(2002.05.28)

白蛇伝


上海京劇院の『白蛇伝』(通し)を見る。通しで見るのは初めて。日本じゃほとんど盗仙草しかやんないもんね。やっぱ、通しはいいね。そーかー、優柔不断な男と一緒になると女は苦労するよ、という話らしい(^_^; 何か、中国の古典に出て来る色男の典型とでもいいましょうか、根は善人なんだが決断力に欠けて軽率で惑わされやすい、というところが良く出ておりました。観客はこの軟弱者をどう思ってんだろうねえ……極端に否定的に見ているのなら、こんな設定にはしないよね。こうした弱さに一種の共感を持ち、女もそれを許容するところに自らの価値を見出しているのかもしれんなあ。それに、そもそも男が立派だと女は苦労しないので物語にならんか――

ところで、小青の存在感がとてもよかったんだが、これは『西廂記』の紅娘の影響かな。可愛くておしゃまで機転の効く小女という設定。これはやっぱり「ぐっ」ときますね、ロリコンじゃなくても。ちなみに、小青は青蛇の精ということになっているが、元々は青魚の精だったようで、水族を率いて戦うのはその名残ではないかと思ったりする。ま、蛇=龍も水族の長ではあるけれど。

さて、文字として残っている『白蛇伝』は馮夢龍の『警世通言』に収録されている「白娘子永鎮雷峰塔」が代表的だが、これは京劇の『白蛇伝』とかなり違う。白娘子を貞淑・純情な白蛇の精としたのは相当あとになってから。素貞という名も、「盗仙草」も戯曲になってから付け加えられたものだろう。もともとは、悪女の深情けで惚れてくれるのは良いけれど、次々に迷惑を蒙ってたまらんので、退治してめでたしめでたしというものだったらしい。さらに原点となる説話では、かなり性悪・凶悪な妖怪という設定だったらしいが、現代劇ならそっちで作るのも面白かろう。

今日の公演で「おや?」と思ったのは、最後に小青が修行をして雷峰塔を倒して白娘子を助けるという設定。いかにも付け足しで、どうやらごく最近作られた話らしいが、はじめは「数百年の修行の後」ということになっていたようだ。そうなると当然許仙(宣)は生きてないわけだが、今日の公演では「数年の修行の後」になっていて、最後に目出度く再会ということになっていた。でも、数年後だと法海禅師が邪魔をしないのが不自然だし、観客のカタルシスという点ではどっちがよいのか…? 男の目から見ると、こんな軟弱者は捨てちまった方がサバサバすると思うんだが、女(白素貞に感情移入するは女の観客だろう)の目から見ると、そうでもないんだろうかねえ。

――白蛇よりげに不可解は女かな。

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