか、など、全く聞かないままでした。

ひとりだったのかな。だれかそばにいてくれたのかな。

だれかがいてくれたとしても、ペロにとっては安らぎにはならなかったよね。

知らない、怖い、病院の人だものね。

院長先生は手術室ではいらっしゃいましたが、最後まで一言の説明も

あいさつもしてくださいませんでした。

治療に問題があったとは思いませんが、もっときちんと事前に事後に

責任者である院長から説明があってもいいのではないかな。

だって、奥で看護婦さんと楽しそうに雑談されていたのですもの。

なぜこっちに来れないのかなぁ、と。

 

獣医さんは専門の知識と経験と腕を持ったプロです。

けれども、所詮アドバイザーなのです。 治療を実行するのは先生ですが、

決断して治療法を決めるのは先生ではなくて家族=飼い主。

その子の性格を1番よく知っている家族が、飼い主が

決めないといけないのだと思います。

病気を、ケガを治療してくださるのは先生だけれど、

心のケアまではできないのです。

先生に全て任せてしまって、手術に不安があっても、連れて帰ってやりたいと

思っていても、打診はするものの、すべて先生のおっしゃる通りにしてしまった

ことは飼い主の怠慢だったのかもしれません。

先生にお任せ、ではダメなのです。きちんと聞いて、しっかりと確認して、

飼い主が納得した上で、治療法を決めないといけないのです。

言葉を話せない小さな命を預かっているのは、先生ではなく家族、飼い主。

2001年7月、チコが同じく子宮蓄膿症だと宣告されたとき、真っ先にペロのことが

頭に浮かびました。 年齢分衰えてはいるけれどすべて健康、そういわれていたチコ

でしたから、もしも命にかかわるような病気になるとしたら、ペロと同じになるかもしれない、

という思いは数年前からありました。 やっぱり・・・また・・・

『どうやった?』 病院から帰った私とチコに母が聞きました。

『子宮蓄膿症やて。』 

『 ・・・・・ 』 

『それってペロと同じ病気やね。』

『もう手術はやめてな。』

『ペロみたいなかわいそうな思いはたくさんや。このままそっとおうちにおいてやってな。』

ペロが旅立って15年ほどの時間が流れても、私たち家族の心の中に

その時の悲しさ、辛さは、しっかりと刻み込まれ消えることはなかったのです。

ペロのことがなければ、チコに手術を、と考えたかもしれません。

年齢的にもペロと同じような事態にならないとは限らない、なる可能性が低いとも言えない

そんなチコに手術の決断はできませんでした。

今度は手術をしなくても完治とは行かなくても普通に過ごせるかもしれない、

という内科的対症療法も選択肢にありました。

『手術はやめておこう。』

チコには、もしかしたら寿命は短くなるかもしれないけれど、

最後までおうちで過ごしてもらおう、ペロのような恐怖と孤独を味わうことのないようにしよう、

という方法を選びました。先生に何度も何度も話を伺い、考えた結果でした。

チコが望んでいることはなに? そればかり考えて決めた治療方法でした。

犬と猫とどっちが好き? と問われれば間違いなく犬と私は答えます。

縁あって家族になって20年近くも一緒に過ごしたペロは

私にとっては最初で最後のにゃんこ家族です。

トカゲをくわえて居間に戻ってきて、『これ、プレゼント』。

みんなが悲鳴をあげて逃げ回ったこともあったね。

庭に侵入してきたよそのにゃんことケンカをして肩口に深い穴をあけて帰って

きたこともあったね。あの時私は初めてペロの老いを感じたよ。

それまで負けたことなんてなかったものね。スリムだけれど、敏捷でしなやかで

気の強いペロだったものね。あれはいくつくらいの時の事だったんだろうね。

ねずみが出た〜、といえば、ペロの登場だったよね。台所をペロがねずみを

追いかけて走り回り、私たちはきゃぁきゃぁ言って逃げ回っていたよね。

ペロのトイレ掃除は私の仕事だったのに、さぼってばかりで、汚れの限界まで

放っておいて、綺麗好きのペロは不愉快だっただろうね。

雷大雨の日、お留守番をしていた私たちはペロを抱いて、

『怖いよう、怖いよう、お庭の木が折れてしまう。おうちの上に倒れてくるよ。』

とひぃひぃ泣いていたっけね。まだ小さい子供だったよね、私たち。

 ペロは優しく顔を舐めてくれたよね。

幾晩も幾晩も一緒にねんねしたね。

ペロのゴロゴロは子守り歌、ペロのぬくもりはこたつ以上に暖かだったよ。

ペロの最後の願いを聞き届けてあげられなくて、ほんとうにごめんね。

それだけが、それだけが、大きな悔いとなって今も心の中にあります。