1999年 2月
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1999/02/27 だんご3兄弟

昨日、相棒から面白いビデオを見せられた。NHKで夜にたまに流すという、「だんご三兄弟」という歌である。

なんとなくレトロな感じのする画面にユーモラスな歌詞、シンプルなメロディ。なかなかヒットであった。

とくに、以下の歌詞にうーんと唸ってしまった。私も三姉妹なので、共感するものがあったのだ。

おとうとおもいの ちょうなん
にいさんおもいの さんなん
じぶんがいちばん じなん
だんごさんきょうだい

さて、長女である私の家に、昨日受験を終えた末の妹が、長期滞在することに話が決まった。私が帰省してご馳走を食べて徳島へ戻るときに一緒にきて、そのまましばらくいることになった。受験勉強から解放されて、古いつきあいの遊びともだち付のゲーム王国に連泊するようなものである。さぞや楽しかろう。私は、最近ゲーム熱の衰えが著しいので、彼女の若さにつきあえるかちょっとだけ不安だが、遊びにかけては私も年季が入っているのでたぶん大丈夫だろうと楽観している。遊び過ぎて身体を壊さないかだけがチト不安である。

もうひとつ嬉しいのは、妹がくると、茶飲みともだちになってくれる点だ。私は実家では毎晩妹たちと紅茶を飲んではお菓子を食べてはくっちゃべるという生活をしていた。当然、徳島でも相棒相手にそれを夢見ていたのだがひとつ、いや、みっつ、巨大な障壁が存在した。

相棒は、夜にお茶を飲むと眠れない!

相棒は、甘いものが好きではない!

相棒は、TVも見ずに同じところに大人しく座っているのが苦手だ!

もちろん相棒には私の切望を聞いていただき、できる範囲でつきあってもらっている。
しかし、「お茶飲む?」「飲むー!」「お菓子食べる?」「食べるー!」というノリには遠い。
「お茶飲む?」「...すまん。飲んでくれ」「お菓子食べる?」「...ひとくち。」までが妥協点である。
妹がくれば、あのノリを実現できるに違いない! なんと素晴らしい。私ははやくも、妹とのティータイムをにんまりと夢見ていたりする。

どうやら3月はほとんどお祭りになるらしい。


1999/02/26 ふりわけくん

いいことを知った。どうやら、某A銀行では、給与振り込み口座から家族名義の同銀行の口座へ手数料無料で自動的に振り分けてくれるらしい。

我が家の場合、直接、「生活用財布」なるもの(そのものズバリ、財布である)に共用分のお金を納めているのだが、現金で納めると、どうしても使ってしまいやすい。目の前にお金があるとやっぱりつい緩くなるのである。財布の中身が余っていても、なかなか「生活用口座」に入れるという発想にはならないので、本来なら貯蓄に回るはずのものが財布にたまってなんやかんやで使われてしまったりする。

そこでこのふりわけくんだ。これができるなら、上記のような難点は解消され、毎月ちょっとは口座にお金が貯まるかもしれない。それに、毎月、自分の口座からごっそりおろして生活用財布に納めるときの具体的な悲哀(ああ、減ってしまった)に直面しなくて済むのも魅力である。さっそくやってみたいと思う月末なのであった。


1999/02/25 息切れの給料日

火曜と木曜に、かるたの練習会を開いている。その関係で、水曜はともすれば残業デーである。

昨日もそうだった。おかげで、今日はだいぶ息切れしている。水曜に残業というのはほどほどにしないとなと改めて反省してしまった。まあ、給料日なのが、救いではある。

かるたといえば、最近ずっと試合のメンタルな管理ができてなかったが、火曜の練習では、わずかな光明が見えないでもなかった。我慢し続けて粘り勝ちしたという体験をひさびさにしたからだ。しかしそれで思ったのはやはり、私は基本的にいじけやすいということだ。「もういいよ、どうせ私はとれないよ。弱いよ」という気分になったりして、果ては「かるただけが人生じゃないもんね」と考え出したりもする。試合中にだ! 暗記を回すための持ち時間にそんなことを考えてれば勝てる試合も落とすというものなのだが、そうはいっても、なかなかコントロールし難いものがある。ちなみに、逆に「私は強いぜへいへい」と思ってもやっぱりだめだ。それはそれでいろいろ余計なことを考えてしまうのである。なにかいいコツはないかと現在模索中だ。

ちなみに、今週末は徳島軍団は東大阪へゆく。この春、徳島は驚異的な大会出席率(関西での大会数にしめる出席大会の割合、県協人数にしめる出席者の割合、ともに)を誇った。東大阪までにを合言葉に、D級だった友人らはC級をめざし、本当に実現もした。一方、私と相棒は結果を残せていない。私もそろそろ自分に克ってスランプを脱したい。


1999/02/24 帰省の夢

どうやら、マジに起きられないらしい。相棒のかけている目覚ましでどうにかちょっとだけはやめに起きるものの、それまではぐっすりである。早朝に出発する大会がなくなってリズムが変わったのか、それとも、春なのか。春眠暁を覚えずとは良くいったものである。

さて、夢を見た。埼玉の実家に帰る夢である。それだけなら何てことはないのだが、帰っておいて、翌朝にハタと悩んでしまった。会社に行けないではないか!

しかもまだ水曜である。このままでは三日も有給をとらねば週末にならない。(週末までいなくてはならない設定らしい。)かといって有給1日惜しむために往復5万もの交通費を払うのもばからしい。しかも朝だからどのみち午前中はだめだ。なんだかよくわからないが何となく身につまされる夢であった。

そういう夢を見た理由のひとつは、来月、帰省することにしたからである。なぜかというと、妹の受験が終わるからだ。(それと帰省の関連がわからない方は、まあ、姉妹仲が基本的にラブラブであるということで納得していただきたい。)それを家族に言ったところ、なんと実家では、14、5年にも及んだ大受験時代の終了を祝してお気に入りのフランス料理店にご馳走を食べにゆくという。それを食べにいくわけでは……ないはずだったが……帰るといったら計画を知らされたのでこれは御一緒しない手はないであろう!

