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詰め将棋・MIDI・リコーダー



 落語の「三題噺」ではあるまいし、さっぱり関係がなさそうな事柄を三つ並べて、いったい何が始まるのかとお感じになったかも知れないが、詰め将棋とMIDIの「打ち込み文化」は、いろんな面で非常によく似ている。そこで、まずはこの二つの文化をいろいろな角度から比較して考えてみたい。そして最後に、私が最近凝っている「リコーダー独奏」という音楽ジャンルとの比較を行ってみよう。

 念のために「打ち込み文化」について解説をしておくと、これは、1990年代にパソコン通信を舞台に栄えた、MIDIシーケンス制作の文化である。カモンミュージック社「レコンポーザ」というシーケンスソフトと、ローランド社「SC-55(MKII)」という楽器(音源)が、その立て役者であった。ここでは、多数(と言っても数万人か)のアマチュアが、主としてポップス作品の「コピーデータ」の制作に意欲を燃やし、みごとなコピー作品が多数生まれていた。だが、1990年代の後半に急速に失速し、現在もファンは残ってはいるが、かつての隆盛はすでに過去のものとなっている。



1 無形の手作り工芸品

 詰め将棋と打ち込み文化に共通する特徴として、まず、どちらも「無形の手作り工芸品」を作るいとなみである、ということが挙げられる。

 将棋をあまりご存知でない方のために私なりに解説しておくと、本来、将棋というのは、二人の対戦者が、駒を将棋盤の上に決まり通りにならべておいて、交代で一度に一つずつの駒を動かして戦い、敵の王様を討ち取った方が勝ちになるゲームである。対して詰め将棋というのは、いわば将棋の実戦が終わるあたりの局面を取り出して示したようなものだ。具体的には、将棋盤に、討ち取られるべき王様の側と、討ち取るべき攻める側との駒が、ある特別な配置で置かれている。攻める側の持ち駒も決められている。そして、「さあ、この王様は実は絶体絶命である。ここから最善の攻撃を行って、この王様をみごと討ち取ってみなさい」というテーマの、パズルである。

 もちろんパズルであるからには一定のルールがある。いちばん基本的なルールは「攻める側(「詰め方=つめかた」という)は、王手(王様を取るぞ、という手)の連続で、王様を討ち取らないといけない(つまり、もう逃げようがないところまで追いつめなければならない)」ということだが、詰め将棋を解くというのは、王様側の応対(王様の逃げ方など)も、一人で考えることになる。そのさい、「王様側(「玉方=ぎょくがた」という)が最善の対策を立てて最強の抵抗をする」ようにしなければ正解ではないのである。王様側が最善・最強の抵抗をすると、詰め方は持ち駒などをすべて使いきらねばならず、手数も最も長くなる。それが正解手順である。王様側が逃げ方などの対策を間違うと、正解手順より早く詰んでしまったり、詰め方の駒が余ってしまったりするわけだが、これは正解ではないのである。当然のことだが、王様側が最善の対策をしているのに攻める側が最善でない攻撃をする(つまり間違う)と、詰まなくなってしまう(王様に逃げ切られてしまう)。つまり、正解の手順は、最も将棋が強い人どうしが指した場合に指すような、一通りの、「これしかない、これ以外は全部間違いだ」という絶対の手順であって、解く人はその手順を見つけないと解けたことにならないのである。逆に言えば、詰め将棋作品とは、そのように作られていなければならないのだ。

 さて、これだけの説明でご想像がつくかどうか、これは、パズルとして完全なものを作るだけでも、容易なことではなくて、私などはまったく作る能力がないし、プロの将棋指しの人ならばさすがに作れないという人はあるまいが、しかし、実戦は屈指の強さなのに、詰め将棋となると実にみっともない作品しか作れない人もいる。

 ところが、「詰め将棋作家」とよばれる人たちの作品となると、パズルとして完全だというだけではなく、そこに実にさまざまな趣向を凝らしてあるのである。たとえばプロ棋士でも気がつきにくいようなすばらしい手が含まれるとか、あるいは実に華麗な手順の妙が味わえるとか、置かれた駒の形の美しさ、あるいは独特な面白い駒の動き方など、いろんな「技」が盛り込まれて、一つの作品が作られる。どういう趣向に最大の狙いがあるかによって、いくつかのジャンルすらある。たとえば、将棋を指す人にとって知っていれば応用範囲が広い模範的な駒の使い方の勉強になるような作品(「手筋もの」などという)や、いかにも実戦にも出現しそうな自然な駒配置のもの(「実戦型」という)や、詰め上がりの駒の配置で文字や絵を描く(「曲詰め=きょくづめ」という)など、他にも多種多様のいろいろな特別の狙いを持つ作品がある。このように、詰め将棋は、一定の非常に狭い制約の枠の中で、無限と言ってよい多彩な魅力を持つ膨大な作品が作られてきた、みごとな小宇宙なのである。

 さて、MIDIの打ち込み文化というのも、ある特定の電子楽器をプラットフォームとして、その楽器の性能範囲ギリギリのところを追求し、みごとな工芸品のような作品がたくさん作られてきた文化であった。その作品は、楽器に対する演奏命令を一続きのものとしてまとめたデータの羅列であって、詰め将棋以上に形のない、まったく目にも見えないものだが、それを指定の楽器に送りこんでやれば、制作者が意図した通りのみごとな音楽が鳴り渡る。つまりは、作者が技術と英知の限りを尽くして作り上げた「音の工芸品」なのだ。両者とも、知恵をしぼって作りあげた、小さな、形のない知的著作物であるという点が、まことによく似通っているではないか。



2 制約を楽しむ

 次に、「厳しい制約を楽しむ文化である」という点がよく似ている。

 詰め将棋において、その作品制作上に課された厳しい条件が、まさに不自由極まる制約そのものであるのは、繰り返し述べるまでもなかろう。厳しい制約があるからこそ、作者たちは秘術を尽くして、その中での無限のバラエティーを追求しようとする。さらには、そこにさまざまな趣向を凝らして、ことさらに困難な課題に挑戦する。

