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Jiji-kaisetsu

まったく個人的な出来事のなかには、
時として他の人々にとっても
興味がわくことがあると思う。
そんな期待を込めて
わが自事体験」を皆さまにお伝えしよう。
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【救い主は、武富士のお嬢さん】

 人生には思いがけない落とし穴が待っている。
先日、デパートの地下・生鮮食品売場でほうれん草やキウイ
などを買い、レジで精算を済ませ、フロアを通り抜けて
地下道へ抜けようとした。
何気なくポケットに手を入れたら、おっ大変だ!
札入れがない。血相を変えて懸命に歩いてきた
ルートを引き返したが、何度たどっても、影も形もない。
ウ〜ッ、冷静にならねば、もう一度、よ〜く行動を
思い出せ、しっかりせい、総点検だ!
 野菜売場から財布を落としたことに気付いた地点まで
わずか数十歩。時間にしても約5分しか経過していない。
だが、折しもお昼時で、たくさんの人が歩いている。
おまけに雪まつり開催期間で観光客も多数
見かける。5分間でも致命的だ。まずい。
目先が真っ暗になり、呆然と立ちつくすボク。
 どうしよう?まずはとにかく野菜のレジに戻り、
落とした財布が届いていないか聞かねば。
札入れには現金こそ数千円だが、クレジットカードや
キャッシュカードも入っている。拾ったのが悪い奴なら
何が起こるか、ああ恐ろしい。
 レジのおばさんの返答は、「いいえ、何も見ませんでした。
届けに来た人もいませんよ」・・・そうか、ここで落とした
のではないか?気を取り直して、「もしどなたか黒い札入れ
を拾って言って来たら、ボクが落とし主です。どうかよろしく」。
おばさんは顔に似合わず優しかった。
「ここの落とし物係に聞いてみましょう」。ボクは彼女が
受話器を降ろすまで、ひたすら祈った。
どうかどうか奇跡を!
だが駄目だった。「何も届いていないみたい。
電話番号はここだから、後でもう一度聞いてみるといいよ」、
「そうですか、いろいろどうも」
 気が滅入る、足もとフラフラ。ああ、なんでこんなコトに・・・。
魔の数分間の自分をもう一度振り返る。
落としたことに気付くまでに、一度だけエスカレーターの
前で立ち止まっていた。ショルダーバックから
メモを取り出し、帰りのバスの発車時刻を調べたのだ。
その時かもしれない、落としたのは。
その場所に戻ってみた。やっぱり何もない。そうか、
仕方ない。もう一度落とし物センターに電話してみよう。
公衆電話を探した。こんな時に限って電話は
人が使っている。何カ所か回って、やっと空いた電話を見つけた。
受話器の向こうから聞こえてきた声はクールだった。
「何も届いていません。財布の特徴と住所、名前、
電話番号を教えておいてください」
 落としてからの時間はずいぶんたった気がする。
いよいよ駄目だなあ。足取りはいよいよ重かった。
自然と足は、落とした公算が強いエスカレーターの前に
向いていた。ワゴンサービスでお菓子を売るおばさんがいた。
駄目でもともと、聞いてみよう。「ここの前で財布を落とした
ようなんです。誰か拾ったと言って届けに来ませんでしたか?」
 「ああそう、別になにも聞いていないね。困ったね。
ちよっと聞いてみてあげる」。意外にもすばやく反応して
くれたおばさんに、「いや、先ほど聞いたので
いいんですが・・・」と言いそびれた。
黙って待っていると、「ちょっと電話に出てみて」と言う。
 「先ほど、なくした財布の件で電話した
ものですが、念のためもう一度、と思って・・・」
「えっ、届いている、黒くて膨らんでいて、
病院の診療券やクレジットカードと千円札が何枚か・・・それ、それです」
奇跡は起きた。救い主はいたのだ。
足取り軽く、店員さんに案内されて落とし物センターに。
ガードマンのような制服を着た係員が
「これですか?」と出してくれた財布。間違いなくボクのものだった。
「身分を証明するもの見せてください。ここに拾った方の
お名前と電話番号が書いてあります。
後からお礼を言ってくださいよ。それに左手の人差し指
で捺印を。はい、ごくろうさま」
 拾って届けてくれた救い主は、近くで働いていた
¥ショップ・武富士のお嬢さんだった。
さっそく電話を入れた。
「ありがとう。いい人に拾われて、とてもラッキー
でした。ほんとうにありがとう」
・・・・・
 「今度お金を借りるときは、ぜひそちらで」と
言おうとも思ったが止めた。
ボクのような金銭管理では相手に
されないかもしれない。(09 February, 2001)
 

