モーツァルト工房 HOMEへ


モーツァルト愛用の「アントン・ワルター」試奏記


 2000年4月1日のよく晴れた土曜日、僕は静岡県磐田市にある「ハピコ音楽センター」(日本ベーゼンドルファー本社ショールーム)をたずね、ウィーン時代にモーツァルトが愛用した「アントン・ワルター」の複製をはじめ、貴重なアンティーク・ピアノのコレクションをじっくり試奏したり観察したりする機会を得た。そこで僕が体験したり考えたりしたことを、書きとどめておきたいと思う。



1 ワルターの外観

 ワルター製ピアノは全体が木製で、形は現在のコンサートグランドとよく似た細長いグランドピアノだが、大きさは畳一畳ぶんぐらいと、非常に小さい(正確には長さが214センチメートルあるそうだ)。鍵盤はいまの鍵盤より少し小さくて、手の小さな僕でも9度が楽々と届く。鍵盤の色は、チェンバロと同じで、いまのピアノとは白黒が逆である。木製のとても暖かな肌触りの鍵盤だった。また、鍵盤と鍵盤の間にはゆったりと1ミリぐらい(?)の隙間があいていた。音域は5オクターブで、61鍵である。いまのいちばん小さい電子ピアノでもこの音域はカバーしている。

 弦を見ると、どの音も2本の弦で構成され、また、どの音も同じ弦と見受けた。つまり、高音も低音も同じ太さのピアノ線を用いているようで、長さだけが違い、太さには違いが見えなかった。ハンマーは下から跳ね上げられる式なので、当然弦の下にあるため材質を確認することができなかったが、たしか皮張りのはずである。

 ペダルは、鍵盤の裏にあたるところの中央に、幅20センチ以上ある板が二つとりつけられており、これを膝で持ち上げることで操作する。右がダンパーペダル、左が弱音ペダルである。弱音ペダルを操作すると、2本ある弦のうち一本がミュートされた状態となり、かなり劇的に音量と音質が変化する。

 これがモーツァルトが自室に置いて毎日弾き、多数の演奏会でも用いた、愛用のピアノなのか!何というかわいらしい、素敵なピアノだろう!一目で僕は気に入って、本当にぜひこれをいつか購入したいものだと思うのを押さえられなかった。ここにあるのは、1956年にモーツァルト生誕200年を記念してメトロポリタン博物館がノイベルト社というところに発注・制作させたものだということだが、メーリングリストで知っているカナダのBikettさんに頼めばこれと同様のものが3万ドルか4万ドルで入手できるのだ。現に階下で見たコンサートグランドが1500万円もするのを思えば、将来も絶対に買えないというほどの値段ではない気がしてくる。



2 ワルターの音

 さて、音である。

 僕はずっと以前にハンマーフリューゲルを使ってイェルク・デームスが弾いたベートーベンのソナタを聴いたことはあったが、実のところ、ワルターを使って弾かれた演奏を(少なくともそれと知って)聴いたことは一度もなかった。弾いてみての第一印象は、「意外と今のピアノに近い」ということであった。それはもちろん違いもある。まず、いちばん違うのは絶対的な音量である。フォルテでガンと鳴らしても、現代のピアノの標準音量よりもはるかに小さな音しかしない。これなら、4畳半のワンルームのアパートに置いて弾いても、うるさすぎるということはなかろう。それから、全体に響きがやや痩せていて、少し肉が薄い感じがする。だが、とてもクリアーで美しい音である。「減衰が早い」というふうに聞いていたが、僕にはそれよりも、とにかくキツい音がしない、まろやかな音色の楽器という印象が強かった。

 細かく見ると、高音はとても繊細な音色で、耳につかない。倍音が今のピアノほど豊かでないということか、少しハープに近いような丸みがある。中音域はつやつやしていて非常に美しい。木製のボディーが、この中音といちばんよく共鳴するようで、あたたかな色合いがついている。そして、低音がいちばん現代のピアノとは違う。前に、読んだ話をもとにして「金属的にカンカンと鳴るらしい」などと書いたことがあるように思うが、実際に聴いてみると、そういう感じではない。言ってみれば、低音も非常にクリアーなのである。小さな音を弾いたときにも、かなり高いベロシティーで弾いたような緊張の高い音が小さく鳴るという感じで、とても明晰な音である。小さな音でもくぐもった感じやソフトな感じはなく、クリアーだ。また、大きな音を鳴らしても、響きは今のピアノよりは少し薄くて軽い音である。だが、音色的な面で、僕には違和感はまったくなかった。全体に、嫌な音や硬い音がけっしてしないのが大きな特徴だ。

 ただ、最大音量が小さいことは驚くほどで、やはりモーツァルトのピアノ曲で、現代のピアノが発揮するような大きなダイナミクス幅を取るのは、様式的にかなりの問題ではないかという感を新たにした。もちろん、たとえばハ短調の幻想曲などでは、モーツァルト自身も「もっとダイナミクス幅が欲しい」と歯がゆい思いをしながら書いた(弾いた)可能性はある。そういう場合には、ワルターで可能であった以上のダイナミクス幅を取ってみるのも、モーツァルトを裏切らないだろう。だが、実際に冒頭のぶきみなフォルテの打ち鳴らしを弾いてみると、ワルターもそれなりに堂々とした響きがして、まさしくハ短調幻想曲の冒頭音がこの楽器をイメージして書かれたものと感じることができた。

 僕が持っている電子楽器との関係で言うと、この音色にいちばん近いのは、 SC-88の2番ピアノかSC-8850の2番ピアノであろうか。シンがくっきりしていて、とても抜けがよく、同時に刺激的なところのない澄んだ音色・・・