3月が実に楽しみだ。


1999/02/23 夜更かし日記

Webの更新をしていたらなぜかこのような時間に! いま、もうすぐ4時になろうとしている。

明日起きるのをトチってもいいように夜更けのうちに日記をつけることにした。半ばやけくそである。

そもそも今日……いや、昨日はがんばったのだ。なんとカニグラタンを作った。
カニの缶詰というのはどうしてあんなに高いのだろう。あれのおかげで自炊といえどいつもに比べればかなり高くついてしまう。でもカニでなくてはらない。断じて、鶏肉やホタテや海老ではいけない。今日はカ二! それはすでになぜか決定事項だったのである。とにかく、むやみとカニグラタンが食べたかったのだ。

バルナバの生ハムもアスパラに巻いて食べたりした。美味しかった。そしてビールを飲み、入浴し……そのへんまでは特に問題なかったのだが……いつの間にか朝が近い。湯冷めってなんだっけ? 相棒はとっくに静かになっている。……。

このまま夜更かし日記になってしまうのだろうか。と胸中に去来する不安をかみしめつつ、眠りにつくことにした。


1999/02/22 早起きできず

なぜだかここ数日早起きができない。決して無理して夜更かししていないのだが、朝、眠くて仕方がないのである。

早起きできないと、早起き日記もつけられない。やろうと思っていることもできない。悲しい。早起きしなかったからといって夜に格別に元気というわけでもないのだから困ったものだ。

それなのになぜこれをつけているかというと、相棒が8時に私を起こして珍しく朝食を食べてもまだ8時30分前だからである。あの夜型の相棒が何故? 答えはなんと、夜型かつ不眠症のケのある相棒はとうとう寝付けなかったそうだ。足して二で割りたいものだ……。


1999/02/21 バルナバが我が家にやってきた

昨日中に日記をつけられなかった。というのは飲み会の後、麻雀してしまったからである。思い切り飲んでセットで3半荘打って帰ってきて『RAGE RACER』で快調に勝って寝て。朝起きるとあたりまえだがかなりだるい。それになんだか髪がたばこ臭いような気がする。金曜の時点では今日の日曜には高知に松坂クンを見に行こうなんて話もちらりとはあったのだが、夜遅くまで遊んだので、あっさりお流れとなった。

麻雀は――勝った!! ばんざーい。

2チャ(ただし同率、ラスと1000点差)、トップ、トップ。うれし〜。なんかこうゲームに勝つと滲み出てくる素朴な嬉しさがたまらない。しかも昨日は相棒も(こちらはフリーで)勝って、夫婦そろってハッピーな家路についた。

しかも昨日、ついに我が家にバルナバハムセットが届いた。そう、お年玉の賞品、ふるさと小包である。きらきら輝く生ハムに私たちの目もきらきら輝いていたことは、いうまでもない。さすがに昨日は出番はなかったが今日は……休肝日でやめておくかも。

明日からは!!


1999/02/19 狼少年の休日

会社を休んだ。ので、日記をつけるのを夜まで自粛した。

なぜ休んだかというと、疲れていて、仕事が多少落ち着いているからだ。
朝も起きられなかったし、午前いっぱいを寝ていたところをみると、体調は確かに悪かったらしい。
金曜に休むのはちと勿体ない気もするが、本来なら昨日か一昨日に休むはずだったのにそうしなかったのがいけないのである。

あまり毎日、「明日こそは休むぞ」と言っていたため、相棒は別として、周囲は本当に休むとは思っていなかったようだ。だが私はやるといったらいつかやる。(できないこともまれにはあるが。)

休むと仕事も遅れるしなにかと大変だが、会社を休めない精神状態に陥るのは、とってもいやである。往々にして、仕事が忙しくて疲れているときほど、惰性的な勤勉さに支配されかける。そこでガマンしていれば私もいっちょまえの勤勉な人になれるのかもしれないが、私は慣性の法則が嫌いなのである。自由と変化をこよなく愛する私には、休めないから毎日同じように会社にいくという状態は耐え難い。「いつでも休めるのよ、ふふん。でも仕事が面白いから会社に行くもんね!」というように、あくまでも自分の意志で選択して会社に行きたいのである。そのためには、休む必要を感じたときには本当に休める、ということを時々確認する必要がある。休むほどのことではないし行っておくか、とだらだら行っていると、精神衛生上よろしくない。"会社を休めなくなってしまった情けない自分" を責めてさらに疲労してしまうのである。

きょう行っていたら、来週の月曜か火曜あたりには息切れして、「なんで私は休まないんだ〜」という恨めしい気分になっていたことが予想される。今日の休養で、またしばらくは保ちそうである。朝、休むかどうかはものすごく思い悩んだのだが(たっぷり30分は迷っていた。大学をサボるときに毎回ものすごく悩んだのが懐かしく思い出される...)休んで正解だったと思う。

しかも今日の夕食には相棒が焼きそばを作ってくれた。なんてラクチン!
ほっこり心暖かな臨時の休日であった。


1999/02/18 整理整頓と謎のおばさん

このまえ、あるある大事典で、整理整頓の特集をしていた。整理整頓……忌まわしいヒビキである。

私はお恥ずかしいことに整理整頓がたいへん苦手だ。しかし、番組でいうところの、モノが多すぎる人、に当てはまるという自覚はあまりない。そこで私なりに整理整頓ができない理由を推察してみた。

私には、どう整理整頓すればどのような利益が得られるかということについて、机上の知識しかない。整理整頓が得意な人の様子をみても、「へ〜 すごいな〜」と思うばかりで、自分にもそれが出来るとは全く感じることができないのである。その原因を考えると、二つほど思い当たることがある。それは、意欲、および成功体験である。

意欲に関しては、他人に頭ごなしに「やりなさい」と叱咤されてきた歴史が私に不要な反抗心を育てているようである。整理整頓という一面が私の人間性を大きく規定すると考えるらしい人々への復讐・嫌がらせというような発想も1グラムくらいはあるかもしれない。

余談だが、片づけのできる人にも、それを人間性の優劣ではなくスキルの優劣と見なす自足の人がいるんだ、と安心できるようになったのは、割と最近になってからだ。世間では、散らかす=ずぼらな性格=人間性に欠陥がある人、という連想が支配的である。そういう価値観が存在するのは自然なことだが、その信奉者の方々の言動には、納得の行かないものを感じてきた。それでは、片づけさえできれば、他人を欠陥品として馬鹿にしてもいいというのか? そういうやり方が、彼らのいうところの正しい人間性なのか? ……熱くなりそうなので(実際、熱くなってしまって書いては消していたりする)、今日はこのへんにしておこう、、、