【41年前の父の感動を追体験】

父の遺品の中から偶然見つけた41年前のシャルル・ミュンシュ
指揮、Boston Symphony Orchestra演奏会のプログラム。
曲目は、ベルリオーズ作曲『トロイヤ人』から「王の狩りと嵐」、
エルンスト・ブロッホ(Ernest Bloch )作曲のチェロと管弦楽
のためのヘブライ狂詩曲「シェロモ」“SCHELOMO” 、そして
休憩の後に、リヒャルト・シュトラウスの「家庭交響曲」でした。

1959年5月9日に父がアメリカで聴いたこのプログラムを、
僕なりに何とか追体験してみたいと思い立ち、CDを買い集めました。

最初のベルリオーズ「王の狩りと嵐」は、ミュンシュ指揮、BSOの
1959年録音版が見つかりました。これには大感激。聞こえてきた音は
父が耳にしたものに限りなく近いと思えたからです。
次のブロッホの曲はレナード・バーンスタイン指揮、チェロがロストロ
ポーヴィッチ、フランス国立管弦楽団のものを見つけました。
最後の「家庭交響曲」はフルトヴェングラー指揮、
ベルリン・フィルの録音版を手に入れました。

三曲を次々と聴いて、最も興奮したのはブロッホの作品。僕には初めて
知る作曲家、曲だったのですが、魂を揺すぶられる名演奏でした。
ミュンシュ指揮のものでなかったことは残念ですが・・・。

なおブロッホは偶然にも、父が彼の曲を聴いた
1959年、79歳でこの世を去っています。



【生まれて初めて、作詞に挑戦。落選でも自身作】

さる11月7日に発表された、一般公募の「さっぽろ雪まつり
イメージソング」には、なんと440点もの応募が
あって、たった1点が入選でした。
実はボクも、ちゃっかり応募してました。見事落選
だったのですが、自分では入選作よりずっといい詩だと、
いまだに思っています。かなりの自惚れですね。
ボクの可愛いその詩に「どなたか無料で曲を
つけてくれないかなあ」・・・そんな夢を抱きつつ
皆さまに公開いたします。 11/15/00

 『雪恋人よ』・・・作詞/天羽 牛郎

まわる地球に アーチを架けて
雪の天使の ファンファーレ
白ひといろの ギャラリーに
多彩なオブジェの 華が咲き
自然と人が ほほ寄せ合って
熱い賛歌の ハーモニー
逢えてよかった あなたに
ウェルカム サッポロ 雪恋人よ

白い吐息を 弾ませて
雪の天使が 羽ばたけば
光の星の シャンデリア
明かりに揺れる シルエット
自然と人が 手と手をつなぎ
希望を胸に ラブソング
逢えてよかった あなたに
ファンタジー サッポロ 雪恋人よ

雪花が舞う ステージに
雪の天使が 微笑めば
つどう旅人 心はひとつ
はじける笑顔の 輪ができる
自然と人が 肩組み合って
天に響かす シンフォニー
逢えてよかった あなたに
ミート・アゲイン サッポロ 雪恋人よ

★ご感想をお聴かせいただければ感激です。

hajime-amou@est.hi-ho.ne.jp

★02 November, 2000

スヌーピーと生きる

落ち葉が美しい季節です。よく通る大通り公園の
落葉も見事なんですが、すぐに清掃係りがやって
来て掃き清めてしまうんですね。とても残念です。
「落ち葉は秋の芸術家」なんだぞ!と叫びたい気分。

さて、秋は「音楽と・・・」・・・は、人それぞれですが、好きな曲
をかけながら読書なら一冊お奨めです。

朝日新聞社発行の「スヌーピーと生きる・・・
チャールズ・M・シュルツ伝」 数日前から読み始めました。
リタ・グリムズリー・ジョンソンという女性
ジャーナリストが書いたもの。越智道雄さんの訳が
よく、とても読みやすい。似合う音楽は何だろう?
キャラクターの一人、シュローダーのあこがれは
ベートーヴェンだから、14番ソナタ・月光
あたりかな・・では皆さま、よい連休を!