 たとえば、スタートのときには40枚ほどある駒のすべてを盤の上に配置してあるいかつい作品でありながら、手順が進むにつれて、次々とそれらの駒が王様方に取られていって、最後に詰めあがったときには、盤上に、王様と、詰め方の駒2枚の合計3枚だけが残っている・・・という趣向がある。これを「煙詰め」という。盤上をにぎわしていた多数の駒が、すべて煙のごとくに消えてしまう、というわけである。

 念のために言うが、盤上を埋め尽くすかのように置かれてあるそれらの一つ一つの駒が、すべて「必要な駒」として盤上に置かれているのである。つまり、あっても無くても詰め手順に影響がないような無駄な駒は配置されていなくて、どの駒も、「これがなければ早く詰んでしまう」とか「これがなければ王様は詰まない」など、理由があって置かれた駒なのである。そうでなければ完全な作品ではないらしいのだ。私などは、詰め将棋を作る才能がないので、なぜあんなものすごいものを創作できるのか、まったく想像を絶している。

 このほか、詰め上がりの駒の配置がいろいろな文字の形になっている前述の「曲詰め」とか、あるいは、途中、延々と「竜」や「馬」が王様を追い回さねばならず、そのために無闇と手数がかかる作品(普通の実戦の手数の数倍ほどの手数を要する作品はざらである)など、いろいろある。また、「手筋もの」の中にも、「中合い」「打ち歩詰め打開」「不成り」など、もういちいち解説しないけれども、多数の作者がよく取り上げる重要なテーマ(ジャンルというべきか)がたくさんあって、まことに多種多様の趣向の宝庫である。

 このように、詰め将棋というのは豊かな伝統と内容を持つ世界なのだが、その根底にあるのが、「制約を楽しむ精神」である。作品の制作可能性を広げようがために、詰め将棋のルールを少しゆるめようではないか、といった話はついぞ聞かない。実を言うと、むしろ、江戸時代ごろに比べて、詰め将棋のルールは厳格化してさえいるのである。つまり、上に述べたような詰め将棋のルールは、近代になってから詰め将棋作家たちがきちんと定式化したものであって、江戸時代の名人たちが作った作品などの中には、実は「余詰め」とよばれる詰め手順がいくつもあったり、はなはだしきは「余詰め」手順の方が長かったりするような場合もあるらしい(ただしその場合は詰め方=攻撃側の持ち駒が余ってしまったりする)。こういうのは、現代の詰め将棋作家たちから見れば「キズのある不完全作」ということになる。つまり、詰め将棋作家たちは、ことさらに自らに厳しい制約を課し、その制約を楽しみながら、純粋な作品世界をその中に作ろうとしているのである。

 同じことが、MIDIの「打ち込み文化」においても、言えると思う。作者たちは、同時発音数がわずか24などという、今日の水準からみれば本当に貧しい性能しか持たない楽器をプラットフォームとして、その制約の中でどこまでの表現ができるかを、競い合った。これはもちろん、作者たち全員が持っているのが、たとえばローランド社SC-55という、そういう性能の楽器である、という事情・・・他人が持っていない楽器を用いてMIDIシーケンスを制作しても、それは、誰にも聴いてもらえない作品であり、意味がないわけだ・・・もあった。つまりは、仕方なく、SC-55の性能の限界に甘んじていた、という面もたしかにあったろう。その証拠に、やがてSC-88という、同時発音数をはじめとする性能が飛躍的に改善された楽器が発売され、それを所有する人が増えてくると、多くの作者たちは、SC-88の方を自分の制作に用いる楽器とするようになっていったのである。

 だが、これは私の気のせいも少しはあるのかも知れないが、打ち込み文化は、SC-55が標準楽器であったときに最も栄えていて、SC-88が発売され、それが普及していくころから、少しずつかげりが見えてきたのではなかったか・・・と思う。そして、これは偶然ではないと私は思うのだ。SC-55の、そこそこ本物の楽器に似ているがそっくりとまでは言えない各音色、そして、猛者が使いこなせばかなり本物の楽器の表現に近いことまでやれる、各種エフェクト群、そして、大編成の曲を演奏させようとすると、非常に苦心が必要だが、何とかやれないことはない、という24ないし28(これはSC-55MKII)という最大同時発音数は、今にして思えば、「絶妙の制約」だったのではないか。そこへ、94年夏だったか、もう少しリアルな(しかししょせんは本物の楽器には遠く及ばない)音色を、SC-55のときの2倍ほども搭載し、また、同時発音数は一挙に64へと拡大することで、管弦楽曲だろうが何だろうが、発音数の制限など事実上まったく気にしなくてよい、と言えるような同時発音数性能を持つ、SC-88という楽器が登場した。「打ち込み」作者たちは、もちろん、この新しい楽器を驚異の目で見たのだし、それによる、新しい表現可能性の広がりに喝采したのも事実である。しかし、実は、彼ら自身にも明確な自覚はおそらくなかったろうが、心の深いところで、しかも非常に微妙なところで、「打ち込み文化」の荷い手たちの「やる気」を、この楽器は、そいでしまったのではなかったろうか。

 さらに1年あまりのちだったろうか、「インサーションエフェクト」とよばれる新しい機能を搭載したヤマハ「MU80」という楽器が登場した。音色数はSC-88よりさらに拡大された。そこでローランドは、間もなくこれに対抗してSC-88Proという楽器を発表し、これにインサーションエフェクトを搭載したばかりでなく、さらに音色数でヤマハMU80を上回った。そこでこれに対抗してMU100が発売され、SC-8850が発売され、MU128やMU2000などが発売され・・・と、楽器の開発競争がエスカレートしていくなか、とうとう、人によって持っている音源が実にまちまちになってしまった。

 こうなっては「打ち込み文化」は終わりである。自分がMIDIシーケンス制作のときに使用している楽器と同じ楽器を多数の人が所持しているのでなければ、シーケンスを作っても意味がない。今にして思えば、最大同時発音数の制約が厳しく音色の品質もそれなりでしかなかった、ローランドSC-55が完全に標準となっていた時代が、MIDI打ち込み文化の最盛期だったのである。

