ブラームス / 交響曲 第4番 ホ短調 指揮 : セルジュ・チェリビダッケ
チェリビダッケという指揮者は気になる存在でした。 録音された音楽に否定的で、スタジオ録音をしない。インタビューを聞くと哲学的な言葉を繰り出す。 しかし決して堅物という印象ではなく、修行僧のように真摯に音楽を探究する芸術家のイメージ。 ただ、テレビなどで彼の演奏を聴きかじっても、なぜか音楽がそれほど私の印象に残らなかったのです。 私自身が(演奏家の性質が直接でる)ソロ演奏が好きで、交響曲をあまり聴かないためもありますが、 チェリビダッケのCDを一枚も持っていませんでした。 今回も、交響曲の中では一番よく聴くブラ4で評判の良かったこの演奏が 破格のキャンペーン価格(通常5600円のCDが1050円)だったので購入してみただけだったのですが、 非常に素晴らしいのでビックリしました。 思うにチェリビダッケの演奏の凄さは、すでに何度も聴いたことのある名曲から まるでいままで見逃していたかのような表情(美しさと悲しみと)を豊かに、 そしてその快い緊張感とともに次々と掘り出して提示してくれることでしょうか。 (演奏中、叫ぶ指揮者って、初めてです・・。)
ブラ4が好きな方で、この演奏を聴いたことのない方がいらっしゃいましたら、 感じ方は人それぞれとはいえ、1050円を損とは感じないと思います! 彼のモーツアルトのレクイエムも聴いてみましたが、同じ印象です。 でもこちらは数多あるすぐれた演奏のひとつ、という感じがしました。
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モーツァルト / ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 演奏 : ピョートル・アンデルジェフスキー
NHKの「名曲探偵アマデウス」を毎回楽しみに観ています。 極端に偏った嗜好ながら長年クラシックを愛好してきたつもりだった私は、 「ああ、具体的に音楽がどのように創られているのか、何も知らなかったんだなぁ」、と思いながらも 手品の種明かしを観るような好奇心で番組を楽しんでいます。 というわけで(?)第7話のテーマ「モーツァルトのピアノ協奏曲20番」。 これまでハスキル盤を時々聴く程度で、深い興味はありませんでした。 第一楽章の不安のテーマや第二楽章の近い音で構成された主題など、フムフムと思いながら聴くのも (邪道かもしれませんが)なかなか楽しいですね。 やはり番組で、アンデルジェフスキがベートーヴェン作のカデンツァ入りの演奏をしていて 興味を持ち、このCDを入手しました。アンデルジェフスキは、前にやはりNHKのクラシック倶楽部で バッハを弾いているのを聴きました。 透明感のある音と、繊細さと知性と、品のいい感性が感じられる演奏が好きですね。 彼のベートーヴェンの32番も聴いてみたいです。(31番はかなりドラマティックな演奏でした。)
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「趣味の殿堂」 / 18世紀のイタリアとフランスの音楽集 演奏 : ルバート・アパッシオナート
何か他の手作業をしながら聴くのにちょうどいい音楽は何だろう、と思いながら、視聴して購入しました。 BGM=退屈でも仕方がない音楽、では買う価値がありませんし、主義主張や刺激が強すぎる音楽は、 「この叫びを聞いて!」といわんばかりの音をだし、集中している手を止めさせられてしまうことがあります。 聴くに心地よく、ふと耳を傾ければ、(人の存在価値を肯定させてくれるような)質の高い表現に 気持ちが落ち着く。そういう音楽(CD)は多いようでも、実際はなかなか巡り合えません。 (人によって刺激的⇔退屈の中立点がどこにあるかは、ずいぶん違うと思いますし) この「趣味の殿堂」は今の私にとって、これらの味付けがちょうど良いCDだと感じます。 音色も美しいですし、無名の作曲家の名品を現代に送りだす、というコンセプトにも共感できます。 日本の多くのCDはハイライトを一曲目にもってくるのが常識のようですが、このCDの曲の構成は 後半に向かって緩やかに盛り上がっていくように感じられ、気がつくとアルバム全曲を聴き終えています。
