登 頂、そ し て 撤 収

田村  整


 ここまでいろいろあったが、それだけで十分おもしろかった。 でもやっぱりピークには行きたいしスキーもしたい。そんな欲張りな 僕たちを山の神様は受け入れてくれたのではなく、ちょっと 留守だっただけなのかもしれない。



5月2日 BC→メララ

 何度この斜面を登ったのだろう。待ちに待ったピークアタックの 始まりだが、今日はメララに上がるだけ。早くテントに入ってゴロゴロ しよう、などと考えながら黙々と登った。今日もテントの中は嫌になるほど 暑い。ネパール語の勉強は壁にぶち当たったし、本も読み飽きた。買ったは 良いがずっと読まずにいた『蟹工船』(小林多喜二)も2度読んでしまった。 気楽な学生には労働者の気持ちは漠然としているが、そのうち嫌でも 分かってくるのだろう。絵を描こうにも外はガス。こう暑いと歌でも 歌いながらただゴロゴロするのが良いようだ。他の5人は相変わらず 「ナポレオン」をはじめた。


5月3日 メララ→AC

 早朝の氷河上を歩いていると幾度か「ピキィーン」と甲高い音が響き、 その度に緊張させられる。今日も確実にピークに向かっている。デポ旗に 沿ってゆっくりと登る。アタックキャンプに着いてみると、なんと埋めて 置いた食料が荒らされている。おそるおそる被害を調べてみると、 ビスケットとレトルト飯が少々かじられてる程度でなんとか済んでいた。 この高度でも鳥がやってくるのだ。テント設営はさすがに疲れた。 スコップ作業が長続きしない。ここアタックキャンプからは盟主エベレスト をはじめ、北大山岳部が厳冬期初登頂したバルンツェ(7220m)、酪農大 山岳部が西稜初登頂したチャムラン(7319m)が目の前に迫ってくる。 そして、趣を異にして、我らがメラピークは優しく僕らを包む。なんとも 良い雰囲気だ。いよいよ明日がピークアタックである。


5月4日 ピークアタック AC(2:00/4:30)→PEAK(12:00)→AC(15:15)

 5800mでの不安な夜が明けた。みんなの体調も悪くない、ピーク アタックだ。ラテルネをつけてACを出発する。シーアイゼンをきしませ、 高所順応で刻んだシュプール上を進む。氷河上はゆっくりと黄金色に 染まり、薄暗く澄んだ空と冷たい空気も雰囲気を盛り上げる。 スノードームを左から回り込み6000mの順応地点まで順調に進み、 頂稜への急登にとりかかる。スキーで斜登行するが雪面はまだ硬く、 シートラ(スキーを背負う事)にする。

 ここから初高度ではあるが調子良く進み、急登を終える。景色は さらに奥行きを増し、呼吸も高さを感じさせる。素晴らしい時間だ。 東峰が再び見え始めた。そこからいくつかクレバスに続く皺が雪面に あり、スキーに変えようという意見もあったがシートラのまま登り 続ける。アンザイレンしている後ろの堀川さんに一声かけて足元の 皺の様子を調べる。ストックでたたき、右足をそっと載せて大丈夫だった ので左足を踏み込んだ。『あっ!』と思ったときにはすでに目の前は氷の 断面だった。無心でアイゼンの爪を氷面にけり入れ、背中を後ろに押し 付け、体をつっぱねてじたばたし、いつのまにか自力で這い上がっていた。 しばし呆然とした後、落ちつけ落ちつけと唱え、深呼吸して気持ちを 落ちつかせた。クレバスが小さかった事とザイルの制動がかかった事で 難を逃れた。ぽつんと空いたクレバスの穴を記念撮影し、スキーに 履き変え通過する。

 頂稜もなだらかで東峰基部まで快調に登行する。 乳首のような東峰は深いクレバスで遮断されていた。東峰を右から トラバースし、西峰へのルートを確認する。僕らは悩んだ。雲が 出始めており、そろそろ天気が崩れる始める時間だ。西峰まではまだ 距離があり、ルート上には大きそうなクレバスが走っている。東峰に すべきか、西峰を狙うべきか。たとえ引き返しになろうともより高い 西峰を狙おう、皆の気持ちがまとまった。東峰基部にスキーをデポ (置いておく事)し、ピークを目指す。ようやく稜線らしくなり、 ステップにも力が入る。懸念していたクレバスは幅1mくらいの部分も あったが、おそるおそる覗くとものすごく深い。こんな所でジャンプなど できない。通過できる所を探しにクレバス沿いに右へ回り込む。 クレバスの縁と切れ落ちた斜面の間を慎重にトラバースし、 スノーブリッヂを見つけ通過する。あとはただ上を目指して斜面を 登った。だんだんと空が大きくなり、後ろを振り返りニターと笑う。 言葉は要らない。竹川さんに先頭を譲り、ついに全員ピークに立つ。 広く平らなピークだ。がっちりと握手する。大漁旗を大きく広げ写真を 撮る。雲はかかっているがエベレストも見える。皆思い思いの写真を 撮りまくる。竹川さんはハーモニカをおもむろに取り出し、お決まりの 『知床旅情』を吹き始める。あまり聞いてる者もいなかったが満足 したようだ。最後に山スキー部部歌を歌い、下ることにする。高所での 事故のほとんどは下山中におこっている事を再確認し、慎重に下る。

 シーデポ地点に着いたときには、西峰はガスの中であった。ピークを 制した今、今度は僕らの最大の目的、より高みから、自己を満足させる スキー滑降の開始である。気合いが入り、疲れも忘れる。東峰基部から 勢いよく滑り始めるが、雪は硬く手ごわい。転んでは破れそうな 心臓をなだめ、滑り出す。登るよりはるかに疲れる。それでも僕らは ACまで滑り続けた。ヒラヒラであったが大満足だった。