 少し話がそれているようだが、私は、この過程をふりかえって思う。「ヤマハが本気で打ち込み文化の世界への切り込みをはかり、ローランドとの楽器の性能アップ競争を始めてしまったことが、打ち込み文化をほろぼした」と。打ち込み文化においては、「制作者と聴き手の、ほとんど全員が同じ楽器を持っていること」が必要だったし、また、その楽器が、「制作者のやる気を刺激するような、適度な制約を持っていること」が、たぶん、必要だったのだ。そのタガが外れて楽器が不必要に(とあえて言おう)高性能化したことと、その過程で、作り手・聴き手の各自が愛用している楽器がまちまちになってしまったことが、ダブルパンチで、MIDI打ち込み文化を滅ぼしたのだと思う。

 そう、制約は大切なのだ。自らに非常に厳しい制約を課して、その制約を楽しむ、制約の中で何ができるかに対して腕をふるうという文化は、見渡せば、まことに日本的なものであって、日本文化の最大の特質の一つなのではないかと私などは思うほどなのである。

 たとえば、誰でもすぐに思い出すのは俳句・短歌だろう。ことに俳句は、17音から成る形式で、世界中探しても、これほど短い詩歌形式はほとんどないらしい。究極の短さ。しかもその中に必ず季語を盛り込まねばならず、さらには、単に17文字で作ればよいというわけでもなく、5・7・5という、3つのまとまったシラブルから成り立っていなければならない。だが、漫画「ちびまる子ちゃん」のおじいさんが「心の一句」を詠んで笑わせてくれるのに象徴されるように、これほど日本人に広く愛好された詩歌形式もまた、他にないのである。日本人は、厳しく制約され、厳しい条件が課されたジャンルほど好きなのではないかと思われてくるではないか。

 あるいは文楽や歌舞伎などの芝居はどうであろう。文楽を私はそれほどよくは知らないが、たとえばその一種である義太夫においては、台詞や地の文を語る演者はたった一人の太夫さんであり、音響を担当する伴奏楽器は、太棹三味線一本である。これは、もう、そう決まっているのだ。実に厳しい表現上の制約だと言わざるを得ない。だが、これが江戸時代から戦前にかけて、もっとも日本人に愛された芝居の形式であった。もちろん歌舞伎もたいへんな人気だったろうが、歌舞伎というのも、近代的な芝居とはちがって、自由自在な表現が行われているとはとても言えない、様式がきちんと決まった世界のように思われる。だが、日本人の「制約を楽しむ文化」は、文楽において、いっそう際立っているであろう。

 さらに、もう一つ私が好きな芸能を挙げさせていただくと、落語はどうだろう。これは、ある意味では文楽以上に厳しい制約をかけた一人芝居だと言えるのではないか。演者は着物を着た男性ひとりであり、彼は原則として立ち上がりすらせず、ただ座ったままで、上半身のみで演じる。小道具と言っては、扇子と手ぬぐい一本を用いるだけである。それでいて、貧乏長屋の住人たちが総出で花見に出かける大騒ぎだろうが、大店の若旦那を囲んでの芸者・タイコ持ちたちの人間模様であろうが、旅先の宿での町人3人連れと気難しい侍と旅館の若い衆が巻き起こす敵討ち騒ぎであろうが、果ては浦島太郎になりすまして竜宮で乙姫とよろしくやったあと、それがばれて海の中を逃げまどう若者の奇想天外な冒険に至るまで、すなわち、どこにでもありそうな現実的な話から、絶対にあり得ない非現実的な物語まで、何でもかでも見事に演じてしまうのである。

 あるいは、講談師・講釈師たちの話芸も、この観点からは、落語家と非常に近いジャンルだと言えよう。また、さきに述べた義太夫節なども、人形芝居が背後で行われるだけで、本質的には落語や講釈・講談と通じる部分も多いとみてもよいのかも知れない。

 いずれにせよ、これらの「一人芝居」のバリエーションが、それぞれに人気を集め、江戸時代以来、隆盛を誇ってきたということは、注目に値することだと思う。これほどまでに「一人芝居」が栄えた文化圏は、おそらくあまりないのではあるまいか。

 まだまだこういう例を挙げることはできる。庭園芸術は、狭い、広さの制約のある庭の中に、自然のたたずまいを表現しようとした芸術だったのではないか。いや、このことがもっとよく表れているのは、「箱庭と盆栽」であろう。私はかつて、このエッセーに述べたような趣旨を表現するさい、「箱庭と盆栽の文化的伝統」という言い方をしていた。庭園がすでに自然を小さな枠の中で表現しようとした「制約を楽しむ文化」の萌芽を示したものであったとしたら、それをさらに極端に小さな制約の中に押し込めることで、楽しみを倍化させようとしたのが、箱庭と盆栽であったと言ってもよかろう。

 以上さまざまな例を挙げたが、このように、日本人は、「厳しい制約の中で、その制約を楽しみながら、その中での無限の可能性を追求する」という行為が、とにかく大好きなのだ。MIDI打ち込み文化と詰め将棋とは、いずれも、こういう文化的土壌がなければ、あり得なかったものだと私は思うのである。

 ところで、文化史的に見て、日本文化のこのような特徴が何に起因するのか、定かなことは私にはわからない。古く上古の時代から短歌はあったようだし、また、中世には琵琶法師なる者たちや比丘尼たちが、平家物語やら曽我物語などを一人芝居で語り聴かせるといったことが、行われていたという。そう考えると、これはかなり古くにその根を持っているのかも知れない。だが、そうであるにせよ、こうした嗜好が非常に大きく育ったのは、江戸時代だったのではないかと思う。さきほどから挙げてきた例が、いずれも江戸時代に大きく開花したものだったからである。

 これは想像するに、おそらくは江戸時代の鎖国政策、そして、厳しい文化統制と密接な関係があるのだろう。江戸時代の人びと、とくに町人たちは、幕府の税制においては重視されていなかったがゆえに、人によってはたいそう経済的に繁栄していて、また全体としてみても、平均的暮らし向きがかなりよかったのに、それと不釣合いに、目立つような派手なことがはばかられる極端に厳しい文化統制政策の中で生きていたようだ。そこで、たとえば「帯止め」とか「かんざし」とか「印籠」だとかいうような、武士ならば「刀のつば」のような、そういう小さな目立たないモノの装飾や趣向に凝り、そこに最高の工芸品の世界を発達させてきた、という事実がある。