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シューマン / 交響的練習曲 OP.13 ピアノ : ミハエル・プレトニョフ
CDを整理していたら、シューマンのCDを一枚も持っていないことに気がつきました。 大好き、という印象を持ったことはないのですが、テレビなどで初めて聞くピアニストの演奏に 感銘を受けたときの曲が、シューマンの曲だったことが度々あったことを思いだしました。 演奏家によって“生き死に”する曲がシューマンなのか、などと思いながら一枚CDを買うことにしました。 曲は「交響的練習曲」と決めていましたが、さて誰の演奏を買うべきか、とCDショップの棚の前で 悩むことしばし、プレトニョフの名前を見つけました。ヴェルビエ音楽祭のDVDで、 まじめそうな第一印象とは異なるお茶目な一面がかなりあることに好感をもったのを思い出し、 プレトニョフの演奏を選びました。 正解でした!おそらく独自の、知的でありながら柔らかい解釈と共に、ピアノの音色の魅力を 美しく響かせて聞かせてくれます。
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シベリウス / A.ハチャトウリャン 「ヴァイオリン協奏曲」 ヴァイオリン : セルゲイ・ハチャトウリヤン
なんと表情豊かに美しくヴァイオリンを鳴らす人でしょうか。 ほんとに20歳?と思うほど、抑揚の(色彩感の)ある音を紡ぎだします。 彼の手にかかると、どんなに地味なフレーズさえもすごく魅力的な音楽になってしまいます。 (といいますのは、私はどこかで、やはり芸術家は人生の山谷を経験に応じて、 表現にも深みが出てくる、と信じているところがあるからなのですが・・・。) やはり家族みんなが優れた音楽家、という環境と才能のなせる業なのでしょうか。 これからの彼の活動には目が離せませんね。
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バッハ・ヴィタリ(シャコンヌ) 「ヴァイオリン・ミューズ」 ヴァイオリン・編曲 : 川井 郁子
NHKーHiの番組「女王イサベル 終の楽園 アルハンブラ宮殿」のエンディングで ヴィタリのシャコンヌをアレンジした曲が流れていて、 美しい宮殿を舞台にした女王の悲しいドキュメンタリーの内容とともに、強く印象に残りました。 ネットでヴィタリのシャコンヌを編曲しているCDはないか検索したところ、 川井郁子さんの「ヴァイオリン・ミューズ」がそれらしいと思い、購入してみました。 ビンゴ!です(^^)/。〈ネット上の視聴ではイントロのバッハの部分しかなかったのです) 私の大好きなバッハとヴィタリのシャコンヌを一曲に合体させてしまったアイディアに参りました。 (後半のリズムはボレロ・・・) 最新アルバムは視聴して購入を止めましたが、この曲はお気に入りです。
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M,ブルッフ 「ヴァイオリン協奏曲 第一番」 ヴァイオリン : 五嶋 みどり
これは名演奏だと思います。演奏に張りがあって音色がとても美しいです。 ここ数ヶ月、オーディオの改良に着手し、新しいアンプやSACDプレーヤーを手に入れたら、 CDの選び方が変わってしまいました。とにかく「豊かな音」が聴きたくてしょうがないのです。 それにはバッハ、特にグールドじゃどうも役不足に感じてしまうんですね。 このSACDは、「ああ、オーディオをグレードアップして幸せだ〜」と感じられます。 ブルッフのこの協奏曲第一番は、「ココが聴き所だぞ〜」というところで普通に感動してしまう私は、 実にただの聞き手でして、曲に関するコメントは他のサイトでどうぞ。。きっとそれと同感です・・・。
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L,ゴドフスキー 「パッサカリア」 ピアノ:ミヒャエル・ナナサコフ
