なぜだ・しろうの部屋 |
なぜだ・しろう
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誕生〜 学生時代 |
中華人民共和国が成立した年の4月、エリザベス女王の誕生日にボクは生まれた。小学校時代の思い出シーンは苦手の体育ばかり。跳び箱、倒立、徒競走、マット運動・・・ああ今だに心が痛む。 中学校時代には図書館クラブに入り、図書室入口のショーウインドーの中に様々の作家や新着図書を紹介する常設コーナーを担当した。確か月変わりで新しい企画を考え、ディスプレーを工夫した。そのときの苦労が今も、楽しい思い出としてよみがえる。また人間的に素敵な美術の先生にも出会い、休み時間や放課後にはよく美術準備室に入り浸っては心の安らぎを得ていた。 高校時代には、熱血漢で行動派の国語の先生、心優しい美術の先生との出会いがあった。もう一人、授業での語り口が絶妙な世界史の先生も忘れられない。その先生の影響で好きになった世界史。それを学べるいくつかの有名大学を受験したが、いずれも失敗。結局、小さな私立大学の文学部社会福祉学科に入って、児童福祉を学ぶことになった。 大学時代には、北海道各地の児童福祉施設をまわった。そのさいの貴重な体験実習は、未熟なボクの精神を大きく揺さぶり、鍛えてくれた。まるで牢獄のような部屋に隔離されていた、当時の重度精神障害児や一般社会から遠く離れた田舎にポツンと建つ施設で生きる知恵遅れの子たち。社会的に大きなハンディを背負った子らと、彼らを取り巻く過酷な現実を前にしながら、あるべき社会の姿や人間の生き方を深く考えさせられた。 |
サラリーマン時代 | 社会人としてのスタートは、過疎のまちの児童養護施設での指導員。しかし狭い世界しか知らない、いい加減な都会青年のボクにとって、そこでの生活と仕事は挫折の連続であった。悔しさを胸に1年で都会に戻った。パートタイムで勤労青少年ホームの指導員をしながら教員試験にもチャレンジ。その後、農業関係の専門出版社で月刊誌の編集記者を約8年続けて、さらに広告制作プロダクションでコピーライターとしても働いてきた。 |
フリーランス時代 | 1985年ころから、ライターとして一人で活動をし始めた。主に企業PR誌や自治体広報誌の取材記事を手がけて、何とかこれまで生き抜いてきた。家族の物心両面の支えがあったからである。現在、フリーランス・ライター・川柳作家、家事手伝い。 【興味・趣味】クラシック&ジャズ音楽鑑賞、まちブラ&写真撮影などが趣味。敬愛するアーティスト・・・「ピーナッツ」のシュルツ氏、小沢征爾氏、アノーラ・スペンスさんなど多数。 |