列仙伝

(2002.02.25)

列仙伝( 劉向 撰)


要するに仙人の列伝だが、内容的には取り立てて見るべきものはない。私の興味のある視点から勝手に読ませてもらった。

劉向】前漢後半期の大儒。帝室一門で朝廷の要職を歴任。『列女伝』『説苑』などの著書がある。反乱の罪で自殺に追い込まれた淮南王・劉安の著作を私蔵しており、仙術に強い興味を持っていたようだ。

成立時期】前漢の劉向撰と言われているが、偽作の疑いを持たれている。場合によっては南北朝期の成立の可能性もある。したがって、道教史の中で本書を扱う場合は十分な注意が必要。

老子との関係】老子も仙人の一人として取り上げられている。また、容成公の伝に「谷神不死」の一節があり、本書成立時期にはすでに仙術と老子の深い関係が推測される。前漢後半〜後漢前半は道教史の空白期なので、もし本書の成立が前漢後半なら興味深い。なお、荘子、列子などの名は見えない。

黄帝】黄帝も仙人の一人として取り上げられているが、神農、女カ、伏義などは取り上げられていない。やはり、本書成立段階で既に老子と黄帝は特別な存在だったようだ。

真人】この用語は随所に見える。出典が『荘子』ならば面白い現象だが確証はない。ちなみに、始皇帝は自身を「真人」と呼ばせたらしい。無論、この場合は荘子的な意味ではなく、仙人の同義語。

道士】この用語も随所に見える。しかし、原書で確認したわけではない。前漢期に「道士」という用語が成立してたとすれば重要。なぜなら、それは「道教」という統一した概念があった可能性を示唆するものだから。個人的には、この時期は教団ごとの差異(五斗米道と太平道など)の方が大きく、「道教」という統一した概念は北魏の寇謙之以前にはなかったのではないかと思っている。

劉安】漢の淮南王。のち反乱の罪で自殺に追い込まれた。『淮南子』の選者で「老荘」という言葉を最初に使った。神仙思想に強い興味を持っていた。その劉安が老子と荘子を同類として扱った点は興味深い。思っていた以上に荘子と道教は近いかも。

以下は同じ書物に掲載されていた『枹朴子』の解説より。

方士】仙人ではないが仙術を使える術者。秦漢期以前における道士のようなものだが、基本的に道家ではなく儒家に近かったようだ。そもそも、永遠の生命に固執するのは荘子などの立場と正反対。と言っても、不死願望が儒家的であったということでもない。

淮南子】そもそもが道教と仙道の書物だったらしい。ただし、仙道について述べた部分(内編)は佚書。

全真教と正一教】明の王イの説:

 老子 → 仙術 → 身体鍛練・薬物服用        → 全真教
         → 護符・戒律 → 五斗米道(天師道) → 正一教

老子の輸入】道教が後から自らを権威付けるために持ち込んだ。老子が選ばれたのは中心徳目を持たない牽強付会しやすい思想だったから。――これは、私が考えていたことそのものだ。

士大夫層と道教】伝統的に士大夫層は集団的・狂躁的な宗教体験を軽蔑する伝統があるそうだ。したがって、道教は常に民衆のものだった。しかし、後漢末の太平道や東晋の天師道は士大夫層にも信者が多かった。これはなぜか?

枹朴子】老荘の言辞を借りて持論を展開するが、その述べるところ(不死への執着など)は老荘思想とは本質的に相容れない。

平凡社刊

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