20世紀初頭に活躍したゴドフスキーというピアニスト・作曲家、の存在を私は知りませんでした。 このCDではバッハの無伴奏チェロソナタなどをピアノ・ソロ版に編曲したものと、 シューベルトの未完成交響曲から主題を得た「パッサカリア」が入っています。 とにかく凄い。もともと同じ主題を際限なく繰り返しながら、万華鏡のように展開する パッサカリアという変奏曲形式を私は好きなのですが、この曲の壮大さは群を抜いています。 「ゴドフスキーの譜面の音符の密度は桁違いに高いものになっている。」 と解説の言葉にありますが、次から次へ展開されるパッセージの連続に圧倒されます。 古典音楽とはこういうものだ、という私の中に固まってしまいつつあった既成概念を 壊してくれる作品に久しぶりに出会い、「やはり音楽はすごいなぁ。」と思わせてもらえました。 M・ナナサコフの演奏するピアノはゴドフスキーの超人的な音楽を見事に聞かせてくれます。 解説の隅に書かれた彼のプロフィールを読んでびっくりしました。(ホントに超人でした・・。) なにはともあれ、興味をもたれた方はぜひ聴いてみてください。
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ショパン 「バラード」 ピアノ:クリスティアン・ツィメルマン
私はモーツアルトのみならず、ショパンにも「甘すぎる」という偏見を持っていました。 そこに戦後の(西洋文化を積極的に導入しようとする)日本において、 メロディーが明快で、なじみやすい曲や演奏が好まれて紹介されていたこと、 クラッシック界にもヨーロッパでのロマン主義の名残が、まだ強く残っていたことなどを 原因に挙げることはできるだろうと思いますが、結局、私が無知だったのです。 正直なところ、バラードの第一番は映画「戦場のピアニスト」で知りました。 そこでショパンはポーランドという土地を抜きにしては語れそうにないことも知りました。 そしてツィメルマン。近頃、私は彼の演奏にはまっています。 なんといったらいいのでしょう。とても言葉では説明できません。 かつてなかったほどに曲の魅力を引き出す演奏のためでしょうか、 聴いていると音楽の中に引き込まれてしまうので、"ピアニストが演奏している”という行為を ほとんど意識しないで曲に聞き惚れてしまう感じです。 それほど技巧と表現が高度にバランスされていることに、ただ驚くばかりです。
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ヴィラ=ロボス 「ブラジル風バッハ 第一番、第9番、その他」 カーマラ・ブラジリア オーケストラ
ヴィラ・ロボスという作曲家は、バッハに関するCDや資料を集めていくうちに知りました。 バッハが生涯こだわったフーガという音楽の構造に、時代を超えて 新たな生命を吹き込んでいます。 西洋音楽やキリスト教などの約束事に縛られないブラジルという風土や時代のためか、 フーガの厳格な構成にもかかわらず、音色や構成などが自由で 曲の印象がとてものびのびと感じられ新鮮です。 単なるエスニック趣味にとどまらず、ヴィラ・ロボスの曲は音色が豊かで F.プーランクの管楽器を使った音楽の特徴を思いださせます。 なにより思慮深げながら基本的に明るい曲想のバランスが気に入っています。
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ヴィラ=ロボス 「ブラジル風バッハ 第5番からアリア」 ソプラノ:キャスリーン・バトル
上記のアルバムでお気に入りに浮上した作曲家、ヴィラ=ロボスの評価が 私の中で決定つけられたのがこのCDです。 このアリアを意識し始めてから機会あるごとに様々な演奏を聴きましたが、 このキャスリーン・バトルの歌声とオーケストラからギターに編曲された伴奏の演奏が、 一番好きです。 歌詞の意味を私は知りません。なんと歌っているのでしょうか・・・。
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プーランク「ピアノ・オーボエとファゴットのための三重奏曲」 ジェイムズ・レヴァイン(ピアノ)、アンサンブル・ウィーン・ベルリン
20前後の私は“生きる意味という真実”なるものを追い求め、音楽などもマーラーなどの 重々しいものを好んで聴いていました。 しかしそのうち、「どうやらそうした絶対的な意味というものはないようだ」と気づき、 “その〈虚無〉とどう対峙するか”ということこそが、 創作に携わる者に必要なスタンス、と考えるようになりました。 そうした心境の変化により、ロマン主義の演劇的な悲劇性から距離ができ、 それまで否定的だった、ある意味、表面的な「純粋な音の質の高い追求」を 再評価するようになり、モーツァルトなども聞けるようになった経緯があります。 そういう中でこのプーランクはツボにはまりました。おもちゃ箱のようにさえ思えるほどの 豊かな色彩・リズムでありながら、知性や深みのある曲想とまとまりには舌をまきました。 はじめて聞いたとき、自分にはないセンスへの羨望とともに、いままで私には見えてなかった 創作の方向性を発見できたように感じたことを、今でも鮮やかに覚えています。