5月5日 AC(9:00)→BC(13:00) メラ氷河スキー場クローズ

 昨夜は残った食料を食いまくった。特に北川が高所とは思えないほどの 食欲を見せたが、今朝はげっそりしている。なんと夜半に吐いたそうだ。 外はすでに明るく、真っ青な空を見せている。今日のメラピークは ひと味違う。ゆっくりとテントを撤収し、大きく膨らんだザックを背負う。 準備オーケイ、全装スキーの開始だ。まったく、僕らは最後まで 恵まれていた。荷物の重さも感じさせないほどのざらめ状の雪なのである。 思うがままのシュプールを存分に刻み、氷河をあとにした。スキーを 背負ってさらに重くなったザックも、満足感、達成感という大きな風船の おかげで苦にならない。ベースキャンプではサーダーのダワをはじめと するスタッフ達に出迎えられ、ちょっと照れながらがっちりと握手。 辺りの様子も大分違って感じる。これからモンスーンの夏を迎えるのだ。 コックのサルキーが作ってくれたケーキで大成功を祝った。



撤 収

田村  整


5月6日 BC→タルシンディマ

 名残惜しいが今日から帰途キャラバン開始だ。碧空に怪しく光る メラ氷河、メラピーク西峰、そして慣れ親しんだベースキャンプに 別れを告げる。いろんな想いを抱き、足どりも軽い。ターナには 北川のお気に入りの女性がいる。はじめてターナにやってきたとき、 寒さに震える僕らを暖かく迎えてくれたシェルパニである。北川は 20代だと主張し、お気に入りのようであったが、皆そうは 思わなかった。そしてついに北川が動いた。彼女の家に入り、 じれったくなるほど遠回りに話をし、ようやく「カティ、バルサ、 プギョ?」と年齢を尋ねた。すると3?歳。それでも北川は誘いを かけ、一諸に写真を撮ろうといつになく積極的であった。ターナを 離れるときには彼女が手を振って見送ってくれた。北川の気持ちを 代弁するかのようにターナを過ぎた辺りから激しく雨が降る。 樹林内までは結構シビアな行動となった。コーティーにはこれから メラを目指す韓国隊のキャンプがあった。モンスーンは大丈夫かな。 コーティーから少し登ったところが今日のテン場、放牧のヤクが テントの回りをうろうろしている。


5月7日 タルシンディマ→チュタンガ

 峠近くのところでメラが見えた。ここで見納めだ。良い山だと しみじみ想う。ザトルワラへは行きよりも高いルートを通る。 ガスがかかっており視界は悪い。雪のついた急斜面のトラバースが なかなか恐い。大きなドッコを背負うポーター達の足元も おぼつかない。彼らなくしてヒマラヤの登山はできない。車が 通れるような道路ができない急峻な山間部では、彼らが トラックの役目をはたし、食料品から建築資材まで物の流通を 支えているのだ。峠越えは順応ができているからもっと楽かと 思ったがなかなか辛く、何かくやしい。峠を越え、気分も良いので 大きな声で演歌を歌いながら歩く。カルテンへはデブリのコブ斜面を エキサイティングなザック滑り。いつものように自然に奇声を あげてしまう。ネパール人達は何と思ったのだろうか。カルテンで メンバー全員集まり、ケルンを積み上げ、この峠の雪崩で亡くなった 北大探検部の金森さんの追悼をする。「永遠の幸」を斉唱、黙祷する。 全員無事で本当に良かった。チュタンガに着いた頃は、 辺りはもう薄暗くかった。


5月8日 チュタンガ→ルクラ

 ゆっくりと歩き、畑の緑がまぶしいルクラに着く。暖かくサポート してくれたパサン・シェルパとがっちり握手。店(COFFEE SHOP)内では 相変わらず趣味の良い音楽が流れている。ビールを飲みながら議論して いる髭面の国籍不明のおっちゃん達。フライトする飛行機。 人々の賑わい。僕たちの長かった山旅がようやく終わった感じがした。

 シャワーを浴びたり、洗濯したりのんびりと過ごす。そして念願の ララ・ヌードル(ネパールのインスタントラーメン)を好きなだけ 食べる計画を実行する。普段の山行で下山したらゼリー、プリンを 一人だけでたくさん食べたくなる欲求と同じである。ララをたくさん 買ってきて、餅を入れ、食いたいだけ食い、とうぜん気持ちが悪くなる。 それでもなぜか幸せだ。

 夕食ではパサンが待望のチャンを御馳走してくれた。久しぶりの お酒でとても気分がよい。


5月9日

 ネパール人スタッフの大半がこの日故郷に帰ると言うので、ジリまで 歩いて戻る北川が一諸に出発する事になった。ギル、サルキー、 ティンディ、ビングルと北川の一行を皆で見送る。長い間一諸にいた だけに別れるのはとても寂しい。とても味のある素敵な人達だった。 ありがとう。北川の無事を祈り、後ろ姿を見送る。この日の晩にパサンが 大チャンパーティを開いてくれた。チャンはもちろんのこと、テーブル いっぱいの料理。パサンの娘アンレミは飲ませ上手で「シェイ、シェイ」 とチャンをどんどんと注いでくる。最高のもてなしを受け、たらふく飲み、 たらふく食べた。


5月10日 それぞれの出発

 朝から曇空。竹川、秦、松岡の3人は今日のフライトでカトマンズへ 向かうため準備を終え待っているが、どうもこの天気では無理らしい。 僕と堀川さんはそれぞれ今日からナムチェ方面にトレッキングをはじめる。 皆と今度会うときは日本だ。見送りを受けてルクラを後にした。