●24 October, 2000

【デパート歩きはなんでこんなに楽しいの?】

お祭り好きのボクは、Sデパートで開催された「会員様
限定・休日特別セール」にいそいそと出かけた。別に
特売品をゲットしようと必死で出向いたのではない。
ただの冷やかしである。デパート内は予想通り大変な混雑
ぶりだ。もちろん、そんなことを面白がったのではない。
楽しいことは本の売場で起こった。「な〜にか読みたい本
は、な〜いかな?」とつぶやきながら、だらだらと店内を
歩いていたら、耳に聞こえてきた館内アナウンス嬢のアルト。

「ただいま地下一階のとんかつの玉藤のコーナーで、ロース
カツ三枚入り一点と、ヒレカツ五枚入り一点をお買い求めに
なったお客様。お知らせがございますので、お近くの販売員
までご連絡ください」
それはちょっと笑いをこらえたようなイントネーションで、
何度も何度も繰り返されるのだった。ちょうどお昼過ぎで、
ボクは空っぽのお腹を震わせて、しばし立ち笑いを続ける
しかなかった。ふと見ると、レジの可愛い女の子二人も、
顔を見合わせてとても喜んでいる風だった。

ああ、デパート歩きはなんでこんなに楽しいのだろう。

●28 August, 2000

【我流、リサイタルの楽しみ方】

人それぞれに音楽会の楽しみ方があります。
我流の楽しみ方をどんどん積み重ねていきたいと思っています。
昨年10月には、コンスタンチン・リフシッツのピアノリサイタル
に出かけました。演奏曲はゴルトベルク変奏曲。
じつは1991年にウラディーミル・スピヴァコフ率いる
モスクワ・ヴィルトーゾ室内管弦楽団の公演を聴きに
行き、当時15歳の彼の演奏に感心した体験がありました。
つまり8年ぶりの再会というわけで、どうしても行きたかったわけでした。

この日は最前席のチケットを買い求め、演奏を終えて
再びステージに現れた彼に近寄り、「ありがとう」と
書いた色紙を手渡しました。
かすかに照れて受け取ってくれた彼の表情は、
当日の演奏の音色と共に印象に残っています。

音楽会へ足を運ぶ日。朝からいつもと違う時間が流れます。
開場までの期待感、開演直前の心地よい緊張、そして
会場を後にするときの興奮や旋律の余韻・・・。

価値のある音楽会とは、それがじぶんにとって
どれだけ楽しめる時間がもてたのかが、物差しになるのではないでしょうか。

余談・・・それにしても最近はとんでもない価格設定の
興業が多く、資本主義の道理とはいえ、悔しい想いもたびたびです。

長い文章をお読みいただき、ありがとう。

24 April, 2000

ストレート・ストーリー

久しぶりに「観てよかったなあ」と思える映画に出会いました。
「the Straight Story」・・・あのデイビッド・リンチ監督が
手がけた最新作です。テーマやストーリーはとてもシンプル
だけど、人生や生きることの味わいを、さらりと、でもじわっと
感じさせてくれる描き方、作り方。
名監督の魂があらゆるシーンに染み込んでいる傑作と言いたいですね。


すぐに折れる枝を束ねているのが、家族というものさ。
兄弟は、兄弟だ。

以下は、本当にあった嘘のような話です。

【私服警官に呼び止められた日】

●あなたは私服の警察官にそっと近寄られ、警察手帳を見せられて、
職務質問を受けたことがありますか。■ボクはことし、そうした
体験をしました。人生で初めてのことでした。とても
嫌なモノですね。それは日曜日の人気のない路上でのこと。
待ち受けていた見知らぬ男に突然、「○○さんですか」と
名差しで呼び止められたのです。いったい
何事かとパニックに陥ってしまいました。■もう少し、前後
関係を説明しましょう。ボクは家にいました。

昼過ぎのこと、ピンポンとチャイムが鳴ったのです。
家には日曜の昼にしばしば宗教関係の勧誘の人が
やってきます。またあの人たちか・・・と、居留守でごまかした
のでした。それから十数分たってから、家の前に
違法駐車させていたマイカーを、家から2分くらいの
駐車場に置きに行ったのでした。家の周りには誰も
見えませんでした。
■クルマを駐車場に入れて出てきたところ、
若いおじさんが待ち受けていて「○○さんですか」と、
警察手帳を見せたのです。そのおじさん、つまり私服警官は
どこかでボクが家を出るのをじっと見張っていて、
追いかけてきたのですよ。家のチャイムを
鳴らしたのも彼だったようです。驚きましたね、まるで
ボクは立派に容疑者扱いではないでしょうか。
■「えっ、何ですか。どうしてボクの名前を知っているのですか。
どこから来られたのですか」・・・ボクは精一杯に
冷静を装って、立て続けに彼に聞きました。
でも私服警官はその問いには一切答えず、鞄から
一枚のビラを取り出してボクにくれました。
大きな見出し文字が目に入りました。
「タクシー強盗殺人事件の情報をお願いします」

