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青年モーツァルト絶賛の
「アンドレアス・シュタイン」試奏記



 2000年10月28日、兵庫県西紀町にある平山楽器工房を訪ね、練習に来ていた古楽普及協会のみなさんと合流して会食。そのさい、平山さんが「試しに」製作された、シュタイン・モデルのフォルテピアノを見せていただく幸福を得た。ヨハン・アンドレアス・シュタインは、周知のごとく青年モーツァルトが父親宛ての手紙で絶賛した製作者である。

 最初に平山さんに対する僕の印象だが、非常に穏やかでかつ気さくなお人柄も素晴らしいし、何より、このかたは一種の天才なのだろうと思う。ご自身はリュート奏者だそうだが、リュートやチェロ、ガンバから、リコーダー、そしてチェンバロ・フォルテピアノに至るまで製作を手がけられ、ついでに言えば、ご自分の家まで自力で建ててしまう。木工技術や設計の能力、一口で言えば、広い意味での「工作」の能力と同時に、確かな耳と音楽的感性を持っておられるのは間違いない。こういうかたが楽器製作者に天職を見出されるのは当然のことだろう。工房は町はずれの住宅地の「外京」みたいな感じの広い敷地にあるペンションふうの建物で、まだ完成していないが、家の手前には見たところ70〜80坪はあろうかという空き地があって、チェロの守光さんのお話では、そこには楽器演奏も可能なスタジオのようなものが建つ予定だそうだ。聞くだにわくわくするような、楽しみな話である。この西紀町というところは、この町だけで数十の合唱団がある非常に音楽がさかんなところだそうで、平山さんが工房を構えられるのに実にふさわしい。


 さて、前にアントン・ワルターを試奏してから、半年あまり。ワルターを見たときは、とにかくフォルテピアノというものを初めて触ってみられた感激でいささか冷静さを欠いた観察になってしまったのだが、今回は落ち着いてみられたし、後で平山さんにいろいろ質問させていただくこともできたのがとてもありがたかった。もっと時間があれば、お尋ねしたいことが、まだたくさんあったのだけれど。



1 シュタインの構造・外観

 シュタインは、基本的にはワルターとよく似ている。やはり全体が木製で、弦はすべて平行に張られ、鍵盤からまっすぐ向こうに伸びているような具合。ワルターでは高いほうの弦が3本ずつだったりしたのが、シュタインではすべて2本ずつである。ハンマーは、ワルターのものよりもさらに小さい(したがって軽いわけだろう)。また、平山さんのお話では、シュタインでは、ハンマーは弦に対して垂直よりも浅い角度で当たるようになっているのだそうだ。ある製作家が、これを、ちゃんと垂直に打つように調整してみたところ、やはりそれではシュタインらしい音がしなくなってしまったという。

 鍵盤はワルターと同じ、今のピアノとは黒白が逆。鍵盤の幅も、チェンバロと同じサイズで、今のピアノよりも少し狭い。だいたい今のピアノのオクターブの幅に指を広げると、9度半ぐらいになるような感じがした。やはり軽い、じつに軽い鍵盤で、しかも驚くほど浅い。黒鍵(ワルターでは白い)のいちばん奥に指を突っ込んで弾いても、らくらくと音が鳴る。鍵盤とハンマーがダイレクトにつながっているためか、ハンマーを押し上げる感触が指に感じられるこの弾き心地は、ピアノフォルテ独特のものだ。

 膝ペダルの仕様はワルターのような「板」という感じとは違い、60センチはあろうかという細長い木の「棒」が膝の位置(鍵盤の下)に取り付けてあって、非常に浅い押し上げで動作する。見たところは、これではハーフペダルは微妙すぎて難しいだろうと思ったが、やってみると、やはりハーフペダルの効くポイントはあった。それどころか、「音は保続しないが、響き(共鳴)だけ変る」というポイントもあった。多分、僕が今まで知らなかっただけで、他のピアノでもあるんだろうけど。それから、弱音ペダルはないようだった。この点は平山さんに確認するのを忘れた。

 本で読んだ知識で、ワルターは強く叩いたときのハンマーのリバウンドを防止する機構があるが、シュタインにはそれがないので、じょうずにかげんして弾かないとハンマーが弾んでうまく弾けない、という話があった。それで、いろいろ試してみたところ、鍵盤を強く押し込んだ場合はリバウンドは生じないが、鍵盤を強く引っかけるようにすると、ハンマーがリバウンドしているのがはっきりとわかった。つまり、問題は、スタカートで弾く場合、ことにフォルテで同音連打するような弾き方のさいに生じるだろう。力任せな荒っぽい弾き方はできないわけである。むろん、ハンマーのリバウンドなど、どんな場合でも生じないほうがいいに決まっているが、普通に(音楽的に)弾いていたら、リバウンドなんか起こらない。つまりは、あくまでも美しく音楽的に、常にデリケートなタッチで弾くことを、この楽器は構造そのものが求めているのではないか。



2 弾いてみての印象

 何しろ試作品であって、建築中の平山さんの工房兼お住まいの2階踊り場に無造作に置かれているぐらいだから、調律があまりちゃんと行われていない。それでも、松江バロックコンソートの竹佐さんのお話では、しばらく前に竹佐さんが訪問されたときの状態に比べればざっとでも調律してあるだけましだったようだ。