 そして、詰め将棋もまた、江戸時代にその絢爛たる花を咲かせた文化だった。幕府の保護下に置かれる家元であった歴代の「名人」たちは、程度の差はあっても、そして上述のように現在の基準から見れば不完全作が少なくないのだとしても、みんな詰め将棋を制作した。芸術的な詰め将棋が多数作られた。その作品集が、いわば「古典」として、今もいろいろ残っている。熟年名人として知られた米長さんは、若いころ、江戸時代の名人の作品を頭の中で全部解くことに執念を燃やし、それを果たしたことが、力をつける上でも自信をつける上でもおおいに役立ったという意味のことを、どこかで語っていた。

 結局、詰め将棋もMIDI打ち込み文化も、江戸時代に大きく開花した、「厳しい制約を課して、その制約を楽しみつつ、無限の可能性を追及する」という文化的な土壌に育った二つの典型的に日本的な文化だったのだ、と言ってよかろうと思う。



3 アマチュアの独壇場

 さて
MIDI打ち込み文化と詰め将棋とが、「無形の知的な工芸品であること」「厳しい制約を楽しむ文化的土壌に育ったものであること」が明らかとなったとしよう。さて、共通点はもうないであろうか。

 いや、まだある。「どちらも、最高の成果はアマチュアによって達成されている、アマチュアの文化である」という、面白い共通点があるのだ。

 もっとも、プロの将棋指しで詰め将棋作者としてもすばらしい人もいる。たとえば、二上(ふたかみ)達也さん、内藤国男さん、伊藤果(はたす)さんなどが有名だ。同様にMIDI打ち込み文化においても、たとえば雑誌「DTMマガジン」にシーケンスと記事を連載していた数名の「先生がた」は、プロ音楽家と考えてよかったのだと思うが、ああした人たちは、やはり、アマチュアの中にこれらの人に匹敵できる人がいるのだろうかと思われるほど、卓越した作品を制作していらっしゃったと私は思う。

 だが、そうではあっても、それらのプロの人たちの作品にまさるとも劣らないような、最高の作品群の圧倒的多数が、アマチュアの手によって作られたものであるという事実はゆるぎがないのである。いわば、プロの先生がたも、最高のアマチュアたちと大差のない腕前があるに過ぎず、そして、「すぐれた作品」の数全体からみれば、アマチュアたちの作品の数が、プロの作品数を圧倒していたのは間違いない。

 このあたりの事情をもう少し詳しく言うと、こうなる。まず詰め将棋について言えば、実は、詰め将棋作品の本当のマニアックな傑作はアマチュアの独壇場である。二上さんほかのプロ棋士もすぐれた作品をいろいろ作ってはいらっしゃるが、本当に凄みのある意欲的な試みは、つねにアマチュア詰め将棋作家たちが開拓し、信じられないような作品がアマチュアの手でこそ作られてきたのである。この意味で、「詰め将棋はアマチュアが主体の文化である」と言ってしまっても、ほとんどまったく間違いではないと私は思う。

 そして、MIDI打ち込み文化においても、事情はほぼ詰め将棋と同じである。最高のMIDI打ち込み作品は、実は熱心なアマチュアの手でこそ作られてきた。「プロの作品」として、たとえば「市販のMIDIデータ」とよばれる商品があり、フロッピーディスクで売られていたりしたのだが、そういう「プロの作品」は、熱心なアマチュア作者が寝食を忘れて制作した作品に比べて、明らかに劣っていたのである。

 これは何故かといえば、たぶん事情はこうだ。まず、アマチュアは一つの作品を作り上げるのに、数日・数週間もかけて、累計数十時間とかそれ以上を費やすのもいとわない。それは趣味だからである。対して、市販MIDIデータを作ることで収入を得ようとするプロ作家は、そんなに時間や手間をかけていてはとうてい割りが合わないので、もっと手を抜いた作りとするしかなかったのだろう。

 では、さきほど挙げた「DTMマガジン」という雑誌に掲載されていた作品は、どうなのか。実は、あの雑誌は、こうした事情がよくわかっている雑誌編集者たちによって企画され、この状況に一石を投じるものとしてスタートした雑誌だったのだと、今にして思う。つまりは、「特別熱心なアマチュアたちにすらも作れないような、度肝を抜くような高い品質の作品が作れる人を集め、それらの人たちを『先生』として売り出しながら、雑誌を構成する」という狙いのものだったのであろう。だから、この雑誌においては、「市販MIDIデータ」の場合と異なり、明らかに「制作者である先生」のキャラクターを前面に押し出したつくりになっていた。ことさらに真面目そうな権威のありそうな表情をさせて、雰囲気のあるバックを背景に、カメラマンによって撮影された写真を記事の冒頭に毎回掲載していたのも、そのための工夫の一つであったろう。いわば、MIDI打ち込み文化というアマチュアの文化の中に、「こんな凄い人もいるよ」という、トップクラスの中でもまた頭一つ抜けているような人をプロモートすることで、雑誌の付加価値を生み出そうとしたのだったろうし、同時に、「社会的意義」としては、MIDI打ち込み文化の水準のさらなる向上を企図したものだったと言ってもよいのかも知れない。

 とまぁそういうわけで、たしかに「DTMマガジン」に掲載されていた(今も掲載されているのであろうか)「先生」たちのMIDIシーケンスは、「熱心なアマチュアにも、さすがにここまでのものは作れないのではないか・・・」と思われるような、ぶっちぎりの高水準作であったけれども、あれは例外なのである。ごく普通に「市販MIDIデータ」として売られていた作品は、熱心なアマチュア作者の作品に及ばないぐらいの品質しかなかった。そして作られた数から言っても、MIDI打ち込み文化においてアマチュアが優勢であった、熱心なアマチュアこそがこの文化の先端を行く担い手たちであったという事情は、詰め将棋の場合とほぼ同じだと考えてよいと私は思う。

