ドロボウ事件とロンの死

 

ロンがたぶん4才の頃のことです。

夏の終わりころの事でした。

仕事から戻るとなにやら家の様子が変です。

大勢の人が庭をうろうろしています。警察?

『ただいま。何かあったん?』

母がドロボウに入られたと言います。

当時にゃんこのペロちゃんはすっかりおばあさんになり、おうちの中で終日放し飼いに

していました。そそうが多くなってきていたので、座敷にだけは入れないように、

必ずふすまを閉めておくように、と言われていました。

そのふすまが母が帰ってきた時に開いていたのだそうです。

それで母が 『へんやな、確かに閉めておいたはずやのに。』 と思いながら

ふすまを閉めに行きました。

そのときに南側、前栽に面した縁側のカーテンがゆらゆら揺れている事に気づき、

カーテンを開けて見ると、ガラスが割られ鍵が開けられていたのだそうです。

庭も家の中もおまわりさんだらけ。

『悪いけど、指紋取らせてや。』 私が指紋を取ってもらっていると、妹が学校から帰ってきました。

『どうしたん?』 『ドロボウが入ったんやって。』

妹に経過を報告すると、妹は意外なことを言いはじめました。

なんと、妹は昼間1度家に帰ってきて、それから学校に再度出かけていったそうなのです。

昼間家に戻ってきたときに座敷へのふすまが開いていたので、母が開けっ放しで

出かけたのだと思い、ペロちゃんが入ったらまずいと思ったので、閉めた、と言うのです。

妹は洋服だけ着替えて電話を2件ほどかけて、出かけたといいます。

--- 母が出かけるときに閉めていったふすまが妹が帰ってきたときには開いていた ---

--- 妹が閉めたふすまが母が帰ってきたときには開いていた ---

ということは・・・妹が昼間家に帰って来た時に、ドロボウは家のどこかに潜んでいた、

ということです。妹が出かけたのを確認して再び物色を始めたということでしょうか。

『そういえば、ペロちゃんがクモの巣だらけやってん。いったいどこに入ったんかな、って思ってん。』

『あの時ドロボウがどっかに隠れてたん? つかまえたらよかった。』

ペロちゃんは見知らぬ人におびえ、どこかに隠れていたのだと思います。

やがて、連絡を受けた父も仕事から戻りました。

刑事さんが、『気づかないで良かった。そのままお家にいないで出かけてよかった。

でないと居直り強盗になったかもしれん。』 とおっしゃいました。

我が家は敷地の真中から西側に家が建っています。ロンは敷地の北東につながれています。

ドロボウは南西から進入していました。家が建っているので、ロンのいる場所からは

まったく見えない場所からの進入です。

刑事さんは 『こんな広い屋敷で庭の隅っこに犬をつないでいたら、どんなに大きな犬でも

どうしようもない。庭で放し飼いにしたほうがいい。』 とおっしゃいました。

その日は夜中過ぎまで警察の人たちがあちこちの指紋を取ったり庭を調べたりされていました。

そのあと、ロンのところに行き、やっと晩御飯をあげて、

『ロン、ドロボウ見たん?』

『気ぃつけへんかったん?』

ロンはただ尻尾を振るだけ。

大勢の警察の人たちが庭をうろうろされていてものんびり様子を見ているロンです。

『おまえは番犬には向けへんなぁ。』

『お姉ちゃんがもしかしたら大変やったかもしれへんねんで。』

『全然気づけへんかったんか?』

ロンは何も言いません。ニコニコのんびりしているだけです。

翌朝みんな眠い目をこすりながら、仕事へ、学校へ。

はっきりとした記憶はないのですが、当時わんこのご飯は夜に1回だけだったし

ろくにロンの顔を見ることもなく、あたふた出かけたのだろうと思います。

夕方戻ると 『ロンの様子がへんやねん。』 と聞かされました。

確かに元気がありません。ごはんも食べない。横になったまま動こうとしないし呼吸も粗いのです。

『どうしたんやろ。』

もう夜です。車の運転が出来るのは父だけ。父は普段は夜の11時頃にならないと戻らないし、

獣医さんにワンコを連れていってくれるとは到底思えません。

