バスの故障、ジュンベシ高校でのバレーボール対決、カトマンズから 登山の起点ルクラまで、非常に楽しいトレッキングであった。
3月27日 カトマンズ〜ジリ
カトマンズの朝は喧騒の中、野菜をカゴにつめて売る女、肉屋に並ぶ 牛の首、はだしの子供、車のクラクションに自転車ベルと旅立ちの 静粛な気分に浸る間もなく7時45分、大型バスは出発する。
出発後まもなく、雇用条件についての交渉にて決裂、ポ−タ−に 逃げられる。40人乗りのバスが寂しくなる。カトマンズ市内にてバスが 故障し、2時間ほど近くの寺に散歩に出かける。ネパールの子供たちの 写真を取ると金を請求されここは日本じゃないとつくづく思う。
ようやくバスも走りだし街道沿いの食堂にて昼食とする。掛け値無しの 本場のダルバ−トの洗礼を受けたり、山道では大型トラックが立ち 往生して大渋滞となったり、アクシデント続発。しかし何とか20時45分、 ジリに到着。ロッジで飲んだ酒は薩摩白波のような味がした。小汚い ベットにすいこまれるようにして寝入った。
3月28日 ジリ〜デオラリ峠
昨日の強行軍のためか、今日はゆっくり起きる。カトマンズで ポ−タ−に逃げられたので、我々の荷物は10匹のロバに持たせる。 首に鈴を下げてカランコロンといい音をさせる。
よく整備された道をのんびりといくと昼頃にはマリ峠を越える。 ここを過ぎると、もう、車は見ることができない。遥か遠くまで山の 景色が広がる。しかし、そこにはしっかりと人が住んでいて、 ほこりっぽさと石造りの家をのぞけば大昔の日本の景色かも 知れないと思った。
登山者よりも荷物を運ぶシェルパの方が多い。この道は彼らが足で 踏み固めた道で物も文化もここを通って、ルクラ、ナムチェへ 運ばれた。そんな道を我々は歩いて行くのだ。見るもの見るものが とても新鮮でなんでもかんでもシャッターを切ってしまうぼくらは 正真正銘のジャパニーズなのだ。
シバラヤでおしまいかと思ってたのにデオラリ峠までいくことになり 最後はばて気味でラテルネをつけて行った。
昨日のダルバ−トのためか竹川、北川は不調。ヨ−グルトのような ダヒがおいしかった。
3月29日 デオラリ峠〜セテ
北川は今日も低調。朝、昼とダヒを食べる。峠を下るとバンダルと いう美しい村、さらに下ると活気がある河沿いの村ケンザ。昼飯を 食べた店では、ネパ−ル人の女が竹川さんのハ−モニカを吹いたり、 歌をうたったり、おどってみせてくれた。皆、外国人に友好的で嬉しい。 昼食はだいたい2時間くらいかける。いつも10分くらいで 済ますので最初は慣れない。
セテは山の中腹の小さな小さな村で、汚したパンツを洗おうと宿の おばさんに洗濯をしたいという旨をいうと洗ってあげようかといわれるが 物が物なのでマイセルフとなんか云ったりして洗濯して干す。写真に 撮られたのは情けない。
本日よりシオノギ胃腸薬のお世話になることにした。
3月30日 セテ〜ジュンベシ
今日はキャラバンIのポイント、ラムジュ峠3500mを越える。山道は ひたすら登りで雪の上も歩く。
田村は意欲的にネパ−ル語を学ぶ。例えば、「ドゥッチャ・カティ・ パイサ・ホ(お茶は幾らですか)、パ−ンチ(5ルピ−です)。」 また、医療係である秦さんはタグゥトゥクの村で手を切った女の手当をし 国際貢献を。おそらくその女は秦さんのことを医者と思ったことだろう。 6人の調子は皆、良好で北川もダルバートに挑み克服する。宿は ジュンベシという大きな村で高校もある。ちょうどバレ−ボ−ルを やっており頼み込んで一緒にやらせてもらうが、コテンパンにやられる。 夕食のFried Noodle with cheeseはとても塩辛かった。
ラムジュ峠を無事乗越し、気が楽になった。この日ぐらいから日本に ハガキを書き始める。日本を出て一週間が過ぎた。
3月31日 ジュンベシ〜マニディンマ
ジュンベシから道は緩い坂道。エベレストビュ−という茶店から見える 山はエベレスト、初めて見た。右にはメラピ−ク、位置の関係からか メラピークの方が大きく見える。
昼食はリンモ(Ringmo)という村でとる。ここにはリンゴ畑と麦畑が 広がる。アップルフリッタ−、15ルピーはおすすめ。
タクシンドウ峠を越えるとマニディンマという村。ここはサ−ダ−、 ダワの故郷で、寄り道をして、地酒のチャンをご馳走になる。久々の 里帰りにダワはうれしそう。
ダワの父が経営するロッジでは、皆で歓迎を受け酒もご馳走になった。 ダワはちょっとした名士である。
この日ダワの友人に不幸があり明日はダワとは別行動することになった。 我々の雇用者という立場が難しく感じられた出来事であった。
4月1日 マニディンマ〜ブプサ
マニディンマから道はどんどん下りでド−トコシという大きな河に出る。 遥かエベレストまで続く河だ。おっかない吊り橋を渡る。さすがの ロバもびびる。ちょっとした峠からは神の峰、クンビラがみえる。 昼を食べたカリコ−ラはヨーロッパを思わせる。明るく感じのいい村で 泊まってみたくなるところだ。ここから小一時間登ったところが今日の ロッジで、そこにはラマ教の変なおやじがいて金をせびる。眼鏡が北川の 物と似ているのが不気味さとインチキ臭さを漂わせていた。
いよいよ明日はルクラ、うまいものが食べたい。しかしネパール人たちは トランプが好きだ。
4月2日 ブプサ〜ルクラ
谷をはさんでルクラが見えたとき、きっと感動したと思うが、よく 憶えていない。天気は余りよくなく、飛んでいった飛行機が一回 戻ってきて、又飛んでいったのを見たときは、時間がかかっても自分の 足で歩くことの確実さを実感した。今日までのコ−スは、シェルパ族の 暮しがみれたし、ヒマラヤの風土にも慣れることができた。コ−ヒ−・ ショップを経営するパサンには、札幌であって以来、半年ぶりの再会と いうことで歓迎を受けた。僕たちも日本食を出して食べてもらう。 缶詰の肉なのにたいへんおいしかった。
これまでの道のりを考えるとルクラは物の豊かな村だ。
4月3日
カトマンズからやってくる飛行機を見たり、散歩したり、洗濯したり…。 昨日までと違ってここは外国人の方が多い。