 これは面白い共通点だ。なぜ、こういう共通点ができるのであろうか。

 おそらくこの謎を解くキーワードは、「商業的採算性」であろう。つまり、詰め将棋もMIDI打ち込み文化も、その作品を享受したい人の数というのが、比較的限られているのである。どんなに苦心してすばらしい作品を作っても、お金を出してそれを買いたいと思う人は少ない。だから、よい作品を作っても、それを仕事にするのが難しいのである。したがって、プロが熱心に仕事をするジャンルにならない。将棋指したちは、詰め将棋制作は何人かの、とくに詰め将棋が得意で好きだという人だけに任せ、もっぱら指し将棋を自分の仕事にしている。そうせざるを得ないのであろう。同様に、ミュージシャンたちも、MIDI打ち込み作品を作っても、それを買おうという人は少ないので、あまりそんな仕事に時間を費やしてやっているわけには行かなかった。例外として、前述の「DTMマガジン」の場合は、「熱心なアマチュア作者たち」をターゲットに「上には上がいるんだよ、こんなに凄い本物のプロもいるのだよ」というコンセプトで、一定のマーケット創造ができたのであろう。

 付言すれば、この「打ち込み文化」の中で育った多数のシーケンス作者たちは、実は、のちに「通信カラオケ」の登場によって、一時期、ずいぶん仕事をしたものらしい。この意味では、熱心な作者たちが、一時期とはいえ、活躍の場を持つことができ、それで生活できていた人も多数いたようだ。だが、この話には後でもどってくることにして、ここではこれ以上触れない。そこで結論を言えば、このように、「商業的採算性にとぼしい」ということから、「本気でやれるのは趣味でやっているアマチュアだけ」だということになり、いきおい、「最高の達成はアマチュアによって成し遂げられた、アマチュア中心の文化になった」という結果が共通したのだと考えられよう。

 さて、だが、「商業的採算性がない」のは、なぜだったのであろうか。それは、「少数の熱心なファンはいる」が、「すそ野の広がりがあまりない」というものだったからである。そして、そうなった理由が、詰め将棋の場合とMIDI打ち込みの場合とでは、少々異なっているように私には思われる。何でもかでも「同じだ」と言ってよいものではもちろんないのである。そこで、この点について少し考えておこう。

 詰め将棋に「すそ野の広がりがあまりない」のは、「十分にその楽しさを味わうには、知的な面と関係の深い能力が、あまりに高度に必要であるから」というのが最大の理由だったのではないかと思う。ひらたく言えば、詰め将棋の楽しさや、ことに芸術系(?)の詰め将棋の価値が本当にわかる人たちは、かなり詰め将棋がよく解ける、一部の、かなり将棋の強い人に限られるのである(その意味では私などもよくわかるとは言えない、何となく感じられるにすぎない)。詰め将棋自身は、真に創造的なパズルの世界だと思うが、これは、知的に(と言って悪ければ将棋というゲームに関する知恵が発達している点において)非常に高級な、最初から上級者向けの趣味であったのだ。これでは、将棋ファンといっても下手の横好きな人が圧倒的多数であり、まだまだ女性には将棋ファンそのものが少ない日本の現実において、メジャーな趣味になれるはずはなかろう。どうしても、一部の熱心なファンだけが享受している、しかし、熱心なファンは必ずあとからあとから生まれてきて受け継がれていく、そういう趣味として、細ぼそと生き残っていくしかない運命にあると言えよう。だが、そういうものとしてはぜひ残って欲しい文化だし、また、私などが心配しなくても、おそらく残っていくのであろう。

 対して「MIDI打ち込み文化」に「すそ野の広がりがあまりなかった」のは、そして、現在ではMIDI打ち込み文化そのものが衰退していっている(そのうちすっかりなくなってしまうだろうと私は思う)のは、「既存曲のコピーという行為が、しょせん、志の低い、むなしいものだった」というのが、その最大の理由だと言っては叱られるであろうか。だが、考えてみれば、MIDI音源SC-55で、たとえばYMOの「東風」が、どんなにみごとに「本物そっくりに」鳴ったとしても、しょせんそれは、「へー、MIDI音源ひとつで、そこまでできるんですねぇ」という感心以上には、何ものも生まないのである。もちろん、そこに、絶妙な技術と膨大な労力が介在していることは、同好の者ならば理解できるし、それがある種の感動を生むのは確かである。だからこそ、熱心なアマチュア作者たちは、作者どうしライバル意識を燃やしつつ、寝食を忘れて制作にはげんだのだ。だが、もしMIDI打ち込みをやったことがない人にこれを聴かせたならば、「ふーん、ほんと、本物みたい。でも本物のCDを聴くんじゃ、なぜいけないの?」ということになって、それでおしまいであろう。

 そう、コピーは所詮はコピーであって、それは何ら創造的要素を含まない、その意味では実にむなしい行為だったのである。私も勉強のためにと思って2、3のポップス曲の「コピーデータ(既存曲のコピーを演奏するMIDIシーケンス)」を作ってみたことがあるが、それはあくまでも、MIDI音源を駆動する上での技術を磨くための、勉強の方便に過ぎなかった。つまりは、画学生が勉強のために名画の模写を行うようなものである。

 言ってみれば、打ち込み文化の作者たちが行っていた行為は、みなによく知られた油絵の名画を、画用紙にクレヨンだけを使ってそっくりに模写する、といった行為にたとえられる。やるのは勝手だ。別に悪いことではない。みごとな出来栄えの模写を作り上げる人もいることだろう。下手な人から見れば、「へー、クレヨンなんかでここまでモナリザそっくりの絵ができるの、すごいわねー」という感動もあろう。そして、絵の勉強のためならば、もちろんおおいに意味がある。だが、本当は、画用紙とクレヨンを使うのはいいとして、それによって、自分の創作としての絵画を制作するのであれば芸術的に意味のある行為だと言えるが、単に模写に終始するのならば、それは実にむなしい行為だと言わざるを得まい。彼・彼女が傾注したあらゆる努力、あらゆる技術の練磨は、「でも、何のためにこんなことするの? 本物を見る(聴く)ほうがいいに決まってるじゃん」の一言で、その存在基盤のすべてが吹っ飛ばされてしまうのである。



