メラピークを眼前にしての活動が始まった。とにかくベースキャンプに に着いたという安心感に天気の良さも加わって、心に余裕がでてきた。
4月20日
ターナは広く開けた河原にあるのだが、朝は案外遅い。完全に空が 青くなってからやっとテントに日が当たる。ふむふむ、これがU字谷って もんなんだ。
ここには空が白んでくると「クワッ、クワッ、クワー」と鳴きながろ その辺を走り抜けて行く鶏より一回り大きな正体不明のクワクワ鳥がいる。 その鳴き声を聞きながら目を覚まし、出されたお茶をすすり、朝ご飯が 運ばれるのを待つ。帰国してから自炊の習慣を取り戻すのに苦労しそうだ。
今日はベースキャンプに順応しにいく。テントに日が当たる前の出発で、 太陽を向かえにいくような感じで、気持ちがいい。モレーンを越える度に 見慣れない景色が眼前に広がっていく。鼻でふんふん歌いながら 幸せだなぁなんて思って、てくてく歩いていると背後でもの凄い轟音。 メラピークの頂上から垂れ下がっている懸垂氷河の一部が崩壊した。間近に 見えるメラピークに「お願いだからじっとしててくれ」と思わず頼んだ。
みんな調子がよいので明日はキャンプを移すことにした。
4月21日 ベースキャンプへ
昼前にベースキャンプについた。スタッフとポーターには今日と明日の 2日間でターナから荷上げをしてもらう。今日は食事の世話をしてくれる コックのサルキーとキッチンヘルパーのティンディー以外はターナに下る。 僕らは今まで通りほとんど何も持たずに上がってきた。これで順応に 失敗したら面目ないじゃすまないね。じゃがいもが残り少ないそうで ターナで買ってきてもらうことにした。
天気は午後になり悪くなってきたが、この高度に体を慣らすために、 モレーンの上を少し登ってみる。モレーンの石ころはなんて不安定 なんだろう。落石にびくびくしながら登った。
4月22日
今日は休養日。各自の体調に合わせて散歩に出かける。僕は竹川、秦と 一緒にメラ氷河の末端まで出かけた。メラ氷河の末端はまったくの氷壁で 取り付きようがない。他の隊のつけたトレースが右手から回り込んで上の 方で氷河上に乗っていた。軽い頭痛がするけれどもたいしたことはない。 テルモスを取り出して一息ついた。ルクラを発ってからテルモスの中身は お湯に砂糖を一杯入れたものにしていた。コーヒーも紅茶も行動中に口を 湿らすにはちょっとくどすぎる。すこし焚火の臭いのするわずかに甘い お湯が僕のお気に入りだった。
ベースに帰ってから、今日荷上げされた装備をごちゃごちゃといじくり、 明日の支度をする。それが終わると気になっていたフライの修理。 カルカテンでの停滞中の大雪で破れてしまって誰かが直したのだけど、 また破けてきたのだ。
4月23日 メラ氷河
みんなかなり順調に順応を進めていたと思っていたのだが、さすがに ここにきて個人差が出てきたみたいだ。松岡は真夜中に両ふくらはぎに 原因不明の痛みを訴えるし、北川は腹の調子がどうも悪くなったようだ。 ということで、松岡はテントキーパー。僕は僕で登山の医学の虫垂炎の 項を読んでから、ここで盲腸になったら腹膜炎で死んじゃうんだろうな と心細い。盲腸を切っている田村がうらやましい。
とにかく、今日はこの重いスキーを担ぎ上げなくては行けない。 僕らは未知の高度での行動にあまりにがむしゃらに臨みすぎた。 5000m以上の高度でいったいどれだけ持てるか全く分からない僕らは 「無理するな」などと言い合いながら「何気なく」たくさん持って しまった様だ。メラ氷河へは、3つの上りがあって、それぞれ 「第何の登り」と言われるようになるのだが、第二の登りに差し掛かった ところでついにストック休憩無しでは歩けなくなっていた。
氷河にたどり着く前に北川も調子悪くリタイヤ。4人で氷河の上に 行こうとザイルをセットしているとガスがかかってきた。ちょっと悩んだが 今日は帰ることに決定。岩陰にザイルや支点類を置いて帰途につく。
昼過ぎにベースについて、あられ降る中、昨日に続いて破けた フライシートを独り縫い直す。気合いを入れてチクチクやっていると テントの中から寝息が聞こえる。僕は針を刺す場所を間違えているかも 知れない。
午後になると湿った雪を降らすのがメラピークの最近の日課らしい。
4月24日