成功体験のほうは、もっと重要だ。考えてみると、整理整頓がうまくいって、モノが良く出てくるようになった、という達成感は記憶にないのである。おそらく、叱咤されてしぶしぶ私がやっていたのは、整頓(見た目を綺麗にすること)であって、整理(モノを使いやすく配置すること)ではなかったのだ。努力してみて成果が得られなければ、やらなくなるのも当然である。

しかし、これではいけない。
私はいったい人生の何割を、ただモノを探すことに費やしているのだろうか。
なんとかして、整理の道に近づきたいものだとひさびさに意欲が上がってきていたりもする。いきなり総合的な整理整頓は無理なので、小さなテーマから練習したいものである。
(注:だからといって、私の机を見てやってないじゃないかなどと笑うと、数ヶ月はゲリラになってしまうことであろう。)
なんとなく、意欲のほうだけは、わずかに復活してきた感じである。

ところで、今朝、夢を見た。実在しない縁戚のおばさんに渋い顔をされながら家事をしている夢である。もう少し景気のいい夢が見られるように修行したいものだ。


1999/02/17 災い転じる?

始まりはもうかなりだいぶ前になる。年末に、キャッシュカードを落としてしまった。メインの口座にすべく結婚後の名義で作ったほうの、だ。新年になって急いで廃止手続きをしたが、再発行まで1か月かかると言われ、待たされた。先週末にようやく再発行手続きをしてもらえた。それでも、実際に来るまで一週間近くかかる。いよいよ、今日あたり、来るはずだ。

それにしても、メインバンクのキャッシュカードなしの生活のつらさわびしさはなかなかのものだった。

現在、相棒に2万5千円ほど借りている。生活用財布に9万も滞納している。まさに、首が回らない状態とはこのことである。

しかし、昨日ふと気づいたことがある。もしかして、これが、これこそが、自炊のコツではないか??

なんのことかというと、自分の財布にお金がない状態を指す。ここ最近、諭吉さんはおろか、漱石さんでさえ5人はいらっしゃらない状態が続いている。昼御飯の外食がやっとである。この状態で夜に外食というのは物理的に気が進まない。またツケが増えるかと思うと全然外食したくないのである。以前、潤沢に手元の資金があった頃は、なかなか自炊する気にならなくて、相棒とふたり首をひねっていたものだが、この方法、すなわち自分の財布の残金を漱石さん数人に抑える、というのは、なかなかシンプルでいいかもしれない。などと、手元資金枯渇に慣れてしまった私は思うのであった。
はたして、キャッシュカード復活後は何を思うのか……。


1999/02/16 犬の表情

巷では梅が咲き始めているという。梅見に行きたい気持ちはあるが毎年機会を作れない。

さて、昨日早起きした私は、日記を書いたあと、ちーちゃんに頼まれたワンちゃん(もくれんちゃん)の絵を描いていた。昨日一日でほぼ出来上がった。なんだか、実家の愛犬ウィリーを思い出した。長毛種同士だし、黒い毛が多いので、顔がかなり似ている。

もくちゃん

犬に表情があるということを知ったのは、実家で犬を飼い始めてからである。それまでは、犬は嫌いだった。恐かった。犬に表情があるなどとは考えたこともなかった。
いまでは立派な犬好きである。

犬は笑う。しょぼくれる。気勢を上げる。微笑んだり、しょうがないなぁとため息をついたり、期待したり、まぁ、実に様々である。犬の表情のポイントは、目と口であろう。犬好きを惹きつけてやまないのはキラキラするあのつぶらな目だが、表情を見極める上で一番重要なのは、口のほうかな、と思う。犬の口は大きいから、その結ばれ方や開き方がどうかで、ずいぶん表情が違ってくるからだ。笑っているときは、あの大きな口の両端がやっぱり上がっている。人間も犬も笑うと口の端が上がるというのは実に興味深い。

相棒は、犬より猫が好きである。飼うなら両方飼おうと決めている。仲が悪くならないようにうまいこと一緒に飼いたいというのが希望だ。まぁ、共働きでは見果てぬ夢だが、そういうことを考えるのは楽しい。


1999/02/15 バレンタインサンデー

昨日はたいへんだった。ので、日記は初のお休みを頂いた。

まず、起きたのが遅めの11時であった。すぐに買い物に行った。何を買いにいったかというと、ご馳走の材料である。今年のバレンタインデーはご馳走を作るということになっていたからだ。

買い物から帰ったらまず、前日の土曜の夜に焼いてあったスポンジ台にデコレーションをして、チョコレートケーキの完成。このスポンジはまたいまだかつてない絶妙の柔らかさで焼き上がっており、デコレーションはこの道10年以上のベテランの私であるから、チョコレートケーキは、まぁ、たいへん素晴らしい出来であった。二人暮らしだと余ってしまうのが実に勿体ない。(今朝もこれから食べて出勤である。)

そして、ティータイムの後、ひたすら夕食の準備に追われる。最終的なメニューは以下の通りである。

あさりの白ワイン蒸し
牛すじとえのきの煮物(前日の残り(^^;)でも美味しい)
ミネストローネ
ローストビーフ
ブルーベリーソーダのゼリー

あさりと、ローストビーフのつけあわせのじゃがいも以外は満足の行く出来映えであった。
この日のトピックは、なんといってもローストビーフに初挑戦することだったので、目的は十分に達成したわけだ。美味しかったので、二人で600gをぺろりと食べてしまった。ちなみにこのローストビーフ用の肉(牛ももブロック)は買いにいったお店に最初、グラム400円以上の神戸牛しかなかった。つまり、600gで2500円にもなってしまう。実家ではローストビーフにはしばしば高い肉を使っていたので、それでも高すぎるとは思わなかったが、ほかの値段帯はないのか気になった。そこで、お店の人に聞いてみたら、ちょうどグラム90円以下のもも肉もあるという。すごい二択である。初めてなので失敗しても傷が浅いように安いほうを選んでみたのだが、十分美味しくいただけた。塊500円程度であれだけ美味しいものが出来たというのがまた嬉しかった。ローストビーフは、母の得意料理で、私の大好物である。これが自力で作れるようになったというのは大収穫だ。

