(2002.06.20)

ハリマオ 〜マレーの虎、六十年後の真実〜 山本節


「中国」でも「古典」でもないけど、華僑が悪役の歴史ドキュメントと言うことで(^_^; な〜んか、むちゃくちゃなコジツケだが。

あの『快傑ハリマオ』のモデルになった「マレーの虎(ハリマオ)」こと谷豊の足跡を克明に辿った評伝。まず、その実像を簡単にまとめておく。

マレー育ちの谷豊は、色白で小柄な美青年ながら、子供のころから豪胆で義侠心に富んだ人物だった。しかし、幼い妹が華僑に惨殺され、それをイギリスの官憲が真剣に捜査しなかったことに激怒、マレーで盗賊の首領となり、裕福な華僑やイギリス企業から略奪した金品を貧しいマレー人達に分け与え、一躍英雄「ハリマオ」に祭りあげられる。これを知った日本軍の特務機関は、谷を懐柔して組織に加え、対英戦争のゲリラ部隊として利用する。谷は諜報、宣撫、破壊阻止などの工作で成果を上げるが、志半ばにしてマラリアで病死。死後、彼の人物や功績が虚実ない交ぜの形で広く喧伝され、ハリマオ神話を生んだ。

ポイント1:きっかけが猟奇的。谷が盗賊となるきっかけになったのは、妹(腹違い)の惨殺事件だった。これは、満州事変に怒った華僑の男が日本人商店を襲い、たまたま二階で臥せっていた幼い女の子の首をナタで切り落とし、生首をぶら下げたまま目抜き通りを闊歩したという事件。記録によれば犯人は逮捕され、裁判ののち処刑されているそうだ。しかし、谷は、敵国イギリスの官憲が真面目に捜査せずに、犯人を(わざと)取り逃がしたという風聞を信じていたらしい。真実は藪の中、時として記録よりも風聞の方が正しいことはあるが、谷はマレー人に深い共感を持っていため、政治的支配者であるイギリス人や、経済的支配者である華僑に対する強い反感があり、それが風聞を信じ込ませたと考えるべきではないか。ちなみに、いくら排日・抗日運動の高揚があったとは言え、幼子の首を切り落とすのは残虐異常な行為で、それが華僑全体の是とするところでなかったことは言うまでもない。ともかく、「敵は華僑とイギリス人」というのは谷に取っては実感だったろうし、日本軍の大義名分としても非常に都合が良かったと思われる。ちなみに、戦後のドラマ『快傑ハリマオ』でもこの基本構図は変わっていない。

ポイント2:どんな人物だったのか? ともかく義を見てせざるは勇なきなり、と言った親分肌の青年で、私利を貪るをことをしなかった潔癖な男だったようだ。しかし、これも具体的証言を読んでいると、大所高所からの「義」からは程遠い気がする。金回りが良くて、周りにばらまいて親分風をふかす男というのは、ヤクザになりたがる連中にはままいるものだ。私利を貪らないのは、義侠心と言うよりは自分のステータスを維持するため。谷が金を与えた人の中には貧乏で困っていた人も含まれていただろうが、特段、貧民救済のために盗賊をしていたとは思えない。ドラマの快傑ハリマオは虐げられた現地人のために祖国に叛いてまで立ち上がった人物だが、それと現実の谷の姿にはかなり大きな落差がある。さらに、最期に日本軍から官位をもらって感動したというのは、卑屈の感さえおぼえる。

ポイント3:本当はどの程度の活躍したのか? ハリマオは盗賊時代と工作員時代の二度にわたり「活躍」しているのだが、具体的に何をどのようにやったのかは明らかになっていない。盗賊時代のハリマオは、半ば伝説と化した盗難事件の「犯人」とし人の口の端に上っていたくらいだから、有名であったことは間違いないだろう。しかし、「三千人の手下を持つ」盗賊団の首領という虚像からは程遠いような感じがする。あるいは、仕事ごとに子分は集散離合するものかもしれないが、幾人かの知己を除けば、所詮は金で集めた手下ではなかったのか。とすれば、彼のカリスマ性はどれほどのものだったか…。工作員時代も、大きな手柄は結局ダムの破壊阻止一件だけだったのではないか。窃盗にしろゲリラにしろ、おおっぴらに行うものではないけれど、快男児と持ち上げるほどの活躍が本当にあったのかは疑わしい。

いつの時代でもそうだが、英雄は作られる。ハリマオの実像にも興味はあるけれど、そこから生まれる神話にはさらに興味をそそられる。谷のような人物は希有とはいうものの、絶無ではない。マレーと言う場所を除けば意外に身の回りにも似たような性向の人物はいるものだ。それが時宜を得て、藤原少佐とマスコミによって軍国美談の英雄に祭り上げられた。そして、軍国主義が否定されると、「アジアの解放」を前面に押し出したドラマの主人公になって人気を博した。私自身、『快傑ハリマオ』は非常に好きな作品なのだが、キーワードはやはり南方、植民地、解放。そこに何とも言えない浪漫を感じる。ま、だからこそ日本軍の口実にされちゃったんだが…

最期に、本書は克明な現地調査や聞き取り調査で構成されていて、非常によく調べられてはいるのだが、調べたことは何でも書かなきゃソンだと言わんばかりで、話しの流れが見えなくまってしまうことも。特に後半は、かなりの部分が日本軍のシンガポール作戦の説明だもんね。大菩薩峠かと思った(^_^;

(2002年、大修館刊)

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