■ことし7月26日午後11時30分頃、タクシー運転手
がお客らしい男?にナイフで胸を刺され殺された
凶悪事件の聞き込みだったのでした。事件発生から
一ヶ月以上たっていましたから、捜査がかなり
手詰まりなのでしょう。■いずれにしても今回、
後味は悪いけど、貴重な体験をしました。
いま日本のどこかで息を潜めて、いや
あるいは平然と暮らしているおぞましい犯人が
一日も早く捕まることを願うばかりです。

それにしても、あの私服警官さんから、家の前での
駐車違反について一言もお咎めがなかったのは
不思議です。見逃してくれてありがとう。

以上、報告おわり。

 

Getsuyo-tanpyo

とんでもない、信じられない・・・。1週間はたった七日間なのに、
このごろは立て続けに異常事態が起き、多くは
未解決のまま積み残され、世の中は
ますます混沌化していく。黙って見過ごせない、
語らないと気持ちが収まらない出来事をボクなりに考えてみたい。
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●子供たちの参加で、全市町村の
旗デザイン一新を

 ちょっと突飛で、絵に描いたような提案をさせていただきます。
提案のタイトルは、仮に「新世紀ほっかいどう・オール212市町村・
新フラッグ大作戦」とします。
 北海道すべての市町村の旗を、地域に住む子供たちのデザイン
でいっせいに一新するのです。未来を担う子供たちをまちづくりに
参加させ、地域に誇りをもってもらうきっかけになります。
音頭取りはもちろん北海道庁。そして来年の子供の日あたりに、
子供たちが創った新しい212市町村のフラッグを全道民に
お披露目する一大パレードを開催し、テレビで生中継します。
 行進では、子供らが掲げるまちの新フラッグを先頭に、
そのまちの鼓笛隊やバトン・トワーラーも胸張って続きます。
イベントのテーマソング、「北海道マーチ」も生まれてほしい。
道民みんなが心を一つにでき、歌い、奏でるたびに生きる力が
わいてくる軽快なマーチを、この機会に道民の手で創り出すのです。
 経済効果を狙った一村一品の物産まつりなども確かに
必要ですが、子供たちに夢と郷土への誇りを芽生えさせる
ユニークなまちづくりを仕掛けていくことも
大人たち、そして北海道庁の大切な仕事です。

【この小文は、北海道新聞の平成12年10月29日付け
朝刊「読者の声」欄に掲載されました】

「原子力安全・・・ほんとうかい?村のホームページ」

●9月の最後の日に全国民を震撼させた、東海村・民間ウラン
加工施設での放射能漏れ大惨事。その日本で初の「臨界事故」に
よって露呈された原子力安全システム神話の破綻は、
核をめぐる見えない恐怖を日本中にまき散らすことになった。
■ボクはこの事件が起きた日、検索エンジン・ヤフーで
さっそく東海村のホームページアドレスを調べ、すぐにアクセスしてみた。
ところが信じられないことに、東海村のホームページには
今回の事故・事件のことや、住民への避難の呼びかけなどに
関してほとんど情報は掲載されていなかったのである。

何という行政の怠慢。これでは「東海のんびり村」、
「東海ボケ村」と非難の言葉を浴びせられても
仕方ないだろう。■村民や住民が緊急時に必要な情報を
入手できないような、「格好を付けただけで中身がない、
そして住民利益優先でもない自治体ホームページ」では、
いざというとき人を迷わせ、不安を増大させるだけ。
かえって情報混乱を起こす公害にさえなってしまう。

■この機会に、「危機管理とインターネットの役割」について
徹底して真剣に工夫を加え、緊急情報を瞬時に
住民に伝えられる「地域緊急情報システム」を早急に
確立してもらわねばならないと思う。

Bokuno-waki・tsukue

■らくがき のおと から■
これまでに、投稿もしくは、そのための下書きとして
書いたものなどの中から随時、掲載いたします。


≪父の遺品のBSOプログラム≫

先日、亡き父の遺品整理をしていたら、ボストンと表に書かれた
茶封筒が見つかり、その中に観光パンフなどと共に教科書サイズで
約20ページの小冊子が出てきました。なんとあのBSO、
Boston Symphony Orchestraの演奏会プログラムでは
ありませんか。1959年3月9日と印刷されていますから、
41年前のものです。指揮はシャルル・ミンシュ、曲目は
ベルリオーズの『トロイヤの人々』から「王の狩りと嵐」、
ブロック・・・Ernest Blochという作曲家・・・のHebrew Rhapsody for
Violoncello and Orchestra 、“SCHELOMO” (“SOLOMON”) と
出ています。さらに休憩の後、リヒャルト・シュトラウスの「家庭交響曲」
が演奏されています。会場はNorthampton John M.Greene Hallという場所。
この年、ミンシュはBSOのMusic Directorになって10年目、
当日のコンサートではきっと、情熱的で色彩あふれる名演を
披露したに違いありません。