そんなわけで、昨日はひさびさに肉体労働なバレンタインデーであった。
その夜、私が早々に意識を失ったことは、いうまでもない。


1999/02/13 さらば、愛しのSCHOKOLADE

明日はいよいよバレンタインデー。
しかし……この日記はそれとは無関係である。

昨夜、電話があったのだ。なんの電話か賢明な読者の方にはおわかりだろう。そう、あのマイナーなスーパーマーケットからの運命の電話である。私の愛する舶来のチョコレートが忽然と棚から消えていた事件についての返答がかえってきたのだ。

「あの商品は一時的に入れていたもので、入荷の予定はないそうです。」

……。予想していたことではあるが、たいへん悲しい電話であった。こんなことなら10枚でも箱ごとでも買っておくべきだった。なんということだろうか、私はまだ通算で3枚しかあれを買っていなかったのである。コニャックにいたってはこの前はじめて1枚買っただけだ。(ちなみに手つかずで冷蔵庫の中にある。)
よし、明日の日記はあのチョコレートに捧げよう!! と、電話を聞いた私は密かに決意していた。

そして今朝。ここまで書いた私は、まずは、最後に残った一欠片のラム酒チョコを食べることにした。(本当に一片なのだ。アルミにくるまれてすでにゴミと区別がつけにくい。)どこにやったっけかな。 ……捜索中……おお、あった、テーブルの上だ。ではいきます。ローズティーをいれてないけど、まぁいいか。ぱく。ああ、この味。ラムの香り。まろやかなミルクチョコレートの舌触り。うぅ、おなごり惜しゅうございます……。

そうだ、コニャックのほうの包みをみて、このチョコレートシリーズの名前を書き記しておこう。いつの日かどこかの輸入食料品店で発見せんことを願って。

"WEINRICH COGNIAC TRUFFEL FILLING" とある。COGNIAC を RUM に置き換えればラムのほうなのであろう。ワインリッヒ社……原産国ドイツ。輸入業社は大阪のキタノ商事となっている。念のためワインリッヒ社の所在地らしき表記もそのまま写しておこう。なにやら改行位置が怪しく感じるが……原文に忠実に行こう。

Weinrich & Co. GmbH
D-32051 Herford

ふむ、ワインリッヒ社は絵柄によると1895年に創業らしい。100年以上の歴史があるのだ。もしかしてかなり有名なのだろうか……? そこまで考えたとき、国産チョコレート会社と比較してみたいという気持ちが沸いた。たとえば、チョコレートは明治♪は創業何年くらいなのだろうか。さっそくWeb検索で明治製菓のHPに飛んで社史を見る。ふむ、大正5年、東京菓子として設立。大正5年は1916年。ワインリッヒ社は明治製菓よりも古いといことになる。

これだけ歴史があるのなら、きっと(少なくともドイツでは)有名な会社であるに違いない。であれば、きっとどこかでまたあのチョコレートを見つけることができるだろう。

明るい気分で、週末を楽しむことにした。


1999/02/12 うまくゆかぬ休日

休日は嬉しいものである。しかし、休日は楽しいに違いない、最大限に楽しまなくてはならぬ、と思って休日に突入してしまうと、思い描いていた理想の休日と現実とのギャップにそこはかとないブルーを感じることになる。昨日がまさにそうであった。

プロローグとして、前日に会社で腹を立てた。その気分を引きずったまま休日に入ったので浮き浮きした感じが全然なかったのである。

そして休日。まず、早起きできなかった。いつも7時には起きている私が10時まで眠ってしまった。その日は11時には出かけて買い物をする予定だったので、10時に起きても大したことはできない。すでにここでちょっとブルーである。そのうえ、雨が降っていた。出かけるというのに雨が! なんだか嫌な感じである。

それでも雨をおして買い物に行った。目的の買い物はまずまずの成功。しかし、昼食のための買い物では悲しいできごとがあった。私の愛用していたあるマイナーなスーパーのあるマイナーな輸入もののプラリネ入りチョコレートが忽然と売場から消えていたのである。そのチョコレート、プラリネにはラム酒、コニャック、コーヒー等のシリーズがあり、それなりにボリュームもあり、味もとてもよいのに、200円以下で、非常にお得なのである。お酒大好きな私としてはそのラム酒入りチョコレートとローズティーを定番のおやつにしていたのであった。それが、ない!! わざわざそれを買いにその店に行った私は、真っ白に燃え尽きそうになった。お店の人に聞いてみて、入荷したら連絡してもらうことになって帰宅。この場合、本当に連絡が来るかどうかよりは、チョコレートのためになにか行動をしてみた、というところが重要なのだ。しかし私がレジの人に聞いたのを(だって客が少ないし店の人がほかに見つからなかったんだもの!! 一応年輩そうな人を選んだのに!!)相棒が可哀想だと言ったことから私は大幅にヘソを曲げてしまった。相棒は謝ってくれたが、この後、しばらく私の機嫌はいまいちであった。午後1時頃にして、既にこの日の趨勢は決していた……。

さて、昼食とデザートを作った。これは美味しくできた。で、日記を書いて、この日やろうと思っていたWebの改装に取りかかる。しかしひとつ問題があった。ネットワークに繋がらないのである。なぜだ!! 相棒に何回も「なんか変えた!?」と聞く私。他人攻撃型なのである。相棒は根気よく、何も変えていない旨を答える。まことに穏やかなヒトである。仕方ないのでローカルであれこれ試しつつときどき繋ごうとするが、なんどやっても繋がらない。むぅ……。

回線の謎は、夜になって解けた。この日から、徳島の市外局番が変更になっていたため、アクセスポイントの番号の先頭にも6を追加してやる必要が出ていたのである。よりにもよって2/11でなくたっていいではないか。私は聞いてないぞ。と何となく合点がいかない気持ちでネットに繋ぐ私。もちろん事実としては、聞いてないのではなく、覚えていなかっただけなのであるが。