 それはともかく、実際に弾いてみると、まず共鳴の豊かさに驚かされる。響板だけでなく、木製のボディー全体が共鳴体となってうるおいと深みのある、じつに暖かな音がするのである。まるでギターみたいに。竹佐さんの言葉を借りれば、「これならレガートのためにペダルを使う必要はない」と思われるほどである。音を切ったあと、響板とボディーに豊かに共鳴が残っているので、ぶつぶつと切れることがないのである。こう言うと、モーツァルトが「ダンパーがよく効くので、叩いたら(おそらくそのあと鍵盤から指を離したら、という意味だろう)すぐに音が消える」ということを誉めているのと相反することを言うようだが、比べている対象が、ダンパーのよく利かない初期ピアノであるモーツァルトと、金属部品をふんだんに使った「怪物」モダンピアノである僕らとでは、抱く印象がぜんぜん違ってもやむを得まい。とにかく、平山さんのお話では、ボディーに金属製ビスなどを使うと、それだけで、使う位置に応じてさまざまに響きに不具合が生じるという。それぐらい、共鳴体としてボディーが重要なのである。なるほど、もし仮に、ギターやバイオリンの胴体のどこかに金属製部品を使おうものなら、たちまち響きに致命的な影響が生じるだろうことは容易に想像がつく。それと同じなのだ・・・。もちろん、弦どうしの共鳴も豊かだが、これは調律が十分でないから、いくぶん調子外れな、濁った感じになるのはやむを得ない。これは本当の鳴りではないはずである。調律が完璧になったら、どんなに美しく響くのだろう。

 ワルターに比べて・・・ということでは、「音色音痴」の僕には大きな違いは感じられなかった。同じ場所に置いて弾き比べてでもみないとちょっとわからない。

 それより、特筆すべきは、その「弾きやすさ」である。モーツァルトは、父親への手紙の中で、「ダンパーがよく利く」「エスケープメント機構がある」ということと並んで、シュタイン製ピアノの鍵盤のレスポンスの正確さ、音のむらのなさを絶賛しているのだが、まさしく、平山製シュタインにおいても、僕がいちばん感心したのは、弾いてみたときの音のムラのなさ、鍵盤のスムーズな動き、なめらかな弾きごこちであった。ダンパーについては、むしろもっと効いて(つまりピシッと消音して)くれてもいいかなと思ったし、エスケープメントについては、「それがないピアノでどうやって弾くんだ?」と僕などは思うわけだけれど。

 もっとも、クリストフォリの初代ピアノがすでにエスケープメントを持っていたのにもかかわらず、エスケープメントのないピアノももちろん存在し(それはモーツァルトの手紙を読んだだけでもわかるけれど)、平山さんは、小林道夫さんが弾いてらっしゃるのを聴いたことがおありなのだそうだ。鍵盤を押え込んだら、すぐにすばやく指をもどしながら弾くのだそうで、よくもまぁそんな器用なことができるものだと感心したとおっしゃっていた。

 鍵盤がとても浅いですね・・・と平山さんにお聞きすると、「そうじゃなきゃ弾けませんからね」とおっしゃった後、「でも、そのへんは、いくらでも調整できるんですよ」とのことであった。

 それを聞いて、僕は、このピアノは単に「シュタインの複製」と呼んでいいものではなくて、「シュタイン・平山モデル」なのだということがよくわかったような気がした。竹山さんの最高級モデルが、「竹山製ブレッサンモデル」であるのと同様に。

 というのも、磐田でワルターを弾いたときに感じた、あの意外なほどの弾きにくさ、速い装飾音などを弾こうとしたときのやり辛さを思い起こすと、平山さんのシュタインの弾きやすさは、ただごとではないのである。もしかしたら、僕がフォルテピアノの弾き方について少しは上達(?)したせいもあるのかも知れないが、それだけではあるまい。磐田のワルターの感じは、今にして思えば、よくない状態のまま調整もせずに長期間放置されたピアノのような弾きにくさだった。よい楽器製作者がちゃんと調整すれば、もっと、ずっと弾きやすい楽器に仕上がるのであろう。

 磐田にあったのは、フォルテピアノの複製技術などまだ発展途上もいいところだった50年代に、博物館用に複製された品であって、演奏目的でつくられた楽器とはちょっと違うのかも知れない。もちろん、構造が忠実に復元されていれば、基本的な音色などは再現されるだろう。だが、タッチの具合のような、微妙な調整の問題は、じっさいに弾くという観点から、非常な技術を駆使して仕上げないと、ぜんぜん違ってきてしまうのではないかと思うのである。

 その意味では、平山工房で拝見したシュタインも、まだ、シュタインの本当の姿を示すものではあるまい。平山さんのお話では300万円弱で譲っていただけるらしいから、もしこれを購入できて、天才楽器製作者・平山さんが腕によりをかけて僕のために調整してくださったとき、そのときこそ、青年モーツァルトを魅了したヨハン・アンドレアス・シュタインの真価を目の当たりにできる楽器が現れる時なのだろうと僕は確信したのだった。

2000年11月7日



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