●5/12/2000

【ヤナギ並木で 創成川観光に光を】  

 札幌に待望の春が戻ってきたな、とボクが感動的に 肌で感じるのは、
創成川沿いのシダレヤナギの並木を 散策しているときだ。
淡緑色の若葉で彩られた目に 優しい並木のベルトが、
北三条付近から南六条まで 約一キロメートルにもわたって続く。
この景観は全国、 世界に誇っても良い美しさだと思う。  
 だが、札幌市民の間では桜のお花見やライラック まつりに話題は
集まっても、創成川とシダレヤナギの 醸し出す水辺の
やすらぎある風情は、あまり注目されて いないように感じる。
 また、札幌市でもこれまで、 この貴重な自然の財産に観光の
光をあまり当てていない。  
 ぜひ今後は市民の知恵も出し合い、創成川周辺の クルマ優先
交通システムの見直しや、シダレヤナギ のアーチの下を
楽しく散策できる遊歩道の整備、憩いの空間 の充実、
  そして観光面でのクローズアップなどを大いに
図っていきたいものである。  
 まず手始めに「創成川沿いを散策しての川柳吟行会」や
「創成川と柳をモチーフにした
写真撮影会」なども 考えてみてはどうだろう。 
【この小文は、北海道新聞の平成12年5月16日付け
朝刊「読者の声」欄に掲載されました】

●10/10/1999

【市の施設には市旗をこそ、
掲揚すべきではないか】


 市民会館の正面入口に国旗だけが常時掲揚される
ことには反対です。初めてその光景を見たとき、「あれ、
今日は国民の祝日だったかな?」と戸惑いも感じました。
その感情の奥には、単なる違和感というより、日の丸
崇拝を強制される社会への危機感があった
と言えます。それは素朴な市民感情ではないでしょうか。
 市民会館は国の施設ではなく、市が建てた市民の施設
なのだから、むしろ誇らしく市の旗をこそ掲揚すべきです。
国旗だけの常時掲揚は、どう考えても変です。仮に市民会館に
国旗を掲揚するとしたら、そこで国の行事や国主催
のイベントなどを催すときに限ってはどうでしょう。
 行政が何としても国旗を常時掲げたいなら、
隣に市旗も並べるべきです。市民・住民感情を大切にした
行政とはそういうものではないかと思うのです。
学校などに国旗を掲揚する場合でも、必ず校旗を横に並べて
掲揚するようにすれば、市民や施設利用者の嫌悪感や不安感
を少しは和らげられると思うのです。

【この小文は、北海道新聞朝刊の「読者の声」欄に掲載されました】

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●投書のための下書き

 わが家では半世紀以上も道新を愛読しており、
「北海道のことなら道新」と信頼してきた。
 だが、新聞週間まっ只中の十月十九日付け夕刊、
「調理師からジュビロへ Jの夢つかむ」の記事の大誤報で、
その信頼は大きく揺らいでしまった。あのミスに関しては、
第一面に社長名で謝罪文を出してもおかしくない。
それくらい恥ずかしいものだ。
 どうか、全社をあげて危機感をもち、取材・報道の姿勢を
正してもらいたい。また、これを機会に記事の大小に関わらず、
原則として記事への署名を入れるよう編集方針を転換
してほしい。M社ではすでに原則として記事へ
の署名を始めており、私はそれを高く評価している。
 取材し、書く記者の責任を徹底的に明確にしてこそ、
道新への信頼回復が期待できると思う。

■ボクのお気に入りグッズから■

明るい陽光が窓からさし込む、南向きの仕事部屋の小さな
脇机には、色々なものが次々と置かれ、入れ替わり、
しばしば居心地良さそうにそこに在り続けています。
・・・・・・・・・・・・・
●ソナホーク■いつも耳元に素敵な音楽を奏でてくれるボクの
愛すべき友、ラジカセくんの名前です。
ソニー製ですが、とても気に入っています。・・・続く

てんしんらんまん☆


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