なにもかもうまくゆかない。もう9時だ。もう10時だ。11時だ。眠い……もういいよ、寝るよ。

という感じで、なんとなく昨日は失敗であった。明日からの週末はなんとしても成功に導きたいものである。


1999/02/11 可能性と完成と

昨夜、とうとう先日の無念を晴らした。そう、親指の痛みがだいぶ引いてきたのをいいことに、私はふたたびRAGE RACERのclass4のレイクサイドシティに挑戦したのである。こんどは、念入りにTIME ATACKで練習した。その甲斐あってとうとう優勝し、ゴールドトロフィーを得てclass5に行くことができた。ちなみにclass4では、すでに1コース、相棒にやってもらって勝ってるので、いかにレイクサイドシティで自力で頑張ろうと、すでにズルである。昔からズル勝ちは嫌いなので、クラスアップの喜びには若干の影があった。が、レイクサイドでもさんざん苦労したことだし、やってもらったぐるぐる回るだけのコースはものすごく勝てなさそうだし、背に腹はかえられぬ。といったところだ。次にやりなおすときはマニュアル&ネジコンで全部自力で頑張るもんね。とすでにやりなおすことを夢見ていたりもする。

やりなおす、といえば、私は、ゲームをやりなおすのが大変好きである。こよなく愛している。ゲームははじめた直後がいちばん面白いというが私の持論である。はじめた直後のゲームには最大限の夢と可能性とがある。ところが、ゲームを進めていくと、夢は色あせ、可能性は減ってゆく。ゴールに近づくことしか喜びがなくなる。そういうのはいやなのである。そんなわけで、ロマサガシリーズや信長など、何度やりなおしたか数え切れない。ロマサガは1も2も結局いまだクリアしていない(すごい話だ……)。信長は、いろいろなシリーズの多様な大名でやっているが、統一できたのは通算で3回程度ではないかという状況である。プレイ時間が短いのではない。全国の半分くらいを手にしたらもう、ほかの大名でやりなおしてしまうのだ。北か南か都の近くか、有名な姫のいるところか、跡継ぎがハンサムなところか、などなど、新しくはじめる際のあのめくるめくトキメキに打ち勝てず新しくゲームをはじめてしまうことが、実に多かったのである。

相棒は、私のそのやりなおし癖があまり好きではない。なにごとによらず、完成させることを評価するタイプなのである。おかげで私も最近は勤勉志向だ。相棒が褒めてくれることだし、ゲームを終わらせるのも確かに悪くはない。しかしその一方で、最後までやってしまうと、そのゲームに対して疲れてしまい、もう一度やりたいという意欲がそれほど残らないことも多い。

「永遠に輝きを失わないゲームは、これからクリアするゲームである」

案外、私の途中でやりなおす方式は、繰り返し同じゲームを最大限に楽しみ続けるためには、なかなか優秀な作戦だったのではなかろうか。


1999/02/10 客人来て

昨日は我が家に客人がやってきた。前日の夜に微塵も片づけに参加しなかった私は、昼休みに家に戻って食器を洗ったりする羽目になった。相棒も一緒に戻って掃除してくれた。会社の後にはご馳走(注:客人のおごり)と雀荘でおもてなしである。

どうも最近、家でかるたの練習会を開いているせいか、客人に対する見栄パワーが低下しているような気がする。かるたの場合、和室さえ空いてればまぁいいだろう。ということで、相当家がごちゃごちゃでも平気で人をあげてしまうのだ。それに慣れてきたので、どうも、散らかった我が家を客人の目になって眺めてみるという能力が薄れてきたのを感じる。これは良くない傾向である。「客人が来ると家が綺麗になる!」と昔から来客を喜んできたものだが、当たり前のことながら、家は自動的に綺麗になるわけではない。家人の見栄パワーあってこその話である。「ありのままの私を見て〜」なんてルーズな気持ちになってしまったら家は綺麗にはならないのである。気を引き締めていかないといつか客人に大顰蹙を買う日が来るぞ、と自分の見栄パワーの低下に不安になる今日この頃なのであった。


1999/02/09 努力と自己評価

ひさびさにやってしまった。3時まで『RAGE RACER』(プレステのレースゲーム)にドハマリ。親指は痛いわ、ほかのことはできんわ、寝不足だわ、まことにろくでもない。

楽しかったからやってたのだが、それだけではない。どうも、「努力してできないことがあるなんて許せない」という私の意地が、私がゲームをやめるのを妨げるようである。日頃から努力を惜しみ、できることしかやらない私が、出来ると思い、なおかつ、珍しくも努力しているというのに、出来ない! その事実を受け入れることができないらしいのである。

あまりにも悔しいので今朝は気持ちが灰色である。(親指は心なしか紫色っぽい気がするが。)所詮、私はクラス4で全クリアができない下手くそなのである。もうだめだ。私は落伍者だ。

できないといえば、『パラッパラッパー』の腐れチキンも駄目だった。あらためて口惜しい...

努力してもできないという事実を受け入れられずに時間を無駄にしてしまうこのような落とし穴を避けるためには、日頃から、「努力して出来ないことは存在するが、努力してみることはそれだけで価値がある」と自分に言い聞かせておくことが重要であろう。私の場合、努力してできないのはハズカシーから最初からやらないもんね、という日本の優等生的な感覚がどこかにある。逆に、やってしまったからには、なんとかして結果を出さなくてはと平常心を失って消耗してしまうわけだ。負けず嫌いといえば可愛げもあるが、このような感覚では、この先、よろしくないなぁと思うのである。ひそかな(ひそかでないという噂もある)野望である起業という観点からいえば、チャレンジを自己評価しつつはやい時期に失敗を認めて対策を練るのが正解であったろう。

たかがゲームではあるが、しみじみ反省してしまった真夜中のドライブなのであった。


1999/02/08 ホメホメな家

昨夜のあるある大事典(だと思うのだが)で、ホメることの効能やホメ方についていろいろ研究していた。夫婦そろって楽しく観ていたわけだが、どうも思うのは、うちはもともとホメホメな家だということである。

特に、私はよくホメるような気がする。自分で言うのもなんだが、相棒に聞いてみてもちゃんとホメられているという回答が返ってきてるのでさほど一人よがりではないらしい。昔、ホメるのがうまいといろんな人から言われたこともある。

私がよくホメる人間になったのは、おそらく、実家の影響であろう。思い返すと私もやたらとホメられて育った気がするのだ。実家は相互にホメあう家族であったような気がする。そのせいか、私は、ホメられたときに出てくる気持ちEホルモンなしでは生きられない身体になってしまった。