4 打ち込み文化の行く末

 そういうわけで、おそらく詰め将棋は、江戸時代以来の立派な伝統を背負い、多数の若い新鮮な感覚の作者が、また次々と現われて、これからも、「細ぼそ」ながらも、その成果を生み続けるだろう。それだけの奥深さもあるし、また、私のような将棋の弱いアマチュア愛好家から見ても、その世界の豊穣さには、つねにあこがれがある。芸術といういとなみの本質が、「人間が手作業で何か価値あるものを作り出す」ことにあるのだとすれば、詰め将棋は立派な芸術ジャンルであって、ファンは多くないかも知れないが、途絶えることなくその伝統は続き、内容的な多様さ・豊かさ・高度さにおいて、進化を続けるだろう。

 しかし、MIDI打ち込み文化のほうには、おそらく、そう長い将来はあるまい。既存音楽のコピーという行為には、本質的に創造的価値はないのだ。

 だが、皮肉なことに、「通信カラオケ」なる大衆文化が発達した結果、「MIDI打ち込み」は、「仕事として」は、確固たる一つのジャンルとして成立するようになっている。ポップス音楽の新曲・ヒット曲が途絶えることはあるまいし、それをカラオケで歌いたいという人も、今後ともそう簡単に絶えることはあるまい。私自身はカラオケでポップス曲を歌ってもそんなに楽しいと思わないが、楽しいと感じる人も多かろう、とは想像できる。もっとも、これも「オリジナルのカラオケ」がシングルCDに収録されている昨今の音楽業界の動向に照らして考えると、しょせんは偽モノでしかない「通信カラオケ」が、いつまでカラオケの主流でいられるかは、多分に疑問である。音楽業界の考えかたが変わって、「オリジナルのカラオケ」を、カラオケボックスでも用いるという行きかたが可能になってきたならば、通信カラオケ用の打ち込みを行ってきた作者たちは、ひとたまりもなくその存在意義を失うであろう。

 そういうわけで、私は、MIDI打ち込み文化について、明るい未来を予想することはとうていできないのだが、だからと言って、MIDIという規格やMIDI音源がすべて滅んでいくだろうと考えるわけではない。すでにポップス音楽制作の現場においては、MIDI音楽家(マニュピレーターというのだそうだが)は無くてはならない存在である。また、ポップス音楽家たちが、作品のスケッチや「プリプロ」とよばれるデモを作るのに、MIDIシーケンス制作を活用するのも当然のことになっている。そういう、ミュージシャン側での実用的価値、創造的音楽活動において利用するという方面での地位は、ますますゆるぎのないものになっているのである。

 それとともに、ポップス音楽とはちがう、「クラシック系」の方でも、この音楽演奏方法を「創造的な、価値のある」使用方法で用いることはできないものであろうか・・・と考えたのが、私の出発点であり、現在も模索していることがらなのだ。この私の立場は、このサイトの読者の皆さんならば、ある程度はご理解いただいていることと思う。



5 リコーダー独奏という文化

 さて、ここで唐突だが「リコーダー独奏」について、ここまでの考察をふまえて、考えてみたいと思う。

 リコーダー独奏曲というジャンルがあり、今日に残る過去の名曲としては、ヘンデルやテレマンが残したアルトリコーダー用の通奏低音伴奏によるソナタがある。これらは通常、チェンバロ、またはチェンバロとビオラ・ダ・ガンバによる伴奏で演奏される。

 だが、ビオラ・ダ・ガンバつきの通奏低音なんてものを持ち出すと、あまりにバロック時代独特のスタイルにこだわりすぎである。たとえば、同じ編成の新作曲を作っていくときに、現代の作家にとっては不便が大きいと私は思う。そこで、これを単に「チェンバロ伴奏のリコーダー独奏曲」として演奏することを考えてみる。

 チェンバロは、鍵盤楽器の中では、いろんな意味でもっともシンプルなものの一つだと言える。たとえばパイプオルガンなどと違って比較的コンパクトで、また音量も小さいから、狭い部屋にも置ける。ピアノと違って音量の変化があまり生じないけれども、音量がもともと小さいこと、また、音色においても持続音との相性がよくて、魅惑的な響きを持っている。リコーダーとの相性は抜群である。

 また、リコーダー(ここではアルトリコーダー)は、音色がふくよかにやわらかく、澄んだ美しさを持つ、すばらしい木管楽器である。構造上、ダイナミクスはあまり大きな幅で出せないものの、そのかわり、他の楽器に比べてタンギングによる微妙な音の表情がつけやすいという独自の表現上の武器を持っているし、何よりも、手にとっても呼吸器にとっても、演奏が比較的楽な楽器であるから、軽やかでアクロバティックな演奏も容易であるという特長がある。

 もちろんバロックオーボエの、太くてしっかりしたシンのある音も美しい。フラウト・トラヴェルソの、リコーダーに比較して、より劇的表現に向いた特徴は、それはそれでおおいに魅力的なものである。だから、これらの楽器に比べて、アルトリコーダーが特によい楽器だとまで言うつもりはまったくない。ただ、リコーダーは、オーボエやフラウト・トラヴェルソ(フルート)とは個性が異なるだけで、同じようにすぐれた表現力を持つ楽器だと言っているだけである。

 そこで話を進めると、この二つの楽器を組み合わせた「チェンバロ伴奏によるリコーダー独奏」という編成は、ある意味で「必要十分な音楽表現を行うための最低の編成の一つ」だと言えるのではあるまいか。すなわち、音量が小さくて、響きは美しいものの、音一つひとつの表情という点では限界のあるチェンバロの弱点を、リコーダーという木管楽器が、旋律楽器として補う。これを逆に言えば、美しく旋律を奏でる能力のあるリコーダーという楽器は、むろん単音楽器であるから和声を十分に表現することができないが、その限界を、チェンバロというリコーダーと相性のいい鍵盤楽器が補うのである。