ついに、氷の上を歩いた。メラ氷河に上がるには大きなクレバスを わたらなくてはならなかった。一人一人ザイルを張ってわたる。今日は 6人で行動できた。ザイルパーティーは田村、堀川、秦の組と北川、 松岡、竹川の組。氷河上にはデポ旗が残っていた。メララに続く左手の 尾根はヒマラヤひだをこちらに向けている。これが太陽光を反射して、 とてつもなく暑い。今日は非常に穏やかで会話が途切れると、 静寂の音が聞こえる。
メララでデポ用の穴を掘り、今日の荷上げを終了。今日はさすがに 荷物を少なくしている。ここからは、ついにスキーで下る。出発前の 忙しいときに部室に2日間通い、エッジを研ぎ、滑走面を削り、傷穴を埋め、 ワックスを2度がけした上に、キャラバン中に錆がついてはとマジックで エッジを保護してきたのだ。
ヒマラヤでの初めてのスキーは只の林道滑りと変わらなかったが登りに 2時間の所を5分で下ってしまった。しかし、このままでは僕の フルチューンスキーはエッジを雪に立てることもできない。しょうがない ので強引に曲げてやる。これで我慢せい。スキーは氷河上に置いてツボで クレバスを渡る。
4月25日
天気が悪い。予定では今日は、できるだけ高度を稼ぎ、翌日は休憩、 翌々日からアタックキャンプへの荷上げの準備に入る。しかし今日は 朝から天気が悪い。新たにルートを延ばせるか不安である。しかも北川が 腹の調子が悪くダウン。暗い気持ちと暗い空。そうでもない。明日は 休みと、明るい気分で無謀にもザックの中身は増えていく。秦に至っては 停滞食3日分を詰めてしまい、氷河への登りではまっている。しかし これで遅れていた荷上げに関しては予定通りとなった。小雪が舞う中 氷河上に出る。ガスの中デポ旗を辿りメララに向かうが、快晴の中で 打ったデポ旗は打ち直していく必要があった。メララについても視界が 開けず、どうしたものかとため息をつく。しばらくするとだいぶ視界が 出て来て、あたふたと出発する。しかし晴れたのは束の間、1時間位。 左右に大きなクレバスが出てきたところで真っ白になり引き返し決定。 下部のクレバス帯がどれほどのものであるのか分からず、今日の成果には 不満足。ベースキャンプに帰り、計画変更について話し合う。 アタックキャンプへの荷上げはメララにキャンプを張って行うことにした。 メララでの宿泊をするには順応に個人差があることを考え、 あしたも行動日。今日思いっきりスパートをかけてしまった数人は諦めに 近い笑いを浮かべ肩を落とす。
4月26日 メラ氷河スキー場オープン
と、言うことで今日は6人で氷河に上がる。メララに着くまでガスが かかっていたが次第に晴れてピークまで眺望できるようになる。メララの 荷上げもこれで終わり、後は前進あるのみ。緩やかにコルに降りて行くと 左右にクレバスが開き出す。後方右手にチャムラン、バルンツェが 見えて来る。昨日はこの辺まで来たのだろう。行けるところを行くと左に 緩くカーブし、およそ5500mで下部のクレバス帯に行く手を阻まれた。 前に登ったパーティーのデポ旗が所々に残っていて辿れば何とか 行けそうである。疲労も貯っており今日はここまで。
しばらくザックにもたれ、ぼーっとしてしまった。天気も良いし、 雪もこの暑さでザラメに。みんなニヤニヤしながらシールを外す。 高所スキーなんぼのもんじゃいと、滑り出すと結構楽だ。息さえするのを 忘れなければ案外いける。
北海道をたって一ヶ月、やっとスキーヤーになれた喜びは非常に大きい。 長いアプローチだったが「車で林道入口まで」なんていうのと違って、 複雑で、不思議で、無駄のないアプローチだった。そして待ちに待った 休養日。文句はない。
4月27日
うだうだと起きて飯を食う。休養って感じだ。好運にも天気は朝から 快晴。カトマンズを立ってから洗濯した物などしれている。みんな いっせいにじゃぶじゃぶやり始める。竹川も洗濯を終えると、次は シュラフについたダニの退治に余念がない。この赤いダニは化繊が 嫌いなようで化繊シュラフにはいないが竹川の羽毛シュラフには、 うじゃうじゃいる。
順応するための休養なら少し体を動かさなければならないのだろうが、 今日は筋肉の休養日と割り切ってとにかくゴロゴロする。
4月28日
