3月4日

最近私は、渋沢翁や中国古典について関心を高めています。それは明治期日本の文明開化とその後の経済発展の原動力としての要因を

「西欧文明の速やかな輸入・吸収(とその反発)のおかげ」という理由だけで理解するのは間違いなのではないか、と考えるようになってきたからです。

明治維新のときの中心的役割を担った人々は、幼い頃は論語などの中国古典を主に学んで人間を磨き、その基礎の上に西欧文明を吸収して応用するという、

二つの文明の“いいとこ取り”をしましたが、その後の世代はそうした基礎は失われ、(現在に至るまで)表面的な西洋模倣のみに走ってきたようにみえます。

その結果産業は発達し、多くの恩恵を受けた一方で、思想は合理主義的方向に偏りすぎ、懐の深さ(度量・包容力)は痩せてしまったのではないか、と。

日本美術史にそうした背景を透かしてみると、納得のいくことがあります。明治初期の作家の作品のほうが絵に品と豊かさがあるように思うのです。

その秘密は何であったのかという疑問の答えが、文明開化以前にあった価値観を再評価するの中に埋まっているのではないか、と推量しています。