 もちろん、独奏楽器のほうは、フラウト・トラヴェルソでもいいし、バロックオーボエでもよいし、またバロック・バイオリンでもよい。つまりは、かつてチェンバロと組み合わされていた独奏楽器であれば、どれもリコーダーと同じように、この「必要十分な最低の編成の一つ」の一部になれる。その意味では、何もリコーダーに入れ上げ、リコーダーばかりをえこひいきする必要はないとも言える。

 だが、特殊に21世紀の現代の社会において見ると、リコーダーには、やはり特別の魅力がある。

 それはまず、「圧倒的に安い」ということだ。プラスチックリコーダーは、学校教育で採用された結果、非常に大量の生産が行われてきたし、また、それなりに研究も進んできた。A社のプラスチック製アルトリコーダーは、その独自の研究によって、軽くて響きのいい楽器が作られているし、Z社の「ブレッサン」と称するモデルなど、バロック時代の名工ブレッサンの楽器を精密に計測してその設計を取り入れている。これらのすぐれたプラスチック製アルトリコーダーは、なまじの木製楽器よりもよほど素性がいい、と言う人もいるほどだ。

 しかも重要なことは、上記のような「バロック」オーボエ、「バロック」バイオリン、また言わば「バロック」フルートであるフラウト・トラベルソとちがって、リコーダーだけは、「バロック」リコーダーではないのである。つまり、リコーダーは、幸か不幸か、バロック時代の姿がほぼそのまま今日に伝えられた楽器であって、ふつうに手にできる楽器が、そのままチェンバロと抜群の相性をほこる独奏楽器となり得る、「バロックリコーダー」なのである。

 さらに、その演奏の容易さということがある。もちろん音楽を演奏するのだから、美しく演奏しようと思えば、いくらでも奥深い難しさがあるのは当然のことだ。だが、かのフランス・ブリュッヘンも、来日したさいに記者の質問に答えて「リコーダーはやさしい楽器だと思う」と明言していたように、リコーダーが「演奏容易な楽器」であることは争われない。繰り返しになるが、そのことが、プロ奏者のような高度な技術を持つ奏者にとっては、フラウト・トラベルソやバロックオーボエではとうてい不可能なような、アクロバティックなフレーズを軽々と演奏できることにつながるのだが、ここで注目したいのは、これから音楽演奏をやってみたいというアマチュアにとっては、他の楽器とは比べものにならないような「入りやすさ、入門しやすさ」を結果する、ということである。

 また、体への負担が小さいことも特筆される。つまり、仕事で疲れて帰ったときでも、気が向けば、残った体力で数分・数十分演奏するぐらいはできる場合が多いと考えられるし、高齢になっても続けられ、また、好きな人ならば、長時間の演奏にも耐えられる。この点、弦楽器もそうだけれども、管楽器の中では、リコーダー奏者の持久力は、おそらく群を抜いているであろう。楽器を演奏するために体力が問題になるということが少ない、というのは、アマチュア愛好家にとって、小さなメリットではない。

 こう考えてくると、チェンバロ伴奏でリコーダーを演奏するという行為は、アマチュアが何か音楽演奏をして楽しみたいというときに、非常に「ぴったり」なものだということがわかる。

 そして、問題は、「チェンバロなんてどこにあるのか、誰が弾いてくれるのか」ということなのだが、そこの部分を、MIDIピアニストである私で何かお役に立てないか、と考えたのが、私の「リコーダーへのこだわり」の出発点だったわけである。

 さて、では、以上のような「チェンバロ伴奏によるリコーダー独奏」という行いは、MIDI打ち込み文化と詰め将棋の文化を生んだ日本人にとって、どのように映るはずのものであろうか。

 私はまず、その「シンプルさ」が、手軽さも含めて、非常に魅力的に感じられるはずだと思う。少なくとも、そのように感じる人は少なくないはずだと思うのである。なるほど、若者たちは、エレキギター・ベースギターに、ドラムス、キーボード、そしてボーカルを加えた編成で、バンドを組むことに、より大きな魅力を感じるのかも知れない。だが、日本の文化的伝統の中に脈々と受け継がれてきた「箱庭と盆栽の文化」、すなわち、厳しい制約の中で自分たちの創造性を発揮し、小さな器に無限の内容を盛り込むことに熱中してきた文化的伝統は、この最小限に切り詰められた小さな編成による音楽が、壮大な夢も、孤独なつぶやきも、大自然のおたけびも、小さな心のさざめきも、すべて十全に表現し得る完全な器であることを人々が理解するのを、きっと助けてくれることだろう。

 次に私は、これが「アマチュアの文化」にこそふさわしいものであることに注目する。チェンバロ伴奏によるリコーダー独奏などという音楽演奏形式に、商業的採算性は、はっきり言って、ないのである。もちろん、プロ奏者として活躍している人も、少数存在するのは確かだが、どの人も、レッスンプロを兼ねたり大学での教職を兼ねたりしながら、苦労しているはずだ。

 なぜ私が「リコーダー独奏に商業的採算性はない」と断言するかというと、理由はいくつかある。ひとつは、「リコーダー独奏の演奏会を、数百人以上も入れる大きな会場で行うことは不可能」だから、ということ。もちろんPA装置でも使えば別だ。だが、それではリコーダの持ち味は聴き手に伝わらないと私は思う。そもそも、だからこそ、演奏会を商業的に成功させなければ音楽家が生活できなくなった19世紀に、リコーダーは一度滅んだのではないか。

 次に、「リコーダー音楽は、大きな会場に多数の人をしょっちゅう集め得るようなレパートリーを持っていない」ということがある。こんにちのクラシック音楽界(これがそもそも商業的には全体としてとても苦しいのだが)を支えているのは、言うまでもなく19世紀(古典後期からロマン派)の作品であって、19世紀作品が見事にすっぽりと抜け落ちている(ごていねいに18世紀で最も魅力のある作品を書いたモーツァルトの作品もない)リコーダー音楽が、商業的採算性を持つのは極めて困難なのだ。