相棒はそれほどホメる人ではなかった。が、私は「ここ掘れワンワン」状態で、ここをホメろいまホメろとしつこくリクエストをし続けた。なんでホメてくれないのよと怒る前に、ホメてホメて〜としっぽをふるのである。相棒もだんだん教育されてきて、ボタンを押すのが上手くなった。そういえば、相棒のほうも「えらい?」「すごい?」と口にすることが初めの頃と比べて格段に増えたような気もする。他人から見ると何でもないようなことでお互いにホメあっている光景は微笑ましいかそれとも腹が立つものかちょっと想像がつかないが、効果は確実にある。ホメられると、生活に張りが出るのだ。また、次もがんばろうという気になる。(そう、番組でいうところのやる気ホルモンである。)

人使いという見地からもホメるのは非常に重要である。他人も自分も、ホメて使う/使われるのがもっとも気持ちよく働くことができる。これを使わない手はない。だから私は、食器を洗っても風呂を洗ってもホメて貰うのである。(爆)

……こんなことを書くと、私がいかにナマケモノであるかを示すようでちょっと気がひけるのだが……それでも生活していけるのはホメホメ術の賜物なのじゃ。というのが今朝の本題である。


1999/02/07 奈良ふたたび

先週に引き続き奈良大会に行ってきた。こんどは、自分たちが出るのではなく、つきそいである。

めちゃ、寒い会場であった。なにしろ暖房のない武道場である。床が突き刺さるように冷たい。おかげで開会式前には会場の一箇所に長いこと突っ立っていた。ひとたびポジションを決めて立ったら、その場を離れられない。離れると、せっかく体温で暖まった柔道畳の恩恵がぱぁになってしまうので動けないのだ。

唯一日の当たる道場の片隅にて、鞄に足を載せて観戦していたら、たまみちゃんから、靴下に貼るの専門のカイロを貰った。我々もカイロは持参していたしなんとなく悪い気がして最初は遠慮していたのだがとうとう貰って使ってみたらまぁこれが本当に素晴らしかった。文明の利器である。とても気に入ったので家に帰った今でもつけていたりする。我が家はフローリングだし私はスリッパを使わない。(なぜならスリッパは履いていてもいつのまにかどこかへ行ってしまうのだ。)なので、この靴下用カイロ、今度みかけたら買っておいて、家で長時間パソコン遊びするときに活用したいかも、と思ったのであった。

蛇足だが、足温器も、好きだが苦手である。いつのまにかコードが引っこ抜けて冷めてしまうからだ。


1999/02/06 マディソン郡の橋

昨夜、金曜ロードショーで『マディソン郡の橋』を観た。原作が大好きなので期待して観ていた。期待に背くことはなかった。

あの作品は、妙に評価が別れる作品だという印象がある。絶賛する人もいればまるで興味ナシといった人もいる。日本での一世の風靡の仕方や読者の反応に、私はなぜか『いっぱいのかけそば』ブームにあい通ずるものを感じていたものだ。

『マディソン郡の橋』に感動するかどうかのポイントのひとつは、なんといっても、フランチェスカを理解できるかどうかである。突然あらわれた風変わりな男にのぼせあがったが家庭を捨てる勇気の出なかったありきたりの主婦、などという見方ではこの物語を "通俗小説" の範疇を越えて読むことはできない。この物語は、フランチェスカになれるかどうかで180度、感想が変わってしまうと思う。

では、フランチェスカとはいったいなんなのか? フランチェスカになるとはどういうことか? 最初のポイントは、フランチェスカの少女時代の漠然とした夢と、アイオワの農場の現実の暮らしの間の "ちょっと" のギャップ、それを愛しいと思うかどうか、あたりにあると思う。そのギャップを糸口にしてフランチェスカに同調すれば、彼女にとってロバートが何だったのか、アイオワが何なのかに違和感なく共感していけるのである。

フランチェスカの夢と現実の差を匂わせる描写については、映画よりも原作のほうが遥かに充実している。ロバート・キンケイドが彼女にとって生まれてはじめての「これでなきゃ」だった理由は、この、彼女の夢と現実に同調していけば、とても理解しやすい。
余談だが、映画では、私が原作で好きなエピソードのひとつであったブランデーの件がカットされていた。ロバートがくるまで、ジョンソン家では、フランチェスカが買ってはあったブランデーの出番はあまりなかった。おそらくロマンチック過ぎて受けなかったのであろう。埃をかぶっていたブランデーは、ジョンソン家におけるフランチェスカの姿と重なる。そのブランデーは、ロバートがやってきてはじめて陽の目を見るのである。このエピソードは、フランチェスカ像をより鮮明にするだけに、映画にも入っていて欲しかった。

ところで、この作品の眼目は、恋の激しさだけにはない。フランチェスカが家族を選んだこともまた重大なテーマである。彼女は、家族のためだけにではなく、ロバートへの愛が家族を捨てることによって変質するのを危惧して、ついてゆくことに肯んじなかった。だが理由はそれだけでもない気がする。私はそこにいぶし銀のごとく光るもうひとつの何かを感じるのだ。家族が大切とか夫が可哀想とかそういうレベルだけの話ではない。それは、「いまある人生」への誇りと愛着と責任の輝きである。夫を選び子を産み育て家を守ってきたこれまでの人生もやはり自分で選んできたもので、それを全うすることもまた素晴らしい、という価値観である。これは、フランチェスカの行動だけでなく、フランチェスカの日記を読んだ子供たちの行動にも表れている。

正直、変化を好む私は全うするより捨て去るのが好きなのだが、むしろそれゆえに、こうした価値観には強く惹かれる。本当の自分を求めてさまよい歩く期間にスポットを当て、その長い道のりが依然として人生の大部分なのだ、という発想は、我執をやわらげ、自他の人生を愛するためのひとつの方法を示してくれる気がする。


1999/02/05 葛は熱いうちに

一昨日になるが、葛餅と黒蜜を作った。先日の奈良大会、いや、東大寺観光旅行の折りに、吉野葛を購入したのである。

葛餅というのは案外簡単にできる。コップ1杯の吉野葛をコップ4杯の水をあらかじめといおておき、砂糖をちょっと入れ、火にかけてひたすらかき回すと半透明なねばねばになってゆくのである。白い粉水が、おそろしく弾力のあるねばねばに変化するのはなかなか劇的で面白い。まず、白い水のなかに透明な粒々ができてゆく。ちょうど溶かしきってない寒天のような状態である。そのままかきまぜていると突然、異状とも思えるくらいかたいねばねばになる。大量に作ると力がいるのでほどほどにしておいたほうがよい。ねばねばをタッパー等に平らにとって冷まして切れば葛餅の完成である。

