5月28日

成熟した大人とは、あらゆる事象から自らの姿を映す“良い鏡”を見出し続けて、自らを律することができる人のことをいうのではないでしょうか。

そのように考えてみると、“鏡”となるのは人間の行為のすべてですね。現在・過去の自他の行為と、その結果生じたものすべてが“鏡”になります。

良いと思われるものからも、悪いと思われるものからも、相対的に自己の在り方を意識することは、(狭く硬い思い込みに陥らないために)必要だと思います。

“鏡”そのものの存在を意識できず、いつも「自分は正しい」と思い込む人間は論外ですが、“鏡”との関係で注意しなければならないことは、

“鏡”に映ったものを謙虚な姿勢で受け入れる心を養っておくことと、自分に都合の良いことばかりを映す“色鏡”ばかり覗かないこと、でしょうか。

私のような下界の人間にとっては、自分の心持ちが一番大きな課題ですが、偉い地位にある方々は“色鏡”に囲まれますから、鏡に映る歪んだ自画像を

補正してみる眼力が求められると思います。(その意味でも、故加山又造先生は偉かったと思います) 日本の政治家・官僚の方々はどうなのでしょうね。