 なんだ、そうだったんだ・・・。これなら、MIDI楽器で弾いた演奏は、十分にモーツァルトに迫れる。やっぱり、音色の点で、特別な操作なんかいらないと思う。スタインウェイよりはずっとこれによく似た音色を、 MIDI音源ならすでにデフォルトで持っているし、あとは低音の表現で、少し音作りに気をつければいいだけだと僕は思った。




3 ワルターのメカニズム

 さて、消音機構がどうなっているのかが気になっていたのだが、ちゃんと消音機構はある。それはそうだろう。チェンバロにだってちゃんとあったのだ。構造的には、チェンバロとたぶんまったく同様のもので、鍵盤を押すと弦の上部にあるダンパーが上がって弦を開放し、もどすとダンパーが降りて弦に触れ、振動を押さえる。レガートやスタカートの表現もノンレガートの表現も、思いのままだ。右膝で持ち上げる式のダンパーペダルを操作すると、ダンパーがすべて持ち上がって、すべての弦が開放された状態となる。そして、やはりペダルを踏む(持ち上げる)と、共鳴が豊かになって音色が色合い豊かなものに変わる効果もはっきり確認できた。それから、ハーフペダルを試してみたら、ハーフペダル効果は、ある程度実現できることがわかった。そして弱音ペダルは、二本のうちの一本の弦を殺すので、音量や音色の変化がかなり大きい。共鳴が減るので、バイオリンなどの弦楽器でミュートをかけたときを思い出すような、かわいらしいソフトな響きになって、非常に魅力的であった。

 鍵盤は、さっき書いたように少し小さいだけでなく、薄い。そして打鍵はとても浅くて、ごく軽く弾いただけで音が鳴る。だが、エスケープメント機構があるので、そーっと指を置いたのでは音は鳴らない。やはり、それなりのスピードで打鍵する必要がある。支配人さんが、ワルターなどに使用されているウィーン式アクションとのちに主流となるイギリス式アクションの違いを説明してくださったが、レスポンスの良さがすぐれているウィーン式のアクションのはずなのに、速いパッセージの演奏は、予想していたよりはやり辛かった。だが、これは演奏テクニックの問題(僕はすごく下手くそだから)もあるので、この楽器を十分に弾きなれた才能あるピアニストならば、繊細な表現が十分に可能なのではないかと思った。とくに、この軽い鍵盤の楽器を弾きこなすためには、今のピアノを弾くときのように力をこめる必要がないので、タッチの質はまったく違ったものでなければなるまい。指の形からして、たぶん上から打ち下ろす今の弾き方ではなくて、もっと指を伸ばして軽く弾くようにするのではないかと想像した。そういう指の形で、繊細な強弱変化をコントロールできるように、演奏技術を作り直す必要があるのだろうと思った。




4 総じて

 モーツァルトが愛用した「アントン・ワルター」は、じつに魅力的な楽器だった。繊細でクリアーな美しい音色といい、軽くて浅い弾きやすい鍵盤といい、室内で演奏するのに適した控えめな音量といい、どこを取っても、第一級の芸術作品であるモーツァルトのピアノ曲を演奏するのにこれよりも優れた楽器があるとは僕には想像できなかった。「ピアノは変化してきたけれども、進歩してきたわけではない」という、Birkettさんの言葉に、今ようやく、僕には完全に納得することができた。そして、MIDI楽器でモーツァルトを演奏していく上でも、これからは、アントン・ワルターを弾いた経験を生かしていっそう自信を持って取り組んでいけるはずだと思う。



5 その他

 ベートーベンが晩年に愛用した、イギリスのブロードウッドのピアノ(の同型)も弾いてみた。こちらは実物なので、調律もあまり正確になされていなかった。これは、ワルターよりはやや大きくて、奥行きが250センチメートル。音域も73鍵に拡大されている。だが、鍵盤はやはり現代のピアノに比べるとはるかに軽くて浅いし、音色や音量の点でも、とくに低音部において、今日のピアノよりはワルターにずっと近い。

 これより前、ベートーベンは1803年にエラール社製のピアノを入手し、この新しい楽器に触発されて、「ワルトシュタイン」その他の、それまでとは比較にならない大きなダイナミクス幅を持つ作品を書いたと言われているのだが、大作曲家というのは、僕などが感じるよりもずっと敏感に、新しい楽器の新しい可能性を感じ取るものなのだろう。たぶん、僕がこの日に弾いたブロードウッドよりも、もっとワルターの世界に近かったのであろう1803年製エラールが、ベートーベンを、あの豊かな音響世界へといざなったという話を聞くと、僕はそう思わずにはいられない。

 ただ一つ報告しておきたいのは、やはり、鍵盤の軽さと浅さによる、演奏上の困難さの違いの問題である。前にもどこかで書いた、「ワルトシュタイン・ソナタ」第一楽章再現部前の左手の速い音階繰り返し。あれが、この1814年製のブロードウッドでは、何と楽に弾けることだろう。響きも、今のピアノとは比較にならないぐらい薄くて軽いので、あの速い音型を弾いてもモゴモゴいう感じがまったくなくて、鮮やかに聞こえるのである。それに比べると、ブロードウッドの隣あたりに置いてあった、1840年製のプレイエルや、新しいエラールなどでは、鍵盤が重過ぎて、僕などにはとても弾けなくなってしまう。ピアノという楽器が、その「進化」につれて、途方もなく強い指を必要とする、弾きにくい楽器になってしまったのは、争われないことのように僕には思われたのである。

2000年4月2日







「論文」メニューへもどる


HOME


e-mail
ishida_seiji@est.hi-ho.ne.jp

Presented by Ishida Seiji


All rights reserved





Since 1999 Nov.1