けれど、動けない40KGS近い大きなロンを抱いて獣医さんに連れていけるはずがありません。

夜帰ってきた父に話しましたが、獣医さんに連れて行くなど考えもしない様子です。

おろおろする私に

『昨日は普通やったし、明日の朝には元気になってるかもしれない。

まだ様子がおかしかったら、往診をお願いしたらいいやん。』 と母が言います。

わんこの救急病院なんてないし、懇意にしている獣医さんもないし、それしか方法がありません。

翌朝もロンの元気はありませんでした。どうみてもおかしい。どこか悪いのです。相当悪い。

動きません。はぁはぁとしんどそうです。

何が起こったんやろ。どうしたんやろ。

ドロボウが入ったその日までは全く普通だったのに。

とても気になりましたが、『そんなことで仕事を休んではいけない。他の人に迷惑がかかる。

ちゃんとしておくから仕事に行きなさい。』

と言われ、あとのことは母と妹にまかせて、いやいや仕事に行きました。

何時頃だったでしょう。10時?11時?

『お家から電話よ。』

と言われ受話器を取ると嗚咽が聞こえてきました。

『もしもし、どうしたん?ロンがどうかしたん?もしもし!』

妹が泣きじゃくりながら、 『ロンが死んじゃった・・・』

泣きじゃくる妹からやっと聞き出せたのは、

獣医さんに往診を頼むために様子を言わないといけないと思い

ロンのそばで様子をみていたときにロンが急におかしくなり、抱きかかえていたら、

痙攣を起こしてそのまま死んでしまった、という事でした。

『わかった・・・』

何も言えず、受話器を置いてそのまま屋上に駆け上がりました。

涙が、涙が、ぼろぼろこぼれ、こらえようとしても止まりません。

なんで? なんでなん? おとといまでは元気やったやんか。

なんで? なんで? ロンがなんで死ぬの。

信じられない、考えられない出来事でした。

その日はもう仕事になりません。

時間が来るのをひたすら涙をこらえて待っているだけです。

なんで? 

だって全然病気の様子なんてなかったやん。

まだ若いやんちゃ坊主やで。

ロンが死んだ?

ロンが死んだ?

ロンが・・・・・

家に戻った私を迎えてくれたのはいつものロンではなく、

冷たく硬くなった動かないロンでした。

その後のことはほとんど覚えていません。

覚えているのはロンをペスの隣に埋めたことだけです。

あの日のことは、私の心のどこかにしっかり鍵を閉めてしまいこまれて

しまったようで、思い出せないのです。

数日後、刑事さんが経過報告に立ち寄られました。

和ダンスの上の引き戸の奥から採取された指紋が交通違反でつかまった人の

ものと一致したこと。けれど本人は否定し、けれど、アリバイもはっきりしないこと。

ただ一致した指紋がひとつだけで決め手に欠けること。

途中で刑事さんがロンのいないことに気づきどうしたのか、と問われました。

亡くなったことを告げると 『何か食べさせられたんかいな。』

結局犯人はつかまらず、そしてロンの死因もわからないままです。

急性の病気だったのでしょうか。

それとも刑事さんの言われるように何か悪いものでも食べさせられたのでしょうか。

ドロボウの入った翌日の朝はバタバタしていて、ロンを気遣うこともしなかったのですが、

そのときから具合が悪かったのでしょうか。

ロン。もうペスのような辛い思いはさせないからね、と誓って一緒に暮らし始めたロン。

なのに、何もしてやれず、どうしてやることも出来ず、

死に迫る苦しみを味わっているのに楽にもしてやれず、

たった4年ほど生きただけでその生涯を閉じさせてしまいました。

いったい何が悪かったのでしょう。

どうしてこんなことになってしまったのでしょう。

そのときのショックは測りきれません。

たったひとつの救いは、妹がロンを抱いているときにロンが旅立ったこと。

ひとりぼっちでなかったこと。

けれど、ロンがたった4年しかこの世を楽しめなかったことは事実。

何もしてやれなかったことも事実。

私には犬を飼う資格がないのかもしれない。

もうこんな辛さを味わうのはいやだ。

痛すぎる痛すぎるロンの死でした。