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ラベル「ピアノ協奏曲」 ト長調 ピアノ:アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ
ラベルには「ボレロ」や「亡き王女のためのパバーヌ」などの 穏やかな曲調の名曲があり、私も好きなのですが、 このピアノ協奏曲の第2楽章もそれらに負けず劣らずのラベルらしい名曲だと思います。 この演奏は、ミケランジェリの繊細にコントロールされた音色によって、 ラベルの曲の魅力が最大限に引き出されているように感じます。 私は第2楽章の雰囲気があまりに好きなので、第3楽章を騒々しく感じてしまいます。 そのため、たいてい第2楽章にリピートをかけて延々と聴くことが多くなります。
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スティーブ・ライヒ 「18人のミュージシャンのための音楽」 スティーブ・ライヒと音楽家たち
ミニマルミュージックと呼ばれる反復と差異の効果を最大限にいかした一時間近い大曲。 ほとんどおなじパルスを繰り返し続けるデジタル的な展開を オーソドックスな楽器や声でアナログに反復しているためか、打ち込みのような冷たさはありません。 際限なく繰り返されるパルスに包まれると、不思議なトリップ感が味わえます。 その後、ライヒのほかの曲「6つのマリンバ」「ピアノパルス」「プロヴァーブ」などを聴きましたが どの曲もパルス感は共通しながら、それぞれの音色の特徴をよく生かした美しさがあり ライヒの到達した音楽観の質の高さを感じます。
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モーツァルト「レクイエム」 ニ短調 K.626 (バイヤー版) 指揮:レナード・バーンスタイン
映画「アマデウス」に効果的に使われた、有名なモーツァルトの絶筆となった作品。 未完成ゆえに後半を弟子のジェスマイヤーがつくったとか、様々な説がとびかいますが、 私は”真実”とかにこだわらず、C.ホッグウッド指揮の「モンダー版」の演奏なども (変わっていて)面白く聴いたりしています。 なんにせよ、中盤のラクリモーザの主旋律まででも十分名曲です。 このバーンスタインの演奏は亡くなった彼の妻(写真)に捧げられたとのことですが 気持ちの入った(うまい言葉が思いつきません)引き込まれる演奏です。 曲の最後の音が限りなく引き伸ばされて次第に消えていくラストには 祈りに似たものを感じ、印象に残ります。
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モーツァルト「ピアノ・ソナタ 第20番 ニ短調 K.466 第24番 ハ短調 K,491」 ピアノ:クララ・ハスキル
正直なところ、「モーツァルトを好き」と言えるまでには時間がかかりました。 リズムや音色を自在に使いこなし、耳への豊かな刺激を与えてくれる純粋音楽的な魅力は 文句のつけようがないと感じていましたが、精神的な影がなさすぎるとも感じていたからです。 実はその印象は今も同じです。35年の短い人生を精一杯駆け抜けたモーツァルトは、 きっと悩んでいる暇などなく、前に前に突き進んで一生を終えたように思います。 そこに平凡な自分と天才との精神的距離を感じてしまうのでしょう。 その精神的距離を埋めてくれたのは、演奏家でした。 モーツァルトの曲自体は精神的味付けのされていない上質な食材のようなもので、 料理人次第で甘くも辛くもなるように思えてきたのです。 彩りの鮮やかさがありつつ、甘さに流れないハスキルの演奏は素直に聴けます。
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