一日休んだおかげで各自調子を取り戻したようだ。今日から6000mの 順応活動だ。天気すこぶる良く、快調にメララにキャンプを張る。 計画外のキャンプであるのでガス節約のため水作りに精を出す。 黒ビニールに雪を入れておくと4時間で4リットルの水ができた。 日差しが強くテントの中は熱地獄である。だから少しは風のある外に いるのだが、日光浴するほどのなま優しい紫外線の量じゃない。 肌が赤くなって紫外線の目に見えない攻撃に気づいた順にテントに入る。 チャパティー生地を油で揚げたプーリーを昼飯に渡されていたが この暑さで喉を通らない。暑さも盛りを過ぎると、いよいよナポレオンに 力が入ってくる。16時になると、(この16時と言うのが山スキー部らしい) 小さい鍋にレトルトをワンサと入れた。まだかまだかと食べてみた赤飯は まだ加熱不充分で、妙にパサパサしてまずかった。この後、できたか できないかの判断は二人で行う、ダブルチェック方式を採用することになる。 食うことだけにはうるさいのである。
4月29日 アタックキャンプ地へ
晴れてはいるが雲が多い。アタックキャンプまではクレバス帯があり 時間がかかりそうである。今日、アタックキャンプに行けないと結構 つらいなぁなどと思いつつ出発する。下部のクレバスは案外簡単に 通過できた。と、そこには広大な斜面が滑って下さいと言わんばかりに 広がっていて「オーッ」と声がもれる。斜面の上には上部クレバス帯が 大きく口を開け、スカイラインにチョコンとアタックキャンプの目印の 岩が乗っている。とりあえずその岩めがけて登って行くが、クレバス帯に 捕まる。簡単に越えられれば直線でアタックキャンプに行くことができる。 アイゼンにはき変えて偵察するが先の方もズタズタに切れていて、 行けても時間を食いそうである。所々に残る昔のパーティーのデポ旗を 頼りにクレバスを右に巻いて行くとあっけなくクレバスを越えた。道草を 食ったおかげでこの辺りからペースが落ちるがアタックキャンプに着く。 視界良好、気分最高。帰りのスキーはSUMMER SKI IN HIMARAYAと言った ところで、涙チョチョ切れものだった。下部クレバス帯で幅30cmほどの ヒドゥンクレバスが開き、ヒヤリとした。
4月30日
ルートさえ確保できれば気は楽だった。帰りのスキーを想像している うちにアタックキャンプ地標高5800mに着く。北に並ぶ巨大な山々は その懐からこちらに向かって巨大な氷塊を吹き出している。こいつも 別の意味で氷山だなと思った。今日はこれから6000mまでルートを 延ばす。ここから先の状態がアタックの成否を決める。ルートは 素直に過去のパーティーのデポ旗を参考にする。スノードームの横まで くると稜線に続く魅力的な急斜面が遥か彼方で高所特有の深い スカイブルーと接している。
アタックのルートどりについて一通りの議論をして滑降の準備にはいる。 シールを外すときのアドレナレン濃度の増加率はきっと凄いに違いない。 心臓がドキドキして体がぶるぶる震える。
スノードームの下までのやや急な斜面はザラメを速い呼吸で ウェーデルン。アタックキャンプまでの緩やかな斜面はスピードに 乗って深呼吸のリズムで浅回りの大きなターン。呼吸に合わせたスキー、 高所スキーは肺に優しいことが長続きの秘訣のようだ。呼吸と言えば ラマーズ法なんてのがあったが、こんな良いざらめに決して未熟 シュプールを産み落としてはいけないのである。モンスーンに近い この時期、スキーには最適なのかも知れない。全くついている。 アタックキャンプからも肺を2倍にしながら楽しいスキーが続いた。
5月1日
天気がよいので外にブルーシートを広げてもらい、そこでくつろぐ。 何がきっかけになったのか3分スケッチが始まった。3分で誰かの 似顔絵を書き上げるというものだ。なにしろ、鉛筆さえあまり 握らない僕たちだから3分でできあがる似顔絵は街角の500円証明 写真より数倍笑える。雲が出てきてからはメララにジャンボエスパースを残してきたので レンタルのテントでくつろいでいる。韓国製のEUREKA(ユーレカ)と 言うドーム型のテントだ。EUREKAというのはギリシャ語で 「I have found it.」の喜びの叫び声だそうだ。アルキメデスが王様の 冠の金の純度を測る方法を見つけたときに「Eureka!!」といった そうである。僕の英和辞典は博識だ。
明日からアタックにはいる。順応の足並みも揃った。天気も 安定している。上部6000mのスキーも面白そうだ。4日には、あの頂で 大漁旗を広げているのだろう。気合いを入れるためか北川が キッチンヘルパーのカルマンに散髪してもらった。それを見ていた秦も 散髪してもらった。みんなが見守る中、2人とも猿のようになって しまった。今日のベースキャンプも笑いが絶えない。
「Eureka!!」と言うほどの発見ではないが、とりあえず今の このパーティーに問題はなさそうだ。