3月25日

名を残したアーティストの作品について語り讃えるとき、豊かな魅力の源泉をすべてその人の個性にみるのは少し違うのではないだろうか、と思うのです。

U2というアイルランドのロックバンドの個性を褒め称えながら曲を紹介していているラジオ番組を聞きながら、そのような思いにとらわれました。

 

確かにボノのヴォーカルとエッジのギターは彼らの変わらぬ個性と思いましたが、彼らの曲の持ついくつかのイメージには、

80年代に生まれては消えていった、様々なバンドの面影がチラチラして感じられるのです。例えばキュアー、バニーメン、バンシーズ、ニューオーダー等。

生き残ったアーティストの作品の中には、同時代を活躍しながらも忘れ去られつつある人々が創りあげてきた魅力も一部、結実しているのではないでしょうか。

しかし時代の波に洗われると、それらも(生き残った)U2の個性として語られている・・・。

 

J.S.バッハにも同じことを感じていました。以前、ヴィヴァルディのアレンジ曲がそのままバッハの曲に数えられていた例について書きましたが、

それほど具体的でなくとも、ヘンデルやブクステフーデ、アルビノーニ、そもそも当時の対位法音楽の流行という背景で数多く作られた曲のイメージが

バッハの音楽の基礎の多くを築いていることは間違いありません。しかし、これも今ではバッハ自身の才能として語られていることが多いのです。

 

このことは、U2やバッハの才能を否定するものではありません。彼らには良いものを柔軟に吸収しながら、1+1を3にも4にもできるような

自分の個性を高めていく力があったからこそ、豊かな果実を実らせることができたのであって、誰にでもできることではありません。

 

ただ、後世の人が〈名を残した)彼らの作品を評価するときは、彼の個性とともに、彼の周囲にあった音楽世界を創りだしていた多くのアーティストの存在が

もう少しイメージされてもいいのではないか、と思ったりするのです。 (多分、私は消え去っていく側の一人として、よりそう思うようになってきたのでしょう。)

(ヒヨドリ)