そういえば、その昔、家庭科調理実習で寒天を十分に溶かしきらないで、杏仁豆腐を作ってしまったことがある。先生は「寒天を完全に溶かしてください」と十分に強調していたのだが、私はやっちまったのである。
家庭科はクラスが幾つかの班に分かれて行う。つまり、私はその班のデザート部門をその日任されていたわけだ。デザートといえば調理実習的には難しくはないが、成果物のなかではもっとも愛されるジャンルである。私の責任は重大であった。皆に信頼されて作っているというのに、その私がこともあろうに溶けてない寒天の粒が混じった杏仁豆腐を作ってしまった。これは一大事!! なんたる失態であろうか。私の心には暗雲が漂った。
結局、負けず嫌いの私は、寒天の粒が入った箇所を私が黙って食べることで、この問題を解決した。粒はかためるときに底に沈むので、うまく切り分けることができたのだ。誰も私の失敗には気づかずに美味しそうに杏仁豆腐を食べてくれた。私はほっとしたが、一抹の淋しさを拭うことができなかった。できれば、私も粒なしの杏仁豆腐を食べたかった……。

調理実習の失敗としては、あと、生姜の件が記憶に残っている。生姜の千切りをしてから、皮を向いていないことに気づいたのである。これもショックであった。別に皮つきの生姜を食べても大したことは起きないとは思ったが、誰かに皮がついていることを指摘されるなんて私の負けず嫌いが許さない。私は千切り相手にまな板の上で職人芸を発揮し、目立つ皮を逐一取り除くことにした。千切りにしては時間がかかったが、さほど注目を集めてはいなかったので(そりゃそうだ、だって生姜の千切りに過ぎないのだから...)バレることはなかった。皮を取り除けたときはこの上なくほっとした。何の料理を作っていたのかは忘却の彼方だが、千切りについてだけは今も鮮やかに思い出すことができる。

さて、葛餅である。
葛餅は美味しくできた。黒蜜もばっちりである。しかしひとつだけ問題があった。作るのに使った鍋を1日放置してしまったことである。
なぜそんなことになったかというと、葛餅のねばねばのいっぱいついた鍋を見て、「後でお湯を入れて葛湯にすれば楽しめるかも」という欲望が胸をかすめたからであった。(なお、我が家には吉野産の専用の葛湯が20個以上残っている。)しかし葛餅を食べたら、さすがに葛湯までは要らないかという気持ちになって放っておいたのであった。
昨日会社から帰宅してみると、鍋のなかの葛のねばねばは綺麗に乾燥していた。要するに、オブラートの分厚いのが鍋に張り付いていたわけである。へぇ、面白い。などと暢気なことを考え、欠片をはがして味見してみた。あまり美味しくなかったしいつまでも溶けない部分があったので吐き出してしまった。まあ、味見のことはどうでもよい。問題は、鍋に張り付いたソレがえらく取れにくいことである。うっかり水に入れてこすったのが間違いだった。こすれどもこすれども、皮の上をすべるだけでらちがあかないのである。乾いていたうちに全部剥がそうとすればよかったのかもしれない。そもそもは最初の時点で洗っておけば――せめて水につけておけば、こんな事態にはならなかったであろう。葛湯もなどと欲張った私が悪いのである。
葛は熱いうちに洗え、ということだ。


1999/02/04 休筆保障法

昨夜は『頭文字D』を13冊読破して寝た。夜の2時過ぎのことだ。なのに今朝も普通に早起き出来てしまった。習慣とは恐ろしい。

明らかに寝不足である。夜更かしの原因は、『頭文字D』にもあるが、真因はむしろこの日記の存在だ。
「明日の朝の日記は何を書こうか……うーん決まらない……このまま寝てしまうと明日苦労する……」という気持ちが私の早寝を妨げたのであった。
また、私のようなマメ・几帳面からほど遠い性格の人間にとって、ここ数日の異様に順調な日記執筆が逆にプレッシャーになってきたということもある。毎朝6時に日記をつけている自分なんて気持ちが悪い。いやだ、私はもっと気分のままに生きたい! はやいうちにリズムを崩しておく必要があるのではないか? 変化を好む私はものごとをランダムに行わないと息苦しくなってくるのである。

といって、わざわざ日記をつけないというのは、悔しい。そう、負けず嫌いの私は、「きょう/昨日は日記がなかったね」などと他人から言われることが死ぬほどいやなのである。特に、「ネタ詰まりか?(にやり)」とか「なにかあったの?(大丈夫?)」とか「せっかく毎日つけてたのにはじめて欠番が...」いうニュアンスが混じっているとダメである。負けず嫌いかつ干渉ダイッキライの瞬間湯沸かし器である私は一気に怒髪天を突いてしまうであろう。その怒りのメカニズムは、もはや私の理解の範囲をさえ越えている。

というわけで、賢明な読者の方は、私が休筆しても決してソレ系の発言をしてはいけない。
沈黙は金なのである。

...このように書いておくと、休筆がしやすくなる。しかも、休んだせいで腹を立てる危険が下がる。さらに、実際に腹を立てたときに心おきなく怒ることもできる。まさしく一石三鳥である。ぶい。


1999/02/03 ホクホクの日

3等賞があたった。そう、今年のお年玉年賀ハガキの3等賞である。
賞品は、ふるさと小包だ。カタログに載った全国の名産100品のうちひとつを選ぶことができる。

昨夜、我が家ではどれを選ぶかについて、真剣な家族会議がもたれた。

相棒と私が最初に目をつけたのは、北海道のいくら醤油漬150g×3本であった。写真には、瓶3本のほか、皿一杯に山盛りにされたいくらが宝石のように燦然と光っている。見ただけで、舌の上でいくらが踊り出す。あまりにも魅力的である。しかしこのままこれを選んでしまっては選ぶ楽しみを満喫できない。われわれは、それぞれ5つまで候補をあげてさらなる検討を行うことにした。するとどうだろう。二人のあげた候補は4つまでが重複したのである。そこで、この重複した4つ、相棒いわく「四天王」の面々をここにご紹介しよう。

