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9月21日(号外)
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後藤田正晴氏(元副総理)がお亡くなりになられたそうです。戦争を体験した世代の良心的な政界人がまた一人この世を去ってしまいました。
「彼がいるから、まだ大丈夫」などと、社会の在り方を他人任せで依存してきた私の不安は増す一方です。(小泉自民党の新入生の方々を見ればみるほど)
ご冥福をお祈りいたします。
「私の、文字通り個人的な考えでは、憲法改正の時期については、2010年ぐらいが一つの目標になるのではないかと思っている。
ただし、その憲法改正問題が、そのときの内外情勢や、ことに国民の意識の変化がどうなっているかによって、変えないほうがいいとなるのか、
それはやはり変えるべきだとなるのかは、今の私の判断では分からない。それは将来の国民の判断に任せるべきだというのが、私の考えである。
なぜ私が2010年かというと、わかりやすく言えば、「とにかく憲法改正は、私たちの世代が死んでからやってほしい」ということなのである。
それはどういうことかと言うと、要するに、旧憲法の下においての日本の過去の経験、マイナスの経験というものを私たちの世代はしている、
その日本人のマイナス経験のために、正面からその被害を受けて苦しんだ他国の人たちがいる。そういう過去の戦争世代の加害者、被害者が
年齢的に考えると、2010年ぐらいになればともにいなくなると思われる。
その時期に、内外情勢を見て、日本人の意識というものはどうだということを判断して、憲法というものは直せる。だから、改正するとすれば、
そういう時期にやってほしいということなのである。戦争を経験した私としては、過去の戦争世代が生きている間は、憲法改正は早すぎると思うのである。
私が2010年頃がいいと思うもう一つの理由は、日本の安全保障に関係するいろいろな問題が、その頃に集中しているからである。
どういうことかと言うと、平成6年2月に、アメリカの国防総省がナイ報告というものを発表した。
国防総省の次官補のジョセフ・ナイさんという人がまとめたもので、アメリカの世界戦略やアジア戦略が書かれている。
それを読むと、アメリカにとっての日本の基地は安上がりにつくというような、日本にとっては腹の立つようなことも書いてあるのだが、
そこで焦点となっているのが2010年なのである。
沖縄の基地の縮小問題も2010年頃が焦点となるのではないか。
ちなみに、前の沖縄県知事だった大田さんは、現職当時、基地全廃の目標を2015年に置いていた。それから朝鮮半島の情勢が安定化するためには、
2010年あるいはそれ以上かかるという人もいる。また中国については、もう少し先までいかないと安定しないという意見も多い。
つまり、いろいろな問題が2010年頃に集中してくるわけである。だから、私は、憲法を改正するとすれば、時期的なターゲットとしては
そこらが最もいいのではないかと思うのである。憲法改正をするかどうかは、一にかかって、そのときの国際情勢が重要であり、
いま(※1999年)はいかにも、国際情勢が不透明すぎる、そして、日本がどう対応するのかという国民の意識にかかってくると思うからである。
従って、私は今現在は憲法改正案を検討するという形での議論は、まだすべきではないと思っている。
今は、現在の憲法がこれまでに果たしてきた役割や、将来を考えながら一体どこに残さなければならないものがあるのか、そして、
どこに欠点があるのかということを、国民的に論議する時期だと思うのである。
そういう議論を十分積み重ね、広く国民の意見を求めた上で、改正するなら改正するということでなければならないと考えている。
来世紀になって、次の世代の人たちが、憲法改正を考えるというときには、内外の環境も、改定の中身もかなり違ってくると思われる。
そのときに、どういうことが議論になるのかは、私にはわからないが、これまでの憲法改正論議の中心だった憲法九条についての問題が、出てくると思う。
そのときに、私が懸念するのは、戦争の体験というものをまるっきり知らない世代の人たちが、知らないがゆえに、
過去の歴史の教訓というものに思いを致さず、安全保障や防衛の面で前に進み過ぎるのではないかということである。そういう危険性は非常にある。
それは、私が党基本問題調査会長として、憲法問題を論議したときにも感じたことである。憲法九条の改正問題については、
戦争体験のある人たちは非常に慎重であるのに対して、若い人たちは戦争体験がないがゆえに、威勢がいいのである。
だから、私は、戦争を知らない世代の人たちに、歴史をきちんと勉強してほしいと思っている。今の若い人たちは、歴史に対する勉強が足りない。
従って、歴史認識もしっかりしていない。私は、歴史認識のない人間は信用できないと思っている。