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9月24日

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『日本とドイツ ふたつの「戦後」 熊谷 徹著 集英社新書』 を読んた。

このふたつの国は、どちらも第2次世界大戦を敗戦でむかえ、莫大な負債と、

多大な被害を与えた周辺諸国との信頼回復という重い課題を背負って戦後を歩き出した。

それから70年が経ち、ドイツは2014年に国の借金をゼロにし、周辺諸国との関係も劇的に改善していまやEUの中心国となっている。

一方の日本は、借財は1000兆円を超え、未だ借金増加に歯止めがかっていない。周辺諸国との関係も悪化の一途で孤立へ向かっている。

この違いは、いったいどのような戦後の歩み(政策)の違いから生まれてしまったのか。

そうした問いにひとつの答えを与えてくれる本。

 

著者はNHKから1990年にフリーになったジャーナリストで、ドイツ在住25年。海外から見る現在の日本の行く末が心配で書かれた本と思う。

この本では、様々な事例を具体的にあげて、日本とドイツの様々な違いを浮き彫りにしますが、

彼が最も重要視するキーワードは 「歴史リスク」 という言葉。  彼はこう言う。

 

「我々は過去の対決を他国のために行うのか、自分のために行うのか。日本では多くの人が、過去の残虐行為についての謝罪など、

過去との対決は他国のために行うと考えている。それは、間違いだ。(略)

ドイツ人たちが今も過去との対決を続けているのは、他国のためではない。ナチスの時代に体験した破局の再発を防ぎ、

自分の国の現在と未来を良くするために行っているのだ。」

 

「歴史リスク」を重視するドイツと「歴史リスク」を軽視する日本。

ドイツは「歴史リスク」を重視して、過去の過ちを認め、その問題と対峙し、誠実に対応することで周辺諸国から信頼が得られ国益につながると考える。

日本は「歴史リスク」を軽視し、未だに周辺諸国との関係は同じ問題を堂々めぐりしていて、いつまでたっても関係を改善できず国益を損なっている。

ドイツは歴史の教科書を大戦時の被害国と共同で話し合い、互いが納得する形で作り上げているそうだ。

戦後60年間で被害者に支払った賠償額も60年間で11兆円になるという。

 

***

2008年には、ドイツのメルケル首相はエルサレムのイスラエル議会で24分の演説をしたそうだ。

 

「ドイツの首相が、ナチスによる弾圧の被害者、ユダヤ人たちの前で歴史認識について語る。これは地雷原を歩くような、緊張を強いる作業だ。

日本の首相が韓国の議会で歴史認識について演説をするようなものだ。

(略)

メルケルは「ナチスの残虐行為を相対化しようとする試みには、敢然と立ち向かいます。反ユダヤ主義、人種差別、外国人排斥主義が

ドイツと欧州にはびこることを2度と許しません。」と誓った。

(略)

首相は時おりヘブライ語も混ぜながら、「ドイツは過去を忘れず、イスラエルのパートナーであり続ける」というメッセージを送り続けた。

イスラエルの国会議員たちは、演説が終わると席から立ち上がり、長々と拍手を送った。」

***

 

日本では現在この問題について「歴史認識」という言葉を使っているが、これでは、各自解釈が違うのはやむを得ず、問題は堂々巡りして、

いつまでたっても解決しない。教科書問題も、日本側からのひとりよがりな内容に拍車がかかっている。

 

それで構わない、というのが現在の日本の姿勢と思うが、私は久しぶりに「島国根性」という言葉を思い出した。

下り坂の日本は、どんどん視野が狭くなり、思考や感情が内向きになっている。価値観の異なる異国が国境線をはさんで隣り合っていない

ために多様な視点から物事を考える大切さ、ということに切迫感がなかった鎖国時代に逆戻りしているように思える。

 

もちろん著者も、日本とドイツの置かれた状況には共通項と共に違いもあり、ドイツで行われた処方箋が必ずしも日本で同じように使えるとは限らない

と、ことわりがきしている。

しかし、状況を論理的に分析して改善に向かって試行錯誤を繰り返してきたドイツの戦後から学ぶべきことは多くあるはずだ。

 

多くの方にこの本を読んでいただきたい。

戦後70年、日本が何に足を取られているのか、足を取っているのは私たちの中にある問題だということが明瞭になってくると思う。