前述のいくら醤油漬。
鹿児島代表、黒豚の炭火焼セット。
北海道、バルナバハムセット(9種類、合計1340g)。
そしておとなり高知県、炭火焼トロカツオタタキ1000g。

これらは、松坂牛や牛タンやめんたいや車海老味噌漬けや小鯛笹漬けや皿いっぱいの甘えびといった強敵に勝ち残った超有力候補である。

どれも欲しいため、かえって、話し合いは穏便に運んだ。結局、相棒の第一希望のハムセットに決まった。自分では買う機会がないし、このハムセット、ほかの地方のそれより内容が充実しており、妙にお得なのである。当分、ビールのおともには事欠かないで済みそうだ。ビールは、今日にでも箱で買う必要があるが……。

それにしても、ただで貰えるふるさと小包は実に素晴らしい。ホクホクである。夢がある。友人の奥さんがやはり夢中でカタログを見てしばらく幸せだったというほほえましい話を聞いたが、まさにそんな感じだ。実際には1つしか選べないのだが、「どれだって選べるもんね!」と思うとなんだか目の前のテーブルに次々とご馳走を出されているようなシアワセな気分になる。ちなみにお年玉の2等は選択肢のひとつとして、このふるさと小包を6つも選べるという。垂涎ものだ。しかしいっぺんにきたら食べきれないが時間差で頼めるのだろうか……とか、関係ないながらもあれこれ考えてしまう昨日今日なのであった。


1999/02/02 受験とゲーム

昨日、2月1日は東京の名門私立中学の受験が幕を明ける日であった。母校も昨日が受験日、今日が発表である。何年経っても2月1日や2日になると、中学受験のことを思い出す。

さて、ゲームの話をしよう。私の愛したゲームたちを巡り会った順(発売順ではないし正確でもない)に挙げてみると、こんな感じである。
アイスクライマー、ドラクエIII、初代ウィザードリィ、信長の野望戦国群雄伝、初代ロマサガ、ロマサガII、プリンセスメーカー2、マインスイーパー、ヴァーチャファイター2。
最近のゲームを入れようと頑張ったがゲーム熱が下降線にあるのでこれらの古き良きゲームと同じ意味で愛しているかと考えると悩んでしまう。挙げるとすれば、青き狼II、プリメ夢見る妖精、マリーのアトリエ、エリーのアトリエといったところか。

なぜこれらを愛するかは後日機会があれば述べる。今日の本題は、私にとって一時代を担ってきたこれらのゲームと、14年くらいの時間ずっと泳ぎ続けた受験・試験の世界とを結びつけてみることにある。

受験に話を戻そう。小学生のときファミコンが欲しくてたまらなかった私は、中学受験のご褒美にファミコンを買ってもらった。スーファミも妹の受験で我が家にやってきた。私はなんと大学受験の後にも、似たようなパターンで、パソコンを手にいれた。

思い起こせば、試験勉強だの受験勉強だのの傍らには、いつも、ゲームがあった。勉強したらゲームができる、勉強をしていないがゲームがやりたい、やってしまったどうしよう……

ゲームは、誰かが情熱をもって制作した素晴らしい作品であると同時に、私の煩悩の吸収器であり、ストレスと現実への疑問や不安を効率よく流し込む先でもあった。 "ゲーム" とは、いわば、お茶受けの煎餅のごとく、"受験" や "試験" のおともであった。

試験というものが生活から完全に消えて数年が過ぎた。関連性はわからないが、私のゲーム熱は緩やかに確実に下降している。一時的にぱぁっと燃えることはあるが、続かない。「ゲームをやりたくないなんて……!」と、自らの若さを疑い、憂鬱になることもしばしばだ。だが、ニッポンの学生時代が私から完全に遠のいたということかと思うと、そうかもしれないと納得できたりもするのである。


1999/02/01 ルネッサンス・朝

今週も順調だ。というのは、月曜の朝であるきょうも、目覚ましなしで6時30分に起きることができたからだ。 さっそく昨日淡路島で買ってきたローズのお香に火をつける。なかなかよい。

早く起きるコツは、2つある。夜、眠くなってきたときに素直に寝ることと、朝、最初に目が覚めたときに「退屈だなぁ。起きたいなぁ」と思うことである。特に後者が肝心だ。「寒いなぁ、まだはやいよ、もっと寝られる」などと考えてはいけないのである。

特異体質なのか一般的な話なのか、最初に目が覚めたときが私は一番身体が暖かい。このときにぱっと起きると寒さは特に気にならない。すぐにセーターを着てしまえば大丈夫である。布団の中でぐずぐずしていると、どんどん身体が冷えてくる。そうなると、もう布団から出ることはできなくなる。これに気がついてあっさり起きるようにしてからは実に順調だ。毎日1時間から2時間、ゴールデンタイムを確保できる。

いままで朝型の私は、夜型のみなさんが楽しそうに夜を過ごすのを横目でみながら沈没するしかなかった。夜10時といえば夜型の方にとってはさあこれから、というところであろうが、朝型にとっては「さあ、なにをしよう……むにゃむにゃ」状態である。特に、寒い冬なら、ほどなくホットカーペットだの炬燵だのにはりついたまま、意識不明の重体になってしまう。今宵は何をしようかという期待に満ちた気持ちは、翌朝「あああ何もしなかった……」という絶望に変わる。――思えばずいぶん長いこと無念の日々を送ってきた。

しかし最近見いだした早起きという素朴な解決法は、そんな私に活路を与えてくれた。頭脳明晰な朝の1、2時間は、睡魔さんに抗いながら粘る夜の3時間よりずっと使える。

こんな簡単なことをなぜいままでできなかったのか。それは、おそらく、早起きとは目覚ましをかけて頑張って起きるものという固定観念と、二度寝は人生最大のヨロコビであるという価値観、ともに夜型のみなさんのそれに完全に毒されていたからに相違ない。だが、実は朝型の人間には、朝型だけに許されためくるめく朝の世界があったのだ。朝型人間よ、いまこそ立ち上がり、みずからを解放せよ!

というわけで、月曜の朝といえど、会社に行くまでは人生バラ色である。朝型の方はぜひお試しあれ。


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