 ついでに、なぜクラシック音楽において、19世紀作品が人気があるかというと、「プロ演奏家が演奏会場で演奏するのを聴いて楽しむための作品」とは、とりも直さず19世紀作品だからである。おおざっぱな話、18世紀作品は、公開演奏会で演奏するために書かれていたものではないのだ。ならば何だったかというと、大規模なものは王侯貴族の屋敷や王侯貴族・裕福な市民などのための劇場、あるいは教会などで演奏するためのものだったのであり、小規模なものは、それが王侯貴族であれ庶民であれ、愛好家が、生活の場面の中で「演奏して(あるいはそれを聴いて)楽しむ」ためのものだったのだ。特別な会場に、金を払って集まった人の前で演奏するためのものではなく、生活の場面の中で、演奏者自身や周囲にたまたま居合わせた人たちが楽しむために書かれていたものだったのである。けっして19世紀作品に劣る音楽だというのではないが、音楽の性質が違う。公開演奏会で人気のレパートリーとならなくても、それは無理もないことなのだ。(このへんについては、今年の正月に書いたエッセーで詳しく述べた。)

 話をもどすと、そいうわけで、私は、リコーダー音楽演奏の主たる担い手は、アマチュア奏者であるべきだし、アマチュア奏者でしかあり得ない、と考えるのである。これはアマチュアの文化なのだ。あるいは、アマチュアの文化としてのみ、順調に育つ可能性のある文化である、と言いかえてもよい。この点、詰め将棋やMIDI打ち込み文化がアマチュアの文化であるのと、共通していると言える。

 誤解がないように願いたいが、こう言ったからといって、プロ奏者の存在意義を否定しようというのでは毛頭ない。私は、むしろ、そうやってリコーダー演奏の文化がアマチュアの中に広まっていくことの中でこそ、プロ奏者の皆さんが「採算性を上げる」道も開かれてくるだろう、と考えているのである。つまり、アマチュア奏者が非常に増えれば、その頂点に立つプロ奏者たちは、たとえば「DTMマガジン」の「先生がた」(あまり挙げたくない例なのだけれど)がそうであったように、「リコーダー奏者のトップ」として、いろんな形で、多くの仕事と収入を得ていく可能性が広がってくるであろう。また、リコーダー音楽をアマチュア奏者たちが生活の場面の中や、生活の場面とつながったシチュエーションにおいて演奏する文化が大きく育っていけば、リコーダー音楽そのものの一般における理解も進んでくることだろう。そうした中でこそ、プロのリコーダー奏者の皆さんの演奏に対する一般の関心も高まってくるに違いない。

 そういうわけで、私は、アマチュアが、第一には自分の楽しみのために、第二には身近な人々といっしょに楽しむために、リコーダー独奏曲を演奏するという楽しみが、きっと広がってくるに違いないと思っている。そして、リコーダー演奏は、誰にとってもわかりやすい、聴いている人にとっても楽しいものである、という点が、詰め将棋やMIDI打ち込みとは異なっている。ここは大切なところだ。アマチュア・リコーダー奏者の演奏を聴いて楽しいと感じる聴き手は、ものすごくたくさんいるのである。ただし、無料で行われるのならば・・・である。アマチュア奏者たちは、もともと商業的採算性などというものとは縁がないのだから、「演奏会」のようなものも、身近な場所で小規模なものを気軽に行っていけばいいと思うし、また、それこそが、アマチュアの音楽演奏にふさわしい形だと私は信じている。(正月に書いた上記のエッセーの補足を参照ありたい。)

 そう、こんなふうに、私は考えてきたのだ。正月に「初夢」をエッセーで語り、その後一年足らずの間に、私は、初夢の実現のために、自分が何ができてきたかをふりかえってみる。そして、一つは、「新しいレパートリー作り」という部分においても、「アマチュアの演奏文化」についての自分の考えを貫いて、呼びかけ、動いてきたということに気づく。

 なるほど確かにヘンデルやテレマン、バッハは、偉大な作曲家だった。かれらは18世紀前半までの作曲家の中で、もっともすぐれた部類に属する人たちだったろう。だからこそ、彼らの作品は、時空を越えて、今でも、アマチュアリコーダー奏者だけではない、多くの人々に愛され、尊敬されているのだ。だが、今後、アマチュアリコーダー奏者たちにとって必要なのは、必ずしも「歴史に残るような名曲」ばかりである必要はない。こう言うと語弊があるかも知れないが、ここは率直に言おう。「アマチュアが演奏して楽しむ」ためには、必ずしも、偉い作曲家の手になる最高級の傑作だけが並んでいる必要はないのである。同時代のたくさんの作曲家が、それぞれの個性を発揮し、時代の精神を体現して誠実に書き上げた作品であれば、すべて演奏して楽しむに値するのである。バッハ・ヘンデルの時代にも、実はそういう作品がたくさんあったのであり、確かにそれらは、結果的には歴史の中に埋もれ、忘れられては行ったけれども、同時代の人たち、当時の人たちにとっては、バッハやヘンデル、テレマンやビバルディーの作品だけではなくて、他のたくさんの作曲家たちの作品も、すべて、同様に必要なもので、同じぐらい楽しんだものであったのだ。

 だから、たくさんの作曲家たちがアマチュアリコーダー奏者たちに作品を提供してくれることを私は願う。歴史に残る名作は、それらの作品の中から、おのずと生まれてくるだろう。だが、作品は、まずは同時代の人々のために書かれなければならない、というか、同時代の人々のために書かれる以外に書かれようはないものなのだ。はるかかなたの未来などではなく、いま作曲家たちの作品を必要としている人たちに、作品を届けてもらいたいのである。そして、こう言っては何だが、バッハやビバルディーの同時代の、忘れ去られて行った多数の作曲家たちに負けない能力を持つ作曲家は、これだけ音楽が普及し教育水準が高まった現代社会には、文字通りゴマンといらっしゃると私は思う。それらの人たちが誠心誠意書いた作品は、アマチュアリコーダー奏者たちにとって、すべて価値のあるものとなるに違いないのである。

 証拠? 何よりもいちばん明白な証拠を挙げましょうか?

 「MIDIピアニスト・石田が副業作曲家として書いたリコーダー独奏曲を、大好きだと言ってくれる人が、演奏してみてくださったアマチュア奏者や、聴いてみてくださった一般の音楽ファンの中に、けっして少なくないという事実がある。」

 これでどうですか。


(2001年12月17日)




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